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第1章 異空の超戦者たち
海の教界、開戦す⑧
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「とにかく、このまま3馬鹿をほっとく訳にもいかん…まあ、連中と違って絆獣はまともだからほっといても水上都市に帰還するだろうが、情けない相棒の体たらくに動揺してるはずだからこっちから出向いてやる必要があるね…」
夏月の言葉に深く頷きつつ、りさらも所見を述べる。
「こうなったら、教率者さんに、是非とも残りの公式戦闘機も出撃させて頂く必要がありますね…」
同意しつつも、総隊長の返答は苦渋に満ちていた。
「そういうことだね…なんとも癪に触るが、ガートスが使えることは間違いない。結構、弾も当たってたみたいだしね…ただ、機体の性能に操縦士の技量が追いつかないのか或いはその逆か、何件か接触事故も起こっちまってるみたいだよ。どうやら、凱鱗領じゃ未だ自動操縦の技術は確立されていないと見えるね、尤もその発想自体がないのかも知れんが…ところで萩邑、悪い報せが一つあるんだが…」
「……?」
息を呑むりさらに、夏月は淡々と告げた。
「奴が…メデューサがウビラス星心領に来てる」
「!…もしかして、私たちだけでは心許ないと指導部が差し向けたんでしょうか?」
“宿命のライバル”の出現を受け、萩邑りさらの口調もにわかに硬さを帯びる。
「アイツの物言いだと単なるプライベートな訪問らしかったが、真相は分かったモンじゃないね…とにかくあのトラブルメーカーを出しゃばらせないためにも、気は進まないがガートスは全機出して貰わないとね…じゃ、“担当”を決めようか…萩邑はローネを、雅桃はミリラニを頼む。
チラワン…アレはちょっと
厄介だからあたしが引き受けるよ。言わずもがなだが連中との合流地点は各自の聖幻晶にて確認のこと。じゃ、ベウルセンで会おう!」
絆獣部隊が出撃してから、これまで20日以上もの長期にわたり広大な海底宮殿を一人彷徨ってきた孤独な少年はやむにやまれぬ衝動に衝き動かされる現在、教界においては神にも等しい存在の姿を一心に追い求めながらなす術もなく、宛てがわれたそれなりに贅沢な客間の寝台に鍛え上げた上半身を晒して横たわり、淡く発光する琥珀色の天井を睨み上げていた。
教率者への謁見を望む理由は唯一つ、ガートスへの搭乗を認許してもらうためである。
自信は十分にあった。
凱鱗領で生活する以上、愛憎半ばする父の発明品に日常を支配されることは避けられず、従って不肖の息子にとってそれらは漠然とした敵意の対象ですらあったのだが、唯一と言ってよいほどに彼の嫌悪を免れていたのが他ならぬラージャーラ屈指の高性能戦闘機であり、その存在を認知した11歳の時からいつしか自らの手であの白銀の機体を御し、大空を縦横無尽に駆け巡ることを夢見ていたのである…無論、その準備にゆめ怠りはなく、勉学の励みの一助になればとロゼムスが特別に自宅に設えた、統衞軍に導入された“本物の模擬戦闘訓練装置”を文字通り目を瞑っても操作可能となり、連戦連勝を重ねてシステムを司る人工頭脳から“撃墜王”の認定を得たのみならず、当時は彼の言いなりであった父にねだって空軍施設に入り浸り、天翔ける本物の雄姿とその整備状況を目に焼き付けていたのであった。
成長に伴うにつれ抑え難くなった父への反発は、遂に彼をして教界の未来を担う有為な青年とは真逆の獣道へと踏み込ませてしまったが、そこで生き残るため必須となった肉体の鍛錬と自己の尊厳を守るための格闘技術の修得と向上に専念しているものの、“天空の猟兵”の存在が1日として彼の脳裏を去ったことはなく、時宜を得たならばいつでもその操縦席を死に場所とする覚悟を抱いていた…尤もそれは民間人である限り、万に一つも起こり得ぬ運命への儚い夢想に過ぎなかったのだが。
いかに教率者に厭われようと現在の教界防衛に空軍力は必須であり、公式戦闘機にも毎年のように改良が加えられていたが、常にその動向を追うユグマは手蔓を使って“操縦マニュアル”を欠かさず入手し、趣味としての小型飛翔機フライトにも益々磨きをかけ、自身が率いる不良グループをいつしかルドストン最強の“組織”に育て上げた暁には、自分専用に究極までカスタムされた“超ガートス”を所有せんとの野心を抱いていたのである…。
だが、バジャドクに直談判するにしても、その手段が全く思いつかない。
何しろ、高さ120レクト(約90m)・直径270レクト(約203m)の金色に輝く大ドームという、絶対者の根城としてもラージャーラ屈指の威容を誇る凱鱗領教率者の海底宮殿は上下7層に分かたれており、現在バジャドクが常駐している中央司令室及び居住エリアは最上部に位置し、そこに出入りするには統衞軍出身のエリート戦士で構成される親衛隊と宮殿全体のセキュリティシステムを司る、ロゼムス監修による高性能人工頭脳による厳格な身分照会にパスしなければならぬ。
ましてや自分が起居しているのは第2層…第3層に上がるのですら何重もの煩瑣な手順を踏む必要があり、時間的にも殆ど半日を費やす必要があるという。
尤も歴史的非常時である現在、最上部直下の階すらも“立入禁止区域”に指定され、フロア全体を100名もの武装した統衞軍兵士によって“占拠”されているというのだから文字通り蟻一匹さえも這い込ませぬという教界側の意志の強固さは推して知るべしである。
「…こうなったら、アイツに訴えるしかないんだが…ご立派なことにバジャドクと寝起きを共にしてるときては、どう考えてもここには…ましてやオレの許へなど来るはずもない…一体、どうしたらいいんだ?オレにはあの女性を守り抜く勇気も腕もあるというのに…!」
“それほどまでに希むのならば、わしが奴に遭わせてやろう…!“
「な…だ、誰だ?」
慌てて上体を起こしたユグマは深緑色
の瞳を四方に巡らすが、かつて耳にしたこともない邪悪な響きを帶びた嗄れ声の主を見出すことは出来ない。
「こそ泥がっ、勝手に人の部屋に入り込みやがって!てめえ、どこにいる⁉さっさと姿を現しやがれっ!!」
“──わしか?わしならお前の頭上におるぞ”
「⁉」
反射的に天井を見上げた反逆少年が目にしたものは、先程まで影も形もなかったこの世に息づいているはずなどない“魔界生物”であった!
大きさは巨漢の両掌ほどであろうか、毒々しいまでの黄色い体色に彩られた、尖端に凶々しい鉤爪を備えた10本の脚を伸び展げて琥珀色の化粧石にピタリと張り付く“人面蜘蛛”が、爛々と光る真っ赤な目玉で彼を見下ろしているではないか!
裂け目のような口の端は三日月のように吊り上げられて狡猾そのものの笑みを形作り、今にも耳障りな哄笑を爆発させそうだ。
「…うげっ…」
突如として猛烈な吐き気に襲われ、思わず口元を押さえたユグマだがあまりの衝撃に立ち上がることも出来ず、華麗な波模様が描かれた分厚い敷布に胃の内容物をぶち撒けてしまう。
留まることなく込み上げる吐き気に耐えきれず、吐瀉物が尽きても両膝を付いて嘔吐き続ける不良少年…。
“ぬふふふ、実に愉快な光景だ。…そうだ、吐いて吐いて吐き尽くすがよい、己の内部に澱のように溜まりきった“人の滓”をな…
そして吐ききった時、お前は晴れて神の使命を賜る身となり、凱鱗領に生を受けた真の意味を悟るであろう…”
どこのどいつとも知れぬ馬の骨が昨夜うなされた悪夢の中から這い出てきたかのような地獄の虫ケラが口にするにはあまりにもそぐわぬ魔王のごとき傲岸な言辞を浴びせられたユグマは、苦悶しつつも生来の反骨魂の赴くままに涙で霞む両眼から殺意の視線を天に放つ。
“魔力が欲しいのであろう、あの女を手に入れるために、な…!”
この言葉は先程とは真逆の、あたかも効験あらたかな呪文のごとき威力を発揮した…その証拠に、返答する少年の声音は恐怖のためばかりとはいえぬ震えを帯びはじめたようである…。
「“あの女性”を手に入れるための魔力、だと…?」
魔虫の眼光と笑みが更に強まったと思われたのは錯覚であろうか?
“そうともさ。…逆に問うが、この海底宮殿内においてすら最も無力といってよいお前がいかにして教率者の寵愛を一身に受ける、あの美しき操獣師を我が物にする術があるというのだ?”
あろうことか、醜悪な皺に埋もれた奇怪な老人の貌を胴体とする物の怪に自身の懊悩のど真ん中を射抜かれたユグマは、かつて味わったことのない恥辱と嫌悪に身を捩りつつ必死に抵抗の叫びを挙げた。
「オレは…オレは決してそんな目でリサラを見てるんじゃない!ただ、あの人を神牙教軍から守りたいだけだ、そしていつまでもルドストンに留まっていて欲しいだけなんだ!だがいつか…いつか凱鱗領で闘い抜いて“力”を掴んたその時には…正々堂々と告白してみせる…!!」
“たわけっ!”
多分に嘲笑を含んだ悪魔の一喝が少年の鼓膜を震わせ、慄いたユグマは両耳を抑えて突っ伏してしまうが、その背に更なる挑発が襲いかかる。
“気位だけは一人前だが父の衣鉢を継ぐことも出来なかった無能なお前ごときを、常にラージャーラの選良どもの“欲望の焦点”たるあの女が振り向く時が来ると本気で思っておるのか!?この、正に千載一遇の好機を活かさずして、未来永劫お前がリサラの香り高い柔肌に一指をも触れ得ぬことは“最極呪念士”ワーズフがここで断言するわ!!”
「…最極…呪念士?…ワー…ズフだと…?」
無様な体勢のまま呟くように魔虫の言を反芻する少年の脳内に、先程までの野卑な口調とは一変した、賢者を気取った一種荘重な声音が語りかける。
“さよう…無知なお前は知りもせぬであろうが、当地の教率者バジャドクは呪念士として我が同門の徒であったが、単なる僥倖によって得た権力の座に魂を売り渡し、身命を賭して完遂すべき神聖なる修行を道半ばにして放棄し果てて幾星霜、もはやその魂魄の腐敗は教界支配どころか生存すらをも赦されぬ段階に達してしまっておる…それに反していかなる試練にも屈することなくたゆまぬ研鑽を積み重ねたこの私は遂に道を極め、呪念士として希み得る究極の〈仙冥躰〉へと、肉体そのものを進化させたという訳じゃ…!”
「究極…だと?進化だと?笑わせんじゃねえ…そんな気色悪い虫ケラに成っちまって一体何が嬉しいんだ…!」
“無礼者!!”
怒れる神が天から投げ下ろす雷のごとく耳膜を震わせる轟々たる怒声を再び浴び、恐怖と苦痛が渾然となった悲鳴を挙げたユグマは頭を抱えて胎児のように一段と激しく身を縮める。
その背に何かがガサリと覆い被さった…と彼は自覚し得たかどうか?
天井から不幸な少年の背中に舞い降りたそいつは、瞬時に後頭部に移動すると同時に跳ね上がるように直立
し、尻から飛び出した幼児の小指ほどの漆黒の針を深々と延髄に突き立てたのだ!
文字通りの“魔性の一撃”に、屈強な不良少年の肉体が示した反応はただ一度の瘧のような痙攣であった…そしてそのまま、彼は寝台に俯せたまま深い昏睡に陥ったのである…。
己が魔毒の注入を確認した、教率者の知己を名乗るかつて呪念士?であった怪虫は、聴く人あれば必ずや嘔吐を催させたであろう哄笑と共に悪魔の凱歌を挙げた。
“きっけけけけけっ、あの3人と併せ、これで“駒”は揃った…だが、鏡の教聖よ、いつまでもこの私があなたの意のままに動くとはゆめ過信なさらざるよう、ここで進言させておいて頂きますぞ…!”
夏月の言葉に深く頷きつつ、りさらも所見を述べる。
「こうなったら、教率者さんに、是非とも残りの公式戦闘機も出撃させて頂く必要がありますね…」
同意しつつも、総隊長の返答は苦渋に満ちていた。
「そういうことだね…なんとも癪に触るが、ガートスが使えることは間違いない。結構、弾も当たってたみたいだしね…ただ、機体の性能に操縦士の技量が追いつかないのか或いはその逆か、何件か接触事故も起こっちまってるみたいだよ。どうやら、凱鱗領じゃ未だ自動操縦の技術は確立されていないと見えるね、尤もその発想自体がないのかも知れんが…ところで萩邑、悪い報せが一つあるんだが…」
「……?」
息を呑むりさらに、夏月は淡々と告げた。
「奴が…メデューサがウビラス星心領に来てる」
「!…もしかして、私たちだけでは心許ないと指導部が差し向けたんでしょうか?」
“宿命のライバル”の出現を受け、萩邑りさらの口調もにわかに硬さを帯びる。
「アイツの物言いだと単なるプライベートな訪問らしかったが、真相は分かったモンじゃないね…とにかくあのトラブルメーカーを出しゃばらせないためにも、気は進まないがガートスは全機出して貰わないとね…じゃ、“担当”を決めようか…萩邑はローネを、雅桃はミリラニを頼む。
チラワン…アレはちょっと
厄介だからあたしが引き受けるよ。言わずもがなだが連中との合流地点は各自の聖幻晶にて確認のこと。じゃ、ベウルセンで会おう!」
絆獣部隊が出撃してから、これまで20日以上もの長期にわたり広大な海底宮殿を一人彷徨ってきた孤独な少年はやむにやまれぬ衝動に衝き動かされる現在、教界においては神にも等しい存在の姿を一心に追い求めながらなす術もなく、宛てがわれたそれなりに贅沢な客間の寝台に鍛え上げた上半身を晒して横たわり、淡く発光する琥珀色の天井を睨み上げていた。
教率者への謁見を望む理由は唯一つ、ガートスへの搭乗を認許してもらうためである。
自信は十分にあった。
凱鱗領で生活する以上、愛憎半ばする父の発明品に日常を支配されることは避けられず、従って不肖の息子にとってそれらは漠然とした敵意の対象ですらあったのだが、唯一と言ってよいほどに彼の嫌悪を免れていたのが他ならぬラージャーラ屈指の高性能戦闘機であり、その存在を認知した11歳の時からいつしか自らの手であの白銀の機体を御し、大空を縦横無尽に駆け巡ることを夢見ていたのである…無論、その準備にゆめ怠りはなく、勉学の励みの一助になればとロゼムスが特別に自宅に設えた、統衞軍に導入された“本物の模擬戦闘訓練装置”を文字通り目を瞑っても操作可能となり、連戦連勝を重ねてシステムを司る人工頭脳から“撃墜王”の認定を得たのみならず、当時は彼の言いなりであった父にねだって空軍施設に入り浸り、天翔ける本物の雄姿とその整備状況を目に焼き付けていたのであった。
成長に伴うにつれ抑え難くなった父への反発は、遂に彼をして教界の未来を担う有為な青年とは真逆の獣道へと踏み込ませてしまったが、そこで生き残るため必須となった肉体の鍛錬と自己の尊厳を守るための格闘技術の修得と向上に専念しているものの、“天空の猟兵”の存在が1日として彼の脳裏を去ったことはなく、時宜を得たならばいつでもその操縦席を死に場所とする覚悟を抱いていた…尤もそれは民間人である限り、万に一つも起こり得ぬ運命への儚い夢想に過ぎなかったのだが。
いかに教率者に厭われようと現在の教界防衛に空軍力は必須であり、公式戦闘機にも毎年のように改良が加えられていたが、常にその動向を追うユグマは手蔓を使って“操縦マニュアル”を欠かさず入手し、趣味としての小型飛翔機フライトにも益々磨きをかけ、自身が率いる不良グループをいつしかルドストン最強の“組織”に育て上げた暁には、自分専用に究極までカスタムされた“超ガートス”を所有せんとの野心を抱いていたのである…。
だが、バジャドクに直談判するにしても、その手段が全く思いつかない。
何しろ、高さ120レクト(約90m)・直径270レクト(約203m)の金色に輝く大ドームという、絶対者の根城としてもラージャーラ屈指の威容を誇る凱鱗領教率者の海底宮殿は上下7層に分かたれており、現在バジャドクが常駐している中央司令室及び居住エリアは最上部に位置し、そこに出入りするには統衞軍出身のエリート戦士で構成される親衛隊と宮殿全体のセキュリティシステムを司る、ロゼムス監修による高性能人工頭脳による厳格な身分照会にパスしなければならぬ。
ましてや自分が起居しているのは第2層…第3層に上がるのですら何重もの煩瑣な手順を踏む必要があり、時間的にも殆ど半日を費やす必要があるという。
尤も歴史的非常時である現在、最上部直下の階すらも“立入禁止区域”に指定され、フロア全体を100名もの武装した統衞軍兵士によって“占拠”されているというのだから文字通り蟻一匹さえも這い込ませぬという教界側の意志の強固さは推して知るべしである。
「…こうなったら、アイツに訴えるしかないんだが…ご立派なことにバジャドクと寝起きを共にしてるときては、どう考えてもここには…ましてやオレの許へなど来るはずもない…一体、どうしたらいいんだ?オレにはあの女性を守り抜く勇気も腕もあるというのに…!」
“それほどまでに希むのならば、わしが奴に遭わせてやろう…!“
「な…だ、誰だ?」
慌てて上体を起こしたユグマは深緑色
の瞳を四方に巡らすが、かつて耳にしたこともない邪悪な響きを帶びた嗄れ声の主を見出すことは出来ない。
「こそ泥がっ、勝手に人の部屋に入り込みやがって!てめえ、どこにいる⁉さっさと姿を現しやがれっ!!」
“──わしか?わしならお前の頭上におるぞ”
「⁉」
反射的に天井を見上げた反逆少年が目にしたものは、先程まで影も形もなかったこの世に息づいているはずなどない“魔界生物”であった!
大きさは巨漢の両掌ほどであろうか、毒々しいまでの黄色い体色に彩られた、尖端に凶々しい鉤爪を備えた10本の脚を伸び展げて琥珀色の化粧石にピタリと張り付く“人面蜘蛛”が、爛々と光る真っ赤な目玉で彼を見下ろしているではないか!
裂け目のような口の端は三日月のように吊り上げられて狡猾そのものの笑みを形作り、今にも耳障りな哄笑を爆発させそうだ。
「…うげっ…」
突如として猛烈な吐き気に襲われ、思わず口元を押さえたユグマだがあまりの衝撃に立ち上がることも出来ず、華麗な波模様が描かれた分厚い敷布に胃の内容物をぶち撒けてしまう。
留まることなく込み上げる吐き気に耐えきれず、吐瀉物が尽きても両膝を付いて嘔吐き続ける不良少年…。
“ぬふふふ、実に愉快な光景だ。…そうだ、吐いて吐いて吐き尽くすがよい、己の内部に澱のように溜まりきった“人の滓”をな…
そして吐ききった時、お前は晴れて神の使命を賜る身となり、凱鱗領に生を受けた真の意味を悟るであろう…”
どこのどいつとも知れぬ馬の骨が昨夜うなされた悪夢の中から這い出てきたかのような地獄の虫ケラが口にするにはあまりにもそぐわぬ魔王のごとき傲岸な言辞を浴びせられたユグマは、苦悶しつつも生来の反骨魂の赴くままに涙で霞む両眼から殺意の視線を天に放つ。
“魔力が欲しいのであろう、あの女を手に入れるために、な…!”
この言葉は先程とは真逆の、あたかも効験あらたかな呪文のごとき威力を発揮した…その証拠に、返答する少年の声音は恐怖のためばかりとはいえぬ震えを帯びはじめたようである…。
「“あの女性”を手に入れるための魔力、だと…?」
魔虫の眼光と笑みが更に強まったと思われたのは錯覚であろうか?
“そうともさ。…逆に問うが、この海底宮殿内においてすら最も無力といってよいお前がいかにして教率者の寵愛を一身に受ける、あの美しき操獣師を我が物にする術があるというのだ?”
あろうことか、醜悪な皺に埋もれた奇怪な老人の貌を胴体とする物の怪に自身の懊悩のど真ん中を射抜かれたユグマは、かつて味わったことのない恥辱と嫌悪に身を捩りつつ必死に抵抗の叫びを挙げた。
「オレは…オレは決してそんな目でリサラを見てるんじゃない!ただ、あの人を神牙教軍から守りたいだけだ、そしていつまでもルドストンに留まっていて欲しいだけなんだ!だがいつか…いつか凱鱗領で闘い抜いて“力”を掴んたその時には…正々堂々と告白してみせる…!!」
“たわけっ!”
多分に嘲笑を含んだ悪魔の一喝が少年の鼓膜を震わせ、慄いたユグマは両耳を抑えて突っ伏してしまうが、その背に更なる挑発が襲いかかる。
“気位だけは一人前だが父の衣鉢を継ぐことも出来なかった無能なお前ごときを、常にラージャーラの選良どもの“欲望の焦点”たるあの女が振り向く時が来ると本気で思っておるのか!?この、正に千載一遇の好機を活かさずして、未来永劫お前がリサラの香り高い柔肌に一指をも触れ得ぬことは“最極呪念士”ワーズフがここで断言するわ!!”
「…最極…呪念士?…ワー…ズフだと…?」
無様な体勢のまま呟くように魔虫の言を反芻する少年の脳内に、先程までの野卑な口調とは一変した、賢者を気取った一種荘重な声音が語りかける。
“さよう…無知なお前は知りもせぬであろうが、当地の教率者バジャドクは呪念士として我が同門の徒であったが、単なる僥倖によって得た権力の座に魂を売り渡し、身命を賭して完遂すべき神聖なる修行を道半ばにして放棄し果てて幾星霜、もはやその魂魄の腐敗は教界支配どころか生存すらをも赦されぬ段階に達してしまっておる…それに反していかなる試練にも屈することなくたゆまぬ研鑽を積み重ねたこの私は遂に道を極め、呪念士として希み得る究極の〈仙冥躰〉へと、肉体そのものを進化させたという訳じゃ…!”
「究極…だと?進化だと?笑わせんじゃねえ…そんな気色悪い虫ケラに成っちまって一体何が嬉しいんだ…!」
“無礼者!!”
怒れる神が天から投げ下ろす雷のごとく耳膜を震わせる轟々たる怒声を再び浴び、恐怖と苦痛が渾然となった悲鳴を挙げたユグマは頭を抱えて胎児のように一段と激しく身を縮める。
その背に何かがガサリと覆い被さった…と彼は自覚し得たかどうか?
天井から不幸な少年の背中に舞い降りたそいつは、瞬時に後頭部に移動すると同時に跳ね上がるように直立
し、尻から飛び出した幼児の小指ほどの漆黒の針を深々と延髄に突き立てたのだ!
文字通りの“魔性の一撃”に、屈強な不良少年の肉体が示した反応はただ一度の瘧のような痙攣であった…そしてそのまま、彼は寝台に俯せたまま深い昏睡に陥ったのである…。
己が魔毒の注入を確認した、教率者の知己を名乗るかつて呪念士?であった怪虫は、聴く人あれば必ずや嘔吐を催させたであろう哄笑と共に悪魔の凱歌を挙げた。
“きっけけけけけっ、あの3人と併せ、これで“駒”は揃った…だが、鏡の教聖よ、いつまでもこの私があなたの意のままに動くとはゆめ過信なさらざるよう、ここで進言させておいて頂きますぞ…!”
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