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一章

4.エリーの手紙

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 騎士祭りの準備…、俺は武器の手入れを終えた。後は高位の神父達が魔術をかけ、浄めを施し完成する。武器の引き渡しを終えると、修道院では高位のウルク司祭に呼び止められた。
「おい、ノア!余裕があるならランタンを手伝え!」
 …やっぱり!はやく仕事を終えて自室に戻りたかったのに…!しかし無視することができずに、俺は頷いた。
 ランタンは紙風船の中に萎まないよう木片を入れ、その木片に燃料を付けただけの簡単なものだ。風船の中の燃料に火をつけ、中の空気が暖まり膨張する事で空に浮かぶ仕組み…。これはベータの発明だ。ベータの殆どは魔力を持たないから、紙風船を魔力で飛ばせない。だからこそ、この紙のランタンを発明できたのだ。俺は自分がベータとわかってからその発明が少し誇らしく思え、この作業が嫌いではなくなった。
 でも今は一刻も早く終わらせて帰りたかった。文字の勉強をして、この次の礼拝までに手紙を書きたいのだ。
 おれは手早く作業をして今日の分を終わらせた。夕食は抜いて自室に戻ると、先日作ったクッキーを齧りながら勉強に励む。絵本を何度も読んで、音と文字を一致させていく。そうして覚えた文字を、単語毎に紙に書き出す。また、絵本と照らし合わせてその単語を確認して…。それを時間の限り続けて、何とか簡単な単語、文字を書けるところまで辿り着いた。
 人間、真剣にやれば何とかなるのかもしれないと俺は思った。ベータだって。才能も何もなくたって…。
 しかし勉強に時間を取られて、手紙の内容に時間をさけなかったので取り敢えず、一番伝えたい『げんきだして』とだけ書くことにした。だけ、といっても相当な時間を要した。指で何回か練習してから、ペンを使った。小さく切った紙にインクをつけて書いて…何度か失敗を重ね…ようやく完成したのだ。
 翌日、また特製のクッキーを焼いて手紙と一緒に裏庭のエリーが昼寝する木製のベンチの上に置いた。エリーが食べてしまわないか心配しながら礼拝が終わるのを祈るような気持ちで待つ。
 礼拝が終わるとやはりローレンは俺を避けて出て行ったので、少ししてから気付かれないように裏庭に向かう。木製のベンチには思った通り、エリーが寝ていて丁度ローレンが手紙を読んでいるところだった。ローレンは辺りを見回して誰もいないことを確認すると「お前か…?」と小さく呟く。奇跡的にエリーが「にゃー」と返事をしたので、ローレンは破顔した。
 ローレンの久しぶりの笑顔に、胸をなでおろすと同時に好き…という気持ちがこみあげてきて胸が詰まる。ローレン…。貴方が好きです。貴方には笑顔でいてほしい。

 翌週も手紙を渡そうと文字の練習に励んだのだが、気持ちが大きくなりすぎて何と書いていいのか分からなくなった。そのため次の礼拝では手紙はなく、クッキーだけ置いておくと、ローレンは何やら話しながら、エリーとクッキーを分け合って食べていた。

 ローレンが帰った後、エリーの首輪を見ると小さな紙が結ばれている。ほどいてみるとそれはローレンからの手紙だった。

『ありがとう。うれしかった。うちの子になる?』

 うちの子…?それは、一緒に暮らすってこと?…それが叶うならどんなにいいのだろう。孤児の俺が、貴方の家族になれるなら、どんなに…。でもこれはエリー宛。俺に宛てたものではない…。そんなはずはないんだ。しかもローレンはアルファ。きっといつか、オメガの…運命の番が現れる。
 …それでもその手紙を読んで自分の気持ちを止められなくなった。

 俺は更に次の週、いつものベンチに手紙とクッキーを置いた。

『つれていって、あなたがすきです』…と、嘘偽りない俺の気持ちを、手紙に書いて…。


 
 馬鹿なことを書いてしまった。時間が経つと怖くなって、礼拝前に裏庭に引き返そうと主聖堂の出入り口に走ると、突然大きな音を立てて扉が開く。
 入って来たのはエヴラール辺境伯と、マリクだった。
 二人は俺にぶつかったが一瞥もせずに、奥へ向かって歩いていく。

「父上お待ちください!どういうことですか?!騎士祭りに、出るなとは…!」
「そのままの意味だ。騎士祭りは穢れを防ぐために女やオメガは参加できない。」
「そんな!では誰が…騎士に剣を…?!」
「私が行う。その打ち合わせに今日来たのだからな。お前は戻っていろ!」
 エヴラール辺境伯はイライラとした様子でマリクを怒鳴りつけた。…騎士祭りの決勝で使う剣は教会内で浄めの儀式を行った後、エヴラール家の嫡男が騎士たちに手渡すのがしきたり。美しいマリクが騎士に剣を渡す様は絵画のようで、騎士達にも喜ばれていたが…。オメガがその場に入れない、と言うのは知らなかった。
 エヴラール辺境伯はマリクを振り返ることなく、奥の貴賓室へ消えた。取り残されたマリクは顔を真っ赤にして俯いていたが、俺がいる事に気付いて、振り向く。
「見るな!」
「も、申し訳ありません!」
 マリクは一般信者が座る出入口付近の長椅子に腰を下ろし、何やら考え込んでいる。その場を離れるのもわざとらしく、マリクの逆鱗に触れそうで俺は出て行くか迷った。迷っているうちに、礼拝が始まり大勢信者たちが主聖堂に集まってくる。その中に、ローレンの姿を見つけた。
 何事も起こりませんように。俺はいつもの定位置に立って祈るしかなかった。
 
 礼拝が終わると、ローレンはまた俺を避けて出ていく。マリクは周囲の視線を気にするそぶりもなく、椅子に腰掛けたまま。きっとエヴラール辺境伯が出てくるのを待っているのだろう。俺がその場にいる必要もない、そう判断して、ローレンの後を追った。
 ローレンは、エリーを見るとすぐに、俺のクッキーと手紙に気がついた。内容を見てローレンはまた破顔する。そしてローレンは愛おしそうに、エリーを撫でて、膝の上に抱いた。
 その様子に見惚れていた俺は、誰かが近づいてくる気配に気付かずにいた。その人は後ろから俺をあっという間に追い越し、ローレンの側に立つ。

「おい、ローレン!」
 マリクは言うや否や、エリーの首根っこを掴み強引に持ち上げる。突然急所を掴まれたエリーは、小さな悲鳴を上げたがなすすべもなく大人しい。
 「マリク様!いささか乱暴です!離してください!」
「いいじゃないか、ローレン。これ俺にくれよ。今虫の居所が悪いんだ。ちょうどいい… 」
「ご冗談を…。おやめください 」
 ローレンはマリクを落ち着かせるよう、優しさを含んだ声色で語りかけた。しかし今のマリクにはそれが余計勘に触ったらしい。
「お前もか!お前も俺をオメガだと馬鹿にして、講釈を垂れるのだな!どこの血が混じっているかも分からない男でもアルファなら優れているというのか!」
 「なんだと…!」
 多分、ローレンが一番傷ついているであろうことを、マリクは言った。マリクはエリーを地面に叩きつけようと腕を振り上げる。その瞬間ローレンは憤怒の表情でマリクに掴み掛かろうとした。

 まずい…!このままでは!

「マリク様!おやめください!」
 
 俺はマリクとローレンの間に飛び込み、マリクの振り上げた腕に飛びついてエリーを逃した。それに激怒したマリクはエリーの代わりに俺を地面に投げつける。オメガは華奢だというが、ものすごい力だった。
 そして追い討ちをかけるように、俺を蹴飛ばす。

「マリク様!」
  ローレンはマリクを一喝すると、マリクを後ろから羽交い締めにした。
「離せ!こいつが悪いんだ!見ろ!こいつが俺の腕に飛びついて怪我をした!」
「今のは貴方に非がある!この者は悪くありません!少し落ち着いてください!」
「うるさい!うるさいっ!」
 マリクは泣きながら羽交い絞めを振りほどいてひっくり返り、ローレンの腕の中でメチャクチャに暴れた。マリクも自分の第二性がオメガという事実を受け入れられず、混乱しているのだろうか…。ローレンの腕の中で駄々をこねて泣いて暴れている子供のようにも見える。泣きすぎたマリクは、ローレンの腕の中で次第に大人しくなり、泣き方もしくしくとしおらしくなって落ち着きを取り戻していった。
 マリクが大人しくなったあと、ローレンはマリクを抱きかかえたまま辺りを見回す。
 マリクに蹴られた俺の近くには、持っていたクッキー数枚と、書き損じた手紙が散らばっていた。それに気付いて俺は、慌ててそれを隠そうとしたのだが…ローレンに、気付かれてしまった。

「エリーの手紙、お前だったんだな… 」
 俺は首を振った。しかし…。

「楽しかったか?お前も…。俺を、憐れんで。」
 ローレンに嘲笑うように言われて…いや、ローレンは口の端だけを少し上げてはいるものの今にも泣き出しそうだ。きっと、泣くのを我慢して笑っている。

 俺は小さく「ごめんなさい」と言うことしかできなかった。

 騒ぎを聞きつけたエヴラール辺境伯やローレンの父ジェイドがやって来て、マリクとローレンは帰って行った。俺は言い訳もさせてもらえず、ウルク司祭から三日間の懲罰房行きが告げられた。
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