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第2章 魔人どもの野望

回想の狂戦地ルドストン⑥

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 斯界の第一人者がその人物像に惚れ込み、ラージャーラで採掘される全鉱石中でも屈指の硬度を誇る、レゼラの霊煌石よりも強固とされる門戸を開いたとあって新弟子バジャドクの進境は著しいものがあった。

 呪念士なる非日常的存在は無論のことながら単なる職種に非ず、さりとて教界の治安安寧に欠くべからざる役割というものでもないため発祥の地とされるルドストン史上においても極めて稀少な存在であり、名称を知る教民もごく僅か…しかも支配層に限られていた。

 それは即ち、その“実力”が端倪すべからざるものであることを意味しており、彼らに持ち込まれる案件●●の殆どが、教率者と側近中の側近たる重臣絡みのものであることからも明らかであったろう。

 かくて、その内容は精神と肉体双方にわたる病の癒しから臣下の徴用への助言、果ては“教敵”からの心身防衛から攻撃・排除にすら及び、一時は教界のまつりごとを左右する“黒幕的存在”まで上りつめたものの、工学技術の漸進的発達によって宮廷内での影響力は急激に衰え、いつしか教界史の片隅に逼塞するに至っていたのである…。

 これにより、少数精鋭の候補者が師による苛烈極まる指導によって更にふるいにかけられ、かつて1人の呪念士が“正後継者”の他にそれを補佐する“帰属士”を10名は育成し、凱鱗領各地に放って権勢の一助としていた時代が遠い過去のものとなった現在、“最後の呪念士”と自己規定しているファダスにとって、目下の至上命題たる“聖地レゼラ巡礼”において見出した“最良の原石バジャドク”の発見●●は、文字通り“未来への希望”を意味するものであったのだ。

 だが、ここに一つ、重大な問題があった。

 ある種の諦観によって、“最終走者アンカー”の覚悟は固めつつも、やはり自身の代で伝統の終焉を迎えることへの忸怩たる思いは避け難く、その資性(往時であれば、帰属士相応)に多分の物足りなさを覺えつつも、一縷の希みを託して傍らに置いていた山岳狩猟民出身の“後継者候補ワーズフ”の存在である…!

 されど、今回の船旅に彼の姿はなかった。

 修行のいとぐちに至ったばかりの新弟子に神聖なるレゼラの地を踏ませることは歴代呪念士の遺訓に背反する事態であることは当然であるが、それに加えて、夢想の成就に向けて些か気負いすぎた若者がファダスの…否、呪念士を志す、そして晴れて成りおおせた者にとっても一字一句をゆるがせにすべからざる“聖典”〔刻念宝鑑〕の教えを無視して無謀な荒行を重ねた挙句、全身を著しく衰弱させて床に臥せっていたためであった。

 …そして運命の、いや呪われし邂逅以来、ただの一度として打ち解けることなく競争心という名の敵意の火花のみを散らして峻険な修行の日々を歩み始めた両者は、宝鑑に記された膨大な体系の真髄を偉大なる師によって教示され、“一をきわむる者こそ無限に通ず”の信念の下、己が得手なりと感得する分野のみをひたすら深掘りしてゆくことを推奨された。

 かくてファダスがいおりを結ぶ、〈コータリヤ中央山脈〉西南部の麓一帯に広がる“マヤブの森”内にて、互いを牽制するかのように距離を取って起居するバジャドクとワーズフは、自身の進境とのそれとの優劣を知る術の無いまま、不安と焦燥と憎悪を原動力にただひたすら呪力の増強を追求していたのだ。

 だが互いに一步も退かぬ研鑽の日々が6年目に突入したある日、不意にそれが明らかとなる事態が招来された!

 “海洋教界”ルドストン凱鱗領を守護する湾線統衛軍を、最新装備と神懸かり的な統率力によって“ラージャーラ最強の海軍”へと押し上げるに至った文字通りの“中興の祖”であり、死して50もの年を数える現在においてすら未だに教民の熱烈な信奉を受ける軍人教率者ミグニスの使者が“最後の呪念士”の寓居を訪れ、当時既に伝説的存在であった“宮廷呪念士”の復活を打診して来たのであった。

 理由を伺うファダスに対し、教率者の代理人が明かしたのはもはや一刻も座視出来ぬ内憂外患というも愚かな教界の軍事面における喫緊的課題への助力と、それに相反する凱鱗領に大いなる富貴をもたらすために高波のごとく積極的に展開されるラージャーラ全域との貿易活動に空前の発展を促すための有益な指針の教示に加え、教率者個人の健康面を含む統治活動への善導というあまりにも多岐にして困難な要望への“生ける解決策”としてであった…。

 無論、それを受けるに当たっての褒賞は莫大なものであったが、ファダスは自身の実力の急速な衰えを理由にそれを固辞し、代わって進境著しい“後継者候補”を派遣することを逆にはかった。

 この想定外の返答を受け、数日後に宮廷からもたらされた返答は、ファダス自身が全盛期の自分に匹敵すると認定した場合にのみその者を入城させる、もしその後に一度でも“粗相”を演じることがあれば呪念士なる存在自体を教界史から抹消し、推薦者ファダス自身にも相応の罪科を課する、という酷烈なものであった。

 果たして、呪念士にとって象徴的な意味を持つ、ひと月に一度ラージャーラ全土をおぼろ黄金こがね色で包む“幽月夜”に、ファダスは二人の直弟子を呼び出して事の経緯を告げ、6年に及ぶ修行の総決算として“最終課題”を与えた。

 それは直径わずか100分の1レクト(約3.75cm)の霊煌石ゼルームの球体を、10日以内に呪念力によって砕いてみよ、という恐るべき難題であった。

 この世ラージャーラに存在する物質中、最も堅牢なものの一つとされる該鉱石を、徒手空拳によって破壊するという文字通りの不可能事を命じられた2人は絶句したが、邂逅以来というもの師の言葉に一片の駄句も含まれぬことを直ちに想起し、極限状況に追い込まれた自身の潜在力への過信ともいえる自恃の念に奮い立って授けられた一個の宝球を各々の陋屋ろうおくに持ち帰ったのであった…。

 さて、ここからが地獄であった。

 本人としては集中力の限界を振り絞って念を集中しようとも、それによって何らかの超自然力が発動してにわかに抱懐した宿願が成就するはずもなく、反対に自己の頭蓋が割れ砕けそうな痛みに襲われるのみ。

 さりとて、己が拳を固め、

 “確固不抜の意志力により、今こそ我が拳は天響神エグメドくだせ給いし鉄槌と化した!”

 と妄信して渾身の力を以て打ち下ろそうものなら、再び握り合わせることが叶わぬほどに粉砕されるのは愚者の手指でしかありえなかった。

 …これら笑止千万な試みを、曲がりなりにも“最後の呪念士”に入門を許された修行者が為すはずもないと思われたであろうか?

 確かに、両者が“初手”として採った術策メソッドは対物作用術としての礎ともいえる《源遡素還法》であった。

 即ち、全身全霊を込めての【意凝呪文】をしつつ、眼前の台上に安置された霊煌石が生成された超太古へと、研鑽を重ね、磨き抜いたイメージ力の極北というべき【念想慧覚】を駆使して遡り、融通無碍の軟体と化したそれを乾坤一擲の気合の刃によって截断せんと試みたのである…。

 仮に、バジャドクらにとって神に等しきファダスといえどもかくなる課題に直面すれば同じ術法に則るはずであり、たとえ刻念宝鑑を隅々まで渉猟しようとも、これ以外の手段は見出し得ぬはずであった。

 従って、懸命に《素還法》を試みるにも拘わらず問題の物体にきず一つ刻み得ぬ要因はただ只管ひたすらに、彼らの“呪念力不足”のみに集約されたのである…。

 かくて、一策に固執した両者の苦闘はバジャドクは5日、ワーズフに至っては実に8日に及んだ。

 無論、双方の状況を窺う術もない彼らとしては敵の成功をいたずらに妄想してのたうち回りたいほどの焦慮に身を灼いていたが、時を重ねるにつれ襲来する邪念はいつしか無力極まる己への嫌悪へと成り代わり、殊に生来が烈しい気性の元船乗りの青年にとって、突き上げるような自己破壊への衝動にまで亢進するに至った。

 そして、5日の苦闘の代償として丸一日を泥のような、しかも凄まじい悪夢を伴うねむりに費した後、彼は些かの逡巡もなく憎き球体をみ込んだのであった!

 その瞬間に喉元に発生した強烈な違和感と続く窒息感は微かに憶えているものの、不可思議なことにそこからの肉体的苦痛の記憶が欠落しており、老教率者は波乱万丈もいうも愚かな数奇な運命上における最大の僥倖と見なしていた。

 だが、その際に見たはず●●の“夢”もしくは“幻覚”については克明に脳裏に刻まれていた…。

 
 …その時、バジャドクは海中にあった。

 いや、正確●●には、凱鱗領のみならず全教界の船乗りが恐れる、“アルサーラ海の大渦巻”に巻き込まれていたのだ…。

 そして竜巻中で蹂躙される羽毛にも等しい窮境にありつつも、すくな
くとも船員時代は自身の強運を信じて疑わなかった彼の魂魄は天上的な瑠璃色の光に満たされ、この上ない甘美の陶酔に打ち震えていた…。

 即ち、そこで青年はこれまで少なからぬ労力と路銀を費やして褥を共にしてきた幾多の美女…そのどれをも上回る、いわば天女ともいうべきおおきな美神の胸に抱かれつつ、咽び泣くような愛の囁きを注がれていたのである…。

 女神は彼に一切の生への執着を断念し、安らかな死を受容することをしきりに促していた。

 そして殆ど彼が美しき死神の甘言に従おうとしたまさにその刹那、大海原を棲家としてからは片時も放すことのなかった、亡き母が遺してくれた守り刀である両刃の短剣を思い出し、懐をまさぐった。

 …そして、この生命の土壇場にあって、それは奇蹟のごとくそこにあった!

 “ふざけるなっ、オレは生きる!

 こんな寂しい場所で死んでたまるかっ!!”
 
 無我夢中で右手に固く握りしめた短剣を、瞑目しつつ豊満な女神の胸元に渾身の力で突き立てた瞬間の恐ろしい悲鳴と呪詛…そして凶鬼のごとき形相を、彼は生涯忘れることはないだろう。

 …或いは最上の救いであったかも知れぬ死の抱擁から逃れた彼は、刃を手にしたまま必死に抜き手を切って生の呼吸がゆるされる“陸”を目指した。

 だが、奮闘の甲斐なく、遂にその息が尽きるときがやって来た…。

 己の喉の奥から絞り出されるように吐き出された、末期まつごの一泡…。

 それは短かった生の掉尾をせめて一時飾るかのように美しかった。

 自身の“最期の息吹”を薄れゆく視界に捉えつつ、ゆっくりと海底に沈みゆくバジャドクは想った。

 “なんと儚いものだ、人生とは…

 力の限りあがき回ろうとも、最後は一個のあぶくに化けて一切がおわり、抜け殻はこれまでさんざん喰らってきた魚どもの養分となるか…”

 …覚醒した時、バジャドク青年の躰は屋外にあり、天の水甕みずがめを傾けたかのような豪雨に打たれていた。

 だが悪夢にのたうち回る間、無意識のうちに修行衣を脱ぎ捨て、剥き出しとなった上体の皮膚を容赦なく打ち据える水の槍よりも彼を慄然とさせたのは、喉と胸を内側から焔で炙り立てられるような熾烈な疼痛と、同時にこみ上げる不快極まる吐き気であった。

 されど“最終課題”に入ってからは重湯を啜るのみで固形物を一切摂っでいない身に吐き出すものなど何も無いはずではなかったか…。

 烈しく咳込みつつ、吐く唾が鮮やかな青紫色に染まっていることで、バジャドクは、それが血液であることを直ちに覚った。

「…そうだ、オレは確か…自決しようとしてゼルームを嚥み込んだはず…。

 しかし、あれ●●は一体どこへ…?躰の中に無いことだけは確かなようだが…」

 涙と雨に霞む眼を手の甲で拭いつつ、地面に目を落とすと、不壊の球体はあたかも発見されるのを待っていたかのように、そして琥珀の闇を切り裂くような輝きを放ちつつそこに存在していた…。

 いや、それはもはや原型を留めてはいなかった。

 …まさに天響神エグメドの刃によって寸断されたとしか形容のしようがないほどに、鮮やかに4等分されていたのである…!

「や、やった…。
 
 つ、遂に独力でゼルームを割ってのけたぞ…!」

 震える手で霊煌石の欠片かけらを掴み、這うようにして師の庵へ吉報を届けるべく出発したバジャドクであったが、気力の高揚に反して激しい体力の消耗は如何いかんともし難く、やがて全く前進することが不可能となった。

「ち、ちきしょう…。

 ここまで来ておきながら…このまま森の藻屑となってしまうのか…?」

 薄れゆく意識と霞む視界…遂に力尽きんとしたまさにその時、青年呪念士は前方に朧気おぼろげな人影…どうやら傘を掲げているようだ…を見出し、不意に耳許に懐かしいファダスの息吹を感じた。

「バジャドクよ、時間だ…。

 だが、見事にやってのけたようだな…!」

 
 それから5日後…食道と胃に受けた損傷から食事を摂れないこともあり全身の衰弱からの回復は緩やかであったが、若さと過酷な船員生活で培った不屈の精神によってバジャドクは日常に復帰した。

 そして、そこで師が自分に託した期待と覚悟を知らされたのだ。

 それによれば、“最終課題”の結果がどうであろうとも、ファダスは彼を宮廷に遣わすつもりであったという。

 そして、一度ひとたび教率者の意に沿わぬ事態を迎えたならば、潔くばくに就く决意を固めていたと…。

「つまり、私はどうしても呪念士という存在を自分の代で閉じたくはなかったのだ…。

 “最後の呪念士”なる呼び名こそここで終わらせねばならない…。

 たとえいかなる形であれ、この“伝統の焔”を消し去ってはならぬのだ…」

 この粛然たる言明を受け、新たな使命感に身震いするバジャドクであったが、どうしても気になることがあった。

 言うまでもなく、宿敵ワーズフの動向である。

 だが、師の返答は素っ気なかった。

「予想通り、奴は去った…。

 まるで逃げるように、一言も無く。

 行きがけの駄賃のごとく、霊煌石ゼルームを握りしめて、な…。

 恐らく、あやつの歪みきった性根から察するに、わしをはじめこの世の全てに復讐の暗い炎を燃やしておることであろう…。

 かつて、奴から刻念宝鑑末尾の“漆黒のページ”に関して質問を受けたことがある。

 多少は呪句が読めようとも、あそこ●●●の節のみは到底理解が及ばなかったのであろう…。

 また、抑々そもそもが、呪念士の正当なる系譜に連なろうとする者にとってはる必要もない…否、識ってはならない。

 私はただ、これだけ答えてやった。

 お前が世の全てに絶望したならば、砂漠都市ザチェラけ。

 そこに棲む“流砂蜘蛛”のみがお前を救えるであろう…。

 だが、これだけは覚えておくがよい。

 一度流砂蜘蛛それに触れた時、世のいかなる辛酸をも遥かに凌駕する地獄の苦痛が待ち受けていることを…!」

 






 






 



 

 








 


 




 

 

 

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