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別視点番外

とある女吸血鬼の憤り

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(まったく、冗談ではありませんわ!)

 連休明け初日、まだ誰も登校していない時間。
 普段人前であれば決して見せない、荒々しい足取りで暮先愛理香は廊下を歩いていた。
 どうしてこんな時間に校舎にいるかと言えば、寮にいたくないからだ。

 今寮にはある女が居座っていた。
 つい先日、親衛隊と一緒に“警告”を行った女子生徒、聖利音。
 人間にしてはまあ、比較的可愛い部類と言えなくもないが、その言動はいただけない。
 年上に対する口の聞き方はなっていないし、なんにしても月下騎士たちに馴れ馴れしすぎる。
 ただの一般女子のくせに何様のつもりか。
 しかもそんな女の言動に月下騎士たちが何も言わないのがさらに腹が立つ。
 本来一般生徒でしかないあの女が月下騎士と直接会話することすら名誉なことだというのに、まったく分かっていないあの女はどんどん調子に乗るばかりだ。
 そんな女が今よりにもよって天空寮、愛理香たち近衛のみが入ることを許された寮にいるのだ。
 さらに腹が立つことに最近になってもうひとり天空寮への入寮者に追加された。
 どうやらあの女のルームメイトらしいが、おこぼれに預かって入ってくるなど、なんて恥知らずか。

 天空寮に入れる人間は吸血鬼の花嫁だけのはずだ。
 本来月下騎士の許嫁や婚約者たちのみが入れる寮になぜ親衛隊でも近衛でもない人間が入ってくるのか、意味がわからなかった。
 先日の食堂で見かけた女の姿を思い出し、ついでその場にいたというそのルームメイトの顔を思い出そうとしたがうまくいかなかった。
 地味な印象は受けたが、それだけで詳細が思い出せない。
 まあ、取るに足りない存在なのだろう。所詮あの女の腰巾着などどうでもいい。
 食堂で生意気にも歯向かってきたあの女。あの女から吸血鬼の花嫁の匂いはしなかった。
 つまりは人間だということだ。なぜ人間が入寮できるのか。
 百歩譲って花嫁候補だとして、こんなことは前代未聞だ。
 前例のないことで認められないと愛理香は猛反対した。
 そして、そのことを自身の周囲に訴えれば、皆同調してくれた。
 自分は間違っていないはずだ。
 それなのに、学園の理事も月下騎士会も誰も取り合ってくれなかった。
 決定は覆らず、結局あの女は今現在天空寮の一室で我が物顔に居座っている。

 愛理香はそんな人間と同じ空間にいたくなくて、二人が入寮してくる連休の間、実家に帰っていた。
 しかし学園が始まればこれからはそうはいかない。
 学校のあるうちは全生徒寮生活が義務付けられるし、同じ屋根で生活しているので鉢合わせしないでいられるのは時間の問題だろう。
 だが、それでも出会う機会を少しでも遅らせたかった。
 あの寮に我が物顔で歩く人間の女の姿など見たくなかった。
 同じ空気が吸いたくないし、鉢合わせもしたくないため人の出てこない時間を見計らって寮を出るためにこんな時間に学校にくるハメになったのだ。

(まったく何様かしら!)

 思わず天空寮を我が物顔で歩く女を想像し、怒りが湧いてくる。
 先日蒼矢の家に遊びに行った折に天城から聞いたのは、あの女の天空寮への転寮の話だった。
 なんの冗談かと思ったが、年若い割に真面目くさった天城は冗談など口にしないのは知っていた。
だが信じたくなかった。
 あの生意気な女が天空寮に入るなど。
 大体親衛隊でもない女がどうして天空寮に入るのか。
 一体学園の理事たちは何を考えているのか。
 しかし何度問い合せても理事から愛理香への説明はない。

 こういう時六色家でないことが恨めしい。
 愛理香の家は蒼矢の分家筋に当たる。
 だが分家とは名ばかりでかなり遠い血筋で、吸血鬼としての力も弱い。
 現在愛理香という女吸血鬼がいるおかげで一目置かれているが、発言力は極めて低い。
 いずれ蒼矢になるとはいえ、今はしがない分家でしかない愛理香にそれ以上本家の集まりである理事に詰め寄ることはできなかった。

 結局明確な理由は知らされていない。
 天城はなんとなく知っていそうだったが、先日のあの目を見る限り、おそらく口止めされているのだろう。口を割らないことは明白だ。
 女吸血鬼という一族の存亡を左右する立場にいながら蚊帳の外に置かれている。
 そんな漠然とした不安に焦燥を感じていたとき、おかしな噂を聞いた。

 <古き日の花嫁>ラ・マリエ・ダンタン

 それはおとぎ話の中にしか存在しない存在だが、それが学園内にいるという噂だ。
 しかも、それが今度入寮する女子生徒のどちらかだと。
 バカバカしいとしか思えない。

 純血を産める人間などいるはずがない。
 それは愛理香たち女吸血鬼だけができる崇高な行為だ。
 人間から生まれた吸血鬼が純血に匹敵するほどの力など得られるはずもない。
 女吸血鬼は特別な存在だ。
 唯一無二の存在でなければならない。

(でなければ、アタクシたちの存在はなんだというのです!)

 生まれた時からずっと言われ続けていた。
 女吸血鬼の使命は強い力を持つ純血を生むことだ。
 父親からはただそれだけを言われ続けた。
 そしてそれを愛理香は正しいと思う。
 女吸血鬼にとって純血を産むことは最高の名誉だ。
 十分命をかける価値はあるし、それで命を失ったとしても本望だ。
 
 しかし、母親は泣いた。
 今はいない人だ。愛理香が幼い頃二人目の子供を身ごもり、その子とともにこの世を去った。
 吸血鬼の花嫁であるにふさわしい美しい容姿だが、儚く弱い印象の人だった。
 愛理香は母親が大嫌いだ。
 だって、愛理香を見ては常に悲しそうな顔をした。
 かわいそうな子だと抱きしめて泣き続けるのだ。

 彼女は生まれた子が、愛理香が女であることを嘆いた。
 子を産む宿命を嘆いた。
 どうしてかは今でもわからない。
 誰もが愛理香が女吸血鬼であることを喜ばしいことだと言うのに泣くのだ。

 確かに、子を産んだ女吸血鬼のその後生き残る可能性はかなり低い。
 それでも、子は一族の誉となり、自身が死んでも名誉は得られる。
 それなのに、なぜ嘆いたのか未だにわからない。
 母親のことを思い出すと、今でも苛立ちが募る。

 おそらく、それは母親が人間だったからではないかと愛理香は思う。
 種の保存のためとは言え、人間ごときを造り変え子を産ませるという行為事態、愛理香は好きではない。
 好き嫌いを言っていられるほど一族の状況が芳しくないのは知っている。
 それでも人間ごときに吸血鬼の崇高な考えは理解できない。

 純血は宝だ。それを作る礎になれるのだから何を嘆くことがあるのだろうか。
 そのためだけに存在していたと言われても、愛理香は何とも思わないしむしろ誇りに思うのだ。
 だが、命をかけて産むのならその子はできるだけ力の強い吸血鬼の子供でなければならない。
 純血であればけた違いの力は誇るが、やはりそれでも遺伝の差か、力の優劣はある。
 できるだけ力の強い吸血鬼が理想だ。
 その点でも蒼矢透という吸血鬼は理想だと思う。

 もちろん強さだけではない。
 幼い頃に出会ってからずっと恋をしていた。
 大人に混じって参加した六色家のパーティーで初めて紹介された。
 紅く美しい母親に連れられて幼いながらも自信に満ち溢れた美しい男の子。
 大人に対しても一歩も引くことなく対するその姿に一瞬で恋に落ちた。
 それまで見てきたどの人間や吸血鬼とも違って嘘みたいに綺麗で力のあふれる男の子。
 それから彼が自分の許嫁なのだと父親に知らされたときは、嬉しくて思わず父親に抱きついたものだ。

 彼は愛理香と同世代に置いて唯一の純血だ。
 吸血鬼の力を強めるために例外なく純血には女吸血鬼があてがわれる。
 彼と愛理香は生まれながらに将来を約束された存在だった。
 生まれながらにあの美しい男の子の許嫁であったなど、その時ほど自分が女吸血鬼であることを感謝したことはなかった。

 しかし、現実はそう甘くはなかった。
 許嫁は一人ではなかった。よりにも寄って同世代にもうひとり女吸血鬼が誕生した。
 
 峰岸緋鶴みねぎしひづる
 
 一族はどちらが蒼矢の嫁になるのか指定しなかった。
 しかし、どちらもが蒼矢と結ばれることは厭うた。
 一族はどちらかが蒼矢と結ばれることを望んだが、敗れたもうひとりはその時の一番力の強い混血に嫁がせる。そういう取り決めがされていた。

 冗談ではない。
 もちろん、蒼矢を峰岸と半分などと言うのは絶対に嫌だ。
 しかし、誰とも知らない相手に嫁がされるなどまっぴらだ。
 だいたい愛理香のプライドが許さない。
 だからどうしても愛理香は蒼矢を射止めたかった。
 そのための努力を惜しんだつもりはない。

 キレイになるよう努力したし、彼に気に入られるよう女も磨いた。
 それに関して父親は金に糸目は付けなかったし、愛理香も最大限努力した。
 そのために少しばかりお金を使いすぎたとしても、彼のためだから許される。
 そんな努力をしてきたからだろうか。
 愛理香に峰岸を出し抜く最大の機会が訪れた。
 短期留学で数ヶ月、日本から離れるというのだ。

 馬鹿な女だと思った。
 この時期、自ら蒼矢のそばを離れるなど。

 愛理香と峰岸の二人が蒼矢の許嫁である期限は高校卒業までだ。
 それを期限に三人の関係に終止符が打たれる。
 ただでさえ数の減っている吸血鬼は、一人でも多くの同族を産ませるため、できるだけ早い婚姻を望まれている。
 そのため高校を卒業と同時に婚約する。
 泣いても笑ってもあと約一年間ですべての決着がつくのだ。
 だが、この時期に峰岸はまるで試合を放棄するように学園から消えた。
 愛理香はこれをチャンスだと思った。
 峰岸が帰ってくるまでの間、より熱心に蒼矢に尽くした。
 蒼矢はグラマーな女性が好きだから、プロポーションを保つために大好きな甘いものも我慢したし、運動だって頑張った。
 彼の元に足繁く通ったし、彼が好きな女優なんかのメイクを真似たりと自分でもよくやったと思う。

 しかし、なぜかそんな努力をしても蒼矢が愛理香を求めてくれることはない。
 それどころか、最近は邪険にするばかりだ。
 特にそれが顕著になったのは四月の終わり頃のことだ。
 そしてその頃に起こったことといえば、あの小生意気な女が月下騎士の周りに頻繁に現れだした頃だ。

 まさかあんな品のない女に蒼矢が興味を持つわけがない。
 そう高を括っていたのがいけなかったのだろうか。
 天城とあの女が天空寮に来る話を聞いたときの彼の反応を思いだし、爪を噛む。
 まるで当然とばかりに頷く蒼矢など、信じたくなかった。
 イラついて天城と蒼矢を置いて部屋を飛び出したのだが、蒼矢は追って来てくれなかった。
 そこも腹が立った。
 どうして彼は許嫁の自分をもっと大切にしてくれないのか。
 どうして貴重な女吸血鬼である自分を邪険に扱うのか。理由がわからない。
 それに最近、心ここにあらずな雰囲気も気になった。

 気がつけば溜息を吐き、憂鬱そうにポケットから取り出した物を見つめてはまた溜息を吐くのだ。
 そんな蒼矢を愛理香は見たことがなかった。
 いつだって自信に満ち溢れ、誰もがひれ伏しそうな力を発する彼しか愛理香は知らない。
 美しく妖艶で、誰もが彼の力を崇める。そんな自信に満ち溢れていた彼がまるで別人のようだった。
 あれでは、まるで。恋をしている普通の男のようではないか。
 そして、彼がそう言う状態になったのと、あの女が現れた時期とが重なるのが愛理香の不安を増大させる。

 本来なら、たかだか人間の女に彼がなびいたとしても、所詮一時的なものと面白くはないが切り捨てることは出来た。
 だって、愛理香は女吸血鬼だ。
 彼が他の人間を望んでも、一族が許さない。
 愛理香の正妻の座は確約されている。面白くはないが、男の浮気は病気みたいなものだ。
 彼女の父親も彼女の母親以外に何人もの女がいるし、愛理香には数人の異母兄弟がいる。
 歴史も権力もある蒼矢の後継者を継ぐ相手の妻になるのだ。
 それくらい許せる度量がなくてどうする。

 だが、その人間が<古き日の花嫁>であったらどうなるか。
 純血を産める人間であれば、なにも愛理香を無理に蒼矢の妻にする必要はない。
 だって、一族が望んでいるのは愛理香と蒼矢の子ではなく純血なのだから。
 そうなれば愛理香のいる意味はなくなる。
 自分という存在を全部否定する<古き日の花嫁>など認めるわけにはいかなかった。

 そんなことを考えながら、校舎を歩く。
 実は早朝の校舎にいるのは寮にいたくないという理由もあるが、目的もあった。
 人と会う約束だ。
 しかし、あまりに早く着きすぎたため、暇つぶしと運動を兼ねて校舎を歩き回っていたのだが、そろそろ約束の時間であると遠く聞こえ始めた人のざわめきと時計の針が告げてくる。
 遠く聞こえる喧騒に、そろそろ待ち合わせの場所に向かわねばと思い出す。
 待ち合わせ場所を思い描き、少しだけ憂鬱になる。
 思いがけず怒りに任せて歩きすぎたらしい。

 愛理香がいるのは特別棟だ。
 周囲を見回すが、もちろん人の気配はない。
 こんな早い時間に特別教室しかないこのあたりにいる生徒はいない。
 待ち合わせとかなり離れている場所ため、時間に間に合うか少し心配になった。
 待ち合わせ場所へのルートとたどり着く時間を思い描きながら、歩き始めたのが悪かった。
 廊下の角を曲がった時、突然逆方向を曲がってきた誰かにぶつかり、跳ね返された。

「きゃあ!」

 思いがけずぶつかった拍子に愛理香は尻餅をついた。
 痛みに思わず涙が浮かぶ。
 まったく最近ついてない。
 好きな人は全然振り向いてくれないし、妙な女が出てくるし、ぶつかってこけるし踏んだり蹴ったりだ。
 かくなる上はぶつかった相手に文句を言ってやろうと睨み上げた時だった。

「もう、一体何ですの!どこに目をつけてま…!」

 だが、それ以上言えなかった。
 ぶつかった相手は他校生なのか、学ラン姿の男子生徒でなぜ彼がこんな場所にいるのか疑問ではあるが、それよりあるものが気になってそちらに気がまわらない。
 そのあるものは目の前の男子の腰に揺れていた。
 それは、先日許嫁が切なそうに大事に持っていたものと同じものだ。

 どうしてそれがこんなところにあるのか。
 一瞬同じものかと思ったが、白い石を飾る飾り紐の色が微妙に異なっていることに気づいて否定する。
 だが、それはそれで問題があった。

(ど、どういうことですの?)

 混乱する愛理香の前に手が差し出される。

「おい、あんた大丈夫か?」

 どうやら助け起こしてくれるようだと気づいたときには手を取られ無理矢理立たされた。
 思いがけず大きな手と力に驚く。
 勢いがつきすぎて、たたら踏んだらさりげなく支えてくれてなんとか立つことが出来た。
 あまりにことに呆然としていると学ランの生徒はジロジロとこちらを見てくる。
 その遠慮のない視線に思わず眉をひそめるが、不快感はない。
 男の視線に対抗するようにこちらも相手に視線を向けた。

 あまり愛理香の周りにいないタイプの男だ。
 短く無造作に刈られた髪にしっかりとした太い眉、少し垂れ気味の目がどことなく幼い印象を与えるが、その強く鋭い視線がその印象を打ち消している。
 長身で引き締まっているのが外からでもわかる大きな体の男子生徒だった。
 まったくどうしてこんな男が裏戸学園の特別校舎などにいるのか。
 明らかに不審者だったのだが、この男子生徒を警備員につきだそうと思いもしなかった。
 愛理香の思考はそれどころではなかった。

 ふたたび彼の腰のあたりにあるキーホルダーに目をやる。
 明らかに先日見たものと同じものだ。
 間違いない、同じ呪いの気配もする。
 どういうことのなのか。ぐるぐると混乱していると声が聞こえた。

「……怪我はないみたいだな。すまない」

 一瞬かけられた言葉に頭が追いつかない。
 しばらくしてようやく先程転がされたことを思い出した。

「怪我はありませんけど…、あの」

 質問を言いかけて口を噤んだ。
 正直怖かったのだ。
 聞いてはいけない、開いてはいけない扉を開くような気がして言葉がなかなか出てこない。

 そんな愛理香を不思議そうに男子生徒が見ていたが、先に口を開いたのは彼だった。

「…すまないが、職員室はどこか教えてもらえないか?」

 男子生徒のその言葉に不意に彼の正体について思いつくものがあった。
 しかし、こんな時期にまさかとは思いつつも聞いてみる。

「もしかして転入生ですの?」
「ああ、今日からなんだが職員室がわからなくて……」

 男子生徒の言葉に愛理香は疑惑の視線を浮かべる。
 裏戸学園は増改築を繰り返して複雑な作りをしているが、正門から入ってすぐの一般の生徒が使う教室や職員室が入っている棟は割と分かり易い作りをしている。
 正門の前を通れば自ずと職員室に近い職員用の正面玄関があるため、迷うとは考えにくいのだが。
 もし彼の言うことを信じるのであれば、相当の方向音痴ということになるだろう。
 愛理香の視線に気がついたのか男子生徒が少しだけ恥ずかしそうに目元を染めた。

「……どうせ極度の方向音痴だよ。わるかったな」

 思いがけず反応が可愛らしく、一瞬疑いの気持ちが消え笑みが溢れる。

「…なにも言ってませんわよ」
「視線が言ってるんだよ。…まあ、いいや。で、どっちに行けばいいんだ?」

 聞かれて教えないほど、性格も悪くないつもりだ。
 幸い特別棟もさほど作りが複雑ではないし、職員室から比較的近い。
 道なりに行けば、たどり着けるだろうと教えれば、男子生徒は安心したように溜息を吐いた。

「そうか。ありがとな」

 それだけ言って去ろうとする男子生徒の腰にあるキーホルダーがちゃらりと音を立てた。
 その音に疑念を思いだし、思わず呼び止めた。

「あ、あの!」
「?なに?」

 振り返られるが、いざ聞こうと思って言葉につまる。
 何とも聞きにくい話なので、思わず口ごもった。

「あ、あの、貴方のそのキーホルダー…」
「え?ああ、これ?これがどうした?」

 男子生徒がちゃらりと目の前に掲げるそれに思わず吸い寄せられる。
 やはりそれは先日蒼矢が持っていたものと同じものだ。
 一見ただのキーホルダーに見えるが、かけられた呪いすら同じということはおそらくあのキーホルダーと対のものに違いない。
 そのかけられた呪いが問題だった。

「そ、……それをどこで手に入れたんですの?」

 自分としてはらしくないことだが、恐る恐る聞いてみると相手は怪訝な顔になる。

「どこって…俺が買ったわけじゃないから知らないな」

 その言葉に心臓が大きな音を立てる。
 買ったわけではないということは、もらい物ということだ。
 そして当たり前だがこれを彼にあげた相手がいるということだ。
 背中に冷や汗が流れる。

 まさか、まさか。
 いや、だが最近彼の様子がおかしくなった時期とあのキーホルダーの出現時期は完全に一致する。
 それがその考えの証拠に思えて頭がぐるぐると混乱する。

「もしかして欲しいのか?」

 必死で頭からその考えを追い出そうと懸命なこちらに気づく様子もなく目の前の男子生徒のそんな言葉にはっとする。

「いただけますの?」
「いや、無理だけど」

 即答の相手の言葉にがっかりする。

「そんなにほしいのか?こんなのどこでも売ってそうだけど」
「そんなわけはありませんわ!」

 呪いのかかったものなどそうそう売られていてはたまらない。
 さほど強力な呪いではないが、モノに一定の呪いをかけるのにはそれなりに準備がいる。
 見たところちゃんと手順を踏んで作られたものらしく、そのへんの土産物店に売っているようなまがい物のパワーストーンなどより、よほど作りがちゃんとしている。
 だが、問題はそこではない。
 全くその意味をわかっていないらしい男子生徒相手に愛理香は苛立ちが増す。

「別にそんな安物がほしいわけではないですわ!ただ…」
「それはよかった。これは大事なものだからあげられない」

 そう言って彼と同じようにそっと大事なものを持つ仕草に愛理香の大切な人の姿がダブって、さらに血の気が引く。

「…おい、あんた大丈夫か?なんか顔色が悪いが…」
「だ、大丈夫…ですわ」

 言いつつ、寝不足気味の頭に負荷がかかりすぎて、頭痛がする。
 思わず頭に手をやり、ふらりと壁に背を預けようと動いた瞬間、腕を突然掴まれた。
 その行動に驚いて顔をあげると、眉間に皺を寄せた男子生徒の顔が見えた
 
「……あんまり大丈夫に見えないんだか。
 道案内してくれるなら保健室連れて行くけど…」

 こちらを覗き込む彼の様子になんだかだんだん腹が立ってきた。
 この頭痛をもたらしているのは目の前の男子生徒なのに、まるで人事みたいだ。
 冷静になれば確かにその通りなので文句を言える立場ではないのはわかっている。
 ほとんど八つ当たりだと言うのは理解しているが、イラっとして手を払った。

「大丈夫だとアタクシが言ってるんです!ほっといてくださいまし」
「……そうか。別に無理強いするつもりはないし」

 払われた手を特別何も言わず、男子生徒は肩をすくめただけだった。
 その姿に少しだけ罪悪感がわくが、今更謝ることもできず俯いて唇を軽く噛んだ。

「…じゃあな、きつくなったら保健室行けよ?道、教えてくれて助かったよ」

 男子生徒はそれ以上愛理香に構うことなく、廊下を去っていく。
 そのあっさりとした様子に呆気にとられながら見送る。
 その姿が角を曲がって見えなくなった頃、結局あのキーホルダーのことを聞きそびれたことを思いだしはっと我に返る。
 しかしこちらから手を払った以上追いかけることもできず、男子生徒が去っていった方向を睨みつけるしかない。

(……本当にいったいどういうことなんですの?)
  
 キーホルダーにかけられた呪いは、『永遠の絆』。
 対になるキーホルダーを持つものの永遠の離れない縁を約束するものだ。
 通常この手の呪いの道具は恋人同士・ ・ ・ ・が持つものだ。

 そして、あの男子生徒が持つものの対を持っているのが蒼矢だ。
 しかも愛理香は彼があれをとても大切そうに持っているところを目撃している。
 切なそうな表情も、愛理香が何度迫っても振り向いてくれない原因もこの思考が正しければ確かに説明がついてしまう。
 だが、信じたくはない。断じて信じたくはない。
 流石に男に負けたなどとは思いたくないのだ。

(あの男子生徒、名前を聞きそびれてしまいましたわね)

 相手の素性を調べれば、あのキーホルダーのことがわかるかもしれない。
 あのとおり変な時期の転校生で、目立つことは必至だ。
 素性はすぐに調べはつくだろう。
 だが、彼への調べに他人を使うわけにはいかない。
 蒼矢の名誉、あるいは愛理香の自尊心プライドにかけて誰にもこの疑いを知られるわけにはいかないのだ。
 
(このことに関してはアタクシだけで調べなければ…)

 とはいえ、どう調べればいいものか。
 正直、愛理香はお嬢様育ちで他人にしてもらうことは多くても自分一人で動くことはあまりしてこなかった。
 調べるにしてもどうすればいいのか。
 誰かに教授してもらうにも、宛もない。それに他人に教えを請うなど自分の自尊心が許さない。
 早々に行き詰まりを見せた調査に、突然背後から光が差した。

「……あの、愛理香様」

 突然背後から名前を呼ばれた。
 振り返って、相手が待ち合わせていた人物であることに驚く。
 どうやら時間になっても現れない愛理香を探しに来たらしい。
 待ち合わせていた相手は愛理香の信奉者の一人だった。
 家庭の事情で休学していたが、今日から復学するらしく挨拶がしたいと早朝待ち合わせていたのだ。

 女子生徒の姿に光明を見た気がした。
 彼女ならば、と思った。
 彼女は人間にしては立場をわきまえており、常に愛理香を立てた態度で接してくれる。
 また頭も良く、博学な彼女ならおそらくこの調査について、何らかの方法を教えてくれるのではないかと思った。
 だが、素直に教えを請う言葉を口にするのはためらわれた。
 愛理香はなんとか彼女に悟られないよう、聞きだす方法を考え始めた。


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蒼矢会長の許嫁、暮先愛里香視点。
環が天空寮移動の直前の話。
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