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企画SS

バレンタイン企画<紅原>

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バレンタイン企画。
※全てif話。物語の進行上にはまったく関係ございません。
※書きたかったからかいた、それだけです。苦情は受け付けません。

・主人公より。チョコレートをもらったシチュエーションで各攻略キャラ。
・まずは紅原から。

・設定はゲーム世界を無事乗り切った翌々年、主人公大学一年生。
・それぞれとは恋人同士設定。
・時系列的にこれが最初のSSなので、途中とある人にぼかし入っていますが、分かる人にはわかります。わからなくても問題はないです。
・キャラ崩壊しているかも?気をつけてご生還ください。
・本編のネタバレ要素はありませんが、本編読後がもちろん推奨

OKの場合以下、GO!
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 紅原がその光景を見たのは本当に偶然だった。
 色々あった高校を卒業し、裏戸学園の付属大学に進学して一年近く過ぎたある日、履修科目が突然休みになり、時間が空いてしまった。
 手持ち無沙汰に校内を無目的に歩いていた時、彼女を見かけた。
 多岐環。高校時代の紆余曲折を経て、紅原の彼女だった。

 久しぶりに見るその姿に、紅原は嬉しくなって声をかけようとした。
 しかし、彼女が一人でないことに気づき、かけようとしていた言葉を飲み込んだ。

 共にいたのは紅原の知らない男の後ろ姿だった。

 同じ学科の友人かとも思ったが、彼女たちがいる場所がその考えを否定させた。
 環たちがいる場所は学内でも有名な告白スポットだった。
 建物と建物の間にあり、そこを抜けても行き止まりなため、わざわざ通りかかる人間はいないためらしい。
 何の話をしていたのか、紅原が見つめる前で、衝撃的な光景が展開された。
 環の顔が男のそれにそっと近づき、男の手が彼女の顔を捉え、二人の影が重なった。
 
 キスしている?

 あまりの光景に紅原は目をそらすこともできず、呆然と見つめることしかできなかった。
 二人はそれからしばらくそのまま微動だにしなかったが、やがて離れたかと思うと、慰めるように男の手が動き、環が嫌がる素振りもなく笑って、受け入れているのを目にした瞬間、紅原は逃げるようにその場をあとにした。

 

 紅原と彼女が出会ったのは高校二年生の春のこと。
 彼女が発したつぶやきを紅原が聞きとがめて、声を掛けたのが始まりという少し変わった出会い方をした。
 その後も変わった関わり方をした結果、彼女の魅力に紅原がいつの間にかどっぷり浸かっていた。人には言えないほどの紆余曲折を経て、彼女に気持ちを伝えて、それに了承をもらったのは一年ほど前の早春のことだ。

 現在の日付だけを見れば、付き合いだしてそろそろ一年というところだが、彼女と紅原はマトモにクリスマスや誕生日デートなど甘い恋人らしいことをした記憶がなかった。
 これには実は紅原に非がある。
 大学生になり突然学生ベンチャーで起業したから手伝えという、従兄弟の話で急に忙しくなり、環と過ごすつもりの時間を大幅に削られたのだ。
 一年ほど前に起業したという会社は企画こそ斬新で画期的だったが、経営はといえば素人集団に毛をはやした程度のお粗末なもので、これまで何かと家業の手伝いで経営というものを見てきた紅原に取って我慢のならぬレベルだった。
 気づけば、猛然と経営戦略を練り直し、情報収集や各役員の割り振りなどしていた。
 会社を形作る決定には決して口を出さないが、経営目標など達成方法には口を出し、主に裏方作業を徹底的にやり直した結果、ここ半年ほどで、驚くべき成長を遂げていた。
 社長として担ぎ出した従兄弟のルックスを引き合いに出し、マスコミにも顔を売っていくと、様々な企業から資本出資の話もちらほら舞い込んでいた。
 はっきりと数字の出る分野だけにやりがいもあったし、なにより学生ベンチャーのため、家のことを全く気にせず自由に動けることが紅原には楽しかった。
 そんなことをしていたら、いつの間にか彼女との時間は減っていた。
 オフィス兼用の教室に寝泊りすることもざらにあったくらい多忙な、彼に彼女から連絡を取ることもほとんどなく、恋人になって一年ほど過ぎようとしているというのに、二人の関係に全く進展はなかった。

 とはいえ、紅原に環を気にかけない日はなかった。
 学部が違うため、めったに合うことはなかったが、忙しい合間に少しの時間を作っては会いに行っていた。
 その度に環が少し迷惑そうに眉をひそめるものの、人気のないところでなら触れることを許してくれるので、たまに軽く触れるだけのキスもしていた。

 しかし、彼女から紅原に「会いたい」と連絡をくれることはほぼなかった。
 紅原専用に持たせた携帯電話から、毎日送られる挨拶だけのメールが彼女からのメッセージの全てだ。
 恥ずかしがりで甘えベタな彼女だけにそれ以上は望んでも仕方がないとは思っていた。
 とはいえ、少ない休み時間を使って会いにいく自分に彼女はどう思っているのか。
 自分ばかりが会いたいと思っているだけではないかと、いう思いは日に日に強くなっていった。
 そんな時に見かけた光景は、紅原の心を大きく揺さぶった。
 そう言えばここのところ紅原が行っても環はどこか憂鬱そうで、返事もどこかおざなりだった。

 ゼミの課題提出に追われていて疲れているという環の言を鵜呑みにしていたが、それが違ったら?
 紅原という恋人が居る状況で、環が他の男と付き合うなどと思ったこともなかった。
 環は奥手で臆病で人付き合いの苦手な娘だ。他人といるより一人を好む彼女がよもやそんなことができるとは思っていなかったが、その思いを先日の光景が否定する。
 人は変わるものだ。
 どんなに高潔な人物だって、変わる。
 それでも紅原は環を信じたかった。

 だから、次の日、仕事を放り出して、ゼミ終わりの彼女を待ち伏せした。
 再び逢引の約束でもあるのか、再びあの密会場所にいそいそと近づく彼女に暗い感情がもたげる。
 先日彼女が男と一緒にいた場所に近づいたのを見計らい、背後から環の体を押し込んで、壁と自身の腕で環が逃げられないように囲い込んだ。

「っ!ま……、紅原様!?」

 普段二人きりの時は名前を呼んでくれる環だが、ひと目のある時には以前と同じような呼び方をしてくる。
 この状況で人目を気にする余裕があることに、紅原はほの暗い笑が浮かぶのをやめられなかった。
 紅原の顔を確認して驚く彼女だが、その顔に二人の男を手玉に取るようなそんな影は見られない。
 しかも男と同じ場所に引っ張り込んだというのに罪悪感もないのか、紅原の顔をまっすぐに見てくる。
 いつもの通りの高潔で、そっけない顔に紅原はイラついて、思わず彼女を押して、壁にさらに押し付けた。

 紅原の何時にない様子に彼女も一瞬ひるむものの、昔のように恐怖に歪むことはなかった。
 そんな変化もなんだか寂しくて、紅原は気持ちが沈んでいくのを感じた。
 だが、何も問い詰めることなく終われない。
 意を決して口を開いた。

「なあ、環ちゃん。俺ら付き合ってんよね?」
「何を突然?」

 呆気にとられた表情の彼女だが、紅原の表情は笑っているが、目が笑っていないことに気づいたのか、一瞬ビクリとした。

「なあ、聞いてんねんけど?」

 催促すると瞬間眉根を寄せ、どこか怒ったように睨まれた。

「…さあ?」
「さあ、ってなに?」

 あまりの環の反応にイラついて答えを促すと、さらに半眼で睨まれた。

「…じゃあ、聞きますけど。…ひと月近くなんの音沙汰もなかった相手に対して付き合っている、て言えるんですか?」

 確かに、ここひと月は特に仕事が忙しくて満足に環に連絡を入れることさえできなかった。
 だがだからといってそのあいだに浮気したことに関して自分に非はないとでも言うのだろうか?
 紅原の中に黒い何かが溜まっていく。

「それでも、付き合っている以上他の男と一緒にいてもいいわけやないやろ?」

 思わずそう呟くと、環が目を見開いた。

「は?なんです、それ。あたしがいつ他の男と…」

 覚えがないとばかりに怪訝そうな顔の環に紅原は悲しくなった。
 こんな風に嘘を平然と付ける彼女ではなかったのに。
 一体何が彼女を変えてしまったのか。
 その変化が悲しくて、その変化が憎らしくて、紅原は笑った。

「この間見たんや、教務課棟の裏で男と二人きりでキスしているところ…」
「え?キスって。そんなことあるはず…え?」

 思い当たることすらないというように考え込んだあと、なにか思い当たったらしく目を大きく見開いた。
 その表情が思いがけず、紅原の想像を肯定しているように見えて、胸が張り裂けそうだった。

「ええ?あ、あれは!キスとかそんなんじゃ…て、まさか見てたんですか?!」

 顔を赤くする彼女の様子に絶望に突き落とされる。
 だが、紅原の表情は変わらず笑顔のままだった。
 まるで感情を映し出さず、固まってしまった表情に彼女の目が不安そうに揺れたのが見えた。

「あ、あの。どのへんから知って…」

 不安そうに目を伏せる彼女に笑いたくなった。
 飛んだ茶番だ。
 環の様子から、男といたことに対する罪悪感はまるで感じなかった。
 おそらく、環の心は既に紅原にないのだろう。

(それはそうか。…こんな何日も何ヶ月も放っておく男より甘やかせてくれる男の方が言いに決まっとる)

 自嘲に唇が歪んだ。
 環が好きな気持ちはずっと変わっていない。
 だが、彼女の方の気持ちはそうでなかった。そうさせたのは自分だ。
 泣きたいような笑いたいような複雑な思いがくるぐると胸の中に渦巻く。
 それを押さえつけるように、紅原は深くため息をついた。

「いつからや?」
「え?…えっと、相談は一月ほど前から…?」

 一月と言えば、ちょうど紅原が環のメールに反応をあまり返さなくなった頃か。
 そう思えば、環の心変わりは明らかに紅原の方に原因がある。
 だからといって、許せるわけもない。

 努めて平静な声を保ち、環を見つめた。

「認めるんやな?男と一緒にいたこと」
「ええ?ど、どうしてそんなことに…?」
「ひと月前からなんやろ?その男と会いだしたのは」
「だ、だからはあの人は…、まさか疑ってるんですか?あたしのこと?」

 すっと、彼女の顔から血の気が引いた。
 紅原の疑惑に今更、気づいたようで彼女の鈍さにほの暗い笑みが浮かぶ。
 だが、紅原の気持ちなど少しも汲んでくれない無慈悲な彼女は悲しそうな表情を浮かべた。

「…そんなにあたしが信じられませんか?」

 信じたい。本音ではそうだ。
 だが先日見た光景がそれを否定した。
 ほかの男に触れられて嬉しそうな彼女の姿にどす黒い嫉妬心が胸に渦巻く。
 知りたくなかった、知らずにいたかった。
 環の心変わりを詰りたかった。だが、紅原が原因のような状況に環ばかりを責められなかった。
 口を一度でも開けば、醜く彼女を詰ってしまいそうで、紅原は無言を通した。環はその様子に一層悲しげに目を閉じ、そして開いた。
 その目を見たとき紅原は目を見開いた。

「じゃあ別れますか?」

 冷たい感情を失くした彼女の視線と言葉に、紅原は冷水を浴びせられた気がした。
 そうじゃない。そう言う言葉が聞きたかったわけじゃない。
 紅原は裏切られたと思っていても、別れたいとは思っていない。
 手放したくなんてなかった。
 今でも好きな気持ちは全く変わっていない。触れたいし、抱きしめたい気持ちも変わらないのになぜ、こんな話になる。

「っ、そうやない!」
「でも、あたしを信じられないのでしょう?」

 彼女をどうしたいのか、紅原にはわからなかった。

 ただ、どうしようもなく悲しかったし寂しかった。
 彼女の言葉に、何も答えられない。彼女の顔が見れなくて手をついたまま、彼女の肩口に顔を埋める。変わらない彼女の体温と匂いが悲しかった。
 いっそ、心変わりできたらどれだけ楽か。

「そうやない。別れたいとかそんなんやないんや…」
「……じゃあ、どうしろって言うんですか!?」

 不意に震える彼女の声に紅原は驚いた。
 泣いてる?いつも泣きそうになりながらも決して泣かなかった彼女が。
 そう思った次の瞬間、驚くべきとことが起こった。
 腕と壁のあいだにいた環が動いたかと思うと、その手が紅原の背中に回ってギュッと身を寄せてきた。
 初めての環からの抱擁に紅原は思いがけず、固まる。
 驚いて動けない紅原にさらに環は肩口に顔をうずめてくる。

「あたしにどうしろって言うんですか。
 信じられないと言われてどうしたら、もう一度信じてもらえるんですか?
 逢いたくても寂しくても連絡したら嫌われるかとか思って、できなくてなにも聞けなかったのに…突然そんなこと言われて…」

 弱々しく呟かれる彼女の告白に呆然とする。
 ああ、そうだ。彼女はこういう人間だった。
 強い彼女の姿ばかり知っているから、忘れていた。
 人一倍寂しがりなくせに誰にも甘えられない。
 ずっと思いを身のうちに溜めて我慢してしまう彼女の性分を知っていたのに、それを忘れて自分の感情ばかりで、押し付けてしまった。

「あたしはどうしたらいいんですか?」

 ぎゅっと抱きつく彼女の体は震えていた。
 弱々しい力に彼女が小さな女の子に見えた。
 呆然としていると、小さな砂をする音が紅原の耳に聞こえた。
 驚いて音の方を見ると、先日環と一緒にいた男がいた。
 だが、驚愕に彩られたその顔を確認した瞬間、紅原は自身の勘違いに気がついた。

「ご、ごめん。取り込み中とは知らず…すぐ行くから気にせず続けて!」

 顔を真っ赤にして、逃げるように去っていく男、いや女の姿に紅原は血の気が引くのを感じた。
 彼、いや彼女は環と紅原の高校時代からの共通の友人だった。
 しかも紅原にとってはさらにそれに幼馴染、という但し書きが入る。
 男装癖があり、背も高いので男のようにしか見えないが、歴とした女だ。
 学舎の違う学部に進学していたため、このあたりでめったに見かけることがなかったため、彼女の存在を失念していた。
 なぜあのときキスをしていたのかはわからないが、彼女になら環が屈託なく笑いかける理由はわかる。

「…あいつ、だったんやな。この間ここで会ってたの」

 腕の中で震えたままの環に聞くと言葉は帰ってこないが、頷く様子に天を仰ぎたくなった。
 これは完全にこちらが悪い。
 勝手に勘違いした挙句、彼女をひどく傷つけてしまった。

「…ごめん」

 壁につけていた腕を下ろして、恐る恐る彼女の背に腕を回し、抱き締める。
 一瞬だけその肩がビクリとしたが、拒否されなかったのでさらに力を入れた。

「ごめん、ごめん言うても許されるわけないけど、ごめんな。
 環ちゃん疑ごうてごめん」

 何度も許しを請うて背中をなでると、やがて彼女の震えが収まってくる。
 そうしていくらかの時間のあと、完全に落ち着いたのか環がそっと紅原の体をゆるい力で押し来たので、そっと離した。本当は離れたくなかったが、強気に出るのは躊躇われた。
 少し離れて覗いた彼女の顔は泣いたことで少し目は赤く腫れていたが、その表情は先ほどのような脆さも冷たさもなかった。

「……もう、いいです。疑わしく見えるようなことをしていたこちらにも非がありますし。」

 泣いたせいか掠れた弱々しい声ながらも、いつも通りの彼女の言い分にホッとする。

「まさかあいつがここにいるとは…、でもなんでキスなんて…」
「…キスなんてしてませんよ。多分ですけど、前に目にゴミが入ったのを取ってもらったときのこと勘違いしたんじゃないんですか?」

 言われて思い出せば、そのような光景に見えなくもない。
 むしろ相手が幼馴染の彼女なのだから、それが真実なのだろう。
 完全に身勝手な独りよがりな嫉妬に穴があったら入りたい気分だった。

「……ごめん。ほんま、ごめん!」
「もういいです。誤解だってわかってもらえたから」

 ふわりと笑う彼女の姿は過去に何度も目にしているが、その度に惚れずにはいられないほどの威力がある。
 そしてこんな彼女の目にゴミが入ったからと、顔を近づけて顔に触れた幼馴染に少なからず嫉妬する。
 異性相手に嫉妬とは意味がわからないが、彼女に触れる自分以外の手を思うとなぜか殺してやりたいほど凶暴な気分になる。
 それにしてもどうして二人はこんな人気のないところで会っていたのかが疑問だった。

「…ところで、どうしてあいつとこんなところで会ってたん?」
「そ、それは…その…いえ。誤解されるような行動がダメなんですね。当日だし、いいか」

 何やら思案げな彼女は持っていたカバンから何か小さな箱を取り出し、紅原に差し出してきた。

「え?俺に?」
「…はい。…バレンタインだから」

 ほんのり頬を染める彼女の姿に、今日の日付を思い出す。
 2月14日。
 完全に失念していたその日付に、そう言えば従兄弟がなにか行っていた気がするが、今はそれどころでない。
 綺麗にラッピングされたそれを受け取る。
 「…開けていい?」と聞くと環は自信なさそうに揺れる瞳で頷く。
 開けると、手作りらしいチョコレートが少しだけいびつな形で入っていた。

「あの、チョコレートとかあんまり作らないし、あんまり自信なくて。…それで彼女にレシピと作り方教えてもらって…」

 そういえば、見かけによらないが、あの幼馴染は菓子作りが得意だったことを思い出す。
 環も料理はする方だが、お菓子はあまり作らないと言っていたので、彼女に師事していたというのが、今回の誤解の顛末らしい。
 
「なにもこそこそ、せんでも」
「……うまくいかなかったら恥ずかしいじゃないですか。
 それに今回のお菓子、自分じゃ味見で確認できないし……」

 変なところで完璧主義の環に呆れる。

「うまくいかなかったら、どうしたん?くれへんかったわけ?」
「そりゃそうですよ。人様に失敗したものをあげられません」
「え~、別に俺はそんなん気にせえへんのに。環ちゃんがくれるもんならなんでも食うで?」
「あたしが、嫌なんです!ただでさえ、そのチョコレートうまくいってるかわからないんですから。本当は今日、先に味見してもらって合格点か見てもらうはずだったんですけど…」

心配そうな環の様子に少しだけ悪戯心が湧いた。

「そんなに心配なら、味見てみれば?」
「え?」

 箱の中のチョコレートを口の中に放り込み、間髪いれずに環に口付ける。
 どろりと甘いチョコレートの味が口内に広がり、それを驚いて口を開けた彼女の口へ舌で押し込んだ。
 濃厚でそれでいてどこか頭の奥が熱くなるような香りは紅原の好きなものだ。
 おそらく幼馴染に教えてもらったのか。チョコレートの絡むお互いの舌を絡め、逃れようとする彼女の肩を引き寄せる。

「ん、…あっ」

 苦しそうに時折喘ぐ彼女の口からチョコレート色の唾液がこぼれないよう舐めとる。チョコレートを嚥下させ、軽く唇を離し、一息つかせたあと、さらに深く口付ける。

「っはぅ…ん…」

 普段ならあまり激しくすると環によって抵抗があるのだが、不思議と今回はなかった。
 だからと言ってはいいわけだが、久しぶりの彼女の感触に我を忘れて唇を重ねる。
 キスに酔っているのか、環は力なく紅原に凭れかかり、その瞳はとろんとしていた。
 その様子が普段の彼女と異なり、どこか色っぽくてさらに紅原を煽った。
 花のリキュールの香りが高く吐息に絡んで、クラクラと酔いそうになった。

(…?リキュール?)

 その時になって初めて紅原は環の異常に気が付いた。
 それまで紅原に翻弄されるだけだった、環の舌が応えるようにゆるゆると動き、あろうことか紅原のそれに差し込んでくる。
 さすがに異常事態に慌てて、身を離そうとする紅原だが、いつの間にか頭の後ろに回った環の腕が邪魔して、唇を離すことができなかった。
 それどころか、環のほうから角度を変えて何度も吸われる濃厚なディープキスに、紅原は自分自身がまずいところまで追いつめられていることを悟った。

 そっと目を開けて確認する至近距離の環の顔は明らかにおかしかった。
 目はとろんとして、頬は赤い。力なくしなだれかかってくる体は異常な熱を帯びている気がした。
 明らかに環は酔っぱらっている。
 原因は紅原が食べさせたチョコレートだ。
 紅原はリキュールの効いたチョコレートが好きだった。
 おそらくそれを幼馴染は環に教えたのだろう。聞いた環は言われるまま作った。
 その証拠に先ほど「自分では味見ができない」と言っていたではないか。
 そしてそれを紅原がなにも考えずに食べさせてしまった。

 環は異常に酒に弱いことは知っていた。
 だが、チョコレート一つでここまで正体を失うとは思わなかった。
 考えている間も環からのキスは止まない。
 環からキスをしてくることはここまで皆無だったから正直名残惜しいのだが、あまり長くすると、おそらく紅原が止まらなくなる。
 ただでさえ、好きな女からの積極的なアプローチなどという、おいしすぎるシチュエーションなのだ。
 彼女が酔っ払いでなく、ここが野外でなければ、このまま襲ってしまったかもしれない。
 紅原は環の腕を無理やりほどき、その身を剥がした。
 肩を掴まれ、引きはがされた環はとろんとした目を半分開いて、紅原に向かって腕を伸ばし、どこか不服そうな表情をした。

「…円、ひどい」

 その強烈な可愛らしさに、紅原はくらくらした。 
 普段、環は恥ずかしがって名前を呼んでくれないし、また未だ他人行儀で敬語を崩してくれなかった。
 それが、今の彼女は酔っぱらっているとはいえ、紅原にとって理想的な彼女を体現していた。

 一瞬『据え膳』の言葉が頭に浮かんだが、慌てて振り払う。
 あくまでも今の彼女は酔っ払いだ。
 こんな状態の彼女に手を出せば、素面の彼女におそらく絶縁をたたきつけられる。
 環は一度決めたら、絶対に折れてくれないところを持っているから、それだけは避けたかった。

「環ちゃん。堪忍な」

 聞こえてないだろうけれど、一応言い置いてから、彼女の喉元を寛げかみついた。
 できるだけ傷が深くならないよう、やさしく食む。
 微かに首を傷つけ血を吸い上げると、一瞬だけ環の体が跳ね上がり、次いで弛緩したようにくたりと力が抜けた。
 吸血鬼の牙には催眠効果があり、食んだものを眠らせる効果がある。

 最後に丁寧に傷口が残らないように傷を舐め取り止血する。
 力の抜けた環の体が倒れないように抱えなおし、その柔らかさに紅原はそっとため息を吐いた。

 生殺しだった。
 煽られただけで結局酔っ払い相手に襲い掛かるわけにもいかず、自分の失態に悶々とするしかない。
 とりあえず現状、環を温かいところで休ませなければ。
 まだまだ寒いこの時期に彼女が風邪をひいては大変だ。
 彼女を休ませるために紅原はその体を抱え上げ、その場を後にした。


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 ネットで話題の「壁ぐい」が書きたくて書きました。後悔はしていない。

この後、お姫様抱っこで環を保健室まで運んで、学校中の注目の的になって後から怒られるのは別のお話。
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