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出会い
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グレイシス・シモンズは、瓦礫の山と化していた馴染みある道路を、地面を揺らすほどに一歩一歩強く踏みしめながら駆けていた。
この国の特務機関『不可視の英雄達』のアルファ隊の隊長だった彼は、突如として現れた魔王城へと先遣隊として、調査任務を遂行中だった。
そして今の彼は、一匹の鬼と成り果てていた。
グレイシスの身体には黒い霧が衣の様に纏わり、額から飛び出した角は、人を辞めたことを示していた。更には、朱に染まる獰猛な瞳、口に収まりきらない牙、それはもう人間の顔ではなかった。
物語にのみ出ていくる空想の化け物、鬼。
そう呼んで差し支えがない存在が、アルファ隊の隊服を着ていたのだ。
そして、その鬼を見上げる少女が、鬼の瞳に映り込んだ。
「あ……あ……」
〝両親と逸れたのだろう〟
〝両親の元へと、送ってやらないといけないのだろう〟
そんな想いが、グレイシスの心に浮かぶ。
だからこそ、その鬼は大きく口を開いたのだ。その行為に至ろうとしていることに、人として全く疑問を感じずに、当たり前の行動の様に。
ただただ、その少女を喰らうために腕を伸ばしたのだった。
その少女の瞳に写るのは、およそ人とは思えぬ大きすぎる口と牙だった。
あまりに現実離れした光景に、少女は最早叫ぶことすら出来ず、息をする事すら忘れるほどに、身体が指一本として動かなかった。
逸れた両親の顔すら、少女は思い浮かぶ事すら出来ない。
数秒後に自分の身に何が起きるのかが、幼い少女の脳裏にも鮮明にイメージ出来てしまう。それほどまでに、目の前の鬼は現実離れした〝現実〟だった。
そしてその〝現実〟は、その上を行く衝撃で砕かれる。
「あ」
そんな少女が、やっと発することが出来た声は、酷く間の抜けた言葉、と言うにも短すぎる一文字だった。
「お? 日本人か? こんな風になりなくなかったら、死ぬ気で走れ。ヒーローは、毎回来てくれねぇからなっと!」
少女は、目の前で起きたことを受け入れるのに、数秒を要した。ほんの数秒前に、自分に対して丸太よりも太い腕を伸ばしてきた鬼が、まるで押し花のように、地面に潰されていたのだ。
踏み潰された蟻のようだったが、まるで透明な板で潰されたかのように、その潰された鬼の血飛沫や肉片が、少女を汚すことはなかった。
自分より少し歳上に見えたその青年は、少女の後を指差しながら、笑ってそう告げた。同じ日本人に見えたからなのか、少女は言われるがままに、青年が指差した方へと振り向き駆け出した。
そして走りながら、少女はやっと涙が溢れ出した。
どうして、こんな場所に一人でいたのかを、ようやく思い出し、そして恐怖したのだ。
神部 藍奈は、この街に在住する十五歳の少女だった。そして今朝、学校へと向かう途中に誘拐された。
彼女は、所謂裕福な家庭の子供だったのだ。そして誘拐した犯行グループは、〝目覚めし血脈〟であり、彼らは貧困層だった。
〝世界の理〟が改変され、世界中に魔素が溢れ、魔力を自由に扱えるようなれば、能力者は少数であっても、弱者ではなくなった。だからこそ〝力〟をもって、彼らは現状を打破しようと試みた。
その結果、裕福層が通う学校の生徒を誘拐するという行為を短絡的に実行し、そして神部 藍奈が、不幸にもそのターゲットとなってしまった。
三人組の男達は、藍那をワゴン車へと押し込むと、すぐさまその場を去ると、車中で藍那から両親への連絡先を聞き出し、身代金を要求した。藍奈の両親は、迷うことなくすぐさま要求に応えると即答した。
三人組の行動は、特に大きなミスを犯したわけではなかった。三人共が目覚めし血脈であり、自由に力を扱える今となっては、能力者以外では彼らを拘束することすら無理だろう。
そして各地で、類似の犯罪が多発し、警察官の中にも同じように目覚めし血脈はいた場合、激しい戦闘へと変わる場合も少なくなかった。
藍奈を攫った三人組も、この都市でなければ、もっと言えば人混みに紛れる為にこの公園の近くにさえ来なければ、鬼と出会うこともなかった。
平日の日中と言えども、世界的な観光地に突如として現れた魔王城。そして、同時に発生した瘴気に、人々はパニックを起こした。結果として、誘拐犯の乗っていた車は、逃げ惑う人々やそれに伴って起きる車両事故により、身動きが取れなくなった。
しかし、この時点で誘拐犯の三人が周囲の人間と同じようにパニックになることはなかった。何故なら彼らな、自分達の力に酔っていたのである。
世界に溢れる魔素は、彼らにこれまでとは隔絶した〝万能感〟を与えた。
三人ともに〝帰還者〟でも〝先祖返り〟でもない、単なる〝目覚めし血脈〟だったが、それでも周りの〝持たぬ者〟達がゴミに見えるほどに、彼らは自身の力を過信していた。
結果として、その場から動くのが遅れ、それが彼らの死の要因となった。
車が全く移動として使えないと判断した彼らが、車を捨てて移動しようとした時、声を上げる間もなく、三人は何かが身体にぶつかった衝撃で、まるでダンプカーに追突されたかの様に跳ね飛ばされた。
そして、三人がぶつかったことにより、その鬼は止まり、藍奈を観察し、喰らうために腕を伸ばした。この時に、鬼となっていたグレイシスは、すぐさま喰らわずに藍奈を掴もうとしたのだ。
それは何故だか分からない。彼の心が瘴気に対して、最後の躊躇いを感じたのかも知れない。
ただ、その数秒で少女の運命は更に変わった。
藍奈は駆け出しながらも、振り返った。
「私は、神部 藍奈! 貴方の名前は!」
膝を大きく折り曲げ、飛び上がる前の動作をしている様に見えた青年に対し、藍奈は名を尋ねた。
「時雨 彌太郎だ! あぁばよぉおお!」
一瞬足りとも藍奈の方を振り向くことなく、彌太郎は大声で名を告げると、地面を陥没させる程の衝撃とともに、空へと跳んで行ってしまった。
「時雨……彌太郎……様」
何処か熱の籠もった声と共に、彌太郎に言われた通りに、藍奈はその場から全力で駆け出したのだった。
「お前の名前は、シグレ ヤタロウというのだな」
「魔王に教えた訳じゃねぇよっと! おらぁ!」
ルシフェルと彌太郎の拳が、正面からぶつかる度に、衝撃派を生み出し、周囲の建物を破壊していく。そして、最もその被害を受けているのが、魔王城であった。
「我の城が、このままだと崩れ去りそうだな」
「は! 魔王城なんざ、百害あって一利なしだ!」
怪しくの美しい造形であったルシフェルの城は、時間の経過とともに細部に亀裂が入り始め、場所によっては崩れ始めていた。物理防御と魔法防御に優れた魔王城である筈だったが、近距離で魔王と帰還者の戦闘の余波に耐えるほど、まだ魔王の魔力が浸透していなかった。
ただ一点、ある場所だけは戦いの余波が全く影響していなかった。
「彌太郎君、スキルを完全に発動すると、性格が暑苦しくなるのだな。嫌いじゃないが……主人に対する態度じゃないな」
彌太郎は、隙を見ては、エヴァに対しても時折瓦礫を蹴り飛ばしていた。だがそれは、単なる挑発に近かった。魔力も付与していない只の瓦礫など、彼女の防御障壁を超えられるものではないからだ。
エヴァの周囲に半透明の物理魔法障壁が、小さな小部屋でも作るように彼女を囲っていた。
「魔王を前にして、こちらへと挑発をかましてくるのは豪気だが……確かに、生まれたばかりの魔王であれば、あんなものか」
魔王ルシフェルと彌太郎の拳は、まるで金属同士が激突したかの様な音を響かせていたが、次第にその音が小さくなっていた。それは、片方の拳がその衝撃に耐えきれなくなってきた証であった。
およそこの世界では考えられなかった、と言うよりは映画や漫画といった創作物の中だけできしか見られなかった闘いが行われている。
当然、それを映像に残そうとする者が必ず現れる。それは軍しかり放送局しかり、能力者しかりである。
しかし、誰一人として二人の闘いを、鮮明な映像として記録に残せなかった。
それは、何故か?
「アホだねぇ。近づくと危ねぇって、何で分かんないかなぁ」
報道ヘリが一機、また二人の戦闘の余波を受けて、機体が故障し落下していった。その様子を見ながら、彌太郎は馬鹿にした目線を落下していくヘリに向けた。そしてそのまま報道ヘリは、地面に激突し激しく炎上したのだった。
「同じ……人間だろう。随分と……興味のない目を、向けるのだな」
瓦礫の上に肩で息をしながら、魔王ルシフェルは立ち上がると、彌太郎に対し素直に思ったことを口にしていた。特に墜ちたヘリに搭乗していた人間に対し同情したわけでは決してなかった。
自身を圧倒する実力を持つ相手の事を、何でも知りたいという欲求からの魔王ルシフェルの言葉だった。
「何処の世界だろうが、己の力も把握する事が出来ない奴は、勝手に死にやがるんだ。それでも人間は、好奇心に勝てないんだよ。自分の知らない事を、知りたくて知りたく仕方がない。その代償として、時には命を必要とする。それだけのことさ」
ルシフェルの言葉に、皮肉な笑みを浮かべる彌太郎は、悟ったようにそう応えた。
「しかし、あれだな。魔王ってのは、本当に俺達を舐めプするよな」
「舐めプ?」
「まぁ、魔王を創った神にしてみりゃ、舞台装置の役割だからなんだろうけど。どの魔王も、憐れだったな。勿論、お前もなんだけどさ」
余裕のあると言うよりも、最早見下しているに近い瞳をルシフェルに向ける彌太郎に対し、血反吐を吐き捨てたルシフェルは、素直にその言葉の真意を尋ねた。
「どう言う意味で、お前は言っているのだ」
「どうもこうもねぇよ。勇者や英雄に倒される為に、魔王なんて存在するようなもんだ。それなのに、魔王自体が〝強くなろう〟とする貪欲さを持った奴がいねぇ。まるで、それ以上強くなってはいけないみたいにな」
圧倒的強者。
それが、魔王ルシフェルの自身への評価だった。そしてそれは、決して間違いではなかった。
この場にいるのが、帰還者である彌太郎やエヴァでなければ、その認識はルシフェルの中で変わることは無かっただろう。
それほどまでに、彌太郎とエヴァは異質だったのだ。
「倒される為の存在だと……この我が……」
自分の血肉となった千人に及ぶ目覚めし血脈の贄達から得ている知識では、その事を彼は認識する事が出来なかった。そしてルシフェルは、まだこの世界に生まれ出てから数時間しか経っていない赤子のようなものだった。
だからこそ、自分より強者の言葉が、真っ直ぐに刃となりて精神を斬り刻んだ。それを否定する経験も、強さも、魔王ルシフェルには足りていなかったのだ。
「そんなにショック受けるなよ。魔王なんて、そんなもんなんだよ!」
ルシフェルと彌太郎。見た目の傷の具合で言えば、明らかに彌太郎のほうが重傷であった。何しろ首から下が、隈なく火傷している状態であり、その痛みも一切として自身のスキルで緩和している等ということは無かった。
そもそも、そんな事は出来なかった。
彌太郎の固有スキルである〝身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ〟は、痛みや状態異常、総じてダメージを身体能力や魔力へと変換するスキルだったが、その際に受ける苦痛が和らぐ事はなかった。
むしろ、スキルの性質上、苦痛を感じるほどにその〝力〟を増す為、感じる苦痛は常人の比では無かった。しかし、それを彌太郎は既に異世界にて克服していた。
例えそれが拷問の結果の末に得られたものだとしても、結果として彼は痛みを我慢することを覚えた。それは決して痛覚耐性といった類のものではなく、彼自身の忍耐力であった。
その為、今の彼は文字通りに重度の火傷により重傷であり、呼吸は浅く、動悸は激しく、体温は上がり続け目眩すら感じている。額には脂汗が煌めいているものの、その表情はあくまで不敵に笑うのみであった。
そして、周囲の瓦礫を吹き飛ばす程の踏み込みを見せた彌太郎は、右腕に力を込めて、魔王の頭を何の慈悲もなく打ち抜くべく振り抜いた。
響き渡る轟音と広がる衝撃が、今の一撃の凄まじさを物語る。
「……あんた、魔王に世界の半分を貰う約束でもしたのかよ」
「そんなにいらんさ。私は神を殺せれば、それで良いのさ」
彌太郎の一撃をエヴァの多重防御障壁が阻み、魔王ルシフェルの前にエヴァが立ち塞がる形となった。そして魔王ルシフェルもまた、エヴァの多重防御障壁で作られた箱に閉じ込められていた。
彌太郎以上に呆気に取られている表情を見せるルシフェルだが、エヴァの術により彼には周囲の声は届かず、彼の声も周囲には届かなかった。
「で、次はあんたが俺の憂さ晴らしに付き合ってくれるって事で良いんだよな? 先に行っておくが、この前の様な回復魔法を今の俺に当てられると思うなよ」
自信と確信に満ち、身体の状態とは裏腹に気力満ち溢れる彌太郎を前にして、エヴァは余裕のある表情を崩す事はなかった。
「この魔王の今の実力は、十分に分かった。コレは、私の二人目の式鬼としようと思ってね。所謂、基本ステータスは高いのだから、鍛えればかなりの戦力となる」
「はぁあああああ!? 魔王は仲間にとか出来る訳な……これは……クソが!」
エヴァの言葉に驚きの声を上げた瞬間、見える範囲の地面に紋様が浮かび上がった。そしてそれを見た瞬間に、彌太郎はエヴァとルシフェルを置き去りにして、魔王城から離れるように駆け出した。
「傷を癒してやろうと言うのに、駆け出すとは……おぉ、これが所謂ツンデレというものか」
全く検討違いの言葉をエヴァが呟いた瞬間、エヴァを中心に周囲一キロは及ぶかという範囲が、エヴァの回復魔法による優しい光に包まれたのだった。
この国の特務機関『不可視の英雄達』のアルファ隊の隊長だった彼は、突如として現れた魔王城へと先遣隊として、調査任務を遂行中だった。
そして今の彼は、一匹の鬼と成り果てていた。
グレイシスの身体には黒い霧が衣の様に纏わり、額から飛び出した角は、人を辞めたことを示していた。更には、朱に染まる獰猛な瞳、口に収まりきらない牙、それはもう人間の顔ではなかった。
物語にのみ出ていくる空想の化け物、鬼。
そう呼んで差し支えがない存在が、アルファ隊の隊服を着ていたのだ。
そして、その鬼を見上げる少女が、鬼の瞳に映り込んだ。
「あ……あ……」
〝両親と逸れたのだろう〟
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そんな想いが、グレイシスの心に浮かぶ。
だからこそ、その鬼は大きく口を開いたのだ。その行為に至ろうとしていることに、人として全く疑問を感じずに、当たり前の行動の様に。
ただただ、その少女を喰らうために腕を伸ばしたのだった。
その少女の瞳に写るのは、およそ人とは思えぬ大きすぎる口と牙だった。
あまりに現実離れした光景に、少女は最早叫ぶことすら出来ず、息をする事すら忘れるほどに、身体が指一本として動かなかった。
逸れた両親の顔すら、少女は思い浮かぶ事すら出来ない。
数秒後に自分の身に何が起きるのかが、幼い少女の脳裏にも鮮明にイメージ出来てしまう。それほどまでに、目の前の鬼は現実離れした〝現実〟だった。
そしてその〝現実〟は、その上を行く衝撃で砕かれる。
「あ」
そんな少女が、やっと発することが出来た声は、酷く間の抜けた言葉、と言うにも短すぎる一文字だった。
「お? 日本人か? こんな風になりなくなかったら、死ぬ気で走れ。ヒーローは、毎回来てくれねぇからなっと!」
少女は、目の前で起きたことを受け入れるのに、数秒を要した。ほんの数秒前に、自分に対して丸太よりも太い腕を伸ばしてきた鬼が、まるで押し花のように、地面に潰されていたのだ。
踏み潰された蟻のようだったが、まるで透明な板で潰されたかのように、その潰された鬼の血飛沫や肉片が、少女を汚すことはなかった。
自分より少し歳上に見えたその青年は、少女の後を指差しながら、笑ってそう告げた。同じ日本人に見えたからなのか、少女は言われるがままに、青年が指差した方へと振り向き駆け出した。
そして走りながら、少女はやっと涙が溢れ出した。
どうして、こんな場所に一人でいたのかを、ようやく思い出し、そして恐怖したのだ。
神部 藍奈は、この街に在住する十五歳の少女だった。そして今朝、学校へと向かう途中に誘拐された。
彼女は、所謂裕福な家庭の子供だったのだ。そして誘拐した犯行グループは、〝目覚めし血脈〟であり、彼らは貧困層だった。
〝世界の理〟が改変され、世界中に魔素が溢れ、魔力を自由に扱えるようなれば、能力者は少数であっても、弱者ではなくなった。だからこそ〝力〟をもって、彼らは現状を打破しようと試みた。
その結果、裕福層が通う学校の生徒を誘拐するという行為を短絡的に実行し、そして神部 藍奈が、不幸にもそのターゲットとなってしまった。
三人組の男達は、藍那をワゴン車へと押し込むと、すぐさまその場を去ると、車中で藍那から両親への連絡先を聞き出し、身代金を要求した。藍奈の両親は、迷うことなくすぐさま要求に応えると即答した。
三人組の行動は、特に大きなミスを犯したわけではなかった。三人共が目覚めし血脈であり、自由に力を扱える今となっては、能力者以外では彼らを拘束することすら無理だろう。
そして各地で、類似の犯罪が多発し、警察官の中にも同じように目覚めし血脈はいた場合、激しい戦闘へと変わる場合も少なくなかった。
藍奈を攫った三人組も、この都市でなければ、もっと言えば人混みに紛れる為にこの公園の近くにさえ来なければ、鬼と出会うこともなかった。
平日の日中と言えども、世界的な観光地に突如として現れた魔王城。そして、同時に発生した瘴気に、人々はパニックを起こした。結果として、誘拐犯の乗っていた車は、逃げ惑う人々やそれに伴って起きる車両事故により、身動きが取れなくなった。
しかし、この時点で誘拐犯の三人が周囲の人間と同じようにパニックになることはなかった。何故なら彼らな、自分達の力に酔っていたのである。
世界に溢れる魔素は、彼らにこれまでとは隔絶した〝万能感〟を与えた。
三人ともに〝帰還者〟でも〝先祖返り〟でもない、単なる〝目覚めし血脈〟だったが、それでも周りの〝持たぬ者〟達がゴミに見えるほどに、彼らは自身の力を過信していた。
結果として、その場から動くのが遅れ、それが彼らの死の要因となった。
車が全く移動として使えないと判断した彼らが、車を捨てて移動しようとした時、声を上げる間もなく、三人は何かが身体にぶつかった衝撃で、まるでダンプカーに追突されたかの様に跳ね飛ばされた。
そして、三人がぶつかったことにより、その鬼は止まり、藍奈を観察し、喰らうために腕を伸ばした。この時に、鬼となっていたグレイシスは、すぐさま喰らわずに藍奈を掴もうとしたのだ。
それは何故だか分からない。彼の心が瘴気に対して、最後の躊躇いを感じたのかも知れない。
ただ、その数秒で少女の運命は更に変わった。
藍奈は駆け出しながらも、振り返った。
「私は、神部 藍奈! 貴方の名前は!」
膝を大きく折り曲げ、飛び上がる前の動作をしている様に見えた青年に対し、藍奈は名を尋ねた。
「時雨 彌太郎だ! あぁばよぉおお!」
一瞬足りとも藍奈の方を振り向くことなく、彌太郎は大声で名を告げると、地面を陥没させる程の衝撃とともに、空へと跳んで行ってしまった。
「時雨……彌太郎……様」
何処か熱の籠もった声と共に、彌太郎に言われた通りに、藍奈はその場から全力で駆け出したのだった。
「お前の名前は、シグレ ヤタロウというのだな」
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「は! 魔王城なんざ、百害あって一利なしだ!」
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ただ一点、ある場所だけは戦いの余波が全く影響していなかった。
「彌太郎君、スキルを完全に発動すると、性格が暑苦しくなるのだな。嫌いじゃないが……主人に対する態度じゃないな」
彌太郎は、隙を見ては、エヴァに対しても時折瓦礫を蹴り飛ばしていた。だがそれは、単なる挑発に近かった。魔力も付与していない只の瓦礫など、彼女の防御障壁を超えられるものではないからだ。
エヴァの周囲に半透明の物理魔法障壁が、小さな小部屋でも作るように彼女を囲っていた。
「魔王を前にして、こちらへと挑発をかましてくるのは豪気だが……確かに、生まれたばかりの魔王であれば、あんなものか」
魔王ルシフェルと彌太郎の拳は、まるで金属同士が激突したかの様な音を響かせていたが、次第にその音が小さくなっていた。それは、片方の拳がその衝撃に耐えきれなくなってきた証であった。
およそこの世界では考えられなかった、と言うよりは映画や漫画といった創作物の中だけできしか見られなかった闘いが行われている。
当然、それを映像に残そうとする者が必ず現れる。それは軍しかり放送局しかり、能力者しかりである。
しかし、誰一人として二人の闘いを、鮮明な映像として記録に残せなかった。
それは、何故か?
「アホだねぇ。近づくと危ねぇって、何で分かんないかなぁ」
報道ヘリが一機、また二人の戦闘の余波を受けて、機体が故障し落下していった。その様子を見ながら、彌太郎は馬鹿にした目線を落下していくヘリに向けた。そしてそのまま報道ヘリは、地面に激突し激しく炎上したのだった。
「同じ……人間だろう。随分と……興味のない目を、向けるのだな」
瓦礫の上に肩で息をしながら、魔王ルシフェルは立ち上がると、彌太郎に対し素直に思ったことを口にしていた。特に墜ちたヘリに搭乗していた人間に対し同情したわけでは決してなかった。
自身を圧倒する実力を持つ相手の事を、何でも知りたいという欲求からの魔王ルシフェルの言葉だった。
「何処の世界だろうが、己の力も把握する事が出来ない奴は、勝手に死にやがるんだ。それでも人間は、好奇心に勝てないんだよ。自分の知らない事を、知りたくて知りたく仕方がない。その代償として、時には命を必要とする。それだけのことさ」
ルシフェルの言葉に、皮肉な笑みを浮かべる彌太郎は、悟ったようにそう応えた。
「しかし、あれだな。魔王ってのは、本当に俺達を舐めプするよな」
「舐めプ?」
「まぁ、魔王を創った神にしてみりゃ、舞台装置の役割だからなんだろうけど。どの魔王も、憐れだったな。勿論、お前もなんだけどさ」
余裕のあると言うよりも、最早見下しているに近い瞳をルシフェルに向ける彌太郎に対し、血反吐を吐き捨てたルシフェルは、素直にその言葉の真意を尋ねた。
「どう言う意味で、お前は言っているのだ」
「どうもこうもねぇよ。勇者や英雄に倒される為に、魔王なんて存在するようなもんだ。それなのに、魔王自体が〝強くなろう〟とする貪欲さを持った奴がいねぇ。まるで、それ以上強くなってはいけないみたいにな」
圧倒的強者。
それが、魔王ルシフェルの自身への評価だった。そしてそれは、決して間違いではなかった。
この場にいるのが、帰還者である彌太郎やエヴァでなければ、その認識はルシフェルの中で変わることは無かっただろう。
それほどまでに、彌太郎とエヴァは異質だったのだ。
「倒される為の存在だと……この我が……」
自分の血肉となった千人に及ぶ目覚めし血脈の贄達から得ている知識では、その事を彼は認識する事が出来なかった。そしてルシフェルは、まだこの世界に生まれ出てから数時間しか経っていない赤子のようなものだった。
だからこそ、自分より強者の言葉が、真っ直ぐに刃となりて精神を斬り刻んだ。それを否定する経験も、強さも、魔王ルシフェルには足りていなかったのだ。
「そんなにショック受けるなよ。魔王なんて、そんなもんなんだよ!」
ルシフェルと彌太郎。見た目の傷の具合で言えば、明らかに彌太郎のほうが重傷であった。何しろ首から下が、隈なく火傷している状態であり、その痛みも一切として自身のスキルで緩和している等ということは無かった。
そもそも、そんな事は出来なかった。
彌太郎の固有スキルである〝身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ〟は、痛みや状態異常、総じてダメージを身体能力や魔力へと変換するスキルだったが、その際に受ける苦痛が和らぐ事はなかった。
むしろ、スキルの性質上、苦痛を感じるほどにその〝力〟を増す為、感じる苦痛は常人の比では無かった。しかし、それを彌太郎は既に異世界にて克服していた。
例えそれが拷問の結果の末に得られたものだとしても、結果として彼は痛みを我慢することを覚えた。それは決して痛覚耐性といった類のものではなく、彼自身の忍耐力であった。
その為、今の彼は文字通りに重度の火傷により重傷であり、呼吸は浅く、動悸は激しく、体温は上がり続け目眩すら感じている。額には脂汗が煌めいているものの、その表情はあくまで不敵に笑うのみであった。
そして、周囲の瓦礫を吹き飛ばす程の踏み込みを見せた彌太郎は、右腕に力を込めて、魔王の頭を何の慈悲もなく打ち抜くべく振り抜いた。
響き渡る轟音と広がる衝撃が、今の一撃の凄まじさを物語る。
「……あんた、魔王に世界の半分を貰う約束でもしたのかよ」
「そんなにいらんさ。私は神を殺せれば、それで良いのさ」
彌太郎の一撃をエヴァの多重防御障壁が阻み、魔王ルシフェルの前にエヴァが立ち塞がる形となった。そして魔王ルシフェルもまた、エヴァの多重防御障壁で作られた箱に閉じ込められていた。
彌太郎以上に呆気に取られている表情を見せるルシフェルだが、エヴァの術により彼には周囲の声は届かず、彼の声も周囲には届かなかった。
「で、次はあんたが俺の憂さ晴らしに付き合ってくれるって事で良いんだよな? 先に行っておくが、この前の様な回復魔法を今の俺に当てられると思うなよ」
自信と確信に満ち、身体の状態とは裏腹に気力満ち溢れる彌太郎を前にして、エヴァは余裕のある表情を崩す事はなかった。
「この魔王の今の実力は、十分に分かった。コレは、私の二人目の式鬼としようと思ってね。所謂、基本ステータスは高いのだから、鍛えればかなりの戦力となる」
「はぁあああああ!? 魔王は仲間にとか出来る訳な……これは……クソが!」
エヴァの言葉に驚きの声を上げた瞬間、見える範囲の地面に紋様が浮かび上がった。そしてそれを見た瞬間に、彌太郎はエヴァとルシフェルを置き去りにして、魔王城から離れるように駆け出した。
「傷を癒してやろうと言うのに、駆け出すとは……おぉ、これが所謂ツンデレというものか」
全く検討違いの言葉をエヴァが呟いた瞬間、エヴァを中心に周囲一キロは及ぶかという範囲が、エヴァの回復魔法による優しい光に包まれたのだった。
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