7月21日の雨4 ~曝け出した肌と夏の風~

壬生葵

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 周囲を見渡し、道行く人々に視線を移す。電話しながら歩く会社員、会話に困っていそうな男女、端末の画面を見せ合う学生、歩道と車道とを縫うように走り去る自転車、平穏な日常の数々がそこにはあった。
(今、君は僕の視線を意識している。でも、それだけじゃもったいない。もっと広く周りを見て……)
 この中で肌着を身に着けず、呼吸を荒くしている自分は間違いなく異常者だ。ここにいる人間たちは誰も私がそんな痴れ者だと思っていない。ただ、後ろめたい劣情が私の心を責め立てる為に、実際には見向きされていないのに見られているような感覚がじわりじわりと増していく。
(そう、誰も君を見ていない。でも、一つ倫道を外せば君は衆目に辱められる。あえて過つも良し。ハプニングを期待するも良し。君はどちらを望む?)
 気付かれるかどうかの境界線上を行き交うか、予期せぬ事態に遭遇しやしないかと密かに非日常を楽しむか。どちらも魅力的な誘いだった。あえて選択させて退路を断たせようとしているのも憎らしい。
「わ、私は……」
 想像しただけで体が歓喜にわななき、下腹にキュッと力がこもる。懊悩する私をさておき、彼は何もなかったかのように次の指示を送ってきた。
(さて、目的のアイス屋へはあの歩道橋を渡ると良いね)
 そうは言うものの、少し左右を見渡せば信号のある交差点が目に付く所にあり、わざわざそこを通らずとも車道の向こう側へ渡れるのは明白だった。つまり、彼はそこで私に何かやらせるつもりなのだ。
(人通りが少ないけれど、人の目に付く場所……)
(今、君が想像した通りのこと、やってみよっか)
 ぞんざいな口ぶりのおかげで、私の心理的ハードルは易々と下がってゆく。彼の言葉を聞けば私はどこへだって羽ばたける。
 慣れないヒールを鳴らして彼の指示に従う。覚束ない足取りがもどかしくも胸を高鳴らせ、胸の高鳴りがさらに劣情をもたらし、足取りを拙くさせる。現世ではヒールで歩かせるのはあまりよろしくないデートと言われている。とはいえ、今の私にとってそのストレスは愛撫と同義であった。
 後ろに人が居やしないか、どきどきしながら階段を昇る。あえてワンピースの裾に手を当てず、ひらひらと舞わせると無防備な下半身が空気に触れてぞくぞくする。段を踏むごとに禁忌の壁を乗り越えているようで、逸脱者になりつつあると感じていた。階段を昇りきり、橋の半ばまで来た所で彼に「待て」をされる。従順な雌犬は昂揚感に息を切らせながら立ち止まった。
(今、あそこがどうなっているか見せてよ)
(…………はい)
 性愛に主従はない。そこにあるのは各々が主人公の倒錯である。横暴な要望は攻め主の特権で、受け主は尾を振って享受するのみ。そこに拒否する道理があろうか。
 橋の下はけたたましく車が行き交い、左右の歩道では通行人が忙しくすれ違っている。下半身を露出させた所で見えはしないが不審に思われてもおかしくない。
(歩道橋の上で立ち止まっている時点で気になる人はいるかもしれないね。ほら、早くしないとますます怪しまれるよ?)
 冷静に考えれば気に留める人はいても、赤の他人にわざわざ近寄って関わろうとするなんて人は稀だ。しかし、禁忌と侵犯の境界に陥った私の思考はすでに熱暴走寸前であり、人の視線に過敏になり、焦りと緊張を募らせた。
(バレたらどうしよう。いや、バレても良いかも。見せたい。いや、ダメ。もしかしたらバレてる? あの人こっち見てない? 気のせいか……)
 細切れの思考が脳内を駆け巡る。逡巡を重ねながら恐る恐る裾を上げてゆく。まずは膝、次に太ももが露わになり、いよいよ脚の付け根に差しかかり茂みが陽射しの元に……!
「……でさー」
「それなー」
 鉄板に伝わる振動とかすかに聞こえる会話の声が私を夢から現実に引き戻した。誰かが歩道橋を昇ってくる。即座に服の裾を手離し、早足で声の方向とは反対側へ向かった。
(人が来てたなら言ってよ!)
(えー見せたそうだったじゃん)
「その証拠に」と彼に指摘されて、私は膝裏に雫が垂れている事実にようやく気付いた。
(これは汗!)
(随分粘り気のある汗だこと)
 あのまま「壁」を乗り越えていたら逝けていたかもしれないのに……! 水を差されて精神は落ち着いたものの、寸止めされたせいで体は一層敏感になっていた。ただ、このままあっさり絶頂を迎えるのは物足りない。
(それなら一旦ここはお預けにしようか。件のアイスを食べてから次を考えよう)
(そう言いつつ、もう趣向は用意してあるのでしょう?)
(まあね……。でもそれは夕方以降の方が楽しめるかな)
(えーじゃあけっこう時間あるじゃん。どうすんのよ?)
(……デート)
(え?)
(デートしよう。僕はリモートになるけど)
 さっきまでスケベモードだったのに、いきなりそんなことを言うなんてズルい。朴訥な農夫も二千余年あれば垢抜けるものか。貞淑な織手だった私も人のことを言えないけど。
(君は変わってないよ。いつまで経っても)
(そうかな?)
 少なくともここまで淫乱ではなかった。これも誰かさんのせいだ。
(僕は元々眠っていたものを引き出しているだけだよ。君はずっと変わっていない。これからもそうであって欲しいな)
 変わろうとする果敢さも変わらないでいる根気も実践するのは困難であると理解している。長きに渡る紆余曲折を経て、私たちはありのままの自分で居られる関係になれた。
(じゃあそのままいやらしい私をちゃんと見ててよね。あなた以外に襲われるのはごめんだから)
(心配しないで。未だに寝取りと寝取られは受け入れられないんだ)
 天上では互いに一途な夫婦の方が少数派な状況を思えば、自分達はまだまだ純粋なのかもしれない。青空に立ち昇るあの真っ白な雲のように。

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