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 龍馬たつまにとって歩美の存在は特別だった。
 小さい頃から父親に仕込まれ、唯一の特技だった将棋は周囲の趣味には溶け合わず、年頃で父親と打つのも億劫になり始めた頃、中学生になり『将棋部』の存在を知ると迷わずにその門を叩いた。

 叩いたのは良いが、部員はいても活動はゼロだと聞くと、将棋部の存在はようやく対戦相手に困らないと考えていた龍馬の期待を見事に裏切った。

 最初だけサボらずに参加していた先輩達は1週間もすると誰も来なくてなった。そして、その時に部に残ったのが龍馬と歩美だったのだ。

 将棋部初の女子部員は先輩達に歓迎されたが、彼等の興味はすぐについえた。  
 地味で垢抜けない歩美は、女子としてチヤホヤされるほど大層なものではなかったらしく、物珍しさだけで打つ先輩達をことごとく負かせてしまうものだから、実力は無くともプライドだけは高い先輩達を部から遠ざけるには充分の要素を持っていたのだ。

 しかし、龍馬にとっては歩美の存在は救いになった。
 互いに言葉数は少ないものの、2人だけになっては、2人で打つしかなく毎日ただ盤に向かって将棋を指し合う事になる。ただ、2人は互いの対局に充分以上に満足していた。
 同年代の対戦相手を求めていたのは、歩美の方も同じだったらしく、実力も同格だった2人は互いに勝ち負けを繰り返しながら月日を過ごした。

 一年を過ぎた頃、龍馬は歩美を異性として意識し始めた。
 後ろで束ねるだけの地味な髪型を解く日があったり、見えれば良いだけの厳つい眼鏡をオシャレな物に変えたりして、歩美は徐々に女らしくなっていった。

 もともと色が白く端正な顔立ちをしていた歩美を覆い隠していたのは、単に『地味』というベールで、それは高校2年生になった今でも変わらなくはあるのだが、それを打ち破るほどの美しさが顕著になると、龍馬だけでなく、周囲の男子もその魅力に気づき始めた。

『龍馬。お前、楠元と付き合ってるの?』
『付き合ってないなら、紹介してくれよ』
『楠元って好きな男子いるの?』

 将棋を指しているだけの自分が知るはずの無い事を、同じ将棋部だと言うだけで随分と聞かれた。
 そして、周りが意識し始めるのと同じ分だけ龍馬も歩美を意識し始めたのだ。

 他の男子がいきり立つ分だけ、龍馬は少し優越感を覚えた。
 その頃には、互いの事を話したりしたし、何より2人は将棋で毎日会話をしているようなものだから、周囲の男子より自分が優位に立てているように思えた。

 そして中学3年になる頃には、歩美に対する想いは確実に恋へと変容していた。
 しかし龍馬は、その事に気付いた途端何も出来なくなった。自分の想いを告げる事で、このかけがえのない時間が無くなってしまう恐怖は測り知れなかった。

 そんな中で、歩美が何人かの男子生徒に告白されたという噂を耳にする事があった。

 そんな情報は、龍馬の胸を騒つかせたが、歩美がそれを断ったと言う噂を聞き安堵するくらいしか出来なかった。

『Aが楠元にフラれたって。楠元好きな人がいるらしいよ』

 直接、友人からその話を聞いた時、龍馬は足元がグラついた。歩美に好きな人がいる事に動揺したからだ。
 しかし、その友人が龍馬に告げたかったのはそんな事じゃなかった。

『お前なんじゃないの?楠元の好きな人って』

 それは晴天の霹靂だった。一方通行の想いに橋が架けられたようではあったが、慌てた龍馬は、しどろもどろになりながらそんな筈はあるはず無いと友人の考えを否定する事だけに躍起になった。

 その憶測が、どれほど確信を得たものなのかを、それからずっと龍馬は考えたが結論は出るはずも無かった。

 将棋と一緒で『勝筋』がハッキリ見えないと動けない龍馬は、そこからも告白する事なく卒業を迎えた。
 歩美が同じ高校に進む事を聞き、安堵した龍馬は、現状維持を選択したのだ。

「あっそう言えば」

 部活が終わりの時間になって、香織が何かを思い出したかのように呟いた。

太原たいげん先輩が、合宿するって言ってましたよー」
「合宿?いつ?どこで?」
「なんかあ、ゴールデンウィーク?先輩のお家?別荘?」
「なんで太原たいげん先輩、お前にだけ言うんだよ?」
「えー?っていうかあ、昼休みに遊びに行ったときにい、先輩達にも言っとけって」
「…あ、そう」

 太原将輝たいげんまさき。将棋部の部長だが、その肩書は将輝の数あるプロフィールの極々端に並ぶものだ。
 将輝の親は大会社の社長で、地元では知らない者のない大豪邸を構えている。
 将輝自身も御曹司でありなが、その類稀なルックスでモデル活動もしている。
 更には小学生の頃は『天才棋士』として名を馳せた事もあったが『プロ棋士にはならない』と宣言するとモデル活動に専念した。そして一応、将棋部の部長を務めているが、滅多に部には顔を出さない。

「お前、太原先輩と仲良くなったのか?」
「っていうかあ、先輩が全然来ないからあ、こっちから会いに行っただけですー」
「はあ…」

 ついでに話をすると、美野原香織がこの、地味な将棋部に在籍しているのは将輝目当てである。

 
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