遠水連天碧

桂葉

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十一章

重生

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 出した結論を携え、二人は天宮へと向かった。相変わらず豪華絢爛重厚にして威圧感のすごいその場所も、まだ慣れたわけでもないのに今日は気圧されている余裕はなかった。
 天帝は相変わらず肩の力の抜けた様子ではあったが、すぐに応対してくれたところから、待たれていたことを感じられた。
「ふーん。なるほどね。いいだろう」
 意味ありげに言葉は少なく、しかし並び立つ二人をじっくりと見比べ、ふふんと鼻を鳴らした天帝である。
「辞世の詩は詠めた?」
「その方面の才がないことに気が付きました」
「そうだね。上手そうに見えないし。覚悟を決めたなら残す必要はないだろうさ」
 そう思わないかと、こんどは清江に話を振る。振られたほうは、複雑そうな顔で軽く頷いた。
「もし君の金丹が健在で、身体にも大事がなかったら、一度地上へ降ろすよ。どこがいい?」
「清江の、龍神殿にお願いします」
「わかった。だが、下手をするとこのまま、ということになる。そうなっても安心しなさい。君の魂は浄化して、転生輪廻へ乗せてやる。それが、上皇の残した呪の、責任だと思っているから。縁があればまた、清江と出会うこともあろう。それでいいかな」
「お願いします」
 これだけわかれば、十分だ。きっとまた、清江の傍にある自分になると決めた。
 ぐっと顔を上げ、さあどうぞとばかりにまっすぐ天帝を見ると、彼はふと思い出したように言った。
「それから、もうひとつ考えた」
「なんでしょう」
「天界の禁についてだけど、このさい口伝のような噂なようなものではなくて、明文化しようと思うんだ」
 これは、当代で初めてなされることだ。この天帝、前代で成さなかったことをやろうとしているらしい。確かに、必要なことであろうと思われた。
「第一、神気の損傷を伴う行為につき、神同士の交わりを禁ず。ただし、正式な婚姻についてはその限りではない」
「正式な婚姻……、ですか」
「そう。これは、双方が了解の上で、行為そのものより先に気を調整しながら交わるものだ。これについては古来より限られた神同士だが何例もある。婚姻は私が立ち合い認めるものでもあるから、無暗には行えない。これで玉風のような悲劇はある程度防げるんじゃないかと思う。どうだろうな」
「妙案だと思います」
 流文が返した。同じくと、清江も続いた。
「それでもやりたきゃやるんだろうけど、本人たちの責任ということだ」
「そう、ですね」
 清江が、どこかまだ渋い顔で同意する。
「そんな顔しないでよ。別に君を虐めてるんじゃないんだからさ」
「失礼しました」
「ということだから、清江、流文」
「はい」
「成功したら夫婦と認めてあげるよ」
 どうだ、嬉しいだろう?と言外に迫る笑顔だ。この天帝、そういうところが流文も好ましいと思っている。
「……あの、お言葉ですが、男同士です」
「何言ってんの。神は同性でも交わるし、そもそも性別を超えた存在だから、どんな姿にでもなれるんだ。なんならこの清江を絶世の美女神に変化させてあげようか?」
「丁重にお断りします」
 二人の声が重なった。
「では、やろうか。ついておいで」
 ひとしきり声を立てて笑ったあと、天帝は茶にでも誘うような軽さで二人を別の部屋へ誘った。


 連れられたのは、広い天宮の中でもかなり奥まった場所に設けられた一室だった。そこに立ち入った途端ピリリと何かを感じたが、清めの一種だと説明があった。
 ここでは、主に魂のやり取りが行われるのだそうだ。訳あって魂を浄化させられるとか、あるいは何か別の性質のものとして生まれ変わるとか、そういった者を安全に扱う場所であるために、穢れは一切持ち込まれてはいけない。天帝でさえ用のないのに立ち入ることは許されないのだそうだ。
 そこには寝台以外のものはなく、神聖な空気だけが静かに満ちていた。呼吸さえも憚られるような荘厳さがすこし重い。
 入ったのは、天帝と流文、そして清江だけだった。天帝付きの従者も締め出されている。
 寝台に横たわるように言われ、流文はそれに従った。いよいよと意識すればさすがに緊張が襲ってきたが、息を整え、できる限り心を静かに保つ。
「これから、流文の中にある玉風の神気を私が吸い上げる。別に痛いことはないけど、何か魂から引きはがされるような感覚はあると思う」
「はい」
「それに、君の金丹が耐えられれば、成功だ。ただし、無事だったとしてもかなり弱る可能性は高い。ゆえに、一度地上に下すことになる。天界は私やほかの神の気が強すぎて、せっかく助かった金丹が潰されてしまってはいけないからね。下す先は先程聞いたが君の希望に沿う。どうせすぐに清江が追うから、あとのことは心配ない」
「はい」
 少し首を傾けてみると、心配げながら頷く清江と目が合った。
「もし、私の力で君の魂を救えなかった場合は、一度死んで転生となる。再び君が目を開くのはたぶん何年も先の話で、今生の記憶や力は持ち合わせずに、人として生まれ変わることになるだろう。いいね?」
 そうなれば、まっさらの赤子からの出直しだ。運よくそれなりの家に生まれ、親にも恵まれ、成人まで育つことができれば、よいのだが。今世の徳が来世にてどの程度働くかは、転生してみねばわからない。
「はい。承知しています」
「じゃ、始めますか。大仕事だ。私に命を任せたことを後悔させたくはないね」
 まだ若いながら、力のある天帝だと清江が言っていた。信じて委ねるしかない。
 覚悟はしているが、不安はもうなかった。なるようになる。
 もしも今の記憶も想いもこの先へ持ってはいけなくとも、悪いようにはならないはずだ。清江が流文を見つけてくれさえすれば、彼の加護のもと、きっと生きていける。そしてまた、いつかどこかで彼に恋をすることだろう。
 ただ、もしそうなるとすれば、やはり転生は早いほうがいいなと思うばかりだ。本当は少しでも、清江を一人にしたくない。
 さて、天意は如何に。目を閉じかけて、また瞼を開く。
「あ、最期にひとつ、いいですか」
「ああ、言っておきな。なんなら清江への愛の言葉でもいい」
「あはは。それもいいですが、まずは天帝に、感謝を」
「おや。愁傷だねえ」
「それから、清江に、感謝を」
 そう。愛の言葉よりも、感謝を。
 あなたの厚意から始まった縁だった。あなたと出会わなければ知りえなかったたくさんのことがあった。想いもあった。
 百生きてなお得られなかったそれらを、ほんの少しの間に流文は、清江から与えられたのだ。感じた切なさも愛しさも、知った自分の弱さも、そしてもう一歩進みたいと願う強さもだ。
 好きだからというだけで言い表せるものではない。だから、感謝だ。
「私からも、君に感謝を」
 深い微笑とともに、短い言葉が返された。こちらも多くは語らない。視線を合わすよりも礼をとり伏せたことで、彼もまた同じような感慨を胸に詰まらせていることを感じた。
「ではお願いします。目をつむっていれば終わりますか?」
「そんなところだね」
 目を閉じると、体の上に天帝の手がかざされた気配があって、そこからほんの少しあたたかく、体を通って流文の中心にまで降り注ぐ力を感じた。
 それはゆっくりと強くなり、流文の金丹を、そっと包み込んだ。
 ……。
  ……。
   ……。
 そこからの記憶はない。そっと消えるように、意識は途絶えてしまった。


 ◇◇◇


 気が付けば、視界は明るかった。なのに深く靄がかかったようで、はっきりとものを見ることができない。体がとても重く感じた。
「無事か、流文!」
 すぐ目の前で声がして、その瞬間ぱっと視界が晴れた。
 その変化に目がくらんで、瞬きを数回。目の前には、とんでもなく美しい青年の顔があって、思わず驚いた。しかし、心配げに見下ろしてくる彼のことがとても愛しく感じて、流文は微笑みを返した。一瞬でも早く彼を安心させたかった。
「大事ありません」
「そうか。よかった。ここに来られたということは、成功だ流文。診たところ、金丹に損傷や弱りもない。体はどうだ。辛いところはないか」
 息せききって、なんだかお母さんみたいな心配の仕方に少し笑いそうになりながら、朧だった記憶がじんわりと取り戻ってくることを感じていた。
 そうだった。天界で自分は、玉風の神力を失うことで天仙ではなくなり、無事地上に降ろされたようだ。そのすべてのいきさつを覚えており、そばに清江がいるということは、成功したということなのだ。どうやら記憶を持ったままどこかの赤子として生まれ変わったというわけでもなく、身体も声もすべて、天界にいたときのままの自分だ。そのことに、まずは深く安堵する。
 場所は確かに、希望通り、あの龍神殿だ。壁も柱も天井も、見知った場所と何ら違わない。しかし龍神は像には宿らず、床に衣を広げて座り込み、流文の体を膝の上に抱きかかえている。頬を撫でる手が、すこしひんやりとしていて心地よい。
 ああ、愛しいひと。目覚めてこのひとの腕の中なんて、なかなかに幸せな状況だ。もうちょっと狸寝入りでもしていたいくらいだが、惜しいことに覚醒していることは知られてしまっている。
 でも、まずはちゃんと安心させなければ。まだ泣きそうな顔をして流文を案じているこのひとに、笑ってほしい。……あまり笑わないひとだけど。
「体は、少し重いです。天界に長くいたからでしょうね。地上で自分がけっこう重かったんだなって、思い出したというか」
 まだどこか呆けているせいでゆったりとしか話せない流文に、せかすような口調で清江は問いを重ねる。
「痛いところや不自由はないのか」
「すぐにでも起き上がれますよ。でも、もうちょっとこのままがいいです」
 眩暈でもするかと心配されたのか、まだ清江は安堵の表情を見せてくれない。
「あなたの膝が、気持ちよくって……」
「君は……」
 そこでやっと、清江の表情が解れた。目を細め、ほっと息をつく口元が笑いかける。
 ぎゅっと、苦しいほどに抱きしめられた。愛しい、愛しい、愛しいと重ねて思いが伝わる抱擁だった。包まれる彼の神気がとても暖かくて安らぐ。
「苦しいですよ」
「元気があるなら堪えなさい」
「そんなあ」
 言ったら少しだけ腕が緩んだ。ほっと息をついたのもつかの間、強く口づけられた。
 このひとの口づけが、好きだ。思えばもうこれは何回目だ? けれど今が一番熱い。舌を入れられ絡められ、翻弄されるような口づけだ。たちまち体が熱くなってくる。
「んーっ」
 さすがに息が続かなくて呻くと、我に返ったように離された。
「済まない。つい……」
 清江は恥じらって、少年のように頬を赤らめた。
 そうだった。このひとは本来、脇目もふらず相手を求めるほど、情熱的なのだった。さすがに、このように求められてはひとたまりもない。絡めとられればもう、離れられなくなる。今や、二人が交わることに憚る理由は一つもなくなった。
「今、私を水神にしてください」
「流文……」
「楽したいって言ったの、覚えてませんか?」
 笑って、見つめ合う。清江の白い頬が今はほんのりと赤く、熱に潤んだ瞳がとても艶めかしい。
「覚えているさ。今でいいのか? 体は本当に平気なのか」
「ですから、大丈夫ですよ」
「……成して良いのだな?」
「はい。望みます」
 あとは、情熱の溢れるままに抱き合った。口づけながら互いの服を脱がせ合い、腕を絡めて抱き合い、肌を重ねては体温を分かち合う。
 身を寄せ、ひとときも離れないようにしながら、清江は丁寧に流文の体を解きほぐしていった。そこに濡らした指を差し、神力でゆるやかに痛みを癒しながら、徐々に奥へと開いていく。時折気づかわし気に表情を伺ってくるから、流文はできるだけ笑みを返した。実際、広げられていく感覚は決して苦痛ではなく。慣れない場所への執拗な刺激は、気分の高まりもあいまって、深い快楽を呼び覚ましていくようだった。
 あの日受け入れられなかった場所に、ついに清江を受け入れた流文は、そこで生まれる気の遠くなるような充足感と、そして心地よさを知り、歓喜をもって絶頂を味わった。
 身に放たれた清江の精は、そこから体の内側に浸透し、神気で指先まで満たすようだった。
 彼の神気は穏やかで、優しい。初めて唇で感じた時と同じものが全身に馴染むのが分かった。それと同時に、自分の気が溢れるように増幅し、魂を包み、そして同化する感覚があった。
 これが、神と交わるということか。
「あなたに染められてしまいました」
 笑って言った時に見せた清江の表情を、流文は一生涯忘れないだろうと思った。
 その表情をさせたのは自分。このひとに幸いを感じさせることができたのは。
 共にあって、満たされ、そのことが何にも脅かされることなく、誰の目も憚ることなくあれる。それが深い喜びを感じさせるものだということを、流文と結ばれることで清江が感じてくれたのならば。
 出会ったことにも、当時流文が満足に天上できないでいたことにも、意味があったのだろうと思う。
「明日、共に天上してくださいね」
「当然だ」
「婚姻成立でしょうか。祝言でも上げますか?」
「それは……、よく考えてからだ」
 勘弁してくれと言いたそうな顔で、しかし即時否定ではないことがとても清江らしいと思った。なるほど、このひとを揶揄いたくなる気持ちも、わかるような気がする。

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