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六章
彼の人
しおりを挟むその人を好いていた。その事に気が付いたのは、すべてが終わってからのことだった。
蓮次が生まれたのは、伊賀三家の一つ、藤林の分家である。伊賀の忍び家系に生まれた子は、親から離されて忍びの鍛練を受けるから、あまり親子の情は育たない。一族の子として適性を見定められ、その能力をさらに鍛えられていくのである。
蓮次は剣の腕がたつため、戦忍びとして鍛練を重ねた。しかも身軽で細やかな動きを得意とした。だから十五の一人立ちからすぐに、隊に入れられ戦に出された。
適正が認められない者は、一生裏方として忍びたちを支えていくことしかできない。そんな中、第一線に選り出されることを誇りに、蓮次は任務につとめていた。
そのときの任務は、城の警護だった。まさに攻められようとしている城の門を守ること。
派手なやり合いは武士同士がやるが、忍びは場を混乱させたり、侵入する敵を迎えたりが役目となる。それで戦況だって覆るのだ。
城の西門を蓮次たちが、裏門を甲賀忍者が守ることになっていた。
そのころ伊賀と甲賀は近しい関係にあって、頻繁に情報を交換もしていたし、隊を合わせて同じ任務に就くことだってあった。このときも、両者はそれぞれ同じ城に配置されたのである。もともと甲賀が仕える城であった。立場は伊賀のほうがよそからの派遣ということになる。
甲賀隊の様子をみてこいと小頭に言われ、蓮次は裏門に急いだ。敵対しているわけではないが、今回は合同体制でもなかったため、相手の警護がどの程度か、偵察して知っている必要があった。どちらかが攻められたら、援護にまわることもある。協力関係という配置であった。
そこで出会った相手が、甲賀隊の小頭を務めていた男。平八郎だった。気配を消してそっと近づいた蓮次をいとも簡単にみつけて、よお、と気楽に手をふった。
人懐っこい笑み。蓮次より十ほどの歳かさに見えるのに、この雰囲気の軽さ。なんだこいつ、と思った。敵ではないにしても、慣れあうほどの関係ではないのに。そんな相手に屈託なく笑う男だった。
「こっちは固いぞ。案ずるな」
彼は隊の前衛を脇に固め、余裕の笑みを見せた。
「こちらとて」
「おまえさん、最近見かけるな。剣が立つだろ」
「さてな」
「べっぴんそうだな、覆面をとらないか?」
なんでわざわざ忍びが自分から顔を晒す。そう思ったのは蓮次。なあなあとこちらに手を伸ばしてきた不躾さに、唖然とした。どこまでもふざけた奴だった。
蓮次は返事もせずにその場を去った。
それが蓮次の認識する、平八郎との出会いだった。
●
戦況調査という仕事も、忍びが請け負う代表的な仕事である。周囲で起こる戦をじかに見に行き、その城の勢力や優勢劣勢を見極めて依頼主に報告するのである。もちろん、自分たちが近辺の勢力を把握するためにも、それは行われる。
大きな戦になると、いろんな城や里の忍びが調査に来る。当然、忍び同士が顔を合わせることも多かった。
予感などはなかった。前回会ったことも蓮次は忘れていたわけである。自分に必要のない…つまりは関わる価値を感じないものは切り捨てる性分だ。
調査に果ている忍びがどこのものであるかという情報も、実は重要である。それで一人 ひとり気配を殺している相手を見つけていくのであるが。
そいつは向こうから堂々と声をかけてきたのである。
目が合って、正直、面倒だと思った。もともと必要以上に人とかかわることをしたくない蓮次にとって、彼はかなり苦手な類の人間だった。名前くらいは知っている、それで十分なはずだった。
「あんたか」
初対面のときのことが思い出されればもう、ため息が出るばかりである。わざわざ寄ってくるな。
「よ。お疲れさん。元気だったか」
なんなんだこの挨拶は。相変わらず緊張感のない気楽さで、世間話でも始めるつもりか。
まずは、無視である。言葉を返すのも嫌だった。
「つれねえな。今日は覆面じゃないな。かわいいかわいい」
世間話ならまだよかった。そういえばこういう人間だったなと、うんざりと顔をそむける。
「よしてくれないか。あんたの酔狂に付き合うほど暇じゃない」
もう戦況調査にはある程度きりが付いていたが、とりあえず戦のほうに視線を投げた。目を合わせていると、どんどん接触を持たれそうで嫌だった。
「思ったより若いんだな」
「話を聞けよ」
「あははは。怒るな」
「おっと」
急に流れ矢が襲ってきて、蓮次はつい、矢立を落とした。ここは戦場を下に見る木の上。降りて回収するのはちょっと、危険が多い。
またため息が重なる。あとは自分の記憶に頼るしかないらしい。もちろん記憶力も鍛えており自信がないわけではなかったが、より正確で詳細な情報を持ち帰るのはやはり書くのが一番だったのだが。
この珍妙な男に気を取られていた自分の不注意に、腹が立つ。
ほんとうに、ほんとうにめんどくさい。はやくどこかへ行ってくれないものだろうか。
ところが、相手にはそんなそぶりはない。だいたい、なんで小頭が直々に戦況調査なのだ。部下にやらせればいい仕事だろうに。
「あんたほんとに伊賀者らしいな。愛想がない。感情を出さない。執着しない。つまり、全っ然かわいくない」
さっきかわいいと言ったくせに。この堂々とした矛盾は?
何を言われても、とりあえずよくわからない。感覚が、蓮次の理解を超えていた。
いや、今なんで自分の、性格について小言を言われなければならないのか。もう、さっぱりである。無現すればいいのかもしれないが、それでもしつこく言い寄ってきそうだから厄介。とりあえず逃れたくて苛立ってきた。
「何が言いたい?」
容赦なく睨みつけてやる。空気を読めない類の人間も、そこまで露骨な態度を見せればたいてい敏速してくれるものなのだが。
しかし残念なことに、この人にはそれも効力を発揮することはなかった。相手はその人懐っこい笑みを崩すことなく、こう言ったのである。
「崩してやりてえのよ、その無表情」
「は?」
「また仕事しような。気に入った」
軽くこちらに放られたのは、使い込まれた一本の矢立である。
「やるよ。落としただろ。そりゃ仕込み付きだぞ。俺が細工したやつだ」
矢立くらいまたすぐ調達できる。今日の記録だって、これ以上覚えられないほどの情報量ではない。しかし断れなかった。
その後も申し合わせたように、共に仕事をする機会が巡ってきた。
平八郎の気性によりほぼ一方的ではあったが、二人は徐々に遠慮のない関係になって行った。
やがて平八郎が蓮次を 「蓮」と呼ぶようになったのが、二人の距離を象徴していたかもしれない。
●
その日は甲賀とは関係のない仕事だった。
蓮次のいる忍び隊がある城に派遣され、一晩門を守った。夜も明け仕事は滞りなく終わり、蓮次も帰路を辿る道すがら人心地ついていたところだった。草むらから、ふいに一人の武将が転がり出てきたのである。
「貴様、何奴」
忍び装束に向かって何奴とはずいぶんな愚問であったが、武士とはそのようなもの。蓮次は涼しく無視をした。
その鎧に大太刀という重装備でこちらに向かってきても、蓮次の逃げ足の方が早い。忍びは無駄な戦いはしないのだ。たとえ回避の方法が逃げることであっても、それを恥じない。
「戦い方もわからぬ無礼な輩め」
そうつぶやいたところで、この武将の底は計れた。この時世に、忍びの価値が分からない世間知らずがいたとは意外だった。
少し忍びの怖さを知らしめてやろうかと慢心し、馬鹿にしてかかったのが仇になったのかもしれない。存外に手ごわい相手だった。
剣筋の軽さ素速さを誇る蓮次であったが、力業には弱い。正々堂々とこられると、あまり意表を突く戦い方をするのもばかばかしく、正面から受けたことを後悔することになった。
面倒だ。軽くあしらって去るつもりだったのに、これでは本当に一騎打ちをしそうな相手である。それは望むところではない。そうでなくとも無駄な戦いをするのは好まない。
どうしたものかと悩みかけたとき、脇に人の気配がした。忍びが三人。
「やるなあ、蓮」
この場には不釣り合いな、のんびりした口調の主はすぐに分かった。また面倒なものが姿を現したものだ。だが、確かに彼の声により、蓮次の心は軽くなった。
どうにかなる。
「あんたにはかなわないだろうさ」
「違いねえ」
戦況を素早く見極めた平八郎、手を出す気になったらしい。
「殺したくねえんだろ」
図星だった。殺す気なら、とうに勝負はついている。
平八郎はニヤリと笑って蓮次に目配せし、後方に控える苦い顔をした部下に、嬉しそうに言い放つ。
「おい、ちょっと寄り道して帰るわ」
「小頭…」
「先に帰っとけ」
側近の部下は、こういう気まぐれに常に振り回されているのか、重くため息をついてから、御意と膝をついてから音もなく消えた。
部下に命ずるのではなく、当然のように自ら加勢にくる。しかもなんで嬉しそうなんだ。闘うのが好きなんだろうか。
確かに腕がたつ。武士の太刀を迎えたのは苦無だが、重い構えだ。身のこなしは早く軽く、猫のように滑らかだった。
平八郎は瞬く間に相手を倒してしまった。すべての攻撃は急所を外し、切り傷と関節技で武士の身動きを奪い去ったのである。
武士にしてみれば、殺されない不名誉と援軍によるずるいやりかたでの敗北に、屈辱は甚だしいのだろう。苦々しい視線をこちらに向けながら、しかし毒づく元気はないらしく、低く呻くばかりだ。
忍びは戦い方を選ばない。それが闇に生きる者の流儀だ。どんな手を使ってでも、残ったものが勝ちなのだ。
「助かった。礼を言う」
蓮次は言って、あっさりと義理を果たす。悔しさはなかった。平八郎が自分より腕のいい忍びであることは出会った日から感じていたし、むしろ彼の戦い方を見ることができたことを幸運と思った。
あのまま自分だけで戦っていたら、武士の命はなかっただろう。別段惜しいものでもなかったが、命を絶つまで戦うほどの価値も感じていなかった。
「なあに、お前でもやれただろうがな。俺とお前の仲だ」
あー疲れたと、思ってもいないことを年寄り臭く呟き、平八郎はまたそんなつまらないことを言い出した。懲りない。
「特別な仲になった覚えはないが」
「でも本気でさ、うちの隊に欲しいなあ。剣の使い手が足りてないし。おまえさん、伊賀やめてうちに来ない?」
「軽々しくそんなこと言わないでくれ」
またである。どうしてこの男はこうも自分を気に入るものか。いいかげん迷惑どころか呆れて根負けしそうである。
けれども平八郎は、どこまでも自分勝手だった。
「軽くねえんだけどなあ。そっちの首領に頭下げてくっかなあ」
「よせ。私にその気はない」
「ほんとつれねえんだから」
何度振っても諦めない。だからと言ってしつこく自我を通すこともない。だからこの男の言うことがどれほどの本気なのか、蓮次にとっても計ることができないのだ。
そんな軽いやり取りをしながら、付き合い?は続いている。なんだかんだ、なぜか困ったときには現れて、多かれ少なかれ手助けをくれる。そしてそのたびに、何かを残していくのだ、蓮次の心に。
「しまった」
唐突に、平八郎がそんな声を上げた。
「どうした」
まずいまずいまずい。それを繰り返しつぶやきながらいきなり襟を広げ、肌着まで紐解いて胸元を見せながら、袖や襟裏やらをがさがさと探っている。
なにか大事なものをなくしでもしたのかとその様子を見ていると、平八郎の懐から出てきたのは、手作りらしい小さなお守りだった。袋は端が擦り切れており、紐を解けば中から木の実の砕けたのがポロポロとこぼれだす。
「やべえ」
「どうした」
密書でも失ったような真剣なうろたえにしては、物がささやかすぎる。これが何か重要な情報を含んででもいるのだろうか。暗号とか、そう言った何かだ。
「ガキからもらったお守りに、ドングリが入ってたんだが、この有り様だ」
掌に受けたのは、本当にただのドングリの、残骸。クヌギなら丈夫だったかもしれないが、つぶれているのは樫の実である。砕けて皮がはがれ、実が外に出てしまっている。これでは持ち歩けない。
いや、気になるのはそこではなかった。
「ガキ? 子供がいるのか」
「妻子持ちだぞ。これでも」
平然と言われ、一瞬目が点になる。それは何の冗談だ。
「あいつ、うるさいからなあ。ときどきちゃんと待ってるかなんて確認しやがる。新しいドングリ仕込んで帰らなきゃならんが、季節がなあ」
はああと、深いため息はわざとというものでもなさそうだった。
冗談ではないらしい。嘘のように、彼の口が子供のことを語る。それが自然なのが意外だった。今の今まで、妻帯者の落ち着きなど欠片も見せなかったくせに。
「…子煩悩なんだな」
つぶれたドングリにぶつぶつぼやく姿は、微笑ましくておかしかった。我が子を抱く平八郎の姿を想像することは、不思議と難しくないように思えてくる。
いい、父親なんだろう。
「なんだよ、笑えよ」
「いや」
「似合わねえっつんだろ。顔に書いてある」
「そこまでは」
言われると、よけいに可笑しく感じるものだ。違和感があるようでないようで、やはり似合いすぎるようで。しかし意外に過ぎて、素直に納得しがたい気分が笑いとなって溢れそうだった。
「素直に笑えっての。ほらっ」
ついでに擽ってくる。しかも、よりによって蓮次の弱点である、左わき腹である。
「よしてくれ。そこはだめだ」
「笑え笑え。忍びだって、普通の人間じゃないか。なあ。感情殺してばっかだと、いつか爆発するぞ」
「そうならんために鍛練してるんだろうが。あんたが自由すぎるんだよ」
「これでもおさえてるんだがなあ」
「嘘だろう」
「嘘だな。我ながら駄々洩れだと思う」
「変なやつ」
「よく言われる」
その応酬に、堪えは効かなくなった。
久しぶりに、蓮次は声を立てて笑った。お世辞にも愛想のいい人間とは言えない自分が、こんな浮ついた気分になるなんていつ以来だろうか。
「よくできたな」
「馬鹿にするな」
「してねえって」
その時だった。平八郎の右手がクイ、と蓮次の顎をすくう。おやと思う間もなく、唇に柔らかいものが触れた。
それは、なんだ。蓮次には馴染みのない行為に、つい反応が遅れる。
「あ、しまった。わりい」
飛び上がるようにして、平八郎は蓮次から離れた。彼の手から、いよいよドングリの残骸は零れ落ちた。
「今のは?」
それは恐らく、世にいうロづけというもので。蓮次には初めてであったが、それがどういうものかは知識としては知っているつもりだった。
ただ、なぜ今平八郎がそれを蓮次にしたのかが理解できない。
「忘れろ。なんでもねえから」
「しかし」
「すまん、ついだ。お前があんまりかわいいから、ついだ。俺、手が早くてさ。もうしないから、忘れろ。心配するな。本気じゃない。妻子持ちだって言ったろ。お前とどうこうする気はないから」
ああ、やはりそういう意味なのかと、妙な納得があって、しかしさほどのことをされたわけでもないと思い、蓮次は怒る気にはならなかった。
可愛かったから、という理由にだけは納得しかねるところであったが、それでも多少の驚きはあったから、そこは黙っておいた。
「なら、忘れてやる」
そう、些細なことだ。痛くもかゆくもないと。そしてあっさりと許したので、平八郎の方もほっとしたように苦笑いを作った。
「ありがたい」
「変なやつだな」
「まったくだ」
そして、なんて罪作りだったろう。
●
――その年の暮れ。
吐く息さえ凍てつくような夜だった。出合ったときと同じように、また平八郎らと協力しての城戦の仕事だった。雪でもちらつくのではないかと懸念されるような曇天で、篝火を頼りに一夜を過ごす。
平八郎の部隊は、侍の後ろで援護をしている。表門となる北門が持ち場だ。
一方蓮次たちは今回は三人の小隊で、ニの丸まで攻められた場合は援護にまわるが、それまでは伝令を任されていた。
今日は明らかに戦況は悪い。すでに防戦に入っていた。籠城か、あるいは開城か。最終的には、城主を守るのが忍びの使命だった。
昼をすぎてから、いよいよ兵は攻撃をしかけてきており、まさに北門が攻められている。
爆発音が聞こえた。門から炎が上がる。その熱風は蓮次のいるところまで届くようだった。
「門が破られました」その声に、反射的に腰が浮いた。
「行くな。貴様はこっちだろう。持ち場を離れるな」
上司である小頭が険しく叫び、蓮次の腕をとった。その力は本気で蓮次を引き留めるに十分な強さだった。
「行かせてください」
「もうすぐ敵はここにたどり着く。今お前が行けば、ここが破られる。わからぬか」
隊の小頭の形相は必死である。まるで、蓮次が行きたがる目的に見当がついているようだった。
「私に、お前を伐らせる気か」
「小頭…」
上司に従わない部下は、ためらいなくその場で排除される習わしだ。それが、意に染まぬことであっても。里の淀である。
やがて、敵は蓮次の隊の前まで追ってきた。この場をやり過ごす必要ができてしまった。
チッと舌打ちした蓮次は構えの姿勢から地を蹴り、敵に向かって駆けた。駆けながら、ただひたすらに剣をふるった。ここを守れば駆け付けられるのだろう。ならば何十人何百人でも皆殺しにしてやる。
蓮次の得意技は両刀である。血に濡れた剣が滑らぬように、仕込んだ下げ尾を手首にかけて。鬼神のようだったとのちに語られるほどに、迎え撃つ敵たちを容赦なしに斬り続けた。
腕が痺れた。返り血で装束も顔もぐっしょりと濡れていた。それでも斬りつける刀を降ろさない。自分を阻むものは斬り伏せるのみ。そうしながら一歩一歩北門を目指していた。しかし。
幾ばくかの攻防の末、城は落ちた。
伊賀者が引き上げたとき、蓮次は門に向かってひたすらに駆けていた。
焦げた臭いが鼻をつく。たどり着くと、甲賀者が何人か倒れていた。そのうちの一人が細い木にもたれかかって血を流している。その男に駆け寄り、なりふり構わず問いかけた。
「あんたらの頭はどこだ」
「ご無事であれば、よいが」
「すまぬ、許せ」
手当てをしてやりたかったが、もしか彼がもっと重傷を負って今にも死にそうならば、そちらに駆け付けたかった。
「平八郎、いるか」
大声で呼びかけると、門の柱に背を預けた平八郎の弱々しいが目に入った。
「よお」
相変わらず気楽な反応だったが、出血がひどく、どうやら動けない。いつもならひらりと手を振るしぐさも、今は叶わないようだ。右腕は動くのかどうか不確かなくらい血まみれである。
蓮次はすぐに三尺手ぬぐいを取り出し、とろとろと血を流し続ける腹部にきつくまいて止血を試みた。
希望が薄いことは、すでにその場を満たしていた赤いものの広がりで感じていたが。それでも何もせず諦めることだけはできなかった。
「すまない。なにもできなくて。俺は所詮、伊賀者だ」
悔い詫びながら、手ぬぐいの上からも傷の上を手でおさえた。
無情にも、じわじわと血液はしみ出してくる。蓮次の手もやがて赤く染まった。
「なんの、あんたの仕事は二ノ丸の援護だろ。殿様は無事だと聞いた。戦は敗けだが、俺らの仕事は成功だ」
「仕事の話をしているんじゃないだろう。くそ。止まらん。小頭のくせにへましてんじゃねえこのド阿呆」
平八郎の受けた傷は、銃によるものだ。こいつのことだから、誰かをかばってできたものではないだろうか。でなければ、こいつが銃の気配を感じないはずはない。
「あんたもそんな物言いするんだな」
「しゃべるな阿呆」
「お前容赦ねえな、あほあほって。…なあ、あんたがやってくれよ」
「は?」
「もうだめだろ、俺。だからさ」
いつものようにふざけたように笑みを見せながら、今日はひたと、見つめてくる。
蓮次は言葉を失う。
なんて、ひどいやつだ。そんなことろにまで軽いなんてふざけすぎている。焦りとも苛立ちとも判別のつかない思いが、ただ最悪の結末に向かって蓮次を追い詰めた。
「同じなら早く楽になりてえだろ。やっぱさ」
「生きろと言っている。武士でもないのに介錯など求めるな。汚い手でも生き残るのが忍びだろうが」
「まあそう噛みつくなよ。なあ、俺とお前の仲だろう。お前の手で逝けたら成仏できそうなんだよ」
なにが、俺とお前の仲だ。
一体、お前と私の間には何があったというのか。
何も残さないくせに。…記憶と、それから…拠り所にもならないような不確かなものしか、自分たちの間にはないじゃないか。
「そういうのは、恋仲に言え」
つい吐き出してしまった言葉は、自分でも驚くほど女々しかった。しかしそれの上を行く意外さで、平八郎は言った。
「違うのか? おまえさん、俺に惚れてんだろ」
驚くよりは、呆れた。今か。今それを言うのか、お前は。
「お前はどうなんだ」
「惚れてるぜ。本気で。一回も抱けなかったのは心残りだ」
「妻子持ちのくせに。それに、そういうことはもっと早く言え」
なぜ今なんだ。こんな、あとのない状況で。思ってそれは考え違いだと気がつく。
ああ、そうだな。だからなんだな。本当に阿呆だ。
「怒んなよ。笑えよ。最後じゃないか」
笑えるわけが、ないだろう。悔し涙を見せないことに必死なのに。
こいつはいつも、蓮次に無理ばかり押し付ける。
「ロづけ。してくれ。それでいい」
「本当に、阿呆だな」
悔しいが、それならばできる。
今更。愚かしいほどに今更だが、請われるのならばそうしたい心は蓮次にもあった。
これが最後ならば、もう一度。たった今心を通わせた証に。一度だけしか叶わないだろうから。
「蓮、好きだったぞ」
「私もだ」
今口をふさげば、息をしなくなるくせに。
それでも、重ねた。
挨と血の味がした。
次に、二人の息が混ざることはなかった。
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