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二人
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七々扇律紀は、一筆奏雲について、心の中で【隠れる狂人】と呼んでいる。
一筆奏雲は、七々扇律紀について、心の中で【隠れる狂人】と呼んでいる。
二人は今、コンクリートの打ちっぱなしの壁に囲まれ、殺伐とした部屋の中にいる。一人は、右手を口元に当てがい煙草を吸っている中年男。相対する男は、真っ白な白衣をブランド物だと一目で分かる高級スーツの上から着るという、アンバランスな格好をしている。
時刻は二十三時。二人は今、都内にある旧邸の地下に居る。二十畳ほどの部屋の広さに、無骨な武器の類から、使用方法が一見だけでは判断の難しい魔導具まで、壁際に綺麗に並んで立てかけてあり、棚にも綺麗に並んでいる。
「こんな保管部屋は、お上にもうちにも届出がありませんが、一筆所長?」
「いわゆる秘密基地という奴だよ、七々扇君」
「おおかた秘密基地に転がってるのは、やらしい本や酒ってのが定跡なんですがね。これじゃあ、本当の基地じゃありませんか」
「武器庫ってのは、浪漫だよ」
互いに視線をぶつけ合いながらも、一切視線を逸らす事なく相手の目を見続ける二人の間には、まるで陽炎の様に空間が揺れているように見えた。軽口を交わしながらも、二人の魔力は既に二人の間で衝突していたからだ。
帰還者が二人、互いの魔力を拮抗させるには、少々この部屋は狭すぎる。部屋が悲鳴を上げるかのように、壁面のコンクリートにひび割れが生じ始めていた。
「七々扇君、少し魔力の出力を下げてくれないかな。私の秘密基地を、吹き飛ばすつもりなのかな?」
「それは、お互い様ってことで勘弁して下さいよ。見た目はインテリぶってる割に、その交戦的な魔力を一筆所長も抑えてくれると、この部屋を二人の共同作業で吹き飛ばすなんてことに、ならないで済むんですよ」
「どうかなぁ? 私は君の魔力の方にこそ、言い知れぬ破壊衝動、いや破壊というよりは明確な殺意を感じてるからこそ、自己防衛の為という事でしかないんだがね。七々扇君は、私が闇堕人だと考えているのだろう? だからこそ、その鈍器で殴り殺そうとするような魔力を私に向けるのだろう?」
「一筆所長は、闇堕人と違うんで?」
「闇堕人ですよぉおおおおおおおお!」
部屋の壁のひび割れが、一気に増えた。恍惚な表情を惜しみなく顔面に作り、そして遠慮なく自分が闇堕人であると肯定する一筆奏雲は、白衣をはためかせながら、両手を広げている。まるで何か天より降りてくるのを、体全体で受け止めるかの如くである。
「いつから、キャラ変えたんです? せっかく、これまでソレ隠して来んでしょうに」
深く肺の奥まで行き渡らした煙を、ゆっくりと吐き出した七々扇は、頭を掻きながらそう告げた。その言葉が耳に届くと、奏雲は天を仰いでいた顔を横に傾げながら、不思議そうに目の前の男を見た。
「七々扇君も良いのかい? 獲物の首元を噛みちぎるのを我慢できないことが、隠しきれていないなんて。いつもの君らしからぬ目に、なっているじゃないか」
七々扇の咥えている煙草が、奏雲の言葉が終わると同時に木っ端微塵に弾けた。その光景に奏雲は笑い、七々扇はため息を吐きながら胸元から新しく煙草を一本取り出し、口に咥えると、ポケットから取り出したライターで火をつけた。
「先程もそうなんだが、人の部屋に入る時も今も、ここで煙草を吸って良いかぐらいの事を、家主に聞くのは礼儀なんじゃないのかな?」
「別に構わんでしょう。どうせこの後すぐに、粉微塵になる部屋の事なんぞ気にするだけ無駄ってもんで、我慢する方が私の身体に悪いんでね」
「一応、ここの上は国の重要文化財の旧邸なんだけども……まぁ、君は私達相手には周りの事などお構いなしになるんだったね。院瀬見君がいつも会った時には、嘆いていたなぁ。本当に思うよ」
何故、刑事なんてやってるんだい?
捕まえるだけじゃ、満足なんて出来ないだろうに
見つけて追い詰めて震わせて
殺したんだろう?
耳に届く言葉は、誰の言葉だったか。七々扇は、目の前の一筆奏雲という男ではなく、その後に潜むアレを見る。嗤いながら手招きをするアレは、いつでも自分を受け入れてくるという安心感を、相対する者に与えるのだ。
煙草の煙は、ゆらりと立ち昇る。七々扇の視界を微かに煙らせ、思考が煙とともに揺らぎ出す。
七々扇律紀、四十二歳、独身。身長百九十弱、髪は白髪混じりで大体が寝癖付きのボサボサ。寝不足も珍しくなく、覇気のない表情が目立つ。現在の職は、国の特務機関“八咫烏”局長。そして前職は、刑事。彼の前職からの呼び名が、今も続く彼の二つ名となっている。
“辿り着く者“
七々扇は、大学時代に家族を全員喪っている。それは、事故とも言えるし、殺人とも言えるものだった。
彼の実家の隣の家で、自殺を試みた男がおり、運が悪くもその男が帰還者から覚醒した際に発動された力の効果範囲に、家族全員が入っていた。
祖母、父、母、妹、全員の身体に外傷は、全く見られなかった。室内が荒らされた形跡もなかったが、ただ一つ全員に共通していたのは、“窒息死”していたのである。そして、それ以外の何かは全く当時の警察は見つけることが出来なかった。
当たり前の事だが、能力はこの世界の常識を超える。大学の下宿先に居たことで、命を拾った七々扇とて、この時は未だ帰還者への覚醒前であり、この世界の理の中に生きる一人だったのだ。そんな彼が、真実を追うために刑事を志しても、何ら不思議ではなかった。
二十六歳になった七々扇は、警視庁の管轄内における序列一位の警察署にて刑事となった。そしてそれから更に三年が経とうとした時、国際手配されている快楽殺人鬼が日本に入国したとの情報が入り、更には東京に潜伏しているとの事も判明した。
七々扇は運悪く、その快楽殺人者と出会うことになった。そして、帰還者と覚醒するに足る死地を、この時に経験した。
「今も七々扇君、殺したくて殺してたく仕方ないんでしょう? 能力を使って、殺人を行った犯罪者達をさ。確かに能力者は、一般人の前では“常識外”と認識されるような力は扱えないけども、そうだと“気付かせなければ”可能だものね。そのあたりは、狩川首相も流石に国民に伝えなかったけど、それってどうなんだろうねぇ?」
一筆奏雲、五十八歳、妻に先立たれ現在独身、息子が一人。髪の毛はしっかりとセットし、着ているスーツはブランド物のオーダーメイド品。そして白衣愛好家で、趣味はバイク。“名前のない研究所”所長にして、【鍛冶屋】のジョブを得ている。そして彼は所長になる前から、ある名を欲しいままにしていた。
“便利屋”
二十四歳の時、大学院の卒業旅行としてバイクで日本の各地を巡る旅をしている時、北海道にて闇堕人と八咫烏との戦闘の余波に巻き込まれ、瀕死の危機に陥るが、その際に帰還者としての力を覚醒させる。その場に居合わせた八咫烏の隊員に入隊を誘われるも固辞。しかし後日、魔導具研究はどうかと問われ、“名前の無い研究所”へと入所した。
二十五歳には、所内の女性と結婚。その二年後には紫音が産まれた。魔力の資質がそれほど高くなかった紫音に、特段の興味が湧かなかった奏雲は、紫音の子育ては全て妻に任せた。
三十五歳で研究所の所長へと昇進したが、この時期から奏雲は魔導具開発に対する意欲が失われつつあった。この世界における魔導具の開発は、異世界に比べれば児戯程度の物を作るのにも精一杯だったからだ。それだけ、魔石と魔物の素材が無いという事実は、開発の大きな足枷だった。
四十歳を超えた頃には、奏雲は腑抜けになっていた。表面上は仕事をこなす毎日。異世界『ジィーカ』に召喚された時に、あれ程帰ってきたかった元の世界が、これ程までに退屈だとは思わなかったのだ。
そして五十三歳には、唯一の生きる理由であった妻と死別した。
彼女はとても優秀な研究者であり、妻であり、母であった。しかし、病が彼女を奪った。
もし、あの世界であったなら、きっと病を治す魔導具を作れたに違いない。奏雲は、優秀な研究者であり能力者としての資質も自分に次ぐ高さを誇る彼女を、愛していた。だが、喪った。
そして五年前のあの日、彼女の葬式を滞りなく終わらせると、自然に彼の足は都内の建設途中のビルの屋上に向かっていた。眼下に広がる夜の街の光は美しく煌めくが、彼の目には単なる白黒の世界であった。月明かりでされ、彼の心を照らすことはできない。
“あぁ、勿体無い。確かにこの世界は、とても退屈だよ? でも、慌ててこの世界から退場するのは、早い気がするなぁ”
屋上の端に立つ奏雲に、如何にも軽い調子で話しかける者が現れ、そしてこの夜、彼は闇堕人となった。
「今その事実を、総理大臣があの場で言うべきことがどうかなんて、一筆所長なら分かるでしょうに。あと、私が能力者の犯罪者を殺したくてしょうがないなんて事、此処でどう答えて欲しいんで?」
「いやぁ、七々扇君って、いつもやる気ないフリしてるじゃない? それが今の世界、理の改変が起きた世界において、君が本心を言葉として口にするかどうかには、大変興味があるんだよ、私はさ」
両手を白衣のポケットに納め、七々扇の顔を覗き込むように、そして煽るように顔を前に突き出す奏雲は、笑みを浮かべながらも、眼はしっかりと七々扇を観察していた。
「一筆所長も、腹にドス黒いナニかを巣食わしてたんでは? 貴方と会う時は、私は結構ストレス感じてまして。いつソレが、外に漏れ出さないかなとね。そしたら、コレですよ。組織の長が、他組織の長に対して仕事増やすとか、勘弁して下さいよ」
「そこは、持ちつ持たれつって奴で許してほしいな。此処にあるのはさ、私の作品ではあるものの、特別君達には脅威という事はないんだよ? むしろ、お国は即座にお買い上げしてくれる事間違いなしだからね」
目を細めながら、七々扇もまたコートのポケットに手を突っ込む。
「まさかと思いますが、持たぬ者が扱うことのできる魔導武器です?」
「その通りだよ! いやいや、そんな目をしないでくれよ。わざと今まで、研究所で作らなかった訳じゃないんだ。魔力的な素質が低いものの、発想と技術に加え天賦の才を持つ我が息子を持ってしても、今までは実現困難な話だったのだよ」
「それが、今は出来るようになったと」
七々扇の言葉に合わせるように、奏雲は壁際に並んでいる大剣を一振りと銃剣を一丁手に取ると、無造作に放り投げた。そしてそれは、自分を追ってきた七々扇の手にしっかりと渡った。
「へぇ、これはこれは。アッチの世界で、似た様な武器を兵士が持っていたのを思い出しますねぇ。この核となるものは、まさか魔石ってわけではないのでしょう?」
七々扇が持つ大剣と銃剣には、共に共通した水晶が埋め込まれており、中心では何か青色の光が揺らめいてるように見えた。
「それは、私が精製した擬似魔石と言ったところかな。ほら、昨日から魔素が存在する様になって、私達も魔力を十全に扱えるようになっただろう。だから、創れるようになったのさ。いやぁ、久しぶりに、良い汗? 良い魔力を流したよ。アッチの世界じゃ、特注品の製作よりも実際には、こういう品で荒稼ぎしてたって事もあったから、経験はやはり財産だねぇ」
「……ということは」
「当然! 此処にあるのは一部でしかないのと、私が【鍛冶師】としての力を振るえば、どれだけでも量産など容易く出ぎが!?」
突然の奏雲の苦悶の声が部屋に響くと、先ほどまでの部屋の状態と全く異なっていた。部屋の中に保管してある全ての武具、魔道具に対して淡く光る鎖が巻きついており、それは奏雲の身体に対しても違いはなかった。そして全ての鎖の大元は、先ほどから変わらず煙草を吸っている七々扇の影であった。
奏雲は繭にでも入ったかの様に、もしくはミイラにでもなった様に、糸でも布でもなく鎖が、顔すら出させることなく幾重にも巻きつかれてる事で、呻き声だけが微かに聞こえるだけだった。
「まぁ、これで捕まえられたとは思ってませんがね。取り敢えず、先手はこちらと言うことで、よろしく頼みますよ」
これでこの邂逅が終わったとは微塵も考えている様子の無い七々扇は、煙草を持ったままの右手を前に突き出すと、抑揚のない声で囁く。
「綺麗な花を見せておくれ “碇草”」
七々扇の詠唱と共に、奏雲を包んでいた鎖は植物へと変化していく。そして、花を咲かせるために蕾をつけ始める。
しかし、碇草が花を咲かせる事はなかった。
術者である七々扇の首に突如として触れた刃が、鋭く重く疾く、一瞬と表現するより刹那と呼ぶに相応しい間で、振り抜かれたからである。
都内某所、旧邸の地下に作られたコンクリートの壁に囲まれた部屋に、雨が降る。
鉄臭く、生暖かく、ぬるりとしたソレは、朱く紅く部屋を染めようとするのだった。
一筆奏雲は、七々扇律紀について、心の中で【隠れる狂人】と呼んでいる。
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「おおかた秘密基地に転がってるのは、やらしい本や酒ってのが定跡なんですがね。これじゃあ、本当の基地じゃありませんか」
「武器庫ってのは、浪漫だよ」
互いに視線をぶつけ合いながらも、一切視線を逸らす事なく相手の目を見続ける二人の間には、まるで陽炎の様に空間が揺れているように見えた。軽口を交わしながらも、二人の魔力は既に二人の間で衝突していたからだ。
帰還者が二人、互いの魔力を拮抗させるには、少々この部屋は狭すぎる。部屋が悲鳴を上げるかのように、壁面のコンクリートにひび割れが生じ始めていた。
「七々扇君、少し魔力の出力を下げてくれないかな。私の秘密基地を、吹き飛ばすつもりなのかな?」
「それは、お互い様ってことで勘弁して下さいよ。見た目はインテリぶってる割に、その交戦的な魔力を一筆所長も抑えてくれると、この部屋を二人の共同作業で吹き飛ばすなんてことに、ならないで済むんですよ」
「どうかなぁ? 私は君の魔力の方にこそ、言い知れぬ破壊衝動、いや破壊というよりは明確な殺意を感じてるからこそ、自己防衛の為という事でしかないんだがね。七々扇君は、私が闇堕人だと考えているのだろう? だからこそ、その鈍器で殴り殺そうとするような魔力を私に向けるのだろう?」
「一筆所長は、闇堕人と違うんで?」
「闇堕人ですよぉおおおおおおおお!」
部屋の壁のひび割れが、一気に増えた。恍惚な表情を惜しみなく顔面に作り、そして遠慮なく自分が闇堕人であると肯定する一筆奏雲は、白衣をはためかせながら、両手を広げている。まるで何か天より降りてくるのを、体全体で受け止めるかの如くである。
「いつから、キャラ変えたんです? せっかく、これまでソレ隠して来んでしょうに」
深く肺の奥まで行き渡らした煙を、ゆっくりと吐き出した七々扇は、頭を掻きながらそう告げた。その言葉が耳に届くと、奏雲は天を仰いでいた顔を横に傾げながら、不思議そうに目の前の男を見た。
「七々扇君も良いのかい? 獲物の首元を噛みちぎるのを我慢できないことが、隠しきれていないなんて。いつもの君らしからぬ目に、なっているじゃないか」
七々扇の咥えている煙草が、奏雲の言葉が終わると同時に木っ端微塵に弾けた。その光景に奏雲は笑い、七々扇はため息を吐きながら胸元から新しく煙草を一本取り出し、口に咥えると、ポケットから取り出したライターで火をつけた。
「先程もそうなんだが、人の部屋に入る時も今も、ここで煙草を吸って良いかぐらいの事を、家主に聞くのは礼儀なんじゃないのかな?」
「別に構わんでしょう。どうせこの後すぐに、粉微塵になる部屋の事なんぞ気にするだけ無駄ってもんで、我慢する方が私の身体に悪いんでね」
「一応、ここの上は国の重要文化財の旧邸なんだけども……まぁ、君は私達相手には周りの事などお構いなしになるんだったね。院瀬見君がいつも会った時には、嘆いていたなぁ。本当に思うよ」
何故、刑事なんてやってるんだい?
捕まえるだけじゃ、満足なんて出来ないだろうに
見つけて追い詰めて震わせて
殺したんだろう?
耳に届く言葉は、誰の言葉だったか。七々扇は、目の前の一筆奏雲という男ではなく、その後に潜むアレを見る。嗤いながら手招きをするアレは、いつでも自分を受け入れてくるという安心感を、相対する者に与えるのだ。
煙草の煙は、ゆらりと立ち昇る。七々扇の視界を微かに煙らせ、思考が煙とともに揺らぎ出す。
七々扇律紀、四十二歳、独身。身長百九十弱、髪は白髪混じりで大体が寝癖付きのボサボサ。寝不足も珍しくなく、覇気のない表情が目立つ。現在の職は、国の特務機関“八咫烏”局長。そして前職は、刑事。彼の前職からの呼び名が、今も続く彼の二つ名となっている。
“辿り着く者“
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七々扇は運悪く、その快楽殺人者と出会うことになった。そして、帰還者と覚醒するに足る死地を、この時に経験した。
「今も七々扇君、殺したくて殺してたく仕方ないんでしょう? 能力を使って、殺人を行った犯罪者達をさ。確かに能力者は、一般人の前では“常識外”と認識されるような力は扱えないけども、そうだと“気付かせなければ”可能だものね。そのあたりは、狩川首相も流石に国民に伝えなかったけど、それってどうなんだろうねぇ?」
一筆奏雲、五十八歳、妻に先立たれ現在独身、息子が一人。髪の毛はしっかりとセットし、着ているスーツはブランド物のオーダーメイド品。そして白衣愛好家で、趣味はバイク。“名前のない研究所”所長にして、【鍛冶屋】のジョブを得ている。そして彼は所長になる前から、ある名を欲しいままにしていた。
“便利屋”
二十四歳の時、大学院の卒業旅行としてバイクで日本の各地を巡る旅をしている時、北海道にて闇堕人と八咫烏との戦闘の余波に巻き込まれ、瀕死の危機に陥るが、その際に帰還者としての力を覚醒させる。その場に居合わせた八咫烏の隊員に入隊を誘われるも固辞。しかし後日、魔導具研究はどうかと問われ、“名前の無い研究所”へと入所した。
二十五歳には、所内の女性と結婚。その二年後には紫音が産まれた。魔力の資質がそれほど高くなかった紫音に、特段の興味が湧かなかった奏雲は、紫音の子育ては全て妻に任せた。
三十五歳で研究所の所長へと昇進したが、この時期から奏雲は魔導具開発に対する意欲が失われつつあった。この世界における魔導具の開発は、異世界に比べれば児戯程度の物を作るのにも精一杯だったからだ。それだけ、魔石と魔物の素材が無いという事実は、開発の大きな足枷だった。
四十歳を超えた頃には、奏雲は腑抜けになっていた。表面上は仕事をこなす毎日。異世界『ジィーカ』に召喚された時に、あれ程帰ってきたかった元の世界が、これ程までに退屈だとは思わなかったのだ。
そして五十三歳には、唯一の生きる理由であった妻と死別した。
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もし、あの世界であったなら、きっと病を治す魔導具を作れたに違いない。奏雲は、優秀な研究者であり能力者としての資質も自分に次ぐ高さを誇る彼女を、愛していた。だが、喪った。
そして五年前のあの日、彼女の葬式を滞りなく終わらせると、自然に彼の足は都内の建設途中のビルの屋上に向かっていた。眼下に広がる夜の街の光は美しく煌めくが、彼の目には単なる白黒の世界であった。月明かりでされ、彼の心を照らすことはできない。
“あぁ、勿体無い。確かにこの世界は、とても退屈だよ? でも、慌ててこの世界から退場するのは、早い気がするなぁ”
屋上の端に立つ奏雲に、如何にも軽い調子で話しかける者が現れ、そしてこの夜、彼は闇堕人となった。
「今その事実を、総理大臣があの場で言うべきことがどうかなんて、一筆所長なら分かるでしょうに。あと、私が能力者の犯罪者を殺したくてしょうがないなんて事、此処でどう答えて欲しいんで?」
「いやぁ、七々扇君って、いつもやる気ないフリしてるじゃない? それが今の世界、理の改変が起きた世界において、君が本心を言葉として口にするかどうかには、大変興味があるんだよ、私はさ」
両手を白衣のポケットに納め、七々扇の顔を覗き込むように、そして煽るように顔を前に突き出す奏雲は、笑みを浮かべながらも、眼はしっかりと七々扇を観察していた。
「一筆所長も、腹にドス黒いナニかを巣食わしてたんでは? 貴方と会う時は、私は結構ストレス感じてまして。いつソレが、外に漏れ出さないかなとね。そしたら、コレですよ。組織の長が、他組織の長に対して仕事増やすとか、勘弁して下さいよ」
「そこは、持ちつ持たれつって奴で許してほしいな。此処にあるのはさ、私の作品ではあるものの、特別君達には脅威という事はないんだよ? むしろ、お国は即座にお買い上げしてくれる事間違いなしだからね」
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「それが、今は出来るようになったと」
七々扇の言葉に合わせるように、奏雲は壁際に並んでいる大剣を一振りと銃剣を一丁手に取ると、無造作に放り投げた。そしてそれは、自分を追ってきた七々扇の手にしっかりと渡った。
「へぇ、これはこれは。アッチの世界で、似た様な武器を兵士が持っていたのを思い出しますねぇ。この核となるものは、まさか魔石ってわけではないのでしょう?」
七々扇が持つ大剣と銃剣には、共に共通した水晶が埋め込まれており、中心では何か青色の光が揺らめいてるように見えた。
「それは、私が精製した擬似魔石と言ったところかな。ほら、昨日から魔素が存在する様になって、私達も魔力を十全に扱えるようになっただろう。だから、創れるようになったのさ。いやぁ、久しぶりに、良い汗? 良い魔力を流したよ。アッチの世界じゃ、特注品の製作よりも実際には、こういう品で荒稼ぎしてたって事もあったから、経験はやはり財産だねぇ」
「……ということは」
「当然! 此処にあるのは一部でしかないのと、私が【鍛冶師】としての力を振るえば、どれだけでも量産など容易く出ぎが!?」
突然の奏雲の苦悶の声が部屋に響くと、先ほどまでの部屋の状態と全く異なっていた。部屋の中に保管してある全ての武具、魔道具に対して淡く光る鎖が巻きついており、それは奏雲の身体に対しても違いはなかった。そして全ての鎖の大元は、先ほどから変わらず煙草を吸っている七々扇の影であった。
奏雲は繭にでも入ったかの様に、もしくはミイラにでもなった様に、糸でも布でもなく鎖が、顔すら出させることなく幾重にも巻きつかれてる事で、呻き声だけが微かに聞こえるだけだった。
「まぁ、これで捕まえられたとは思ってませんがね。取り敢えず、先手はこちらと言うことで、よろしく頼みますよ」
これでこの邂逅が終わったとは微塵も考えている様子の無い七々扇は、煙草を持ったままの右手を前に突き出すと、抑揚のない声で囁く。
「綺麗な花を見せておくれ “碇草”」
七々扇の詠唱と共に、奏雲を包んでいた鎖は植物へと変化していく。そして、花を咲かせるために蕾をつけ始める。
しかし、碇草が花を咲かせる事はなかった。
術者である七々扇の首に突如として触れた刃が、鋭く重く疾く、一瞬と表現するより刹那と呼ぶに相応しい間で、振り抜かれたからである。
都内某所、旧邸の地下に作られたコンクリートの壁に囲まれた部屋に、雨が降る。
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ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !
本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。
主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。
その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。
そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。
主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。
ハーレム要素はしばらくありません。
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