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6〈了〉

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 機体の内外に集っていたエクスタシウムがこちらの意思に共鳴する。意思の伝播は周辺に留まらず、果てしなく広がっていく。とても遠い所にも声が届いている気がした。何かがこちらの呼び声に応えてくれている感覚を覚える。計器を見ると出力が異常な数値を叩き出していた。
「これは……!? まさか君も次元超越――うおぉ!?」
 こちらに覆い被さろうとしていた相手を蹴り飛ばし、態勢を整える。
「これなら……逝ける!」
 意識を空間へ迸らせ、エクスタシウムを呼ぶ。光の粒が欠損した腕部を補うように寄り集まって腕を構成した。まるで生まれつきの体のように意識に追従して動く。再生した腕を相手へ突き出し、昂らせた情欲を放つ。光弾が虚空を波立たせた。
「くっ!」
 エンキュバスは正面から閃光を打ち払う。衝撃の余波で周辺のデブリが尽く無に帰した。
「ノーチャージで龍星と遜色ない攻撃を放つとは……! それでこそ……それでこそだよ!!」
 相手もまた次元の向こうからエクスタシウムをその身に取り込む。飽和したエネルギーが空間に澱ませる。粒子が寄り集まって気流となり、二機の間でぶつかり合って光の飛沫が立つ。エンキュバスは再度ビットを展開し、周囲を取り巻く性なる光を己の意思の下に集わせた。光は無数のビットへと形を変え、整然とこちらに対峙する。
「次元超越生成で作り出した三億基のスペルマだ。僕の全身全霊……君に届けてみせる……!」
 膨大な情欲の結実がその場を圧する。でも、私は怖くなかった。むしろ喜ばしく思っていた。満たしてくれる相手に巡り合えたと、本能的に悟っていた。
 たかが三億、されど三億……。この宇宙の桁違いな広さに比べれば、どうということはない数字だ。私は息を吐いて、相手を見据える。
「いいわ。来て。あなたの全てを私に射精して」
「逝くぞ!! オリヒメ!!」
「望むところよ!! ヒコボシ!!」
 宇宙に吹く風に乗って、スペルマが五月雨の如く襲いかかる。精子の雨は大いなる流れを作り、濁流となってこちらを飲み込もうとしていた。私は呼応しているエクスタシウムを全てサーキバスの中へ取り込ませる。出力に耐え切れずに機体が悲鳴を上げる。
「サーキバスお願い……! あと少しだけ保って!」
 同時に絶大な快楽が肉体を包み、精神が軋み始める。意識が体から引き剝がされそうになりながらも、喜びを超越して苦痛と化した奔流に抗う。
「くっううううう……」
 あらゆる並行世界からの贈り物が意識に雪崩れ込む。別の世界線の私と彼の思い出が脳の表裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
(ああ……。あんなことも……。こっちは何てはしたない真似を! 噓でしょ!? あれが気持ち良いなんて信じられない!)
 無限に広がるエロティシズムが理を崩していく。その情景はこの上なく興奮を掻き立て、胸を高鳴らせてくる。究極のフェティシズム……それは秩序からの逸脱、禁忌への侵犯。すなわち過ちを愛すること。命を奪う行為は言うまでもなく、倫理から外れた所謂「過ち」であり、お互いにそれを求め、為そうとする相手を愛おしく思う……。今、私たちが没頭している殺し合いは究極の愛の形なのかもしれない。それは世界に瑞々しさを取り戻す為とはいえ、どうしようもなく愚かな行いだ。ただ、禁忌には二つの意味合いが存在すると私は思う。一つは下劣が過ぎる故の禁忌、もう一つは高潔深遠なるが故の禁忌であり、エロティシズムは双方の趣を兼ね備えた概念だ。命を奪う愚行に倒錯を抱き、命を生む徳行の価値を測るのは何も矛盾していない。
「うああああああ!!」
 溜め込んだ恥じらいを発散しながら宇宙を疾駆し、サーキバスは精液の猛追を振り切らんとする。光波がぶつかり合い、対消滅を繰り返す。それでも幾億基のビットは勢いが衰えない。苛烈な攻めに対し、針状に集束させた粒子を無数に放って迎撃する。爆発が泡沫のように沸き起こり、音のない歌が戦場にこだました。
「逃がすものか!」
 ヒコボシの官能が最高潮に達する。エンキュバスはさらに粒子を呼び寄せ、集まったエネルギーを以て巨大な光の刃を作り出し、天高く掲げた。屹立した逸物は天を貫き、果ての果てまで伸びている。
「受け取れええええ!!」
 自らが放ったビットと一帯を取り巻くエクスタシウムを飲み込みながら、光の柱がこちらに向かって振り下ろされる。大いなる一撃は空間を歪曲させ、裂けた次元の狭間からさらに力を取り込みながら迫りくる。
「これが彼の全力……!」
 私はサーキバスのありったけの出力を以て白光を受け止めた。命の叫びが体の奥をびりびりと震わせる。体内で彼の物が跳ねたような感覚を覚える。今、間違いなく私たちは繋がっていた。
(ああ……中に……!)
 感じる。あらゆる可能性の中にいた彼と同じものを。別世界の私が抱いた熱情を。温もりが意識の境界を曖昧にし、首の付け根が痺れる。これが――。
(彼の望み……。私と一つになるということ……)
 観測した全ての世界線で私と彼は結ばれていた。世界によって運命付けられていると言っても過言ではない。そして今、この世界線でもそれは為されようとしている。意外と思われるかもしれないが、それもやぶさかではない。運命に殉じる真っすぐさはこちらの心を射抜くには十分に魅力的だ。
「だけど――愛ってそういうものじゃないでしょ!!」
 もはやコクピット内は強烈な光に照らされて何も見えていない。だけど答えは見えている。
「交わり合って一つになる? 冗談じゃない! エゴとエゴがぶつかり合って! 傷付いて! それでも別個の存在が並び立って支え合って絡み合って生を紡ぐから尊いんじゃない!」
 やぶれかぶれとも思われかねない暴挙。私は光の柱へ突入した。熱に灼かれ、エネルギーの波にぶつかり、みるみるうちに機体は崩壊していく。
「ごめんね……サーキバス。でも! これが最後だから! 私の願いに応えて!」
 唯一この世界線にだけ存在する、私の相棒は「これでお別れだ」とでも言いたげに最後の力を振り絞った。流星は輝きを増し、白濁の流れミルキーウェイをすさまじい勢いで駆け上る。
「うおおおおおお!!」
 荒ぶる天の河を突破した先で男は待ち構えていた。お互いにこれが最後だとわかりきっている。
「オリヒメ……!」
「ヒコボシ!」
 互いに伝えるべき言葉を察していた。私たちはもう結ばれているから。
「――愛している」
 二機は接吻の如く感情の赴くままに衝突した。機体は粉々に砕け散り、私たちはそのまま宇宙に投げ出される。遥か彼方の眼下には青き輝きを放つかつての母星が粒のように小さく見えた。機兵の残骸はエクスタシウムを纏ったまま私たちを守るように取り囲んでいる。燐光はゆりかごのような温かさを湛えており、私たちを故郷へ送り届けようとしているのだと首の付け根で……ううん、心で感じられた。
 淡い光を放つ流星は静けさを得た闇を櫂で漕ぐようにゆっくりと進む……。行為の後のまどろむひと時のように、安らぎとときめきを胸の奥に抱えて私と彼は眼を閉じた。

「すげぇ……」
 スポットGでの生存を懸けた戦いも終焉を迎えていた。宇宙に広がった性なる光の雲河に眼を奪われ、皆が自ずと手を止めていた。
「オリヒメ……」
 サラサは胸に手を当てて友の無事に安堵する。流れゆく光を見ていると何となくわかるのだ。彼女は生きていると。
「あの光、地球へ向かっているようだ」
「地球へ?」
 艦長が感慨深そうに呟いた。
「ああ、ここからとても遠い所だ」
 男女を包む虹色の霞に連れ添って、無数の光の粒は真っすぐ地球へ向かって流れていく。バラバラなのに向いている方向は同じで辿り着く場所も皆一緒で、それはまるで地に降り注ぐ雨のようだった。
「艦長、司令部より電文です」
「読め」
 ――七月二十一日、銀河ニ雨降ル。各々矛ヲ収メ、自ラヲ慰メヨ。
「以上です」
「そうか……。今日はその日であったか」
 一組の男女が起こした奇跡は人類に健やかな営みを思い出させた。安らぎを得るには引き金を引く指を、操縦桿を握る掌をどこに置くべきなのかを彼らは長らく忘れていた。
 七月二十一日はオナニーの日。大切な人を想って自らを慰撫する日。世界が最も静かになる日。

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