23 / 55
第二章 常磐
4
しおりを挟む「…また朽葉と寝たの…?」
夕方、紫蘭の髪を作っていると鏡越しに批難するような目で見られた。
華やかな雰囲気を持つ紫蘭は、この楼のもう一人のおいらんだ。
長いこと座敷持ちだったが、蒼乱が抜けて昇格した。
入ってきたのは紫蘭のほうが随分後なんだが、朽葉とは同年だから仲がいい。
蒼乱の"蒼の間"は今、紫蘭に合わせて改装して"紫の間"に変わっている。
「朽葉が言ったの?」
「まだ寝てる」
「あ…」
はぁっとため息を付いて、紫蘭は呆れたようだ。
時々、外人に間違われるほどエキゾチックな顔立ちをした紫蘭に睨まれるとちょっと怖い。
その眼光は鋭い。
怒っていないのに怒っているのかと思うほどだ。
でも目はくっきりとした二重に、まつげが長い。
まるで女性がメイクを施したような目だ。
笑っていると非常に可愛いと思う。
でも意思の強そうな太めの眉はきりりと上を向いて男性的で。
くっきりとした目に不思議とそれが似合う。
おいらんのメイクをして、ギリギリ女性っぽく見える危ういバランスを保っているんだ。
だから、客の評価は二分すると言うか…
好みがはっきりと分かれるタイプではあった。
その華やかな顔の、厚めの唇は尖っている。
子供かよ…
かわいいんだけどさ。
「あれじゃ、今晩役に立たないんじゃないの?」
「…わかってるよ…」
きゅっと元結を歯で締める。
口を紐から離してハサミで切ると、紫蘭は俺を振り返った。
「…たまには商売抜きで寝たいって気持ちはわかるけど…どうしてあんなになるまで抱くの?」
正直…今朝はちょっとやり過ぎた。
朽葉が泣き出してしまって、どうにも止まらなかったから。
昨日の客になにか言われたのか…
それとも過去の辛かったことを思い出してしまったのか。
いつまでも止まらない涙を拭うため、ずっと朽葉を愛撫し続けた。
朝っぱらから昼近くまで。
俺も腰が痛い。
年なのにな……
「うん…わかってんだけどね…」
振り返った紫蘭をまた鏡に向かわせた。
「朽葉の気持ちもわかるんだよ…」
「湊…」
また鏡越しに強い瞳で見つめてくる。
「……朽葉は湊に惚れてるんだよ?」
「違うよ。紫蘭」
長くて靭やかな髪に櫛を通しながら、次の言葉をちょっと考えた。
「…惚れてるってのとはまた違うんだ…」
怪訝な顔をして紫蘭は俺を見た。
「…あいつにとって俺は…蜘蛛の糸なんだ…」
地獄に伸びてきた、たったひとつの救い…
「蜘蛛の糸…?って芥川の?」
「ああ…」
「掴んだら、切れて落ちちゃうじゃん」
「…だから、掴ませねえんだろ?」
襦袢の上に掛けたケープに皺が寄っていたから、さっと肩を撫でて直した。
「…湊って酷いんだね」
「なんでだよ」
「朽葉は本当に湊に惚れてるよ」
「…んなわけねえだろ。あいつはストレートだぞ?」
そうだよ…
ここに来る子たちの殆どは、のっぴきならない事情で身体を売ることになった普通の男だ。
元々のゲイは滅多にいない。
借金がでかすぎて、どうにもならなくなった男がここには流れ着くんだ。
「もしそんなこと思ってたとしても…一時の気の迷いだよ」
じっと探るように紫蘭は俺を観る。
鏡越しの視線に、思わず目を逸した。
「湊は…自分のことわかってなさすぎだよ…」
「え?どういうことだよ?」
「もうっ…いいっ」
ついに紫蘭は怒ってしまったようだ。
いや、元々怒ってんのか。
どうも俺は、他人の怒りという感情にどう対処していいかわからない。
何をそんなにエネルギーを消費して怒っていられるのか、俺には理解できないんだ。
そんなに怒ったって、何も解決しないのに
「紫蘭…?」
返事は返ってこない。
放っておくしかないか…
そのまま無言で紫蘭の髪を結い上げた。
「…さ、頭できたぞ。朽葉、そろそろ起こさなきゃな…」
紫蘭の部屋子に朽葉を呼んでくるよう声を掛けようとしたら遮られた。
「もういい、後は自分でやる」
「え?紫蘭?」
ツンと横を向くと、猛然と立ち上がって紫蘭は部屋を出ていった。
「おい!まだメイク…」
「自分でする!」
部屋子たちが慌てて紫蘭の後を追うのを呆然と見送った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
29
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる