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3.夫夫の契約書

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 あまりの出来事に俺はぼんやりとルシアンとのこれまでを回想していた。控えめなノックの音で我に返り、何とか立ち上がると入り口へ向かう。扉の近くにいた兵士に官吏の宿舎に戻っているよう言われ、ノロノロと王城を後にした。

 一体これからどうなってしまうのだろう…。不安を抱えたまま宿舎の自分の部屋に戻ると、俺の部屋にはルシアンが待っていた。

「遅いぞ、ジルベール!早く来い!」
「ル、ルシアン殿下?!」

 ルシアンは俺の部屋の簡素なソファに腰かけていた。俺が帰って来るなり、自分の膝を叩いて手招く。
 何、それ…?そこに座れってこと?いや、これはいつものルシアンの悪ふざけ…。

「ルシアン殿下…!陛下を追いかけていったのではないのですか?!早く陛下の誤解を解かないと、本当に廃嫡に…!」
「ジルベール!そんなことはいいから、急げ!」

 そんなこと??
 
 ルシアンは戸惑う俺を隣に座らせると、二枚紙を取り出しそのうち一枚を俺に手渡した。もう一枚は、ルシアンが持っている。

「これはな、婚約の契約書だ。夫夫の役割についての取り決めを契約書にし、教会に誓願を立てるのだ。婚約の儀式まであと一週間しかない!」
「一週間?!し、しかし…。」
 ルシアンは異性愛者だ、と俺との結婚を嫌がっていたのに、俺と婚約の誓願を立ててしまっていいのだろうか?しかも俺との婚約を受け入れるということは廃嫡も受け入れるということであって…。俺はそう言おうとしたが、ルシアンは咳払いをして俺に話をさせなかった。

「いいか?お前に渡したものが、妻の役割…。お前は私より背も低くちょっと鈍感で守ってやりたくなるような可愛らしさだから私の妻になる。いいな?」
「妻……。」
 俺は頬に熱が集まって行くのを感じた。学生の頃から恋焦がれたルシアンの妻に、俺が…?でもこれはルシアンの『罰』…。喜んではいけないのだけれど…つい、頬が緩んでしまいそうになる。

「それでこちら、俺が持っているものが夫の役割だ。私…、夫は妻だけを生涯愛することを誓う。」
「え…?」
   妻だけということは、第二夫人や妾を持たないということだろうか?俺が驚いてルシアンを見ると、真剣な瞳と視線がぶつかる。俺は戸惑って思わず目を伏せた。
「しかし、ルシアン殿下は本当に、それで良いのですか?殿下はもともと異性愛者でいらっしゃるし、男の俺では御子を産めません…。」
「……ジルベール、これは罰だから、そうしなければ罰にならないのだ。」
 なるほど…、だから嫌々誓願する、という事だな?納得はしたけど、それはそれで悲しくなってしまった。俺が黙っているとルシアンはまた咳払いした。

「今度はジルベール、お前の、妻の役割だ…。まず夫のことは愛称で呼ぶこと!私のことは『ルー』と。」
「ルー?」
    俺が復唱すると、ルシアンは目を丸くした。そして隣に座っていた俺を引き寄せて抱きしめる。
「ル、ルシアン殿下…?!」
「ああ…!すまない…!想像の遥か上を行くかわいらしさだったから、つい…!」

 かわいらしい…?呼び方が?
 ルシアンは慌てた様子で俺の拘束を解くとまた冷静な顔に戻り、書類に目を落とした。
「二つ、朝食は一緒にとること。三つ、寝室は同じにすること。四つ、夜着は夫が用意した物を着ること。五つ、夜の夫夫生活は週3回以上。」
「えっ?!」

   ちょ……、な、なんか、夜の決め事が多くない?!

 俺が慌てて顔を上げルシアンを見ると、ルシアンは今までに無いくらい、眉間に深い皺を寄せていた。罰として、甘んじて夜の夫夫生活をする事にしたが、不本意だってこと?

「ルシアン殿下…婚姻だけで十分、戒めなのですから、しゅ、週3回なんて…そんな、回数まで決めなくても…。」
   俺がおずおずと進言すると、ルシアンは俺の誓約書を取り上げて、週3回のところに斜線を引いて訂正し、上に小さく『4』と記入した。

「週4?!殿下、1週間は7日しかありませんが…まさか2日に1回以上するおつもりですか?!」
「ジルベール!週3回以上ということは、4回はすると言うことだ!ということは週4回以上と明記しておいた方がスッキリするではないか!」
「殿下、『以上』という言葉は3回も含んでおります!」
「ジルベール!これは罰なのだぞ?!3回だと物足りな…いや、一晩で3回軽く済ませてしまう可能性が……いや、3回だと3つしか体位が試せな………その程度だと『罰』にならないではないか!」

 ルシアンに言い切られてしまい、俺は言い返す事が出来なかった。ルシアンは『罰』だと言うが、ちょっとだけ乗り気のような雰囲気を感じたのだが、これは…???

「ジルベールも希望があれば言ってくれ。俺の方に書いておく。例えば…ジルベールのことは愛称で『ジル』と呼ぶこと、とか。ムラムラした時は寝室の枕を赤色に変えておくからそれを見たら必ず抱くこと、とか。」
  ルシアンは言いながら止める間も無く、もう記入を済ませている。
「あの、父上にも相談いたします。きちんとした契約書なら… フェロン子爵家の…。」
「ジル!私はもう王族ではない!それにお前ももう、フェロン子爵家を離れ成人しているではないか!これは二人の問題だ!」
 でも元々は、ルシアンの罰で陛下からフェロン子爵である父に話が行ったはずだが…。ルシアンは俺の父に婚約の契約書を見せたくないらしい。ルシアンは俺の契約書を取り上げてしまった。

「ジル、明日は朝から買い物に行くぞ!朝、出掛ける用意をしておいてくれ。朝食が済んだ頃、迎えに来る。」
「しかし、明日は仕事が…。」
「もうやらなくて良い。明日の買い物のほうが重要だ!王都でないと手に入らないものもあるからな。」
 ルシアンはそう言うと、羊皮紙を広げた。それはフランクール王国の地図であった。
「私たちの領…デュラク地方は王都の北東に位置する。デュラク山という鉱山があり、資源が豊富だったこともあって直轄地としていたのだが、閉山してからは長らく放置されていた。あまり、栄えてはいないからな、必要なものはある程度買って持っていこう。」
 なるほど、そう言うことか。俺が頷くと、ルシアンは微笑んだ。
「デュラク領へはセーデル領経由で行こうと思っている。セーデルは海に突き出た半島で、入江に夕陽が沈む様は『神が棲まう』と言われるほどに美しい。学生時代…生徒会の視察で行った時から、ジルに見せたいと思っていたんだ。ジルはあの時、外れクジをひいて留守番担当になってしまい、来られなかっただろう?」
 生徒会のセーデル視察旅行に俺が行かなかったこと、ルシアンは覚えていた…。それにそんな前から、セーデルを俺に見せたいと思っていた…?それって、どう言うことだろう。嫌々結婚する相手に、絶景を『見せたい』と思うだろうか?

 戸惑いっぱなしの俺にルシアンは「海の見える教会で結婚式をしよう」と、恋する乙女なら卒倒しそうな甘い笑顔で微笑んで帰って行った。
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