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優しい世界
優しい世界-1-
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こんなに時間が過ぎるのはゆっくりで穏やかなものだったのだろうか。
胡桃は鏡の自分を見ながらふと思った。
多分、ここ数年が目まぐるしかっただけ。
インターホンが鳴って慌てて鞄を持つ。玄関の扉を開けるとはにかむ顔が見えた。
「おはよう、胡桃ちゃん」
「おはよう、尚人くん」
お互い頭を下げて笑う。こうやって迎えに来てくれるのが嬉しい。
「今日は動物園を百倍楽しめる秘訣を覚えてきたから、完璧にエスコートするよ」
「この前は遊園地だったけど、尚人くんお化け屋敷怖がってたよね」
「きょ、今日は大丈夫だから!任せてよっ」
胡桃は微笑む。お店以外で会うことにも慣れてきた。
普段着の尚人は上司というより男友達のような、それ以上の大切な自分の温かい部分を膨らませてくれるような人、純粋を形にしたのが尚人だと思う。ここ数ヶ月、休日に彼と出かける事が多くなった。どの日も楽しかった。
動物園に行くのは小学校以来だがそこを選んだ尚人が少し可愛かった。
バスに乗って他愛もない話をしながら、あっという間に動物園に着く。
「えっとまずは何見ようかな」
尚人がパンフレットを持って地図と睨めっこを始める。
微笑して辺りを見回すと平日だからかほとんどがカップルだった。少し意識してしまう。
――あの人とは一度も外に出られなかったな
家という檻の中でただただ体を絡ませていただけ。外に出たら身の破滅だと分かっていたから。
こんなに出かけたのは久しぶりだなと胡桃は思う。
時折、こうやって彼の記憶が呼び起こされるが、少しだけ受け入れて冷静になろうとしている。最初は激しく動揺して涙が出てくることもあったが、隣で尚人が背中をさすってくれる姿を見て心が静まっていた。本当に傍にいて支えてくれた。
付き合おうとは言わなかった。尚人はただ隣に居続けただけ。
それでも、彼に応えていかなければと思った。
もし、告白されたら胡桃は頷いて受け入れるだろう。
この先、心地よい未来があるような気さえする。
「ライオン、ゴリラ……やっぱり鉄板を見るのか一番かな。……胡桃ちゃん?」
「あ、うん、久しぶりだから何見ようかなって。尚人くんに任せるね」
少し間があって、尚人はゆっくり彼女の手を握る。自然な流れで繋がれたものは陽だまりのようだった。
「じゃあ僕がエスコートするよ、行こ」
笑った顔が呼び起こされた記憶を溶かしていく。
優しい。
彼は私の心の棘を消してくれる。
でも――
急に不安になる。この安寧が突然終わってしまう予感。
それも唐突に。
きっと昨日見た夢のせいだと胡桃は思った。
夢。夢で安心したというべきか、それとも現実に起こってほしいという妄想なのか。
懐かしいぬくもりがあった。目の前に愛した人が、自分の上に跨っている。
……剛史、さん?
声は出ない。微笑む彼は裸で自分を見つめている。自分もパジャマを着ていなかった。
ずっと忘れていたのに、夢だと分かってそれならいいと胡桃は手を広げる。
数ヶ月ぶりに見る夢だった。
体が重なり合って挿入が始まると嬉しくて声にならないものが上がる。
このまま夢が覚めなければいいのに。体はリアルに覚えていて快楽が全身に染み渡った。
恍惚としていると、彼の右手に光るものが見えた。
鋭利な刃物、ナイフ。
えっ……
ふと自分の右手にも同じものが握られていた。尖った部分が光って、恐怖よりも美しさを思う。
ああ、これは。
何か思う前に彼の右手が胡桃の胸元に向けられる。目に光はない。まるで最初から決めていたかのように。
消えてしまいたいと何度思っていたか。その願望が形になったのだろうか。
やがて自分もゆっくりと右手を彼の心臓に近づけていく。
分からないけれど自分が笑っている気がした。
鈍い痛みと赤い何かが視界に飛んできて意識が現実に戻されていった。
胡桃は鏡の自分を見ながらふと思った。
多分、ここ数年が目まぐるしかっただけ。
インターホンが鳴って慌てて鞄を持つ。玄関の扉を開けるとはにかむ顔が見えた。
「おはよう、胡桃ちゃん」
「おはよう、尚人くん」
お互い頭を下げて笑う。こうやって迎えに来てくれるのが嬉しい。
「今日は動物園を百倍楽しめる秘訣を覚えてきたから、完璧にエスコートするよ」
「この前は遊園地だったけど、尚人くんお化け屋敷怖がってたよね」
「きょ、今日は大丈夫だから!任せてよっ」
胡桃は微笑む。お店以外で会うことにも慣れてきた。
普段着の尚人は上司というより男友達のような、それ以上の大切な自分の温かい部分を膨らませてくれるような人、純粋を形にしたのが尚人だと思う。ここ数ヶ月、休日に彼と出かける事が多くなった。どの日も楽しかった。
動物園に行くのは小学校以来だがそこを選んだ尚人が少し可愛かった。
バスに乗って他愛もない話をしながら、あっという間に動物園に着く。
「えっとまずは何見ようかな」
尚人がパンフレットを持って地図と睨めっこを始める。
微笑して辺りを見回すと平日だからかほとんどがカップルだった。少し意識してしまう。
――あの人とは一度も外に出られなかったな
家という檻の中でただただ体を絡ませていただけ。外に出たら身の破滅だと分かっていたから。
こんなに出かけたのは久しぶりだなと胡桃は思う。
時折、こうやって彼の記憶が呼び起こされるが、少しだけ受け入れて冷静になろうとしている。最初は激しく動揺して涙が出てくることもあったが、隣で尚人が背中をさすってくれる姿を見て心が静まっていた。本当に傍にいて支えてくれた。
付き合おうとは言わなかった。尚人はただ隣に居続けただけ。
それでも、彼に応えていかなければと思った。
もし、告白されたら胡桃は頷いて受け入れるだろう。
この先、心地よい未来があるような気さえする。
「ライオン、ゴリラ……やっぱり鉄板を見るのか一番かな。……胡桃ちゃん?」
「あ、うん、久しぶりだから何見ようかなって。尚人くんに任せるね」
少し間があって、尚人はゆっくり彼女の手を握る。自然な流れで繋がれたものは陽だまりのようだった。
「じゃあ僕がエスコートするよ、行こ」
笑った顔が呼び起こされた記憶を溶かしていく。
優しい。
彼は私の心の棘を消してくれる。
でも――
急に不安になる。この安寧が突然終わってしまう予感。
それも唐突に。
きっと昨日見た夢のせいだと胡桃は思った。
夢。夢で安心したというべきか、それとも現実に起こってほしいという妄想なのか。
懐かしいぬくもりがあった。目の前に愛した人が、自分の上に跨っている。
……剛史、さん?
声は出ない。微笑む彼は裸で自分を見つめている。自分もパジャマを着ていなかった。
ずっと忘れていたのに、夢だと分かってそれならいいと胡桃は手を広げる。
数ヶ月ぶりに見る夢だった。
体が重なり合って挿入が始まると嬉しくて声にならないものが上がる。
このまま夢が覚めなければいいのに。体はリアルに覚えていて快楽が全身に染み渡った。
恍惚としていると、彼の右手に光るものが見えた。
鋭利な刃物、ナイフ。
えっ……
ふと自分の右手にも同じものが握られていた。尖った部分が光って、恐怖よりも美しさを思う。
ああ、これは。
何か思う前に彼の右手が胡桃の胸元に向けられる。目に光はない。まるで最初から決めていたかのように。
消えてしまいたいと何度思っていたか。その願望が形になったのだろうか。
やがて自分もゆっくりと右手を彼の心臓に近づけていく。
分からないけれど自分が笑っている気がした。
鈍い痛みと赤い何かが視界に飛んできて意識が現実に戻されていった。
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