1 / 6
プロローグ
しおりを挟むヒグラシの鳴き声、吹奏楽部のチューニングの音、野球部の掛け声、そして、体育館の床に弾むボールの音が人気のない校舎に反響する。自分の足音だけが、それらを切り裂くように鮮明に聞こえる。人のいない北館校舎を、その少年──樋口朝陽は歩いていた。
サッカー部の彼が、なぜ部活時間中のこんな時間にHR教室しかない北館を歩いているのかというと、教室に忘れ物をしたからに過ぎない。それも、顧問に提出する書類だ。だから、部活を抜け出して取りに来ざるを得なかったわけだ。
最悪だ、と小さく呟きながら自らの教室である1年B組の教室を目指す。教室まであと数メートルというところで、朝陽はふと足を止めた。
嗚咽が、聞こえてきたのだ。放課後の賑やかな音に混じり、微かに聞こえてくる誰かの泣き声。恐らく、どこかの教室が発生源。泣いているだれかと鉢合わせると面倒だから、うちじゃなければ良いのだが。そう思いながらさらに歩みを進める。だんだんと嗚咽は大きくなっていく。そして、1-Bと書かれた教室の前で、それは最大になった。悪いことは重なるもので、願いも虚しく、声の主はこの教室にいる。
とはいえ、部活を抜け出してきているものだから長居はできない。意を決して引き戸に手をかける。なかにはひとり、ぽつんと座っている男がいた。
男にしては長めの黒髪が、開け放たれた窓から流れ込む風に煽られて靡いていた。窓側の、後ろから3番目の席。そこは、柳瀬遥貴の席だ。
遥貴は朝陽にとって、同じグループの親しい友人だ。一緒に昼ご飯を食べるし、学校行事では一緒の班を組む。放課後は各々忙しいため遊んだりはしないが、テスト週間には一緒に勉強をする。いつも穏やかに微笑んでいる彼と、いま、独りで教室で涙する彼が、どうしてもうまく結びつかなかった。
「遥貴……?」
悩みに悩んだ結果、声をかけた。人が入ってきたことにすら気づいていなかった様子の遥貴は、驚いたように目を見開いて、さらにはらはらと涙を零した。
「こんな、とこ、見せるつもり、なかったんだけどなぁ……」
弱々しく微笑みながら遥貴はそう言った。その間も涙はとどまることを知らないように溢れつづけていた。
「大丈夫か?なんかあったのか?」
面倒だとは言ったが、それは相手が知らないやつだった場合だ。友人が相手となれば当然心配が上回る。顔を隠すように伏せてしまった遥貴に駆け寄る。
「なにも、なにもないんだ。本当に。ただ、涙が出る。それだけ……」
目を合わせるどころか、顔をあげさえしないまま遥貴は答えた。日頃の朗らかな様子とのギャップに頭が混乱する。朝陽はそれ以上何もいえなかった。ただ、遥貴は何かを隠していて、それを知られたくないのだと悟ってしまったからだ。
「このことは、だれにも言わないで……。」
懇願だった。震えた涙声で、縋るように言われたら頷くことしかできない。
「ほら、部活の途中だろ。はやく行けよ。」
これ以上は立ち入らせない、と言わんばかりに固い声色で追い立てられる。
「分かったよ。誰にも言わないし、すぐ出てく。でも、なんかしんどいこととかあったら、言ってくれよ。オレたち、友達じゃん。」
颯と自分の机を漁り、必要なプリントを引っ張り出すと、もう振り返りはせず、そくささと教室を後にした。後ろ髪を引かれながらも、もう一度見ようとは思えなかった。あれだけ拒絶の色を見せられたのだ、当然だろう。
それは時間にしてほんの5分程度のことだ。だけど、たしかに朝陽にとって鮮烈な印象を持つ出来事だった。
遥貴の、悶え苦しむような表情が頭から離れない。その苦しみの発露であるかのようにはらはらと涙を流す姿が脳裏に焼き付いていた。単に、親しい友人の普段と違う姿を見たというだけでは説明ができないほど、強烈な違和感とひっかかりを胸に抱えていた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。
かーにゅ
BL
「君は死にました」
「…はい?」
「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」
「…てんぷれ」
「てことで転生させます」
「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」
BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。
真冬の痛悔
白鳩 唯斗
BL
闇を抱えた王道学園の生徒会長、東雲真冬は、完璧王子と呼ばれ、真面目に日々を送っていた。
ある日、王道転校生が訪れ、真冬の生活は狂っていく。
主人公嫌われでも無ければ、生徒会に裏切られる様な話でもありません。
むしろその逆と言いますか·····逆王道?的な感じです。
モブらしいので目立たないよう逃げ続けます
餅粉
BL
ある日目覚めると見慣れた天井に違和感を覚えた。そしてどうやら僕ばモブという存存在らしい。多分僕には前世の記憶らしきものがあると思う。
まぁ、モブはモブらしく目立たないようにしよう。
モブというものはあまりわからないがでも目立っていい存在ではないということだけはわかる。そう、目立たぬよう……目立たぬよう………。
「アルウィン、君が好きだ」
「え、お断りします」
「……王子命令だ、私と付き合えアルウィン」
目立たぬように過ごすつもりが何故か第二王子に執着されています。
ざまぁ要素あるかも………しれませんね
王道学園と、平凡と見せかけた非凡
壱稀
BL
定番的なBL王道学園で、日々平凡に過ごしていた哀留(非凡)。
そんなある日、ついにアンチ王道くんが現れて学園が崩壊の危機に。
風紀委員達と一緒に、なんやかんやと奮闘する哀留のドタバタコメディ。
基本総愛され一部嫌われです。王道の斜め上を爆走しながら、どう立ち向かうか?!
◆pixivでも投稿してます。
◆8月15日完結を載せてますが、その後も少しだけ番外編など掲載します。
王道学園なのに会長だけなんか違くない?
ばなな
BL
※更新遅め
この学園。柵野下学園の生徒会はよくある王道的なも
のだった。
…だが会長は違ったーー
この作品は王道の俺様会長では無い面倒くさがりな主人公とその周りの話です。
ちなみに会長総受け…になる予定?です。
とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~
無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。
自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる