凶幻獣戦域ラージャーラ

幾橋テツミ

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第2章 魔人どもの野望

ロゼムス公、列席への決意

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 連れ込まれていた客室から、3体の鋼の護衛者を従えた天才技術者ロゼムスが末弟の遺骸を寝台に安置した幽巴兄弟に付き添われて退出した時、その端正な容貌は苦渋に歪んでいた。

 原因はいうまでもなく、凱鱗領執教士長を自称する異形の怪物から告げ知らされた情報に打ちのめされてしまったからであった。

 もちろん、自身で精査した訳でもない(暗殺者となったユグマが教宣室に乱入する寸前に中央司令室に突入した叛乱軍の麻酔弾によって意識を失っていた)、その内容の全てを受認したものではなかったが、末弟を喪った濃緑色の教軍超兵の語り口には言下に否定しきれぬ迫真力を有していたのは紛れもない事実であった。

 更にロゼムスを苦悩させるのは、無二の親友である執務長が死闘による疲労困憊の隙を突かれ、海龍党の走狗に堕した特守部隊の卑劣なテロ行為により非業の死を遂げたという悲報である。

 この悲劇が敵側による偽報フェイクニュースなどではないことは、を察知した陀幽巴が席を外した際に、指輪に擬して嵌めていた〔超小型争波環〕で情報収集にいそしんだ際に確認し、激しい衝撃を受けていたのである…。

“…ライネットを喪った現在、もはや周囲の何者をも信用しかねているに違いない教率者様をお守り出来るのは、我が斬撃機兵以外にはありえぬであろう…”

 だが、一旦は退室のためには幽巴兄弟との一戦も辞さぬと肚をくくった天才技術者を否応もなくその場に足止めさせたのは、教軍大幹部である陀幽巴の止めの一言であった。

 何と、ロゼムスに〘受躰の儀〙への列席を要請してきたのである!

 彼によれば、“儀式の主役”である〈依巫〉=萩邑りさらへの妄念を燃やすユグマは必ずや会場に現れるはずだというのだ。

「…この期を逃せば、あなたは二度とご子息に会えぬ可能性が高い…。

 何故ならば我らも愛する末弟をに斃されておる以上、一族の威信のためにも“鎮魂の決闘”に臨まぬ訳にはいかぬからだ!

 もちろん強制は致さぬが、繰り返し申し上げる。

 …あくまでユグマとの再会を望むのならば、選択の余地はありませんぞ…!」

 この異様な一行が一階に降りた時、ロビーは完全に無人であった。

 教界を焦土と化した棘蟹クォルサ群団が水上移動都市であるベウルセンを脅かす可能性はもちろん皆無ではなかったが、それよりも人々を恐怖に陥れたのは突如として目と鼻の先の海上に出現した巨大物体なのであった。

 いくら謎の軟性物質で姿を隠蔽しようがその不気味なシルエットは朧に透かし見えており、いずれ怪物が奇怪な衣を脱ぎ捨てる時が来るのは自明であった。

 それと同時に移動を開始し、此処へするならば(ほぼ確実であろう)、終末の魔神の如き宇宙的スケールの超破壊力を全開して暴れ回るに違いない…!

 そもそも移動能力を有するとはいえ、この1つの島ともいうべき図体の人工建築物の限界速度を振り絞ったところで一体どれだけ逃げられるというのか!?

 …この血も凍る予感が、地上の人々と同様に一斉に彼らを地下待避施設へと走らせたのだ。

 されどその懸念を共有していたロゼムスは、〘受躰の儀〙の終了以前に魔王蛸ガヌーラが暴発する恐れはないことを龍坊主に教えられ、ひとまず安堵していた。

「…だがいずれにせよ、あなたが全能力を傾注したという〈人工司令官〉が率いる【湾線統衛艦隊】とガヌーラの対決は不可避であろう。

 かくて偉大なる教聖と不世出の天才技術者のいわば〈代理戦争〉は、我ら教軍超兵ならずともラージャーラ全界の耳目を集める一大決戦といえような…!」

 …彼らが現れるのを待ち構えていたように、りさらが囚われているはずの客室の鉄扉がゆっくりと開かれると、現れたのは小太りで愛嬌ある顔立ちの中年男だった。

 彼が身にまとっているのは黄色いサテン布に似た光沢ある生地のゆったりとしたフード付きの僧服であり、これは秘教結社【火原の美獣】の構成員が神聖な儀式の際に用いる衣なのであった。

 数年前の師父グランドマスターの昇天後、彼が後継者を指名せず遺書も残さなかったため元々結束に難のあった暗黒集団の運営はいよいよ混迷を極め、4名の最高幹部の内、社会的地位に比例して序列を決定すべきと主張する湾線統衛軍総司令官ケエギルが強引に新代表を名乗ったのだが、彼の独裁を到底容認出来ぬ他の2人は結社の教義の礎石ともいうべき〈性儀式〉を取り仕切ってきた【祭霊妃】ルターナを推挙し、主に富裕層で占められた構成員達も教界屈指の名女優の威光を背景に組織内で突出したカリスマ性と思慕を集めてきた彼女を支持する声が圧倒的であった。

 しかもケエギルの入信目的が以前より熱烈なファンであったルターナをいずれ我が物にせんがための邪心丸出しであることは誰の目にも明らか(自らが引き入れた軍人信徒らには公言さえしていた)であり、祭霊妃自身も負けじと彼への嫌悪を事ある毎に表明していたため、今回の暗殺事件は組織にとってはによる朗報と受け止められていた。

 このような状況を把握した上でケエギルに接近した海龍党を率いる最極呪念士ワーズフは、まず淫奔な祭霊妃が関係を結んでいる愛人たちの内、最も寵愛(従って彼が最も憎んでいる)セテルの抹殺を請負うことで関係を築き、同時期に軍内で爆発寸前まで高まっていた教率者への不満を生来の野心家であるケエギルを扇動することで遂に叛乱劇に踏み切らせることにも成功したのであったが、海龍党頭目の真の目的がこれであったのはいうまでもない。

 だが、火原の美獣に目を付けていたのは呪われし人面蜘蛛だけではなかったのだ。

 いや、むしろ神牙教軍=幽巴兄弟の方がそのポテンシャルを高く評価していたといえよう。

 もちろん、いずれ総司令官ケエギルの抹殺どころか統衞軍そのものを消滅させることを目論む彼らが接近したのは主流派である祭霊妃グループであり、目下の至上命題である〘受躰の儀〙を成功に導くため、数々のイベントを手掛け(ルターナのの舞台演出も担当)てきた彼らの手腕は大いに頼りにされていたのであった。

 そしてこの黄衣の冴えない中年男こそがその中心人物であったのである。

「バヤーニ、依巫の様子はどうだ?

 それに会場の準備状況は?」

 威厳に満ちた陀幽巴の問いに、呆気に取られた表情で凱鱗領教民にとって知らぬ者無き天才技術者ロゼムスと彼の左右と後方を守り固める鋼の怪物を見上げていた舞台監督は瞬時に我に返り、卑屈な愛想笑いを浮かべつつ応じた。

「はっ、美しき依巫は未だ健やかな眠りの中にあり、会場に関しましては大祭壇の設置をはじめ、全て完了致しております!

 後は〈開閉式天蓋〉を開くのみですが、予定通り《朝了刻》(午前九時相当)でよろしいでしょうか?」

 この一大イベントの総責任者ともいうべき2匹の龍坊主は同時に頷く。

「うむ、それでよい。

 …なるほど、場慣れしているとはいえ見事な進行ぶりだ。

 教聖もルドストン凱鱗領を殊の外重要視されており、晴れて枢覇界となった後もお前達には文化面における中心的役割が任されることであろう。

 …それでは、だ、受け取るがいい。

 だが、誉れある教軍の一員としてあまり過ごすでないぞ。

 …言うまでもないが、仮に今この時から儀式中にを嗜むようなことがあれば、貴様と仲間の命はないと思え…!」

 一抹の侮蔑を含んだ忠言と共に、陀幽巴が右手に握っていた子供の頭部ほどの大きさの黒い革袋をバヤーニに与える。

「それでは、謹んで頂戴致します。

 …ご忠告に関しましては、もちろん承知いたしておりますとも…!」

 徹夜明けの充血しきった双眸を興奮で更に血走らせつつ、震える両手で数十個の球状に固められた究極幻覚剤ギャムナが詰まった革袋を押し戴いたバヤーニは、まるでそれが宝石の詰まった小袋(彼にとっての価値はそんななどとは比べ物にならないだろうが)であるかのように後生大事に僧衣の内懐に仕舞い込んだ。

 そんな仕草は見るのも穢らわしいとばかりに顎をしゃくって舞台監督を急き立てた陀幽巴は、慌てて室内に引っ込んだ彼が助手である火原の美獣関係者の手を借りて依巫と3人の操獣師を連れ出す間に、ロゼムス公を振り返って彼としては最大限の慇懃さを込めて宣った。

煌輪塔ここと会場である【ベウルセン凱星殿】は地下通路で直結されておるゆえ、我々と行を共にしているのを教民どもに見咎められるおそれはない…。

 出現が確実視されるご子息に関してはとりあえず貴方との対面の時間を設ける努力は致しますが、先程実際にご覧になった通り我らも末弟をあのような目に遭わされておる以上、繰り返しになるが彼に対して手出しを控える訳にはいかぬことだけは承知しておいて頂きたいのだ。

 …尤も、既に最極呪念士の掌中に堕ちている以上、ユグマが貴方の声に耳を傾けぬであろう事態への覚悟だけは心の片隅に留めておいてもらいたい…。

 …そして教聖から託された伝言もここで申し添えさせて頂こう。

 “〘受躰の儀〙が成功裡に終了した際には是非とも貴方との対話の機会を得たい”

 …とのことであった」

 “凱鱗領の至宝”はまなじりを決して即答した。

「…勇猛なる敵将よ、私は貴方の言葉を決して疑ってはいない…。

 父として決して認めたくはないが、今は我が息子がもはや手の施しようのない悪鬼と成り果てている可能性は限りなく高いと思っている…。

 一方、鏡の教聖との対話に関してはむしろ望むところである、何しろは私にとって最も逢ってみたい人物…いや、であったのだから…。

 だが、息子に関してだけは、神牙教軍あなたがたに介入させるつもりはない…!

 …真に悪魔の化身であると確信出来たならば、私の手になる斬撃機兵の刃によってルドストン…いや、ラージャーラにとっての禍根を絶つであろう!!」

 

 




 
 


 

 




 

 
 

 
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