現役ケースワーカーの俺が転生した世界は異種族の福祉国家だった

ダニエル

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三章

幸せな食卓

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 寮の扉を開けて、そっと中を覗き込む。別に悪いことをしているつもりはないのだが、客観的に見れば俺がどう思っていようと関係ない。幸いにして受付にはメイヤーさんの姿もなく、ニシキさんがちょうど通りがかっているということもなさそうだった。
「よし、大丈夫そうだな。ほら、入っていいぞ」
「う、うん。おじゃま……します」
 ディメルノは恐る恐る、それこそ借りてきた猫のようにビクビクとしながら寮の玄関をくぐって中に入ってくる。
「はぁ……ひとまずは良かったか……。いやまあ、どっちにしても説明はしなくちゃいけないんだけど……」
 彼女の存在を隠そうというつもりは最初からない。犬や猫を拾ってきて子供がこっそり育てようとするのは、絶対に上手くいかないと経験則で知っているからだ。そして隠していたことで、大抵は余計に怒られるということも。
「どうにしかして俺が無実であろうということと、この子に助けが必要ってことを分かってもらう必要があるんだが……」
 玄関に立ち尽くして思案する。一度俺の部屋に連れて行って、着替えさせてから連れていくべきだろうか。それともこのままメイヤーさんが居るであろう食堂に向かうべきか。
 ディメルノの服装は薄く汚れた白いポンチョのような服一枚と、見るからにこの肌寒い夜には合っていない。部屋着のまま逃げ出してきたのか、それともマトモな服も与えられていないのか。どちらにしても、彼女を今の格好のままにはしておけない。
「……よし、それじゃまずは俺の部屋にいくか。確か予備の服があったはずだし、最初に着替えをしてから……」
 寮の人に挨拶に行こうと、そう言うつもりだった。廊下の先、食堂の扉からこちらを除く、角の生えた赤い髪のメイドを見つけるまでは。
「……」
「…………」
 長い沈黙の中、固まったように動かないお互いの視線が交差する。予想外のメイヤーさんの登場に、俺は思わず思考と体を凍りつかせていた。
「……うわ」
 メイヤーさんの顔がたっぷり一週間は放置した生ゴミを見る目で俺を見て、そして扉を閉めるまでは。
「ちょっと待ったああああああ!!」
 扉に駆け寄りドアノブを掴む。しかし俺が扉を開けようとする刹那、向こう側から無情にも鍵のかけられるガチャリという音が響いた。
「なんで鍵かけるんだよ!?」
「うっさいこのロリコン変態不審者ァ!! おいニシキ、お前憲兵呼んでこい!! こいつは私はここで食い止める……っ!!」
「え、ユウトさん? メイヤーさん、今のユウトさんの声ですよね?」
 扉の向こうから、メイヤーさんとニシキさんの声が聞こえてくる。どうやら夕食の時間が近かったからか、ニシキさんもまた食堂の中に居たらしい。……それが俺にとって幸運かどうかは、正直に言って分からないが。
「ご、誤解だ!! 俺はロリコンでも変態でも不審者でもない、ただのどこにでもいるヒューマンだ!!」
「不審者は全員そう言うって知ってるか? それになーにが変態じゃないだ。寮に住み始めた途端に幼女を連れ帰ってきて、僕の部屋で着替えましょうねとか言ってるやつが変態じゃなくてなんなんだ」
「え!? ユウトさん、そんなこと言ったんですか!?」
「言ったけど!! 確かに言ったけども!! それは全然違う意味で、別に俺はこのアルラウネの少女に欲情なんてしてないからせめてニシキさんは信じてくれ!!」
 扉を叩きながら俺は懸命に弁明を繰り返す。後ろには目を丸くしたディメルノがぽつんと佇んでいて、完全に置いてきぼりになってしまっているのだ。このままでは流石に可哀想過ぎる。
「じゃーどういう意味か言ってみろってんだこの変態野郎。その返答次第によっては──」
「この子が!! 路地裏で一人震えていたから見ていられなかったんだよ!!」
 メイヤーさんの言葉を遮って俺は叫ぶ。これがダメならもうお手上げだ。確かに状況としては俺が怪しすぎるのは否定できない。まだ出会って丸一日も経っていない間柄だ、信じてくれないのも無理はない。
 だが俺の言葉に対する返答は罵倒でも詰問でもなく、
「……はぁ。早くそれを言ってほしかったんだけど……」
 扉の開く音と、そして仄暗さを取り戻したメイヤーさんの声だった。
 彼女は閉ざしていた扉を開き、俺の顔とそして背後で固まっているディメルノに視線を向ける。
「とりあえず、説明しなよ。中で聞くからさ」
「……あ、ああ。ええとディメルノ、もう大丈夫だよ」
「えっと、その……」
 先程までの騒ぎを見ていたからだろうか。ディメルノは警戒心を顕にして、俺とそしてメイヤーの顔を交互に見比べる。俺も別に信用されたわけではなく、ただ飴で彼女を釣っただけだ。だから警戒されるのも無理はないのだが……。
「……はぁ、めんどくさいなぁ。あー、ディメルノちゃん、だっけぇ。さっきは騒いでごめんね。大丈夫、何もしないからおいでぇ。……大丈夫だから」
 そう懸念する俺の前で、メイヤーは盛大なため息を付いた後に、信じられないほどに優しい声でそう言った。腰を落とし、視線をディメルノに合わせて声をかける。
 その声に、敵意がないことを子供ながら感じ取ったのだろうか。ディメルノは恐る恐る、だけど確かに俺たちの方に歩いてきてくれた。彼女の姿が、廊下を照らす魔力灯の光の中を通る。
「……っ」
 その瞬間、メイヤーの体が強張ったように見えたのは、恐らく気の所為ではないのだろう。きっと誰だってそうなる、ディメルノの体に刻まれた痣を見れば。
 だがメイヤーは、恐らくその胸に渦巻いているはずの動揺を押し殺し、その痣について問いただすようなこともしなかった。だけど、その胸に渦巻いている感情は、それこそ手にとるように分かる。俺も、同じだったから。
「よしよし、良い子だね。それじゃ中に入って話そうか。このお兄さんに歩かされて立って待たされて疲れたでしょう?」
 何故ならその声色が、明らかに先程よりも優しい色に包まれていたから。
「う、うん。……いいの?」
「ああ、いいんだよ。このお姉さんもそう言ってるだろ?」
「おねっ……まあいいか。ほら、中に入って手を洗ったらそこに椅子に座って。……ユウトも、早く入って一緒に手を洗って。ニシキ、お皿を一人分多く出してくれ」
「え、ああ、はい」
「承知しました」
 俺もまた言われるがままに椅子に座った。迷惑をかけている自覚はあるし、何よりこの寮の中で管理人に逆らうほど俺も馬鹿ではない。
「おかえりなさいませ、ユウトさん。それからいらっしゃい、ディメルノちゃん」
 そんな俺の横から、今朝見たのと同じ黒い着物を纏ったニシキさんが声を掛けてくる。やはりメイヤーのお手伝いでもしていたのだろう。お皿を持ったニシキさんは、笑顔のまま俺と、そしてディメルノに笑いかけてくれた。
「ああ、ただいま。ディメルノに紹介するな。この紅い髪の人がメイヤーさん。それでこの黒い着物を着ているのがニシキさんだ」
「メイヤーさんと、ニシキさん……」
 俺に言われるがままにディメルノはそう繰り返す。その口調はまだたどたどしいけれど、人の名前を一回だけで覚えられるのを見るに賢い子なのだろう。もしくは、覚えなければならないと思っているのか。
「はい、私がニシキでございます。ディメルノさんは……っ」
 その視線がディメルノにしっかりと向けられた途端、ニシキさんの目が大きく見開かれた。明らかな動揺。声を上げなかったのは、彼女が必死に堪えてくれたのだと分かるほどの。
 だけどその表情の変化にディメルノが首をかしげるより前に、メイヤーが小さく首を振りながら口を開く。
「あー、ニシキ」
「で、でも……」
「いいんだよ。今細かいこと言ったってしょうがないでしょ。それよりほら、お腹減ってるみたいだしさ」
 メイヤーはそう言って、ディメルノにそれとなく視線を向ける。その視線の意味は、きっとニシキさんにも伝わったのだろう。恐らくは心配に類するであろう言葉を、彼女はただ飲み込んでくれた。
「とりあえずご飯。それで、その後に事情を聞く。ユウトもそれでいいでしょ?」
「だな。そう言えば俺も、お腹ペコペコだ」
「だと思った。……よし、それじゃユウトはディメルノと手洗いしてきて。ニシキは料理の配膳を手伝って」
 寮長モードに切り替わったのか、テキパキと指示を出すメイヤーに従い、俺達は各々の準備を始める。どうやらディメルノは手洗いなどはちゃんと家でもしていたようで、場所を教えるだけでちゃんと丁寧に手を洗えていた。
「今日は誰かさんのせいで食材が余ってたから少し豪華だよー。ユウトがディメルノを連れてきたのが今日でよかったよ」
 その彼女の言葉通りに、机の上には続々と料理が運ばれてきた。青々とした新鮮なサラダに、湯気の立ち上る熱々のビーフシチュー。鉄板の上に置かれたパエリアには、見るからに美味しそうな海産物がふんだんに使われている。
 海産物の見た目は、俺が知っているものとほとんど同じ見た目で、エビやムール貝にとても良く似ていた。……同じ、だよな。まあとにかく、食べられるものなのは間違いない。何故ならメイヤーが作ったものなのだから。
「うわ、美味しそう」
「美味しそう、じゃなくて美味しいんだよ……って朝もやったなこのやりとり」
「はは、確かに。まあメイヤーの料理なら美味しいんだろうけどな」
「当たり前でしょ、私が作ったんだから。あー、ディメルノちゃんは苦手な料理とかあったりする? 好き嫌いはよくないけど、食べられないものがあったら遠慮なく言うんだよ」
 無理して食べられても気持ちよくないしね、と。メイヤーはディメルノに聞こえないようにか、口の中だけでそう呟いた。
「私はメイヤーさんの料理ならなんでも食べられますよ?」
「ニシキには聞いてないんだけど……。そもそも知ってるし」
「って言うか、ニシキさんって苦手な食べ物とかあるのか?」
「ほとんどありませんよ? ただまあ……蛇は、少し苦手でしょうか」
 当たり前だ。というかニシキさんが蛇を食べている絵面は想像したくない。めちゃくちゃ共食いっぽい……以前に、蛇を食べている女性をあまり見たくない。
「まあニシキは置いておいてさ。ディメルノちゃんは、苦手なものは……。ディメルノ、ちゃん?」
 そんな他愛のないやり取りをしてから、メイヤーがディメルノに声をかけた。だがその言葉への返答はなく、俺もまた首を傾げて彼女に視線を送る。
 椅子に座ってご馳走のような料理を前にしたディメルノは、その小さな体を更に小さく丸めるように俯いていた。ディメルノの小さな肩が震え、そして俯いたその顔から熱い雫が流れ落ちる。すすり泣くような声をすら聞こえない。声を殺して、少女は泣いていた。
 まるで俺たちに知られないように、知られたら怒られるとでも思っているかのようにと声を殺して。家の中で声を上げて泣いてはいけないと、そう思い込んでいるみたいに。
「……ほら、冷めるよ」
 だけどメイヤーは……いや、だからこそだろうか。それを気にも留めないように、少女の前にパエリアを取り分けた皿をそっと置いた。それに驚いたのか、ディメルノの肩が驚いたようにビクリと震える。
「……これ」
「パエリアだよ。もしかして苦手だった?」
 俯いたままのディメルノは、そのまま小さく首を横に振った。それから慌てたように腕で目元を拭い、恐る恐る顔を上げる。
「食べても、いいの?」
「ああ、もちろん。これだけあれば足りないってこともないだろうし、それにディメルノが食べてくれないなら、正直余っちゃいそうだからな」
 俺が言う。自然に出来ているかも自分では分からない苦笑いを浮かべながら、その少女にせめて言い訳と理由を与えられるようにと。
「私、なにも……。な、なにもしてないのに?」
「いいんだよ、気にしないで。子供はたくさん食べて大きくなるのも仕事なんだからさ」
 メイヤーが言う。これを受け取る権利がその少女にはあると、当然のようにそして優しく笑いながら。
「食べても……怒らない? ぶったり、しない?」
「……大丈夫ですよ。ここにいる誰も、そんなことは決してしません。ディメルノさんを傷付けるようなことは、決して……誰にもさせません」
 ニシキさんが言う。ここでは安心していいんだよと、声を震わせながら、その震えを懸命に抑え込んで。
 そんな俺たちの声が、その少女の心に届いたのかどうかは分からない。だけど少女はその瞳に涙を滲ませながらも、そっと手元にあったスプーンを手に取って、目の前に置かれたパエリアをそっと口に運んでくれた。
「どう? 美味しいでしょ」
「……うん。とっても、美味しい。温かくて、美味しいよ……」
 ディメルノの紫紺の瞳から涙がこぼれ落ち、その頬を伝って落ちていく。その涙はどうしようもなく悲しい涙で、どうしようもなく胸が締め付けられる。だけどその少女から、目を逸らすことだけはしなかった。
「大丈夫……大丈夫ですから。ふふ、こんなに泣いていたらパエリアがしょっぱくなってしまいますよ」
「ごめ……ごめ、なさい。でもこんなに美味しいもの……初めて食べたから」
「そりゃ光栄だね。一日で二回も似たようなことを言われるなんて思わなかったよ」
「それくらいメイヤーの料理は本当に美味しいってことでここは一つ。……でも、よかった」
「……そうだね。それだけは、私も同意だ」
 ニシキさんに涙を拭かれ、ようやく少女はパエリアをしっかり口に運び始めた。それを見て、俺とメイヤーは揃って小さく笑う。自分がしたことは無駄だったんじゃなかったと、そう思えるような気がして。
「それじゃ、俺も食べるかなぁ。パエリアはやっぱ、熱い内に食べないと」
 胸はいっぱいだけど、お腹はペコペコだったから。俺はメイヤーが作ってくれたパエリアやシチューを味わい始めた。結局、ディメルノが少食だったせいでほとんどを俺とニシキさんが食べることになってしまったのだけど。
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