自粛の世界と一割の本物

壬生葵

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scene4(終)

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 ビデオ鑑賞も程々にして、しっかり眠ったおかげで快調だ。病院の前で待ち合わせと聞いていたけど、二人はまだ来ていないようだ。

「ちょっと早く来ちゃったかな」

 スマホで「着いてるよー」とだけメッセージを送ってぼーっと待ち呆ける。病院前の道は人通りが疎らで閑散としている。内科や呼吸器科に限らず、今の時期に病院に行くのは気が引けるものね。病院は病院で感染者が出た時点で業務を止めなくてはならないだろうし、さぞかしピリピリしているんだろうな。
 ロビーで防護用ガウンを着た看護師が立って、来院者に声をかけているのが見える。厳重も厳重、こんな中にずかずか入り込んで良いものだろうか。
「お待たせ」と背後から声をかけられる。振り返ると、相変わらず輩にしか見えない二人組がそこにいた。
 ……って、あれ?

「外で服を着ている!」
「君は俺を何だと思っているのかな?」
「だって外で見たの初めてだったんだもん」
「かわい子ぶっても正体はバレているぞ。痴女子大生」

 ひどい言い草だ。私だって好きでこうなったんじゃないやい。大体私は外では趣味を全開にしていないし、まだ清い体を保っている。私はずっと右手一筋だ。いや、左手の時もあるな。待てよ? おもちゃのブルブル君もいるぞ。あれ? そういえば触らずに音声だけの時もある。あれもあるし、これもそれもあるな……。

「良いから行くぞ。むっつり大学首席」と、康さんは私をバッサリ切り捨てて病院の入り口に向かう。

「待ってよ。このまま入るの?」
「平気平気、ほら行くよ」

 いやいや、このままだと受付を通さなくちゃいけないし、無断で中に入ろうとしたら職員さんに止められるって!
 私の忠告に構わず二人はすたすたと自動ドアを通ったので仕方なくついていく。

「あれ?」

 受付の女の子も、ツンと澄ました看護師さんも、にこやかな薬局のお姉さんも、爽やかな検査技師のお兄さんも、それと……以下略、誰も私達に気付いた様子がなく視線すら向けない。まるで私達の存在が見えなくなったかのように。

「いつの間に使ったの?」
「お待たせって声をかけた時から」

 足を止めずに待合を素早く抜け、エレベーターホールに到着する。

「病棟に菌を持ち込んじゃいけないからな」

 ピインとした圧が走る。康さんの時止めが発動した。別位相に飛べば、元の世界のウィルスや細菌の影響を受けないのだという。

「こっから母さんも飛ばせるの?」
「この建物の中くらいなら射程内だ。対象に選べる」

 静止状態ではエレベーターが使えない。併設された階段で病棟まで駆け上がっていく。
 息を切らしながら二人の後を追う。まったくもう、女なんだから少しは労わってよ。

「それより時止めはわかるから良いけど、透明化も使っていたなら言ってよ。っていうかおかしくない? 透明人間って服着てたらバレるじゃん」

 前を行く二人がいきなり足を止めたのでぶつかりそうになった。見上げればどちらも「しょうがねぇ奴だなぁ」という表情を浮かべている。

「えっ? 何?」
「あー嬢ちゃん、こいつの説明をちゃんと聞いていなかったもんな」
「興奮して奇声を上げていたもんねぇ。俺は言ったよ? 『人やを透明化できる能力』って」

 ……じゃあ服を着ていても透明になれるの?

「服も透明化させられるからね」

 ……じゃああんたは何で普段は服を着ていないの?

「そこを語るのは野暮なもんさ」

 そんな……。私、けっこう覚悟していたのよ。初心なこの体を男の前にさらけ出すことも、公共の場で裸になることも、母に成長した姿をありのままに見せつけることも、その時を想像して夜な夜な逡巡を重ねたのよ。

「まあ女の子は気にするよね」
「ろくに話を聞いていないのが悪い」

 何ならその為にムダ毛のケアも頑張っていたし、少しでもお肉がつかないように夜のお菓子だって控えていたのに……。

「私の今までの頑張りは何だったというの……」
「うだうだ言ってないで行くぞ。病棟はもうそこだ」

 踊り場から静止した病棟を窺う。時止めのおかげでしんと静まり返っており、病院独特の雰囲気と相まって寒々しい。人の気配や喧噪が止まるだけでこうも景色が一変するなんて。
 ひたひたと歩を進め、病室の表札を確認する。目的の部屋を見つけると、息を殺して忍び込む。誰にも気が付かれないのはわかっているが、どうもやましい行いをしているように感じてしまう。これじゃまるで夜這いじゃない。

「いらっしゃい」

 カーテン越しに優しく声をかけられる。久しぶりに耳にした肉声は少しか弱く聞こえた。でも、温かさは変わらなかった。足取りが思わず早くなり、パタパタと彼女の元へ駆け寄る。

「母さん!」
「久しぶりね。どう? 元気にしてた?」
「うん。まあね」

 本当は年甲斐もなく胸に飛び込みたいくらい嬉しかったけど、それは我慢した。遅れて男優の二人もやってくる。

「お袋さん、依頼通り娘さんをお連れしました」
「ええ、ありがとうございます」
「ねぇ、母さんと康さん達ってどういう関係なの? そもそも何で私をここに来させたの? 携帯壊したなら早く言ってよ。ご飯食べられているの? ちょっと痩せてない? あと――」
「まあまあ待ちなって」

 矢継ぎ早に質問する私をうすにんが制する。「気持ちはわかるが落ち着け」と宥められ、自分の気が少々高ぶっていたことに気付く。

「説明するにはまだ役者が足りないわね」
「え? 役者? 他の男優も来るの?」
「ん? 何で目をキラキラさせているの?」

 おっと危ない。親にこの趣味がバレたら恥ずかしいにも程がある。あれ? でも母さんは康さん達のことを知っているんだよね。まさか母さんもこの手の趣味を!?
 爛れた思考に耽る私をよそに康さんが母さんに告げる。

「もうじき来ると思うんですがね」

 いったいどんな男優さんなんだろう。ワイルド系? 好青年系? チャラ男系? 汚い系だったらちょっとやだな……。脳内アーカイブ起動、姿を確認し次第、即特定に移る。
 ドキドキしながらその時を待っていると、廊下から何者かの気配が刻一刻と近付いてくる。うはぁ、早く早く。
 その者はためらいもなく病室に入って姿を現した。
 見えた! そこっ! 脳内アーカイブフルドライブ! 三秒で片を付けてやるぜ。

「にゃあ」

 にゃあ? 灰毛に黒模様、青眼、とんがり耳、可愛い……特定完了、オスカー。

「オスカー?」

 何でこの子がいるの? 散歩用の出入り口は開けてあったけど、普通はここまで来られないでしょ。この中で動いているということは康さんが連れてきた? いや、ずっとついてきていた?

「気付いていたのね」
「ええ、まあこれでも業界の人間ですから」

 大人達は知った顔で得意げにしていてあてにならないし何なのよ。いい加減、私にわかるように説明してよ。

「それなら僕から説明しよう」

 ベッドに上ったオスカーが落ち着き払った口調で私に語りかける・・・・・……語りかける?

「んんんんんんん!?」

 速報、我が家の猫、喋る。
 たまげる私に向かってオスカーはなおも言葉を続ける。困惑の極みにある私を慰撫するような甘い口調はどこか懐かしい。私はこの人を知っている。

「今まで黙っていてすまないね」
「もしかして……父さん? 父さんなの? どうしてオスカーが……」
「父さんもね、能力者だったんだよ。そして、父さんは元男優だ。と言っても初めての作品で撮影をボイコットしちゃったんだけどね」
「ちょっと意味わかんない」
「まあ説明するからちゃんと聞きなさい」

 父さんが優しく微笑んだ気がした。猫が「ふふふっ」と笑うはずないんだけど、とにかくそんな気がした。

「父さんの能力は肉体ジャック、己の精神を他の人や動物に乗り移らせることができるんだ。僕は今まで定期的にオスカーの体を借りて、意識だけ家に帰ってきていた」
「オスカーの体を借りて……。っていうことは今まで私の行動は……!」

 しょっちゅう家を空けていたのに、私のことをよく知っていたのはそういう訳だったのか。父は母と連絡を取り合うだけでは知りえない出来事まで把握していた。オスカーの目で私を見ていたのなら納得がいく。つまり、私の――。

「そう。もう二十歳の娘に言いたくないが、掃除はちゃんとしておきなさい。あと、ハメを外しすぎないように・・・・・・・・・・・・

 バレている。間違いなく、バレている。コレクションも普段の一人運動会も何もかも。恥ずかしすぎて汗がちょちょ切れる。動悸が止まらない。どうしよう。死にたい。

「み、見ていたのなら言ってよ! 何よ! こっそりしこしこ娘の生活を監視して! オスカーの体も乗っ取って! 超キモい!」

 恥ずかしさと同時に怒りも湧いてくる。最低! 最低! 最低! と瞬間的に思いついた単語で灰猫を面罵する。
 遠方からオスカーを乗っ取れるということなら、どこに居たって私の周りの全てを思いのままに操ることだってできるじゃないか。

「おい、ちょっと言い過ぎだぞ」
「康くん、良いんだよ」

 猫はふるふると首を振って康さんを制する。そして「僕の能力にだって制限がある」と話し始めた。

「まず、乗り移るにはその体との相性がある。それが合わなければ、僕の意識は定着できない。次に体の持ち主が明確に拒否を示せば、僕の意識は弾き出される。応用すれば精神の交換も可能だが、それも同様の制限が付く」

 つまりオスカーは拒否感を持っていないというのか。そういえばオスカーは家族の誰よりも父に懐いていた。

「お前のことが心配で人や動物の目を借りて見守ったりはしていたが、周りの人間を操ってどうこうしたりはしていない。それだけはわかってほしい」

 だとしても度を越えている。どれだけ子離れできていないのだ。それだけで隠れて見ていた理由になるとでも?

「もちろん大事な理由がある。それはお前が能力者の子だからだ」
「それって私にも能力が発現するかもしれないってこと?」
「そう。能力の開花には一定の兆候がある。十六歳、十八歳、二十歳のいずれかの誕生日前後に尋常じゃないレベルで性的欲求が高まるんだ。男だとわかりにくいが、女の子の場合、元々は関心が薄かったりするからこの兆候をはっきり判別できる」

 私は今年二十歳を迎える。ドスケベ化したのはこの自粛が始まった頃からだからちょうど当てはまる。「社会的欲求の不満を性欲で満たしていた」とは何だったのか。

「能力が拓く時というのは危険を伴う場合がある。制御できずに周りや自身を傷つける恐れだってあるんだ。だから僕はそれぞれの歳の誕生日が近付いたら、何があっても目を離さないようにしていた。両親から因子を受け継いでいたら半端じゃない力が目覚める可能性もあるからね」

「両親」というワードに引っ掛かりを覚える。能力者は父だけではなく……。
「黙っていてごめんね」と母が呟いた。「ああ、やっぱり」という気持ちが半分、「どうして」という気持ちがもう半分。納得しなきゃならないんだけど、受け入れられない自分がいる。

「二人共役者だね」
「そうなんだよ。母さんも役者だったんだ」

 比喩というか、嫌みに近い感覚で放った一言がさらなる疑念を生む。母さんも? 父さんがAV男優だったのなら、もしかして母さんは……。

「昔の話よ。母さんね、悪い人に騙されて無理やり、そういうビデオを録る場所に連れていかれたの」

 どこかで聞き覚えのある話だ。康さんとうすにんは合点がいった様子で話に聞き入っている。

「私のマネージャー、ううん正体は人を売り込むブローカーね。その人は録るまで付きまとうって言っていて、実際に何度拒否しても逃げ出しても母さんの居場所を突き止めて追いかけてきたの」
「昔は何でもありだった。たしかに販売されていた作品の中にはそういう物もあった」
「世間知らずなとこもあったし、自慢になるけど見た目も悪くなかったから、そこに目を付けられたのでしょうね。その男のせいで身も心もぼろぼろになっていったわ。とにかく早く解放されたかった。ただ、撮影はいつまでもできなかった」
「男優が使い物にならなかったのね」

 うすにんが話していた都市伝説は真実だった。しかもその当事者が母だった。噂の通りならば、つまり母の能力は男性機能の破壊?

「少し違うわ。私の能力は吸精、他人の性欲を奪い取るの。今でこそある程度制御できるのだけど当時は発現したて。しかも自覚がなかった。私の負の感情に反応して知らず知らずの内に能力が暴走していたの。男優だけじゃない。周りにいたスタッフにも影響が出ていて、呪いや祟りとまで言われていたわ」

「それはとんでもねぇ」と康さんが嘆息と共に言葉を漏らす。世の男性にとっては空恐ろしい出来事に違いない。
 ここでピンと閃く。母が私に会おうとしたのは――。

「こっそりだけどね。あなたがお見舞いに来た時に力であなたの性欲を制御していたの。能力の開花と性欲は密接な関係があったから。一人だと何をしでかすかわかったものじゃないしね。面会制限がかかってからは、不特定多数と交わったりしていないか気が気でなかったわ。一人で済ましていてくれてほんと良かった」
「そ、そう?」

 気まずさでじっとりとした汗が止まらない。自慰行為が両親にバレるのはどこの家庭にもあり得ると思う。ただ、それに対して明確に喜びを表される家庭はうちくらいじゃないかな。

「直接会おうとしたのはそういうことだったのね。それで母さんは私の様子を父さんから聞いて、すぐさま対処しないといけないと思った」
「うすにんくんと康くんとは僕の仕事のツテでね。事情も聞かずに引き受けてくれた」
「旦那さんには昔から世話になっていたんでな」
「世話になった?」
「ああ、父さんな。お前にはずっと仕事を明かさなかったけどな。実はプロダクションで監督をしているんだ。母さんのような人が二度と出てこないようにな」

 この齢にして親の職業を知ることになるとは……。どうせならもっと早く教えてくれても良かったのに。
 ちなみにどこの事務所なのかと尋ねると、父はそこそこ有名な事務所の名前を挙げた。私が最も推している女優さんと男優さんが所属している事務所じゃねえか! どうして言ってくれなかったのよ!

「だって女の子は嫌がる子が多いじゃないか。お前に嫌われたら、父さん生きていけないよ」
「わからなくもないけど、誰の娘だと思ってんのよ。そんなの自慢に思うに決まっているじゃん」
「か、母さん、今の聞いたかい? 体だけじゃなく心も立派に育って……」

 オスカーを通じてあれこれ見られているだけに妙に生々しい。照れを隠す為に話題を戻す。

「それで、母さんはどうやって悪徳ブローカーから逃れられたの?」
「父さんが助けてくれたのよ」
「父さんが? こんなヘタレなのに?」
「ヘタレは余計だよ」

「フシャー」と板についた猫らしさを発揮しつつ、父は当時のことを語り始めた。

「父さんと母さんは撮影所で出会った。父さんは新人の男優として初めての撮影、母さんは多数のベテランを再起不能にした後だった。人手不足だったのもあるが、新人同士なら何らかの化学反応が起こるのかもしれないという意図があったのかもしれない。題材は父さんの能力を生かして男女入れ替わり物だった。しかし、撮影はできなかった。当たり前だ。対象に拒絶されたらジャックはできない」

「そんな理不尽な撮影をどうやって乗り越えたんですか?」とうすにんが問う。単純な興味というより偉大な先人に学ぼうとする真摯な姿勢が見えた。何だ、真面目な顔もできんじゃん。

「乗り越えてなどいないよ。一緒に逃げ出したんだ。言っただろう? ボイコットしたって。当時の監督が「どうせ無理だから一緒に昼飯にでも行ってこい」と言ってお金を握らせたんだ。それはランチには余りある金額だったから、事情を知っていた監督の善意だったんだろうね。僕は母さんを昼食に誘って、そのまま一緒に抜け出した」
「急いでありあわせの荷物と手持ちのお金を持ってアパートを離れたわ。でも思ったよりあっさり逃げられた。半ば諦められていたからなのかもしれないわね」

 当時を懐かしむように母は語る。実際はずっと壮絶だっただろうに。
 いつも穏やかな母の強さを知れた気がした。それに父をどこまでも信頼しているのだとも。

「それからほとぼりが冷めるまで身を潜めた。父さんはジャック能力を使って、知り合いと連絡を取り続けていたおかげでまた業界に戻ってこれた。新しい仕事に就くのも考えたけど、他にも母さんのような人がいたらと思うと後ろめたかったんだ。自分が良ければ他人は良いのかってね」

 両親の馴れ初めを聞いたのは初めてのことだった。彼らの愛の裏側にある覚悟と信念を知って、自分の幼さを悟った。私はまだまだ両親には敵わない。

「でもさ、不思議っすよね。逃げてからも吸精の力が制御できていた訳じゃないですよね? それからどうやって娘さんが生まれたんですか?」

 たしかに無差別に男の機能を失わせる程の力だし、一朝一夕でどうにかできるものじゃないよね。父だってもろに影響を受けていたはず。

「それがね。父さんの物はそんなの構わずぶち抜いてきたの」
「は?」

 随分母らしくない言い回しだ。母は顔を赤らめながらなおも語る。私にとっては針のむしろだ。惚気の限度を超えている。自分の製造過程を明かされてショックを受けぬ者なんていない。

「新しい生活を始め、安心できるようになってくるとね……。父さんのことが狂おしいほど、いいえ、もはや愛しくて狂っていたわ。あの時の私達は間違いなく愛欲の化身だった」
「吸精で性欲を奪っていた反動だったんだろうね。不安が解消されたことで蓄積された性欲が一気に解き放たれ、僕に向けられたんだ。ジャックで肉体の自由を奪って抑え込もうとしたけど無駄だった。でも、ジャックの最中に母さんの精神に触れたことで全てを理解した。この人こそ運命の人だってね」
「ねぇ、誰か耳栓もってない? 聞いているだけで死にそう」

 はいはいごちそう様、熱々で羨ましいこって。
 でも両親の仲が良い理由がよくわかった。母にとって父は恩人でもあるんだ。

「本当の恩人はあの時の監督さんだよ。でもほとぼりが冷めた頃にお礼を言いに行ったら、彼はもう業界にいなかった。あの後、すぐに監督業を辞めたらしい。撮影を諦めたのも、元々辞めるつもりだったからなのかもしれない」
「監督さん、辞めちゃっていたんだ。残念だね」
「うん。僕が監督になったのは彼への恩返しでもある。辞めていった人達が叶えられなかったことを僕の手で叶えてやりたいんだ」

 作品って欲望だけで作っているんじゃないんだね。ただエロいことをするだけじゃないんだね。
 気持ちを聞けて少しだけ父に近付けた気がした。母が父を信頼しきっているのも今なら間違いではないんだと頷ける。

「父さんが作った露出物なら観られる気がする」
「えっ? じゃあ主演は俺で! ギャラもいりません!」
「あの世へのギャラなら払うよ。六文だっけ?」

 すかさず話に入ってきたうすにんを言葉で切り伏せる。黙っていたかと思えばすぐこれだ。
「露出物? どうしてまた」と父が問うたので、私は「実はね」と事情を伝えた。性欲がほとばしっていても露出の性癖だけはどうしても受け入れられないこと、その原因はおそらく過去の出来事が関係していること、大よそを聞いて母が「ああ」と嘆息した。

「よく覚えていたわね。母さん、あなたに言われて初めて思い出したわ」
「やっぱり実際にあった出来事なんだね」
「ええ、でもあれがトラウマになっているとは考えもしなかったわ。事実とはちょっと違うし」

 事実とは異なる? 記憶の奥底に追いやっていたみたいだし、本当は思い出したくもない出来事なのかもしれない。

「違うわ。思い出す価値もない出来事よ。むしろその露出魔の方が二度と思い出したくないでしょうね」

 母が悪い顔をした。かつての美しさを彷彿とさせる微笑、それは魔性の輝きを放っている。
「昔ね」と母は語り出した。

「あなたが生まれて、父さんが業界に戻ってからのことね。冬が終わり、少しずつ春めいていた頃だった。あなたを連れて買い物に行ったその帰り道、例の露出魔が現れた。その男はね、私の知り合いだったの」

 行く先々で変なのと出会うのは母譲りなのかもしれない。何かその手の人々と波長が合うんだろうな。母も。私も。
「かもね」と母は父を見ながら笑う。なるほど、その人も大概「変なの」だ。灰猫は小首を傾げていた。

「まぁその知り合いは質の悪い知り合いね。さっきの話にも出た、悪いブローカーさんよ。撮影がポシャって、上玉の獲物にも逃げられて、散々だった彼は最後の執念を燃やして私に「暴力」を振るおうと考えた。数年越しにやっとのことで見つけられてよっぽど嬉しかったのか、あの男は喜々としてそう語ったわ……。まぁ私に反撃されるなんて思いもしなかったでしょうね」

 反撃……ということは母がその男を組み伏せたというの? それとも催涙スプレーとかスタンガンとか使ったのかな。
 でも女の細腕で反撃って難しいよね。武術や護身術を習っていたとも聞いたことがない。

「彼はすぐさま物を出せるようにコートの下は裸だった。こっちはバックと買い物袋を提げただけの女子ども。「子どもの身に何かあっても」と脅迫して連れ去れば良いと踏んでいたのでしょうね」

 でもそれは誤算だった。子どもを脅迫の材料にしたことで彼は獅子の尾を踏んだのだという。

「何としてもあなたを守らなければと思った私は、ありったけの出力で男に能力を放ったの。すると、コートの上からでもわかるほどに怒張していた物が砂のように……」

 男性陣と猫が無意識に股間をきゅっと抑えた。

「想像を絶する痛みだったのでしょうね。突然のたうって絶叫し出した彼を見て、周りの人が通報してくれた。それから取り調べやら何やらで大変だったわ」

 記憶を封じた理由がわかった。私は一連の様子を目の当たりにしていた。子どもの低い視点からだと、コートの隙間から男の物が見えていたのだ。いや、本当は見せていたのかもしれない。その為に人体の一部が砂のように崩れ落ちていく様まで目にしていたとしたら……。記憶を覆い隠してしまうのも無理はない。

「一応カウンセリングにも行ってケアしたつもりだったんだけどね。大きくなってからも何も言わなかったし」
「父さんが私にジャックを使えば、多少は精神状態を感じ取れたんじゃないの?」
「母さんに使ったのは例外であって、家族に使うつもりは毛頭ないよ。それにさ、能力を使って娘のことをわかったつもりになっていたんじゃ、親失格だよ」

 父は悲しげに語った。能力に頼るばかりに道を誤った者を多く見てきたのだと。決して万能ではないし、非能力者よりも優れている訳でもない。むしろ力が心を曇らせるのだという。

「親父さんの言うことはもっともだな。嬢ちゃんも力に目覚めたら、今の言葉を忘れちゃいけねえ」
「うん……。あーあ、私にはどんな能力が付くかな」
「どんな能力でも君は君。俺は何があったって君の味方だよ」
「うん。うすにんさんもありがと」
「あれ? そう言われると調子狂うなあ」
「慌てずともじきに目覚めるよ。今日が何の日かわからないのかい?」

 父がモフモフの手でカレンダーを指す。自粛期間に入ってから、日付や曜日を意識した生活を送ってこなかったツケが回っている。もうこんなに経っているんだなあとしみじみと眺める。
 それで今日はえーっと……あれ……?

「やっぱり忘れていたのね」
「本当は家族で集まりたかったんだけどね。こんな形になってしまってすまないな」

 謝る両親に私は目一杯の笑顔で応える。
「ううん、ありがとう」と偽りのない思いを言葉に込めた。

「むしろ特別な日になったよ。AV男優にも祝ってもらえるってなかなかないよ。しかも一割の本物!」
「邪魔している身なのに悪ぃなぁ」
「康さんは堅いね。後で盛大なプレゼントを贈るよ。グッズならいくらでもあるから」
「それ、在庫処分じゃないよね?」
「それそれ、その調子だよ。そのままの君でいてくれ」

 軽口も交えてのささやかな祝福が贈られる。
 いつの間にかやってきていたその日、大人になった自覚は全然ないけど、たぶん皆そう思いながら大人になっていったんだろうな。今日を迎えたからといって、これから何かが変わる訳ではない。私は私のまま生きていこう。

「誕生日おめでとう」

 自粛の世界で私は一割の本物に出会った。


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