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第二章 常磐
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しおりを挟む久しぶりに訪れたわたつみ楼は静かだった。
海辺にただ、黙って佇んでいる盲のようだった。
「遼…」
「うん…行こう…」
そっと、正面にある大玄関の戸を引き開けると中に入った。
線香の香りが濃く漂ってくる。
「誰?」
帳場の奥から声が聞こえてきた。
その声は、湊のものではなかった。
「あの…俺…」
正広さんが、帳場から顔を出した。
あの頃のように、着流し姿で…懐かしい。
「蒼乱…」
目をいっぱいに見開くと、あっという間に潤んだのがわかった。
「正広さん…お久しぶりです」
「懐かしいな…」
少し涙目になったのをごまかすように笑うと、後ろにいる圭一郎に頭を下げた。
「成田様まで…あの節は大変お世話になりました」
「いえ…そんな…」
すぐに奥の座敷に案内してくれた。
「もうね。畳むらしいよ…ここ…」
「そう…」
「あれから一回も店を開けることもできなくてね…」
「そうだろうね…」
ぐすっと少し鼻を啜る。
「火が、消えたようになるって…こういうこと言うんだな…」
「正広さん…」
「寂しいもんだよ…」
「うん…」
畳敷きの廊下を歩く足音が、驚くほど響く。
わたつみ楼の中は、静かだった。
「俺は、祐也が別んとこで職見つけてくれたけど、あとの子たちはね…」
その後は、黙り込んでしまった。
茶屋代わりに使っていた一階の座敷には、祭壇が設えてあった。
そこには二つの位牌が並んでいる。
そして白の錦に包まれた骨箱が一つ。
「紫蘭ちゃん…」
思わずその箱を覆う白い布に触れた。
「どうして…どうしてこんなこと…」
紫蘭ちゃんは弱い子だった。
それがこれまでこの世界で生きていられたのは、あの子の細いプライドだったのか…
客に乱暴された紫蘭ちゃんは壊れてしまった
いや…
それだけだったんだろうか
そんなことで、紫蘭ちゃんは
「正広さん…湊のお骨は…?」
「……ご家族がね、すぐに来てご遺体を引き取っていったんだ…だから、ここにはないんだ…」
だからせめてと位牌だけは祐也さんが作ったそうだ。
「紫蘭ちゃんの家族は?」
「誰も…引き取りに来なかった…」
「…そう…」
圭一郎が俺の肩に手を置いた。
「手を合わせよう…?遼…」
スーツの懐から数珠を出して手渡してくれた。
「ありがとう…圭…」
どうしても落ちなかった油絵の具の付いたままの手を合わせた。
考えても考えても…俺にはこの現実が現実に思えなくて。
二階に上がったら、あの頃のように紫蘭ちゃんが居て…あの華やかな笑顔を浮かべてくれるような気がして…
湊が陰のある笑顔を浮かべながら、蒼の間の戸を開けて"お疲れ様"ってあったかい声で言ってくれるような気がして…
手を合わせる後ろで、正広さんのくぐもった泣き声が聞こえた。
目を開けて顔を上げても、それが現実とは思えなかった。
正広さんに案内されて二階に上がった。
「俺も行っていいの…?」
「うん…圭も一緒に…お願い」
「わかった…」
俺の肩に腕を回してぎゅっと抱いてくれた。
「一緒に行こう」
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