待夜駅と碧翠堂

リリーブルー

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遭遇

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 ある晩、猫が逃げてしまった碧翠堂は、消沈して路地を歩いていた。
 帰っても猫はいない。急いで帰って餌をやることも、撫でてやることも、もう必要ないのだ。
 ふと耳をすますと、どこからか、トランペットのひしゃげた音がする。
 待夜駅の看板が、電信柱のかげに立てかけられてあった。
 夢に誘う音が、足の下から、黄泉のくにへの誘いのように響いていた。
 星屑のような空気が、地下からこぼれ出していた。
 階段につけられた黒いアイアンの照明器具から、黄色い光が投げかけられて、白い壁の平面の微細な凸部分の下に小さな曲線の影を幾重にも幾重にも作っていた。白漆喰の階段の壁のコテの跡は、帆船を運ぶ大海原の波のように見えた。とえはたえの波は、海の波のように、懐かしく碧翠堂を誘った。
 碧翠堂は、階段の前に立った。地下からトントンと軽快な足音が聞こえて、地上に、目の前に、白シャツをまとった細身の少年が現れた。

「あっ」
碧翠堂は、声をあげた。
 少年と碧翠堂の間を、黒猫が横切ったのだ。
「待て」
碧翠堂が追いかけるより先に、ひょいと少年が猫を抱き上げた。猫は軽々と抱き上げられて、少年の腕の中で撫でられてゴロゴロと喉を鳴らした。
「その猫は?」
碧翠堂は、少年の、日の光にあたらない植物の根のような、静かな指先を見ながら尋ねた。
「僕によくなついているんです」
少年は黒猫を愛おしそうに撫でながら、頰ずりして猫を見つめたまま微笑んだ。その紅の唇が猫に向けられるのが許せなくて、碧翠堂は、
「返してください」
と、強く言った。
「あなたの猫なんですか?」
少年は、まつ毛をあげて言った。
 黒曜石の瞳が、夜の闇のように碧翠堂を射た。碧翠堂は、くらくらした。
「はい」
「あなたは……」
「碧翠堂という骨董屋をやっています」
碧翠堂は、名乗りながら頬に血が昇り息苦しくなった。
「この路地の?」
碧翠堂は、うなずいた。
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