おなじはちすに

桂葉

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五章

偲草

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 自分のこれまでの人生で、悔いることは数知れずしてきたが、ここにきてまた一つそれが増えた。ずいぶん醜態を晒してしまった。   
 あのあとしばらく、八雲は以前のように暇をつぶすように話をしては来なくなった。  
 ただ黙々と蓮暁について歩く。静かすぎて、蓮暁はまた一人で旅をしているような錯覚を覚えることだってあった。一人で修業を積んでいたときは、周囲に気を配ることもなく、ただ胸の痛みに耐えて歩いた。そのことを思い出すようだ。
 そんな蓮暁を気遣っているのだろう。八雲は足音さえ消しているのではないかと思えた。もともとそういうことが得意なのだから、難なくやってのけるのだろうが、そこまで気を使わせていることは、蓮晩に少なからず呵責を感じさせてもいた。
 ただ、その優しさに救われているところも、ある。        
 蓮暁と八雲の父平八郎との間になんらかの深い関わりがあったことは、さすがに悟ったことだろう。具体的になにがあったとまでは推し量れないにしてもだ。蓮暁が抱える胸の傷に深く繋がることくらい、察することはできた。だから、距離を置かれたのだ。それは純粋に八雲の優しさであり、致し方ない。
 …もっと冷静にいられれば、隠し通すこともできただろうに。   
 実際、これほどまでに傷が癒えていないとは自分でも思っていなかった。十年も経つのに。まだ、十年だったのだ。
 いや、それだけでは、この衝撃を説明することはできない。
 まさか八雲が、彼の忘れ形見だったとは。
 あまり容貌が似ていないのは、八雲が母の容貌を濃く継いでいるからなのだろう。しかし、事実を知らされれば納得できる、あのお気楽さや屈託のなさ、忍びには似合わない人懐っこさ。確実に父親の血を継いでいる。
 そのうち、成長とともに声や仕草ももっと似てくるのだろうか。もうさすがにその頃には八雲とは関わりがなくなっていることだろうが。  
「お一い、蓮」
 そう自分を呼ぶすこし渇れた声は、まだ今も鮮やかに耳に残っている。   
 忍びのくせに明るくさばけた性格で、持つ雰囲気から戦い方まで派手な男だった。面倒見がよくて豪快なところがあって、それが部下を引き付けている、そういう印象だった。その自分とは正反対の気性に、蓮暁…かつての蓮次もずいぶん戸惑ったし振り回されもした。
 なぜ。
 あのときの記憶は、まだなお蓮暁の胸を締め付ける。
 妻子がいるくせに、蓮次を好いていると言った男。蓮次の心さえ、奪って。
 そのことを、最期の時にしか伝えもしなかった。優しくもずるい男。
 彼の最後の浅い呼吸を、蓮次は自身の唇で受けた。
 ―――。
「れ、ん…?」
 控えめな呼び掛けに、ゆっくりと振り返る。そこにはやはり、声をかけたことさえ後悔していそうな、不安定な八雲の顔があった。
 昨日見せた取り乱しようを気にするだけでなく、「蓮」と、そう呼ぶことに遠慮を覚えるくらいには察しているのだ。聡い。
 これまでも、半歩ほど後ろに控えるようにして、道中を歩いていた彼である。それがこのごろは、あと数歩後ろに下がり、蓮暁の視界に入ることを避けているような距離を保っていた。
「俺さ、いるよ?」      
 どう言っていいかわからないと、その控えられた小さい声が語っていた。
 遠慮のない性格だと思ってはいたのだが、八雲には繊細な面もある。もちろんそうさせているのは自分。わかってはいるのだが、蓮暁自身が昨日のことをどう説明していいものか考えあぐねている。納得できる答えを与えることが正しいとは、とうてい思えない。
「あ、ああ。ちゃんとわかる。ついてきていることは」    
「そうじゃなくて」       
 少し言葉を切って、それから八雲は叱られた子供のように言った。足を止め、許しを得るまでは動かないとでも言うように。
「…まだ、いてもいいかな」
 そこまで気を遣う必要などないのに、泣き笑いのような、ひどく頼りない八雲の表情。こちらの胸が痛む。
 そんな顔をしなくてもいいのに。だが、それに返すべき言葉がすぐには見つけられなくて、黙るしかない。
「昔、なんかあったんだろ、親父と。きかねえけどさ。あんたが辛いなら、もうここで別れようとか思ったんだけどさ、やっぱさ。ほっとけない」
 自分の存在が蓮暁をそうさせたのだとしても、一度出会ってしまったせいで傷が血を流し始めた心を放っておけないのだと、八雲は言った。
 それを、跳ねのけるのがいいのか、受け入れるのがいいのか、蓮暁には判断が付かない。ひとと深くかかわることを昔から嫌ってきた、その経験の浅さも悔やまれた。
 これほど自分を気遣ってくれる相手に、素直に礼さえ返せない。
「蓮暁。今は一人にしたくないから、いるよ俺。だけど、あんま辛いなら、言って。また考えるから」
「八雲…」
「ごめんな、息子で」
「…お前が謝る理由は、ない」
 血縁。ただそれだけのことを、八雲が気に病む必要はないのに。自分が醜態を見せたばかりに、彼の優しさに付け入ることになってしまう。
 命とか、そういう事ではなくても、やはり自分が彼を助ける人間であってはいけなかったようだ。例えるならば運命とでもいう理由において。
「でも平気とは言えないだろ。あんた強いから一人でも大丈夫だけど、今は、ほっとけない。ごめん」
「好きに、しなさい。私には、ついてくるなとも、ついてこいとも言えない」
 いずれはどこかで離れていくのだから。
 今は傍にいてほしい。そんなことを思ってしまっている自分がいる。
 けれども、それを伝えることはできない。蓮暁の過去に引きずられて、八雲が束縛されてはいけない。自分だけの問題なのだから。
「うん。わかってる。少し後ろから着いてっていいか」
「…かまわない。が、足音が聞こえるところにいてくれ。できれば、消さずに歩いてくれないか」
「あ、ああ。わかった」
 存在を受け入れたことに安堵したのだろうか、八雲は小さくわらった。
「もう、失うのは御免だ」
 もう、この手で守れないのは嫌だ。だから、何も持たない生き方をしてきたのに。いつの間にか、この手の中にいる。それも、蓮暁が知らずに拾ったものだ。
 自分のために八雲の表情を曇らせることだって、してはならないのに。明るく強く、逞しく生にあふれる顔で笑っているほうが八雲には似合っている。手を離せばそのほうがいいに決まっている。わかってはいるのだが。
 十も年下の少年に、甘えているのは自分だと気づかされる。その、寄せられる呵責まみれの好意にすがりたいなんて。馬鹿な話。なんと不甲斐ないことだろうか。
 ふいに、八雲が後ろから近付いてきた。
 嫌なら振り払えるくらいゆっくりと、そして柔く腕をまわし、蓮暁の体を抱き締めてくる。そして逃げないとわかると、離さないというように、腕に力を込める。
「どうした」
「なんとなくだから」
「…そうか」
 蓮暁にいくらか足りない背丈をつま先立ちで補い、八雲は蓮暁を抱く。懸命に。
 重なった背が温かくて、迂闊にも泣きそうになる。
 体の前に回された八雲の手に、そっと自分の掌を重ねた。生きている者のぬくもりだった。こうして誰かの肌に触れたのは、冷たく固くなった平八郎を里まで運んだあの日以来だ。
 ひとは、生きているだけでこんなにもあたたかい。 縋りたくなるような温かさが、ここにある。
「蓮暁、俺があんたにできることがしたい。親父がやり残したことを、したいよ」
 背に、八雲の力強い声が響く。頬を寄せられているから、心に直接聞こえるようだ。
「そんなこと、お前に課すわけにいかないだろう。親子だからって、まったく別の人間だ。そんなことまで背負う必要はない」
「違う。俺がしたいだけ」
「阿呆だな」
「ひで。せっかく俺が、…なんだろ。わかんねえけど」
「わからないのか?」
「たぶん親父もなんかやり残したんだろ。だからあんたが親父の死を吹っ切れてないんだろ。なら、引き受けてやる。別におせっかいの挿し売りとかじゃなくて、親の不始末の片付けみたいなもんで…」
 懸命に、言葉にならないものに名前を付けようとしてもがく八雲の拙い想いが、かわいいと思った。
 平八郎が遺したもの、か。
 その一つが八雲なのなら、それは、蓮暁が拾うべきものだったのかもしれない。それが平八郎の、彼なりの、蓮暁への思いなのだとすれば。
 受け入れるしかない。そう思う理由になるのなら。
「そうか。なら、」 
「なに?」
「また、蓮と呼んでくれ」
 幾分癒された心が、思考を通さず蓮暁にそう言わせていた。
「いいの? 辛いこと思い出さないか?」
「辛いばかりじゃなかったさ。懐かしいな。お前とよく似て、面白い男だった」
 痛みばかりを辿るのではなくて、傷むまでに感じていた様々な…、彼に出会うまではおよそ知りえなかった感情というものの熱さ、その手触りを懐かしむことは、してもいいのだろう。八雲を通して。
「蓮…」
「いつか、話す」
 それまでは、ここにいてくれると嬉しい。
 辛くないとは言えない。壊れたように胸は痛むが、それでも手放したくないぬくもりだ。
 いつの間に、自分は八雲の存在に癒されるようになっていたのだろう。
 お前が私を一人にしたくないというように、私もお前に、ここにいてほしいと思うよ。理由は、わからないけれども。
 きっと、すべてを知ればお前ほ私のもとを去るのだろうから。せめて、言わずにいる間だけは、そばにいておくれ。
「うん」
「お前は温かい。あいつよりずっと」
「そうか?」
「ああ。お前がいて、よかったよ」
 返ってくる言葉はなく、ただ蓮暁を抱く八雲の腕に、また力がこもった。
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