傾城屋わたつみ楼

野瀬 さと

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第一章 蒼乱

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しばらく目を閉じたまま、またいろんな人を思い出す。


でも一番最後に出てくるのは、あの方の顔──



「さ…これでいい…?」

手鏡を差し出してくれた。
そこに映ってるのは、俺だった。

「ありがとう…湊…」
「…ここに来た頃の蒼乱みたいだ…」
「ふふ…」
「ごめん。もう蒼乱じゃないのにね」

ぽんと肩に手を置いてくれた。

「さあ、もう行きな?遼」


他のお部屋に来ていた昨夜のお客様は、もう帰っている。
湊の好意で、俺は正面玄関から外に出た。

持っているのは小さなボストンバッグひとつ。
ここに来たときに着ていたデニムのジャケットと、チノパン。
そして草臥れたスニーカー。

幾年かぶりの短い髪は襟足に海風が当たって、少し寒い気がした。

久しぶりの男の格好に、少し戸惑いを覚える。

「ちゃんと男じゃねえか。遼」

湊の誂う声に、思わず苦笑が漏れる。

「うん…ずっと、男だよ?俺は」
「……そう、だな」

見上げると、朝日にくっきりとわたつみ楼が映えていた。




さようなら、みんな



さようなら、あなた




「あのさ…」

玄関から湊が遠慮がちに声をかけてきた。

「ん…?」
「余計なお世話だと思ったんだけどさ…」
「え?」

湊が微笑んで、俺の後ろを指差した。
目を向けるとそこには…

「遼…」
「圭一郎さん…」

かっちりとスーツを着こなした圭一郎さんが立っていた。

なんとも言えない顔で、俺のこと見てる。

「なんで…?」
「…髪、切ったんだ…」

近寄ると、俺の手からボストンバッグを奪い取った。

「…なんで居るの…?」
「似合うよ、短いのも…」

湊を振り返ると、バツの悪そうな顔をしていた。

「どうしてもってお願いされてたんだ。遼の年季が明けるとき、黙って行くだろうから教えてくれって…」
「なんでそんな勝手なことするんだよ!」
「遼」

腕を掴まれた。

「俺と、一緒に暮らそう?」

見上げた圭一郎さんは、とても真剣な顔をしていた。

「…だめだよ…俺なんか、傍に居ちゃ…」

親の借金の肩代わりにこんなところで働いていた俺なんか、傍に居ちゃだめだ。
俺を売ることなんか、なんとも思ってないあいつらが一生ついてまわる俺なんか……



だから…誰にも何も言わないで遠くに逃げようと思ってたのに



初会しょかいから、ずっと俺のそばに居てくれた圭さま…

遠い世界の人だとわかっていても、好きにならずに居られなかった。

まさか男の人を好きになるなんて…思わなかった…



あんな…あんな大事にしてくれた人…初めてだった
俺のことちゃんと、人として…向き合ってくれたのは

圭さまが初めてだった



初めて自分から抱いて欲しいって思った



でも…俺と圭さまは、住む世界が違うんだ。

……今、このとき、この一会だけと思っていた。

圭さまが来てくれる度に、切なくて胸が潰れてしまいそうになりながら身体を開いた。

初めて会った時から、好きで…好きで…好きで…


──この想いはこの龍宮城から出してはいけなかった


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