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三章
道行き
しおりを挟む偶然命を救ってくれた僧と、もう何日か旅をしている。
忍びの自分がこんなことになるなんて、数日前まで思ってもみなかった展開である。しかし八雲は、このあてのない道行きを純粋に楽しんでいた。
不思議な静けさを身にまとった僧だ。蓮暁なんて麗しい法名を持ち、やはり麗しい容貌で、しかし愛想がない。しかもどうも口が悪い。そんな坊主らしからぬ坊主を、なんだが面白いと思ったのだ。
何かにつけて返ってくる反応が、どこか皮肉っぽくて楽しい。冗談の掛け合いのような会話になるときなどは、とても僧職と話しているようには感じられないのだ。
蓮暁は明らかに邪魔そうにもせず(おそらく邪魔には思っている)、かといって引き留めるでもなく、同行を許してくれる。僧とは何事も修行だとか、そういうおためごかしな感じでもなく、ただ成り行きに任せているのだろうが、その自然さが心地よかった。
どこかつかみにくい雰囲気のする青年だと思っていたが、その道中も幾日も重なるうちに、わかってきたことがあった。
蓮暁という人物、どうも過去がある。
彼を 「蓮」と呼んだ人物とどこまで関わるのかはわからないが、彼のたどってきた人生は、ただの修行ではなかったらしい。そもそも寺生まれではないとも言っていた。どうせ詳しいことをきいても答えてはくれないだろう。しかし、憶測できることはある。
せんだって寺の風呂で、そのことに気が付いた。彼の腕に腿に、少し古い刀傷の跡がある。旅僧なのだから体がしっかりしているのは当たり前なのだが、普通の僧に刀傷がつくことはあまりないだろう。かつては何某かの戦いに身を置く人物だったということだ。武士なのか、何なのかはわからない。
もう一つ、彼が使っている矢立が仕込み刀になっているのではないかと、八雲は思っている。ただの矢立にしては重い感じがするし、筆の軸の部分にすこしのゆるみがあるらしいのだ。実際手にしてみてはいないが、彼の手元を見ていて気が付いた。あの矢立には短いが刃物が仕込まれている。そういうものは、ごく限られた職種の者しか持ち歩かない。不殺生を唱える僧の持ち物にふさわしくないのは確かだ。
彼は、その矢立は知り合いの遺品だと言っていた。確かにどこか使い込まれた感のあるそれは、あまり蓮暁の雰囲気に合わない。その知り合いが「蓮」の相手なのかもわからないままだ。
気になる。あんた何者などと聞いて何が分かることもないが。
それからもうひとつ。これは純粋に蓮暁の人となりについてのことだが、案外照れ屋でかわいいところがあることだ。
八雲が蓮暁を誉めたりすると、彼は毎回小さく照れる。照れるとちょっと視線を右に逸らし、手で口元を隠す仕草もある。これが案外かわいいので、こちらが照れくさくなることもる。他にみせる普段の感情は決まって薄く、めったに笑いもしなければ怒りもしない。かといって、僧職にある独特の微笑み……仏のような……ものも、一切ない。が、照れるところだけははっきりと、感情を表に出すらしいのだ。
忍びとは、相手の気持ちを観察し、それを繰って情報をつかんだりするものだ。八雲も読心術は苦手ながら修行してきている。そういう一面を蓮暁に見いだせたのは得な気分だった。
それに気が付いた八雲は、もっとかき回してやろうと、密かに企むようになった。あまり涼しい顔をしていられないくらいに、彼の心を揺らしてやりたいと。
八雲がけしかけてみると、それも徐々に効果を発揮し始めた。歳を聞いた時も、いい反応があった。二十七だと言った彼に、ずいぶん驚いた時のとこだ。
「ほんとにか?」
「いや、そこをごまかす意味はないと思うが」
驚かれたことに多少なりとも不服を覚えたらしかった。
「いやでもさ、俺より十も上なのか」
「いけないか」
もう何日も寝食を共にしているからか、ずいぶん彼の話し方にも遠慮がなくなっていた。無駄なことは自分から話し出すことのない静かな人だが、会話の切り返しにキレがある。しかもわざわざ皮肉がちな言葉を選んでいる節があるのだ。
「もうちょっとは下だと思った」
「そのちょっとにそれほど違いはあるのか」
「大ありだってば」
むきになって言うと、呆れたように苦笑される。
「それではお前はいくつなんだ」
「十七」
「十五程度じゃないのか」
「ちょ、それ失礼じゃない? 十七だよ!もう元服して三年だよ!」
「そうか。わかったわかった」
八雲が怒ると、蓮暁は明らかにそれを楽しんでいるのだ。滅多に見せない笑いさえ披露してくれた。
「馬鹿にしてんだろ、絶対」
「どうだろうな」
「性格わりい」
「生まれつきでな。出家してもたいして変わらん」
「もっと修行しろ、生臭坊主」
「たしかに真面目な坊主じゃない」
言って苦笑いする横顔は、なんだかかわいかった。
大人らしいようで、どこかまだ吹っ切れない何かを持った人が、見せた何気ない表情だった。
もっといろんな顔をさせてみたいと思った。それで八雲はまたいろんな言葉を蓮暁に持ち掛けるのだが、おかげで明らかに面倒がられるようになった。
もちろん、それにめげるつもりはなかった。
●
その日は朝から曇りがちで、二人はまた一夜の宿を求めて細い街道を歩いていた。
「この峠を越えると、国境だ」
わかっていることながら、あえて確認するように蓮暁が言った。
このまま西へ向かえば山城、東に行けば甲賀、伊賀へと続く。ちょうど分岐点になる辻に差し掛かっていた。
「本当に戻らなくていいのか」
別れるならここだと、暗に促されてしまった。だが、八雲の胸に迷いはない。もう里に戻る気はなかった。
どうせ帰る場所だってないようなものだ。父は十年前に任務で命を落としたし、一年前の流行り病で母を亡くした。里の人間に受け入れられないことはないが、実際、八雲は少し今後の生き方に疑問を抱きつつあったのだ。
忍びがどういう生き方をするものか、知らないことではなかった。だが、それを全部鵜呑みにはできないこともある。
八雲は忍びには向かない気性なのかもしれない。そんな思いが生まれていたのだ。確かに。
「いいんだ。別に、流れの忍びになっても生きていけるし。ちょっと里を離れてみる」
「一度離れたら戻れないだろう」
「いいんだ」
言い聞かせたかったのは、自分自身だったかもしれない。
任務に失敗して、追われて、そして諦められた。こんなことがなかったら、多少のやりきれなさを抱えたままであったとしても、あのまま里のいいなりに過ごしていただろう。
けれど今里を離れてみて、以前からあったわだかまりにもう、蓋をすることができなくなっていた。
任務のためならそれも正義なのか?
盲目的に里に従うには、あまりにも八雲は純粋に過ぎた。そのことに、里を離れるほどに気づかされるのだ。
あの時。蓮暁に助けられたことの意味を、考えている。
振り返るきっかけになってくれた。
そう。このまま忍びに戻るにしても、自分の中に何らかの指針を見いだせなければ。
いやあるいはもう、やめてしまうべきなのかもしれない。
でも、やめてどうする? 生まれて以来、闇に戦い闇に従い、人をだまして目的を果たすことに関してだけは腕を上げてきた。それが、忍びをやめて何の役に立つ?
わからないんだ。
「蓮。俺がいては迷惑か?」
分かれ道をそっと通りすぎようとする背に、問いかけた。
「今更、何を言っている」
そっけない一言だったが、そこには微かな温かみがあった気がした。
「行くぞ」
蓮暁はまっすぐに続く道を歩き始めた。ついて来いとも来るなとも言わないことが、蓮暁の優しさだと気が付く。
八雲は、その二歩後をついて行く。それでも振り払われない。
ふと、確認するように振り返り八雲を見ると、小さく、唇の端に笑みを浮かべた。それは苦笑の形をしてはいたが、八雲を喜ばせるには十分だった。このまま、まだ一緒にいていいということだ。
「この先に、小さな御堂の跡がある。今夜はそこでいいか」
「あ、ああ」
そういえば、蓮暁は山城の国の出だと言っていたろうか。そのせいで身を寄せる場所にも見当がつきやすいのであるらしい。
やがて、かつては人がいたようだが今は廃れた御堂にたどりつき、二人は中で、今晩の休息をとることにした。
「ここも冷える土地だが、もう雪はないな」
そう独り言ちた蓮暁は、荷物を置いて、同じように誰かが敷きっぱなしにしていったらしい蓆(むしろ)に座った。それはもうずいぶんと擦り切れて、少し引っ張れば裂けてしまうほどにみすぼらしい物ではあったが、ないよりはましだ。
「お前も座りなさい。今夜は床の上で寝られるぞ」
あの雪の日からは少し経ち、南下したせいもあるが畳間の空気は緩んできた。しかし夜の冷え込みはまだまだ厳しく、屋根がある場所に身を寄せることができることさえありがたいほどだ。
「この蓆、小さすぎるよ」
「寄ればいいんだ」
「いいよ、蓮が使いなよ。俺は野営にも慣れてるし」
「……ずいぶん今日は元気がないな。抱いて寝てやろうか?」
「な、何言ってんの」
「それは冗談だが。どうした」
そう蓮暁は言って、蓆の右半分に八雲の場所を開けてくれた。
端っこが破れた蓆は狭く、二人が座るにしても身を寄せる必要があった。促されるまま、八雲は蓮暁の隣に腰を下ろす。ほかに熱源がないから、近くにある人肌が温かく感じた。
「まだ、身の振りは決まらないか」
肩をかるく触れ合わせたまま、もたれるでもなく並んで居ながら、すこし切り出しにくそうな間をおいてから、蓮暁が言った。畳間通り過ぎた辻でのことを、やはり気にしているらしい。
確かに、一つのきっかけであった。一緒にここまで来たのは成り行きだったが、里に戻らなかったのは一つの決断だった。
「情けないよな……」
言葉通りに情けない声で、つぶやきは落ちた。
戻らないことを決めただけだ。その後進む道が見えてはこない。
ふと、自分はこの僧に、どこかへ導いてほしかったのだろうかと思い当たる。仏に帰依するそのひとに、自分では見えてこないものを見せてほしくて。
甘い考えだ。現に、蓮暁と会ってそれで、過去を拒むことはできたが、先を見いだせてはいない。
決しておせっかいを焼かないこの僧だからなのか。同じ僧でも違う誰かに拾われたなら、なにか先の指針になる言葉をもらえたろうか。
けれども、この道行きがこの僧とのものであってよかったと八雲は感じている。少なくとも自分を……たぶん自分が忍びでもそうでなくても……ただ傍においてくれる、控えめな優しさが心地良いから。
言葉は素っ気なかったり皮肉っぽいくせに、蓮暁の八雲を見る目はいつもどこか穏やかで、優しい。共にいることを許してくれるのがたとえ根負けしたからだというきっかけであったとしても、今はそれさえもが彼の温かさであるのだと感じられるようになっていた。
「私だって、目的があって旅をしているんでもない」
ぽつりと、蓮暁は横顔のままで言った。まだ迷いの晴れない八雲の心を救い上げるように。
「……そうなんだ」
「まあな」
そして、また何かを思い出すような、遠いものをたどるような少し苦い沈黙の後で。
「なあ、八雲」
「ん?」
「私はお前を助けて良かったのか」
言われた意味を悟るのに、一呼吸の時間が欲しかった。
「え……」
「私はお前の人生に、要らぬ手出しをしてしまったか」
そう、つぶやいた蓮暁は、ひどく悲しげな顔に見えた。
見ているほうが辛くなるような。しかしどこまでも静かで。泣きそうでもなく、辛さに耐えるようでもなく、ただ胸だ痛くなる静かさだった。
しかし。蓮暁がそうなる理由はない。ないはずだ。なぜそこに辿り着く。
「そんなこと、ねえよ!」
つい、声を上げてしまっていた。隙間風の入り込む挨っぽい堂内に、八雲の声はただ吸い込まれた。
「そんなことない。絶対」
衝撃だった。八雲が見せている迷いを、蓮暁がそういう意味でとらえていることなど考えもしなかった。人の命など儚く零れ落ちつぶされていくこの世で、一つでも救えたことを誇りこそすれ、悔やむべきかと問うてくるなど、とても思い及ばなかった。
そんなことを気遣ってしまうほど、蓮暁の抱える心の闇は深いのか。
八雲は、行く末を決めかねているだけであった。生きていることを大前提として。もちろん、あの時死んでいたならばそれまでであったのだが。
「そうか。よかった」
最悪の事態を回避したような安堵の声が、八雲を逆に刺激した。その思考には納得がいかなかったのだ。当たり前だ。自分の命を救ってくれた相手にそれを後悔などしてもらっては困る。
「なんてこと言うんだ。助かって、感謝してるよ。生き残ったことに迷いなんかない」
「すまない。お前はそんなに弱くないな」
自分とは違って?……とは、問えなかった。「まあな」なんていつもの調子で返されたら、どうしていいかわからなくなる。
「だから無駄にしたくないんだ。この幸運」
「幸運か」
重ねて問い、やっと何かを受け入れてくれた蓮暁が、息を詰めるようであった表情を少しやわらげた。
「決まってんだろ。だから、迷ってる。あんたが拾ってくれた命なんだから、大事にしたいんだ」
「……」
「……だから、もうちょっと、一緒にいていいか」
ふっと、蓮暁は薄くわらった。どうせそう言うだろうと思った、とその目が言っている。
「いいの?」
「生きていることを悔いていないなら、しっかり考えるといい。急いでも焦っても仕方ないだろう。自分に迷うってことは、そんなに単純に答えが出るもんじゃない。これでいいと思って突き進んだ先に、また迷いが生まれる。そういうもんだ」
その言葉に、胸が少しだけ軽くなった。間違ってはいない、そんな気がした。
「やっぱ坊主なんだな。いいこと言う」
「そんな立派じゃない。私がまだ、答えをみつけていないだけだ」
「あんたは、何を背負ってるの」
「ん?」
生きていることそのものさえ迷いの根源とするその思いを抱えて、何を感じ何を求めているのか。感じている、その過去の重みを、八雲にも少しは見せてほしいと思った。
もちろん、そんな素直な御仁ではないのだが。
はぐらかすか? 思ったが、すこし予想外の反応があった。
「何なんだろうな」
水面に小さな礫を放り投げるような、そんなあてどない呟きのような言葉が、八雲の胸に波紋を作る。
「どういうこと?」
自身のことを話したがらない蓮暁の、それは確かに内面を見せる兆し。
八雲は知らず、何かを受け止めねばならぬ予感に身構えた。しかし。
「くだらないものかもしれん。ただ、まだ、持っていたいんだ。捨てられない。もう何も要らないのにな。不思議だ」
遠い目は、やはり心の奥に触れることを拒んでいた。
彼にしか見えない、彼にしか知りえないものを守りたいのだと言っているようだった。それがどれほど辛くとも。
「あんた、一体何者なの」
「そのうち分かるんじゃないか。このまま一緒にいれば、いつかはな」
切なげな余韻を残して、蓮暁は話を閉じた。それ以上は語らないと、心をも閉じたことがわかった。
いつか自分がそれに触れる日は来るのかもしれないと、予感だけがここにある。
その夜は、やはり身を寄せるようにして眠った。
●
計ったかのように事件が起こったのは、その次の日だった。
たまたまと言えばそれまでなのかもしれないが、朝から笠の紐が切れたり、足を踏み入れたぬかるみが案外深くて左足が重いほどドロドロになったり。そういう小さい「面倒」が重なる日だった。
またすこし人里を離れた道に差し掛かった時、なんとなくの、嫌な感じがしたのだ。その嫌な感じがどうにも振り払えなくて、八雲は先を急ぐ蓮暁の背に向かって言った。
「道、変えねえ?」
「なにか感じるか?」
そう問う蓮暁も、無視して足を進めるつもりにはならなかったようで、あっさり立ち止まって八雲を振り返る。
「なんかさ、今日イマイチじゃん。こういう時は方違えがいいかと思って」
「言えるな。だが、他にいい道はない。このさい、今日は早めに宿を探すか?」
蓮暁は、冗談めかしてからかうことも多いが、真面目な話になるとちゃんと、八雲の意見を聞いてくれる。それがあまり根拠のないことであっても、馬鹿にしたり無視したりはしない。
「うん。それがいい。里へ引き返してみる?」
どうせ急ぐ旅でもないしと、そう言ったときだった。
人の気配が近づいていることに、八雲は即座に気が付いて周りを見渡した。すると、蓮暁も耳を澄まして様子を探っている。
こういう気配は間違いなく、山賊の類だ。耳にはっきり聞き取れる距離にまで近づいた足音は粗雑で、横暴な印象である。
「そこの二人。待て」
声をかけられたときには、八雲は袖の影に隠した棒苦無を手にしていた。しかしまだそれは見せずに後ろ手に構える。
状況に怯えているのではないかと気遣って横に目をやると、蓮暁は涼しい顔をしながらも錫杖をぐっと握りしめていた。
「わかるよなあ。黙って金目の物をおいていけ」
姿を現したのは、薄汚い格好をしてはいるが体格はいい山賊。その数五人。とても、蓮暁を庇いながら戦える数ではない。少なくとも、常人のふりで戦うことは無理だと判断した。さて、どうしたものか。
「生憎、大したものはない。むしろ施してほしいくらいだ」
蓮暁は、そう軽く返した。僧から金目のものを巻き上げようとする罰当たり相手に、もはやその会話に意味はない。
「そっちのガキは」
「まだ子供だ。武士でもないから刀も待たぬ」
「ふん。かといってただで通す気はねえ」
ここで、蓮暁は重くため息をつく。次の展開が読めたらしい。
山賊の側近であるらしい男が、頭に耳打ちする。口元に下卑た笑みを浮かべたら、もう間違いない。それは八雲にも想像がついた。
「ちょうどいい。どちらも女代わりにはなりそうだ」
「げええ」
案の定の展開に八雲は唸った。あんなものに好きにされるとか、冗談じゃなく死にたい。
「つまらないことになったな」
どちらかといえば見目がいいのは蓮暁なのだが、こんな展開になってもなぜか蓮暁は、特に慌てた様子を見せない。修行を積んだ坊主とはそういうものなのかもしれないが。
「なんでそんな余裕なんだよ」
まさか八雲がそれほど買われているようにも思えないが。
そう首を傾げた次の瞬間、蓮暁が鋭い目で前を見据えて杖を構えた。法衣の裾を蹴りさばいて、ぐっと体制を低くする。その構えはとても素人のものではなかった。
ドキリとする。
こいつ、けっこうやるんじゃないか。思えば身震いも追ってきた。
「あんた戦えるのか」
「迎え撃つしかないと思うが。あんな連中に手籠めにされたくなかったら」
敵をにらんだまま八雲に返す横顔は、不思議なほど生き生きとしている。意外だ。意外に過ぎるが目の前の光景が現実だ。
どうやら八雲は、ずいぶんと長い間この僧侶に騙されていたようである。
「勘弁してくれよ……」
「なら、いくぞ」
庇われる気は全くないらしく、蓮暁のほうが先の一歩を踏み出した。ひらりと体重を感じさせない身のこなしで、敵の背後に回る。
「まじかよ」
地を蹴って掴みかかってきた山賊に、蓮暁は容赦なく錫杖を振り下ろした。返す手で二人目の脇腹を狙う。その太刀筋が妙に整っていることに、そして一撃によりかなりの威力で相手を打ちのめしたことに、八雲は目を見張った。
こいつ、坊さんじゃない。涼しい顔をして、もう二人をいなしてしまった。
八雲はちらちらと蓮暁を見ながら、残りの山賊と戦った。一人ではかなわないとしても、蓮暁が戦ってくれるなら勝ち目はあった。というか、蓮暁ひとりで何とかなったのでは。と、結論的には、思った。
さすがに頭は多少腕が立つらしく、刃のこぼれた刀で蓮暁に切りかかる。その濁った目には本気の闘志が見て取れた。生かして手籠めにするんじゃなかったのか。
さすがにまずいかと思ったとき、蓮暁はひとつため息をついて、錫杖を横に構えた。その右手をそっと滑らせると、錫杖の手元から、すらりと昏く光る刀身が現れた。
カランと昔を立てて、鞘になっていた部分が放り出される。同時に、蓮暁の体から静かな殺気が立ちのぼった。
「うそ。仕込み杖」
杖とは見せかけの、それは忍者刀であった。刀身は反りがなく、太刀より短い脇差ほどのものだ。その特徴から、杖にも仕速まれ変装の忍びが愛用する。
蓮暁が再び姿勢を低く構えた一瞬後、その剣が閃いた。その次には、山賊の頭のうめき声がした。
そして蓮暁が剣をおろすまでの一瞬、静寂が訪れた。八雲は呼吸を忘れてしまっていた。
「……しかもなんで俺より強いんだ」
ようよう呟いたのは、そんな一言だ。このわずかな間の剣劇で、蓮暁に対する認識がガラリと変わってしまったのだ。驚いたって呆けたって罰は当たらないと思う。
「だから嫌だったんだ」
敵は片付いたとばかり、八雲を振り返って肩をすくめる。この姿はできるだけ封じておきたかったのだと。
「あんた、まさか忍?」
「今はただの坊主だ」
「ただじゃないって」
その戦いぶりは華麗なほど無駄がなく、疾風が吹いたようにしてあっけなく、山賊は全員倒された。おかげで八雲は、限られた認諾を失うことなく戦えたのではあるが、問題はそこじゃない。
八雲はまだどこか信じられない思いで、刀を杖の中に収める蓮暁を見た。
「そのうち分かると言った矢先だな」
苦笑を見せる蓮暁は、乱れた僧衣の裾を整えればまたただの若い僧である。先ほどの冴えた殺気も今は鎮まり、いままさに三人の山賊を切り捨てた人物には見えない。
……いや、斬っていない。なぜなら倒れた山賊の体からは、致命傷になるような出血は見て取れないのだ。
「しかも峰打ちかよ」
あくまで命は奪わないその周到ぶりに、ちょっと背筋が寒くなった。
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