潤 閉ざされた楽園

リリーブルー

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第二章 森にて

小暗い森

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 郊外は静かで、敷地の広いお屋敷が多かった。
 夜道を行くと、小暗い森の前にさしかかった。僕は、暗がりを透かし見た。
「暗がりでキスしたいとか思ってるんだろう?」
潤は僕の心を見透かすように言った。
「そんなこと……少し思ったけど」
僕の返事に、潤は、
「俺の身にもなれよ」
と苦笑した。僕も笑い返し、
「ふふ、家のそばでキスなんて、近所の人に見られたら恥ずかしいよね」
と、共犯者みたいに言った。僕は軽い気持ちで、そう言っただけだった。
 なのに、潤は真顔で、
「俺は、この森で、ずいぶんしたけどね。キスどころじゃないことも」
と言った。僕は驚いて、
「え? 誰と?」
と思わず尋ねた。嫉妬は醜いと思ったけれど、聞きかえさずにはいられなかった。
「誰って、知らない人だよ」
潤は、つっけんどんに答えた。僕は、胸が、ずきんと痛んだ。
 僕の知らない潤がいる。
 確かに、僕は潤と親しくなって日が浅い。潤とは中学も違う。一年の時のクラスだって違う。潤と同じ中学の人や、潤と一年の時同じクラスだった人が、どんなにうらやましいか。その人たちは、僕の知らない潤を知っている。過去にさかのぼって、潤といっしょの時間を過ごせたらいいのに。僕は、潤のことを知らない。
 潤の知り合いと僕の知り合いは重ならない。潤の知り合いを僕は知らない。そうだ、僕なんて、潤のことを、潤の世界を、これっぽっちも、知らないんだ。わかっていないんだ。そう思うと心がずきずきした。潤のことを全部知りたい。潤を全部自分のものにしたい。長い時間かけて、ということを僕は思わなかった。早く知りたい。全部知りたい。知らないでいる時間をすぐになくしたい。
 僕は、ただ、たまたま、潤に誘われただけの人間だ。理由があったとしても、どうせ、僕が、何も知らないから、くみしやすくて、だましやすくて、おまけに女の子みたいだから、とかなんとかいうだけの理由なんだろう。
 女の子みたい、というのは認めたくなかったけど、今日声をかけてきた三年生も、言っていたし、クラスメイトたちもみんな言うし。だから、潤も、そう思ってるんだろう。だけど、もしそれが潤のお気に召したのなら、それでいい。もし、そうなら、潤に愛されるのも今限定。もう一年か二年したら、ふられてしまうってこと。僕だって、いつまでも女の子みたいな容姿でいられるわけじゃないだろうから。それでも、いい。僕だって、ずっと潤を好きでいられるか、わからないから。できれば、ずっと好きでいたいけど。でも、潤は、気まぐれな風のように心がわりしてしまいそうだし、第一、僕のことが、本当に好きなのか、友達として好きなのか、単なる遊びなのか、何か別の意図があるのか、よくわからない。
 僕の知らない誰か、か。そんな存在を思うだけで、不安になる。潤の中学時代の恋人?
「そりゃ、僕の知らない人だろうけどさ……。そういう意味じゃなくてさ……初恋の人だったの?」
僕は、そわそわして聞いた。僕は自分の気持ちの世話で、いっぱいいっぱいだった。
「俺、恋愛って、したことあるのかな」
潤は、ぼんやりした口調で自問するように言った。僕は、潤がとぼけているんだと思って笑った。あまりにも恋多き、美少年だから、わざとそんなこと言ってるんだろう、と。
「今さら隠しても無駄だよ」
あんなに、僕がキスしたことも誰かと付きあったことも好きな人もいないのをからかっておいて、今さらそんなウブなふりするなんて。僕のことカマトトなんて言えないじゃないか。
 僕は今まで、さんざん潤におちょくられる一方だったので、ちょっとこの辺で潤を追及して困らせてやろうと思って聞いた。
「えーと、僕の知らない人ってことは、その人、違う高校に行ったんだ?」
先輩かな? 同級生かな? キスどころじゃってことは、やっぱり年上の先輩かも。潤は、年上の人が好きって言ってたし。
「中学時代の先輩とか?」
僕は追及した。
「俺も知らない」
潤は、かたくなに見えた。
「そう言わずに、教えてよ」
僕は、むきになって言った。
「知らないんだ」
潤の答えに、一瞬、空白になった。un ange passe.僕たちの間を天使が通過して行った。
「え? どういうこと?」
僕は、しばしの沈黙を破って聞いた。再び動き出した時間の中で、僕は、潤を聞き咎めたが、潤の世界はまだ静止しているかのように、潤の目は空にとまったままだった。潤は、答えなかった。
 しまった、もしかして怒った? しつこかったかな。そうだよな。高校名とか言っちゃったら特定されちゃうもんな。なのに僕は嫉妬むき出しで感じ悪かったかも。誰だかわかっちゃったら、その人に対して、僕、もっと、すごい嫉妬しちゃいそうだから、知らない方がいいのかも。
「うん、じゃあ、誰かっていうのは、いいや」
僕は、すぐさま前言撤回した。潤に嫌われたら、元も子もない。
「で、キスどころじゃないことって、どんなこと?」
僕は、ちょっとドキドキしながら尋ねた。中学生がすることだから、そんなにすごいことじゃないとは思うけど。いくら木がいっぱいでひと気もないとは言え、外だし。でも、どういうことするんだろう? 潤が昔したことは、将来、潤が僕にすることかもしれないし。後学のために聞いておこう。
「うん、子どもの頃だけどね。パンツ下げられて、あそこを舐められた」
潤は、無造作に言った。
「え?」
子どもの頃? 
「えっと……中学時代じゃないんだ? 小学生の頃?」
僕は、引き気味で問い返した。そうか、潤のことだから、小学校高学年でも、かっこよくてモテただろうなあ、と思おうとしたけれど、それって……。
「どうだったかなあ。入学前だったか後だったか」
「えっ、そんなに前……」
いや、潤は、小学校低学年生でも幼稚園児でも天使みたいに可愛かったに違いない……でも、そういう問題じゃなくて、と僕は、驚いたが、潤は、と言えば、なんでもないことのように、声も顔も無表情なまま、ペラペラとしゃべり続けた。
「尻が焼けつくように痛いから暴れたら、服が泥だらけになって、家に帰ったら怒られた」
「ちょっと待って」
僕は、潤の話をとストップさせた。
「それって、知らない人って……」
僕は、胸がどきどきしてきた。それって。
「うん、そうだよ。知らない人。その時も、誰にやられたのか、いろんな人からしつこく聞かれたよ。どうしたのか正直に言えって言われたから、正直に言ったら、いやらしいことを言うなとか、嘘だろうとか疑われて、嘘じゃないって言ったら、そんなこと人に言うなって言われた」
「ええっ……ちょっと待って、そんなのひどい」
潤は僕の制止も聞かずしゃべり続けた。
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