終わりと始まりに嗤う

イチ力ハチ力

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 部屋の窓から見える街灯の光は、屋敷の門の外を照らしても、敷地内まで照らすことはない。

 屋敷の外の光が届かない場所から、屋敷の正面の門に向かって、その鋭い瞳を向けるのは、この屋敷の唯一の老執事であった。

 時刻は、深夜と言って差し支えのない午前一時を過ぎた頃。屋敷の部屋の照明は消え、音は何処かへと去ったかのようだった。それもその筈、この広い屋敷の中で存在するのは、今は二人だけなのだから。

 通常ならば、屋敷の主人たる天真 桜花おうかと、専属執事である夜船よふね 一之進以外にも、給仕の女性が数人住み込みで働いている。その為、主人が屋敷内にいるのにも関わらず、彼女達が敷地内にいないということはあり得ないことだった。

 しかし、少なくとも今夜は、夜船よふねの判断により、暇を与えることにしたのだった。

 夜船の瞳が、一段と鋭く、そして険しくなった時、屋敷の門の前で街灯が誰かを照らしていた。

「まさかと思いますが……狼が家に来るなんて、童話だけにして欲しいものです」

 嘆息するとともに、夜船は両手の白い手袋をきつく締め直したのだった。


 常夜灯の光が、優しく桜花おうかを包む。窓から離れた場所に椅子を置き、そこに座っている姿は、西洋人形の様であるが、実際はそれ以上に儚く美しい姿だった。

 夜船よふねには寝ているようにと言われていたが、この時間になっても一向に寝れる気が桜花おうかはしなかった。今日一日で、色んなことが起こりすぎているのだ。嗜みとして、感情の起伏を普段から抑えている財閥令嬢だとしても、今日に限ってはそれは無理な話だった。

 窓に映る自分の顔を見ながら、自然と嘆息する。

 どれだけ思い出そうとしても、入学式の日に事故にあった記憶などありはしなかった。魔法という存在は、自身の目で確認した上に、既にこの世界は魔法を認めている為、“存在する”ということを理解するのに、確かに時間はかからなかった。

 異世界という存在においても、それは不思議と同様であった。しかし、そこに自分が夜船よふねと共に、しかもその出来事が一年以上も前の事であり、その世界に於いて三年間という時間を過ごしたという事実を告げられた桜花おうかは、文字通りに言葉が出なかった。

「時雨 彌太郎やたろう……ですか」

 答える相手がいないと分かっていながら、問いかけるように口から出てしまう名前。そして、思わず眉間に皺がより、およそ令嬢とは思えぬ程に渋面を作っていた。

 あまねが去った後、夜船《よふね》は異世界アレルガードの事を数時間かけて桜花おうかに聞かせていた。

 まるで幻想小説のような物語なのだが、自身が登場人物として語られ、それが非常にリアルだったのが、非常に気分が悪かった。そして、その話は夜船よふねが作ったとしたら、話を作る才能があるとしか思えない程に現実味を感じさせ、記憶がないのにも関わらず、おそらくあった事なのだろうと、桜花に思わせた。

 桜花おうかは、不覚にも心が躍ってしまっていたのだ。少女が寝る前に聞く御伽噺のように、老人の語る言葉に、胸が熱くなってしまっていた。だからこそ、眠れないのだ。

 苦しくも楽しく

 過酷でありながらも素晴らしく

 反発しながらも歩み寄り

 信頼と友情の先に手にしたモノ

「会うことが出来れば、思い出せるの?」

 天真てんしん 桜花おうか夜船よふね 一之進いちのしん、そして時雨しぐれ 彌太郎やたろうは、高校の入学式に向かう途中で異世界アレルガードへと召喚された。そして、三年をかけて魔神を討ち滅ぼした結果、この世界へと還って来た。

 正確に言えば、あの時に生きて帰って来れたのは桜花おうか夜船よふねの二人だけであり、彌太郎は身体は崩れていた。その為、夜船よふねは彌太郎がこの世界に還ってこれたのか確信を持っていなかったが、そこは桜花には伏せていた。

 桜花おうかは、夢想する。訪れたことのない世界、経験したことのない戦い、話したことの無い相手のこと。目を瞑り、瞼の裏に映し出す。それは小説を読んでいる時と同じように、情景を自分で想像している。そして、すこし寂しく思うのだった。



「狩人の住処は、確か此処だった筈。しかし、このリストは何基準なのか、よく分かりませんね。普通に此処を攻めていたら、少々の小金で命を落としかねないですよ?」

 風神かぜかみ 永新えいしんは、手に持つ普通紙に印刷された標的リストを眺めながら呟いた。

「まぁ、こんな少額でも別の目的があれば、襲いに来る輩もいるのでしょうが……どうしますかね、これ」

 呆れながら地面に転がる男達を見る風神かぜかみの目は、ごみを見る目だった。十数人の男達が、白目を剥いて気絶していた。これらは、すべて風神かぜかみが行ったことだが、ここまで程度の低い者だとは思わず、落胆の様子が見て取れる。

「まぁ、すでに身体も心も良い具合に火照っているので、問題はないですがね」

 そして門を押し開けた。まるで旧友の家でも尋ねるかの如き、そんな自然な動きだった。

「門の鍵は掛かっていた筈ですし、この時間の来訪は如何なものかと」

 物静かな口調の中に、確かな怒気を含めた言葉が風神かぜかみの耳に届く。正面の門から屋敷の玄関までの丁度真ん中あたりに、執事服を完璧に着こなす老執事が立っていた。

「お久しぶりです、“無慈悲”の夜船さん」

「“銀狼”をお招きしたとの事は、我が主人からは聞いておりませんが?」

「確かに招かざる者ではありますが、既に相当な客が来ているようですし。一人増えたところで、大したことは無いでしょう?」

 風神かぜかみは、木の影になっている場所を指差すと、分かりやすく微笑んだ。

 指が示す場所には、既に数十人の人間が折り重なるように積まれていた。一目見れば彼らが死していないことは分かる。声こそ聞こえないものの、倒れている者達が全員顔を歪められている上に、完全に心を折られている目をしていた。

「招いていない上に、塀を乗り越えてくる輩を私共は“お客様”とは考えませんよ。当然、正面から堂々と入ってきたとしても、鍵を破壊してくる者も同様ですし、何より……血の匂いをさせている狼など、もはや人かどうかも怪しい」

「まぁ、確かに先程狩りをしてきましたので、それはご容赦願いたいところですね。それに夜船さんは、この臭いは嫌いではないでしょう? それとも、お姫様のお守りをしている間に、体質改善でもしてしまいましたか?」

 お互いに挑発をしている様でいて、どこか馴染みの相手と会話をしているようだった。夜船よふねは終始無表情で、風神かぜかみは穏和な表情である。

「ここに来られた理由を、お聞きしてもよろしいですか? 他の方は話をされる前に、屋敷内に上がろうとするもので、貴方はそこまで弱くはないでしょう?」

 この言葉とともに夜船と風神かぜかみの間の空間に、亀裂が走ったかのよう見えるほどの緊迫感が場を支配する。

「夜船さんは、既に老ぼれと呼ばれる事にも違和感などお年寄りでしょうに、無理して威嚇などしなくてもよいのですよ? 」

「世間的には貴方も、十分にお年寄りですよ。年老いた狼さん?」

 八十代と六十代の意地の張り合いは、とても笑えるものではなかった。旧知と言えば聞こえがまだ良いが、二人は過去に何度か殺し合いをしているという仲である。

 夜船があまねの右腕であり、風神親子が始末屋として名を馳せていた頃の因縁。

「十七年振りですか」

「いえ、二十年振りですね」

 夜船の言葉に思わず怪訝な表情を作る風神かぜかみだが、既にそんなことを気にする段階ではなくなっている。

「【銀狼】」

 言霊が発せられ、風神かぜかみの身体が変化する。細かった体躯は肉厚な筋肉を纏い、着ていた品の良い和装がはち切れんばかりに盛り上がる。西瓜など軽く包めるほどの掌に、爪は見るだけで背筋が寒くなる程に、鋭利で一本一本が刃物の様だった。

 そして一番の変容は、その頭部である。

「ほほう、全身の獣人化という所でしょうか。あの頃は、身体の一部分だけだったと記憶しておりますが」

 感心する夜船よふねの前には、還暦を超えているなどとは、全く見えることのない体躯の上に、狼の頭部が乗っている狼男が立っていた。

「国会議事堂のテロがあった日、全身まで変化させることが出来る様になりましてね。勿論、あの頃と比べるのも馬鹿馬鹿しい程の力です」

 口調は丁寧、荒ぶることもなく物腰も穏やかに聞こえる声とは裏腹に、その眼は完全に獲物を見る狼のそれであった。高揚感が身体を支配し、戦っても良い相手が目の前にいるという事実が、風神かぜかみの心の枷を解き放とうとしていた。

 それを見た夜船よふねは、呆れて嘆息しながら両手の掌を広げると、袖から刃物が滑り落ち、両手に抜き身の短刀を手にしていた。

 そしてこの時には既に、目の前で興奮状態にある獣人から、ここに来て自分を襲う理由を聞き出すことを諦めていた。

「全身を獣人化した者が、まともに会話が出来ると思えませんし、打ち倒してから落ち着いて聞き出しましょうか」

 夜船よふねの言葉が合図となり、二人の再戦の火蓋が切って落とされたのだった。



 都内の高層ビル最上階で、天真 龍彦は窓から街を見下ろしていた。隙なく佇むその姿は、既に王者の風格すら見るものに感じさせた。

「兄さん、もう少し気を抜いたらどう? 僕は大丈夫だけど、他の人たちがビビって部屋から避難しちゃったよ」

 天真 士彦あきひこは、ソファーに寝転びながら双子の兄に対し、呆れながら声をかけた。嘆息をつくと、龍彦は窓の外から視線を外し、フロアの中央へと歩いて戻るが、その眉間には深い渓谷のような皺ができていた。

「今日という日に、次の時代の覇権が決まる。親父が当主に就いた時に決めた“縛り”を無くしたということは、そういうことだ。これだけ魔力が十分に供給される世界であれば、三日三晩寝なくても支障ない」

 五十歳まであと二年という歳でありながら、龍彦の見た目は下手したら二十代でも通用するのではないかと思えるほどに若々しかった。そしてそれは顔だけでなく、鍛え上げられた肉体もまたそれを後押ししており、百八十に届こうかという身長と合わせると、相手に威圧感を与えることは容易だった。

「そういうことを聞いた訳じゃないんだけどなぁ」

 双子である士彦あきひこもまた、龍彦と同じ顔、同じ体格、同じ声だったが、髪型だけは変えていた。自然に流れる髪を下ろしている龍彦に対し、士彦はオールバックにしていた。

「兄さんの護衛隊の詰所が、誰かに襲われて壊滅したみたいだけど、動かなくても良いの?」

「別に構わん。今宵の天真の混乱に紛れて攻撃されることは、想定内だ。それに主力の欠けた状態では、落とされても仕方がない。情けない話だがな。それよりも、親父の元へと行かせた部隊からの連絡が未だ入ってこない方が、気がかりだ」

 フロアの中央へと戻ってきたものの、ソファーに座ることもせずに仁王立ちする龍彦に対し、完全にリラックスしている様にしている士彦あきひこは、間を持たせる意味も含めて問いかけた。

「奥さんと息子君の方は、大丈夫なの? 他の兄弟が兄さんの跡取り候補の命を狙うことは十分にあると思うけど、特に警備増やしたりしてないよね」

「あの二人を守れるくらいの強さを持つような人員なら、迷わず親父の確保に向かわせる」

「あぁ、確かに。二人とも強いもんねぇ」

 何が楽しいのか、士彦あきひこの顔は微笑んでいた。

「それで、弱い桜花おうかちゃんには、警護を付けなくて良いの?」

 桜花おうかの名を聞くと、龍彦の表情が若干固くなった様に見えたのは、決して士彦あきひこの見間違いではないだろう。それを裏付けるように龍彦の眉間の皺が深くなったのを、士彦あきひこは見逃さなかった。

「継承権を持たない程の資質しかない娘など、誰も狙うことはないだろう。それに、何かあったとしても支障がない」

「もう“縛り”がないのだから、親父殿が定めた継承権ってのも関係ないんじゃない? 兄さんが新たな当主となれば、どうとでもなるのだから」

士彦あきひこ、お前は何が言いたいんだ」

「兄さんは、これまで親父殿から後継者指名された事で、何事も無ければ他の兄弟を差し置いて、天真家という一族の長となっていたわけだけど、それはもうさっき反故にされたも同じだよね」

 士彦あきひこが言う“さっき”とは、あまねが“縛り“の効力を破棄した事を指していることは、明白だった。当然、あまねが龍彦を指名した”後継者“という決定も、一族の者達を“縛っていた”。それもまた、白紙になったということ。

「だからこそ、俺がその力を示そうとしているのだろう」

「まぁ、そうだよね。兄弟の中で、ほぼ完成品と言っていいのは、兄さんだけだ。魔力量、戦闘技術、政治力、経営手腕、人心掌握術、およそ人の上に立ち統率する者として、これ以上ない才能の塊だ」

 龍彦は今の士彦あきひこに対し、生まれて初めての警戒心を抱いていた。自然と士彦あきひこが横になっているソファーから、足が一歩また一歩と距離をとるべく動いていた。

 龍彦と士彦あきひこは、一卵性双生児である。遺伝子レベルで、二人は全てが同じである筈だった。

 しかし、二人は異なってしまった。

 稀に見る絶大な魔力量と、平凡な魔力量。

 固有スキルユニークを持たない者と、“先祖返りリボーン”である者。

 人を愛した事がある者と、他人に興味が無い者。

 混乱を治めようとする者と、混沌を望む者。

 弟の心を知っているつもりだった者と、兄に心を隠していた者。

 光と、影。

 そして、事態は動いた。

 数十分後に、事の顛末が決まるまで、何者もこの部屋に入ろうとする者は居なかった。



 床や机、ソファー、壁、窓、天井に飛沫した血は、それがどちらのモノなのか、本人達にさえ区別がつかない。ましてや第三者がコレを見たとして、どちらかと分かるはずもない。例え遺伝子鑑定を行ったところで結果は同じなのだから。

 そう、結局のところ、自分が誰であると名乗った者を信じる他ない。

 度重なる振動と破壊音、雄叫びを不審に思った者達が部屋に入ろうとしたらが、鍵が掛かっており入ることが出来なかった。扉を破壊してでも中に入るべきだと皆が漸く決断した時、扉の鍵が開く音が、やけに大きく皆の耳に届いた。

 ゆっくりと開く扉を前に、誰一人動くことが出来なかった。そして、部屋の中から出てきた男が先ず口にしたのは、自分の名であった。

「俺は、天真てんしん 龍彦たつひこだ」

 名を口にした、ただそれだけのことである筈なのだが、男の前に居た者達は自然と平伏したのだった。
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