おなじはちすに

桂葉

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七章

悔恨

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 何があったかは分からないが、少なくとも蓮暁が背貰っているその重い傷が、父に関係するのであろうことは間違いない。    
 八雲といることが余計に傷に障ることだってわかっている。けれども、どうしても、そばを離れる気になれなかった。
 救われたいのか? なら、どうすれば彼は救われるというのだろう。
 他人に唱えながら自分の傷を隠す蓮暁の経が、彼の嘆きであるのなら。
 仏は救ってはくれないのか。迷える魂を。涙を流す壊れたままの心を。


 あれから。蓮暁の過去に父が深く関わりがあったことを知ったあと。
 また、二人は旅を続けていた。しばらくはのんびりと、山城国にとどまっている。
 身を寄せたのは、蓮暁が出家したという法照寺。お帰りなさいませと、唯一彼に言ってくれる場所だ。
 小高い山の中腹に鎮座する寺はそれほど大きくはないが、僧は何人もいた。兄弟子が旅から戻った、その知らせを受け、何人もの僧が門に駆けつけてくる。愛想のない人である割に、慕われていることがわかる。
  そして、その理由も八雲には察することができていた。人を避けているくせに放ってはおかない、慕ってくる相手は基本的に拒まない、そういうものがこの寺にいる頃にもあったのだろう。
 ちゃんと帰るところがあるんじゃないか。思うとすこし、八雲の胸に安堵のようなものが生まれた。たとえ八雲がいなくとも、蓮暁が一人でないことがとても嬉しかった。
 こちらは?と、八雲を見るなり当然のように弟弟子という僧に尋ねられたが、蓮暁は、やはり同行人と紹介しただけだった。まあ、ほかになんと名乗ることもできない。ここで稚児だとか紹介されるのは勘弁だったから、文句は言わないでおく。
 蓮暁はここでも、様子はいつもと変わらない。久々に戻った蓮暁を、馴染みの僧たちはそれぞれに懐かしんで歓迎してくれるのだが、本人はあくまで言葉少なく、やんわりとすり抜けては僧房にこもってしまう。それも、僧たちは気にしていないようで、この人らしいと微笑むだけだ。
 いい人たちだと思った。こういう寺だから、彼は癒されたのだろう。押しつけがましさはないのに、蓮暁を受け入れ溶け込ませているように見えた。
 借りている僧房の一室で二人になる。八雲が旅の共であることと、僧房に部屋の余裕がないという理由から、広いながらも二人は同じ部屋に居場所を与えられた。聞けば、旅に出る前に蓮暁が使っていた部屋であるらしく、彼の不在の間もずっと小僧によって掃除がされていて、すぐに二人は通された。
 二人旅もいくらか経って遠慮もなくなってきているため、互いに同じ場所同じ空気の中にいても緊張などはなくなっていた。適当に距離を保って八雲は足を崩して寛ぎ、蓮暁は愛用の文机に自分の荷物を置いて整理をしている。
 ありがたいことに、今夜からしばらくは風呂に入れる。体を芯から温められると喜びながら、そう言えば前に蓮暁とどこかの寺で一緒に入ったことを思い出した。それから、蓮暁に迫ってきた妙な坊主のことも。
 ここではまさか、そういう風には見られないのだろう。それだけでも一安心である。
「いっそ、次は出雲の国に行こうか」
 八雲がとりとめのないことを考えていると、蓮暁がそう切り出した。古巣が居心地の良い場所だからか、このところ沈みがちだった蓮暁の表情が、いくらかほぐれているように見えた。    
「はい? なんでまた」
「お前の名前の、出雲だ」
 この旅のなかで、蓮暁が明らかな目的をもって目指す場所を示したのは初めてだ。
 八雲立つから始まる、日本最古とも呼ばれる歌は、出雲の地を詠んだものだ。確かに、自らの名に負うその土地に八雲も足を踏み入れたことはない。
「すっげ遠いけど。行ってみたいな」
「神社ばかりかもしれんがな」
「いいじゃん、寺がないわけでなし」   
「行くか? 私と」
「もちろん」
   即答したが、蓮暁はすこし困ったような苦笑を見せた。
「おまえ、もう忍びには戻らないのか」
 伺うように目を合わせてくる。どうやら反応を試されたようだ。どうこたえようか、しばしの間言葉を探す。
「…」
「すまない。急かすつもりはない」
 八雲が言葉を返さないとわかると、蓮暁はすぐに引き下がった。
  気にはしてくれるが、決して何かを押し付けはしない。それが彼だ。たぶん八雲の出す結論ならば、何でも受け入れてくれる。それまでの迷いや心の揺れさえも、許してくれるのだ。
   自身がそういう日々を長く、霧の中をさまようように過ごしてきたのだろう。だからか弱さにはとことん優しい。あまり語ろうとしない彼の心が、このところ少しはわかるようになってきた。
「いや、もう、俺も出家してやろうかなんて思わないでもないんだ」
「はは。似合わないな」
  八雲にしてはちょっと思い切った、しかし半分は真剣な思いだったのだが、蓮暁は笑った。彼の明るい顔を見るのは久しぶりで、嬉しくなる。
「似合わないと言われて嬉しいのか? にやにやして」
「違うって。…あんたが、笑ったから」
「…そうか」
「やっぱさ。たまには笑ってほしいじゃん」
 ふだんから表情を見せない蓮暁。それが生来のことであるとしても、今はそれだけでもないような気がしているかから。
 その静かな顔の裏でまた痛みを堪えているのではないかと思ってしまう。
 できるならば、そうではないときは、少しでも明るい顔を見たいのだ。そうしてくれれば、いくらでもふざけてやる。気を紛らすように、からかわれてる。
「同じことを言うんだな」
「え?」
「平八郎も、仏頂面の私によく言った。笑えって」
 蓮暁は、今度は笑みを照れくさそうに、苦笑に変えた。ふっと目を細めて作られたその表情は、とても穏やかだ。
「そうなんだ…」
「昔はほんとに冷めた若造だったからなあ。あいつにからかわれたり、振り回されたりしてるうちに、すましてはいられなくなった」    
「あんた、笑うとかわいいから、見たかったんじゃない? 笑う顔」
「…」
 今度は蓮暁が言葉を失った。ちょっと横を向いて、照れたときのしぐさを見せる。それが、八雲は好きだった。
「照れた。そういう顔もな」
「親子でひとをからかうな」
「からかってはないぞ。少なくとも俺は」
「…。まあ、いい」
 それをどう思ったか。
 喜んではいないのだろうが、嫌がってもいないようだ。ならば上々である。
「さっきの話。やっぱり俺に坊主は無理かな」
「ないだろう。お前は、まだそんな人生を送るには早い。飽きて還俗したくなるさ」
「あんたとなら、いいと思ったんだけど」
「私と、いたいのか?」
「…いたいよ」
「…寂しいのか?」
「じゃなくて。あんたといたいよ。この先も」
 一人にしたくないという思いから、いつの間にかここまで育った思いだった。
 このまま旅をして、それでどこかでサヨナラをするなんて、考えたくなかった。だからと言って、このままどこまでもついて行って、その果てになにがあるのかはわからない。
 ただ、一緒にいたい。そのためなら忍びを諦めてもいいとさえ思う。
「…阿呆なやつ」 
「なにそれ」
「一時の情で、人生決めるんじゃない」
  柔らかくたしなめるように、蓮暁は言う。
 そういうんじゃないと、思うんだけど。
 いや、分かって言っているのかもしれない。だからこそ、蓮暁は突き放す。本当に選びたい道を選べと、背を押すように。
 けれど、もしも、八雲が選びたい道が貴方なら、どうする? 蓮暁。
 やっぱり、手を握ってはくれないのか?


     ●


 深夜だった。草が風に吹かれて嚥く音だけがするような、静かな夜だった。
 この寺に来て、夜は確実に身の安全が保たれていることに安堵し、八雲は寝だめをするように深い眠りを貪るようになっていた。やはり野宿やそれに近い状態ではいつ何が起こるかわからないという緊張感で、少しの物音や気配でも目を覚ますものだったが、蓮暁の寺という事で無意識に気を許していたのだろう。
 それでも、すこし布団を離したくらいの距離で眠る人物が夜中に目を覚ます気配や、寝返りの物音にはやはり覚醒する。蓮暁の息遣いが不自然なことに気がついて、八雲は目を覚ました。
 彼の寝息が安定していれば、そのまま気にせず自分もまた眠りについたはずだが、そうなれないくらいには呼吸が乱れてたのだ。
 泣いてる?
 不規則な呼吸が鳴咽によるものであることは、すぐにわかった。眉根を寄せて、苦し気に息を吸う。眦から一筋の涙がこめかみを伝った。
 ただの夢くらい誰でもみる。嫌な夢でもあんがい目覚めてみればうろ覚えだったりのするものだ。そんなことがわかっていても、夢にうなされる人間を放っておけないのは人情というものだろう。普段よく泣く子供でもない、大人の涙にはまた切羽詰まったものを感じた。
「蓮。蓮?」
 蓮暁も元忍び。少しの刺激があれば目覚めるはずだから、耳元でそっと囁くように名を呼んだ。驚かせるのも気が引けるのだ。
「…は。あ、…ああ」
 すぐに気がついて開かれた瞳は、やはり濡れている。夢から現実に戻るための一瞬、それは揺れた。
 そして間近にいる八雲に気が付いて、大きく一つ息を吐いた。
「起こしてごめん。その、辛そうで」
 明りのない暗がりでも目が合うのは、元忍び同士だからだ。深夜に任務を果たす忍びは、普段から夜目はきくように鍛錬している。
  流れた涙に自ら気がつき、蓮暁は決まり悪げに袖で拭った。取り繕う余地がないせいで、強がることを諦めたのだろう。
「あ一あ、格好悪いなあ」    
  ため息交じりに諦めたように言う。
「子供じゃあるまいし」
「いいんだよ。夢は誰だってみる」
  何でもないことのように言いながら、弱さを隠せない蓮暁を見ているのはあまりに頼りなくて、たまらない思いが込み上げる。
  八雲は身を起こして布団から出、蓮暁の布団の上にまたがって彼を見下ろした。
 いつもは見上げなければ合わない視線の差も、横になってしまえば逆転が可能だ。これなら八雲の腕の中に、彼を閉じ込めてしまえる。
  そうされたことへの戸惑いにであろう、蓮暁の瞳がまた揺れた。
「どう、した?」
 ききたい。しかしきけない。なにがあったんだ、親父との間で。そんなに辛くなる、なにがあった?
  それは自分では癒せないか?…いつしかそんなことを思うようになっていた。何があったとしても、それを蓮暁が教えてくれずともいい。代わりに、八雲が彼を癒すことを、望んではくれまいかと。
「蓮」
「…慰めて、くれるのか?」
 想いは届いたか。問われて、そこに希望を見いだせるのではと思う。
「できるならそうしたいよ」
「いい子だ」
 蓮暁の手が、そっと八雲の頭を抱き寄せた。突如、息が触れ合うほどの距離になる。
「だがな、自己犠牲で慰められても、空しいだけだ」
 そしてごく軽く、唇を重ねる。
 それが口づけだとわかって、自分の頬が熱くなるのを感じた。 
「これだけもらっておく」
  軽く、蓮暁が言った。
  その意味が、しばし固まった後でやっとわかった。そういう意味にとられたのか!
「どうした? 足りないか?」
「ちちちちがうっ。そういう慰めのつもりじゃなくて」
 唇に触れられた感触は、ずいぶんとやわらかく、傍くて、戸惑う。
「そうか? ずいぶん熱っぽい眼をくれたから、そういうことかと思ったが」
「まさかっ。だって俺…」
「おまえ、私を好きだろう?」
 蓮暁はなぜだか周知のことを確認するような口ぶりだ。けろりと、さらりと、当然のように。
「え」
  一瞬頭が思考を放棄する。…今のはどういうことか。
「知らなかったのか? お前を拾ってからのすべてのことが、そうとしか思えないが」
「…いや…。それは…」
  八雲と蓮暁の間に、何かしらの情が通っていることは感じていた。だが八雲にとってのその情の正体が、恋だとは思い至っていなかった。
 そうじゃないと思う。思うのにこの動揺は何なんだ。まるでそれを認めたくないだけのような、座りの悪いこの気分は?
「私の自惚れだったら笑うな。馬鹿みたいだ」
  それでもかまわないというように、蓮暁が言って。しかしそれもどうなんだと思うがうまく追求もできず、ただ心が泳ぐように戸惑う。
「…好きだったのか、俺」
「どうだろうな。よく考えてみればいい。私の勘違いであっても怒らんから」
 他人事のようにそう言いながら、間違いだとは思っていないようだ。
 なぜ。八雲自身が分かっていなかったものが、なぜ蓮暁には伝わっているんだろう。
 それも、受け入れられている…のだろうと思う。決して応えられてはいないし、どちらでも構わないと言われてしまっているのだが。
「いいのか? 俺に惚れられても」
「…いや、なんとなくそうだと思ってたからなあ」 
  それを相手から言われるのはあまりに間抜けで。けれども、きっぱりとこの場で否定しきれないない自分がいた。
  それならば。これが恋だというのなら。
「俺が、あんたを癒せるかな?」
「…さてな」
  苦笑が返ってきた。期待もされていないということだ。そりゃ、そうか。
  でも、俺があんたにあげたいのは、感じてほしいのは恋情じゃない。そうじゃないんだよ。
 やるせない思いが、焦りのように胸を焦がした。その思いはうまく言葉にはできなくて、ただ、唇をつぐんでいるしかなかった。       

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