凶幻獣戦域ラージャーラ

幾橋テツミ

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第1章 異空の超戦者たち

操獣少女の生活環境③

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「──先輩、そろそろ総指揮者に連絡を入れたほうがいいんじゃないでしょうか?」

 待望のりさらとの再会後、彼女を促して監査室へ向かおうとした弓葉だが、ゼド=メギンは何故か物柔らかにそれを遮り、操獣師たちに夕食を準備するようにとドリィに命じた。
 
 今や職務を超えて弓葉たちと“異界の親友”となった彼女が一礼して席を辞した後、愛華領の未来の指導者は右手を軽く差し出して着座を促す。

「まあ、いいではありませんか?内外共にただならぬ緊迫した状況下に置かれた現在、もうしばらく穏やかな時間を過ごすのも悪くはないでしょう…」

 これまで空席であった、三人が腰掛けていた長椅子の向かい側の一脚に仲睦まじく天才薬創士と並んで腰を下ろした美しき操獣師も微笑みながら頷く。

「そうだわ、前のミッション終了後にスペンサー…CBKが得た情報で神牙教軍てきが次に侵攻しようとしているのがティリールカであることかハッキリしている以上、ジタバタしても仕方がないわよ…ここは肚をくくって、薬創士ドクターのお言葉に甘えましょう…それにね、いい機会だからあなたたちにぜひ話しておきたいこともあるの…」

 あくまで穏やかながらも、底に揺るがぬ芯の勁さを感じさせるりさら特有の眼差しを受け、心酔する先輩の言葉に耳を傾けるため弓葉と真悠花は粛然と席に着いた。
 
 それに合わせるかのように、開扉した別室から微かな機械音を伴って薄紫色の医門機が両掌に透明な矩形の盆を捧げて出現し、ゼドとりさらの前になみなみと注がれたミピーハのグラスを置くと、空となった真悠花と半ばほど減った弓葉の容器もゼドたちと同じ物に取り替える。
 
 最初の果乳液ミピーハは桃色であったが、新たなそれは地上の春空を連想させる優しい水色であった。

「私にとって、ミピーハといえばこの“オルテラ”以外考えられないものでしてね…でも少し辛口ですから女性陣あなたがたの御口に合うものかどうか不安ですが…まあ、話のタネとしてお召し上がり下さい…お気に召さぬようでしたら他の種類に取り替えましょう…」

「あたし、ミピーハ大好きです!何種類もあるなんてすごい、楽しい!全制覇したいな、いっただきまあす!」

 一気に半分ほども飲み干し、「美味っしーッ!さっきのも良かったけど、あたし、こっちの方が好きです!」

 妹分の無邪気な絶賛につられて空色の液体を一口含んだ弓葉も、「爽やかで、とても美味しい…」と頷く。

「良かった…特にオルテラは消化器官を活性化させますから、準備しているラージャーラの食物をより健やかに摂って頂けるものと思います…」

 まるで母のような慈愛の眼差しで二人の愛弟子を見つめていたりさらが、意を決したように口を開く。

「よし…じゃ、“本題”から話そうか…実は、他でもない総指揮者のことなんだけれど…」

 いきなり話に登場した人物が他ならぬ竹澤夏月であることに弓葉たちは驚きを隠せない。それこそ総指揮者なら監査室に居るはずではないか?だから、そこへ向かおうと言ったのに…。

 口火を切った美しき操獣師は、真剣になった証である強い光を湛えた瞳を二人に向けて続ける。

「その疑問はもっともね…でも私が言いたいのは、現在いまの彼女ではないの。この“史上最大のミッション”を乗り越えたあとの“伝説の殺戮姫”のことなのよ…」

「え…未来の総指揮者、ですか…?」

 唖然とする後輩たちに頷いた後、りさらは、弓葉を見据えた。

「真悠花は分からないだろうけど、那崎は総指揮者の“引退の地”を知っているはずね?」

 意外極まる質問を受けた弓葉は必死に記憶をまさぐり、辛うじて解答を導き出した。

「たしか…ルドストン凱鱗領だったと思います」

 頷いたりさらは、一度グラスを傾けて唇を湿した後、師と共にした最後の戦いを伝え始めた…。

「…〘ミッション173〙、つまりルドストン凱鱗領を巡る戦いは、総指揮者にとってだけでなく、実は私にとっても忘れられない戦いだったの…まあ、これは悪い意味でだけれど」

「…ルドストンは神牙教軍が最も執着し、大規模な戦術を施した教界として有名ですね。鏡の教聖が送り込んだ刃獣も、それこそタケザワ様が御自身の絆獣を犠牲にせざるを得ないほどの死闘によってようやく撃退に成功したほどの強敵であったとか…」

 ティリールカの貴公子の言にりさらは深く頷くが、その表情は未だ根強い嫌悪と恐怖を示し、後輩たちを不安にさせる。

「その通りです…ドクター、あの【魔王蛸】のグロテスクな巨体をご覧になったことがありまして?」

 微かに震える声音を包み込むような微笑で受け止めつつ、ゼドは肯う。

「ええ、当教界が密かに投入していた超小型記録翔球によって、レシャ大港攻防戦を始めとする聖団と教軍の主要交戦はつぶさに見させて頂きました…そう、確かにあの怪生物は、暗黒どころか悪夢の中にしか存在し得ない魔物としか言い表せませんね…」

「私は実際、今でも夢に見ます」

 苦笑いするりさらだがその美貌は忽ち紅に染まり、煌めく黒瞳は天才薬創士に当惑の視線を投げ掛ける。

「すると、ドクターはあれ●●もご覧になったのですか…?」

 敬愛する先輩の美しい声に先程とは違う意味での震えを感じ取った弓葉らだがゼド=メギンは凛々しき美貌を傾げ、医道の使徒として“異界の恋人”の不安を消し去ろうと努めているかのようである…。

「ふうむ…一体それは、何のことでしょうか…?私が何よりも目を奪われたのはタケザワ総指揮者の鬼気迫る戦いぶりと、あの方の絆獣…たしか名称はギャロードでしたか、“彼女”の壮絶な最期であったのですが…」

『この人はあの戦いの全てを見知っているのだ…』

 …そう確信したりさらであったが、ゼドの視線と声音に深いいたわりを感じ取り、この戦史を語る本来の目的に立ち返るのであった。

「そう、まさしくそのギャロードがねむるルドストンの海…それこそが竹澤総指揮者の“未来の鍵”なのです…」

 哀感を込めたりさらの言葉に、弓葉はメレゼス、真悠花はヴェセアムと自身と奇縁で結ばれた絆獣の姿を思い描き、彼女たちとの別離がどれほどの痛みをもたらすか想像を巡らせてみるものの、心がそれを拒否しているためか何時かありうる事態としてシミュレーションすることがどうしても出来ない。

「二人とも混乱しているみたいね…それなら結論から言いましょう、実は、暁のドゥルガー“スーパーバイザー”にして〘ミッション181〙=ティリールカ愛華領防衛ミッション“総指揮者”竹澤夏月女史は、同任務終了後、指導部を退き、ルドストン凱鱗領専任の操獣師として復帰することが決まっているのよ…」

「え?…総指揮者が操獣師げんえき復帰⁉」

「それも、一回引退した場所ルドストンだけで…?」

 指導部が公式に発表した数字ではないものの、平均年齢24歳とされる操獣師の世界にあって、40代後半と噂される総指揮者の復帰はいかに伝説的存在とはいえあまりにもリスキーであり、非現実的なプランであると思われた。だが、行く処可ならざるはなき“殺戮姫”であれば通弊はあっさりと破られるのかも知れぬ…。
 しかし、夏月が去るのであれば、操獣師は…ドゥルガーは誰が束ねるというのか?
 
 ──その時、弓葉の脳裏をある名が電光のごとくはしった。

「まさか、それは…⁉」

 深く頷き、それを肯ったのはゼド=メギンであった。

「貴女に閃いた“名前”は正しい…まさしく、リサラ=ハギムラ様こそ、タケザワ様が後継者に選んだ唯一人の操獣師であったのです…!」

 厳粛な沈黙が室内を支配し、弓葉と真悠花の前に存在するりさらは従来纏っていた並ぶ者無き高貴な美の霊光オーラに遂に神々しさすら加えたようである…。

「驚いたでしょう?無理もないわ…でも一番びっくりしたのは他ならぬこの私よ…それは察してくれるわね?」
 
 自身の運命を一変させるであろう新たな使命を託されたのは、医療室にて覚醒し愛華領次期教率者と二人だけで過ごした時間においてであろうが、何故にこれほどの重大情報がそのような迂遠な…聖団関係者ですらない異界人の口を借りるという間接的手段を取って当人に告知されたのであろうか…?

「…実はね、ドクター・ゼドは…いいえ、ティリールカ愛華領はもはや絆獣聖団が守護すべき単なるラージャーラの一教界ではないの。愛華領こここそが世界ラージャーラにおける聖団の新たな拠点そのものなのよ…!」

 真の仰天情報がもたらす衝撃に打たれた二人の新米操獣師は、ぽかんと口を開いて素朴な感想を述べる。

「それじゃ、今日から愛華領ここがあたしたちの“ラージャーラのお家”になるんですか…?」

 これは真悠花。

「それは、六天巫蝶からの正式な決定事項なんですね…?」

 と弓葉。

「もちろん、そういうことよ。いずれ…決して遠くない未来に指導部から正式に“誣告”が呈示されるはずよ…!」

 後輩たちの目をしっかりと見据え、頷くりさら。

「今日という日はすぐには顧みられなくとも、後世からは歴史的な瞬間と評価されるのではないでしょうか?僭越ながら当教界の未来の舵取りを任される私と、異界からの優れた友である絆獣聖団の未来を担う若者が手を取り合って新たな運命を切り拓いてゆくことを確認した輝ける一日なのですから…」

 ゼド=メギンの三人の女性への眼差しは、愛すべき教民たちに向けるものと同じく慈愛と敬意に満ち、彼女たちの心を誇張無しに戦慄わななくような歓喜で満たすのであった…。

 …だが、いつまでもそれに浸ってはいられない。両者の同盟に天才薬創士が思い描いた通りの栄光をもたらすには、一体どれほどの試練の時を乗り越えてゆかねばならぬのか…それを成し遂げる力を得るためにも、夏月やりさらが経験したルドストンでの激闘史に耳を傾けることは決して無駄ではない…そう確信した弓葉は新たな操獣師のリーダーに〘ミッション173〙がもたらした教訓の伝授を熱く乞うた。

「──まず、何よりも最初に認識しておかなければならないのは、ルドストンがあらゆる意味で神牙教軍にとって最も都合がいい“実験場”であったということなの…」

 萩邑りさらの十八番おはこともいえる“華やいだ講義口調”が皆の耳に心地良く流れ込み始めた…。

 
 

 
 


 

 
 
 

 
 
 

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