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元カレと元カノと親友

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 夜になると、昼に比べ明らかに気温が下がり、体感する温度も下がっている。
 暁義は宮丸と共に飲み会が行われる居酒屋へとやってきた。
 ゼミの飲み会だと思っていたが中には知らない顔もいて、暁義は少し戸惑いを覚える。

「ゼミの集まりって言うより、一年の集まりだな」
「そうなのか?」

 暁義は入学してから数えるほどしか飲み会に参加しておらず、サークルにも入っていないため、同じゼミ以外の人は殆ど知らなかった。

「あれ? 嘉瀬君?」
「本当だ! え、何で何で? 珍しい」

 同じゼミの女の子達に話しかけられ、知った顔に暁義は少し安堵する。

「たまには、って久志に誘われて」
「嘘ぉ! 宮丸ナイスっ!」
「今日まじラッキーじゃん」

 更に知らない女の子達も会話に入り始め、暁義はあっと言う間に囲まれてしまった。
 何とか女の子達と会話を合わせながらも、暁義は宮丸に助けろと必死に視線を送る。

「暁義を餌に女の子がどんどん釣れるなぁ」

 しかし宮丸はただ傍観しているだけで、助けるどころか女の子達を前に嬉しそうな表情を浮かべていて、初めからこれが目的だったんじゃないかと疑ってしまう。

「そういえば嘉瀬君、今日彼女は?」

 一人の女の子が聞いてきた内容に、暁義は思わず表情を曇らせた。

「えっと……別れたんだよね」

 苦笑を浮かべ、何とかそう返す。

「え、嘘!? だって友達がバレンタインに告ったら、彼女いるから振られたって泣いてたよ!」
「その日の夜にね……喧嘩しちゃって」

 告白してきた女の子達の友達がいることを気まずく感じながら、申し訳なさ気に暁義が説明した。
 すると女の子達は詳しい理由を聞きもせず、彼女が我が侭だったんだ、浮気したんだ、暁義君優しいから、など相手が悪いと決め付け、知らない相手を想像しては文句を言い始める。
 言い得ている様な、いない様な彼女達の会話に戸惑いつつも、暁義は肯定することも否定することも出来ずにいた。

「とりあえず、飲み会始めるから一旦座って」

 幹事の言葉に漸く解放されたと安堵し、暁義は出来るだけ端の方へと座るとホッと息を吐いた。

「あからさまにホッとしすぎ」

 宮丸が右隣に座りながら声をかけてくる。
 その飄々とした様に、ついつい恨み言が口をついて出る。

「助けもしない奴が言うな」
「まあまあ、まずは慣れないと」

 宥めるように言われるが、いまいち暁義は納得出来ない。
 宮丸が助けてくれればあんな風に囲まれることもなかったはずだ。

「女の子よりもこの場の雰囲気に慣れないと呑まれそう」

 暁義は慣れないこの場に、既に余裕がなくなってきていた。

「あれ? あの子、お前が中学のとき付き合ってた子じゃ?」

 あの子、と宮丸が指差す方に暁義が目をやると、今来たばかりなのか、キョロキョロと辺りを見渡し、座る席を探す女の子の姿があった。
 小柄に見える背丈はその細い肩の為か、実際より小さく見え、肩下辺りで揺れる色素の薄い髪と丸い目をさらに丸く見せる大きな瞳。
 その瞳が戸惑い気味に彷徨っている。小さな口元に添えられた手は男の庇護欲を駆り立てるに十分だろう。

「…清香」

 呟いた名前に気づいたのか、名方(なかた)清香(きよか)が暁義達へと視線を向ける。

「暁義君?」

 視線が合うと驚いたような、それでも嬉しそうに清香は笑顔を見せた。

「名方さん、ここ空いてるよ」

 宮丸はこっちこっちと手招きし、自分が座っている側とは反対の、暁義の隣の空いている席を指差しながら清香を呼ぶ。
 その様にふわりと笑顔を見せ、呼ばれるまま清香は暁義の隣へと座った。

「久しぶり」

 中学卒業以来の再会に暁義は少しの緊張を覚える。

「久しぶりだね……って言っても、私、知ってたよ。暁義君が同じ学部だって」

 少し照れたように笑いながら、清香は話した。

「え、同じだったの?」

 もう直ぐ一年が経とうとしているのに、全く気がつかなかった。
 そのことに暁義は驚きと同時に呆れを覚える。いくら人見知りする方とは言え、どれだけ交流が少ないのか、と。

「うん。そうじゃなくても、暁義君カッコイイって一年の間じゃ有名なんだもん」

 いつの間にそんな噂をされていたのか…身に覚えはないが、だからバレンタインのチョコが多かったのか、と変に納得してしまう。

「やっぱモテる男は違うね」

 茶化すように宮丸が口を挟んだ。
 すると清香はクスクスと小さく笑い、宮丸へと視線を移す。

「宮丸君も有名だよ。いつも暁義君と一緒にいるって」
「えーっ…それ微妙。もう暁義と一緒にいるのやめよっかな」

 宮丸が不満そうに口を尖らせ、拗ねたように呟く。
 只でさえ他者との交流が少ない暁義にとって、中学来の友人を失くすのは惜しい。

「な、そんなことで友達やめる気かよ」
「そんなことじゃねぇよ! これは結構重大だぞ! 男として!」

 暁義が焦ったように口を開くが、それが余計に劣等感を煽ってしまったようで、宮丸の声が大きくなる。

「あはは、相変わらず仲良いね」

 清香の言葉に思わず二人は互いの顔を見合わせた。

「まぁ、中学からの腐れ縁だからね…」

 中学から今まで、散々喧嘩しながらもつるんできたことを思い出すと、何だか照れくささすら感じる。

「清香ってこういう場、苦手じゃなかったっけ?」

 照れ隠しするように暁義は話を逸らした。
 それに気づいたのか気づいてないのか、清香はくすりと笑って答える。

「私は社会勉強の一環。社会に出ると付き合いで飲まされるって聞くし。暁義君こそ、いつも来ないのにどうしたの?」
「俺は、こいつに連れられて。偶には顔出せって」

 呆れ顔で指差せば、不服そうな宮丸の顔。

「そっか。じゃ、今日は私、運が良かったんだ」

 そう言って清香はニコリと笑った。
 いつの間にか暁義は緊張も忘れ、付き合っていた頃のように話が盛り上がる。
 元々仲違いして別れたわけではなかったため、蟠りもなく普通に接することが出来るんだろう、と暁義はどこか冷静に思った。

「俺も、清香に会えて良かったよ」

 特に何か意図があって言ったわけではない。
 純粋に清香と再会できたことを良かったと思う自分がいた。清香と話していると心が休まるような、そんな気分だった。

「アキ?」

 だが、その一言に現実へと引き戻される。
 その呼び方をするのは家族を含めても一人しかいない。
 顔を見なくても誰だか分かったが、暁義は確かめるようにゆっくりと顔を動かした。

「壱斗」

 その顔を見て、やっぱり…と思うと同時に、心の奥で来なきゃ良かった、と後悔が生まれる。
 出来れば、まだ会いたくなかった。
 初めはゼミの飲み会だと聞いていたので会うことはないだろうと安心していた。だがこの場に来てそうじゃないと分かり、一瞬壱斗のことが頭に過ぎったが、直ぐに女の子達に囲まれ、考える余裕がなくなっていた。もっとよく考えれば、飲み会に必ず参加する壱斗が来ないはずないと分かったはずなのに。
 壱斗の登場に宮本も目を丸くしていたが、その視線がすぐさま自分に向けられて居ることに気づき、暁義はすぐに大丈夫、と視線を返した。
 本当は、内心心臓が飛び出しそうなほどの驚きと、傷んだばかりの心の痛みが交差し、動揺を顔に出さないよう努めるだけで精一杯だった。

「アキが飲み会に出るって珍しいね。おかげで女の子は皆、アキに持っていかれたって、他の奴らが嘆いていたぞ」

 そう言いながら壱斗は暁義の向かいの席へと腰を下ろす。

「俺は別に…女の子って言っても、清香と話してるだけだし」

 そう言って暁義はチラリと清香に視線を送った。

「へぇ…清香ちゃんって言うんだ。こんばんは」

 壱斗がニコリと愛想のいい笑みを浮かべ清香に挨拶する。
 あんな別れ方をしてから数日しか経っていないのに、どうしてこうも平然と話しかけれるのか分からない。
 暁義からしてみれば、態々話しかけに来ることもないだろう、としか思えなかった。

「アキは一見地味だけど、よく見ると顔はイケてるし、性格も男らしくて、一途だし。恋人のこといつも大切にして、彼女が羨ましい。出来るなら私が付き合いたい! って皆言ってたよ」

 そう話しながら壱斗はチラチラと清香に視線を向けている。その様子を見て、そう言うことか、と暁義は悟った。
 清香を狙っている。
 それしか態々別れたばかりの元恋人がいる席に話しかけに来る理由がない。
 そんな考えに行き着くと、暁義の心の中にモヤモヤとした感情が湧き上がってくる。
 直ぐにその感情が嫉妬だと分かったが、今更嫉妬もないだとうと、その感情を静めた。

「うわぁ…お前、マジモテるじゃん」

 横で平常に戻った宮丸が羨ましそうな声を出す。しかし言った張本人がそんなのただの理想だとわかっているだろうに…と暁義の表情が暗くなる。
 ジワリと心に広がる憂い。

「皆勝手に夢見すぎだよ…俺が本当にそんな奴なら…」

 半年で浮気されるはずがない。
 その言葉はつい飲み込んでしまった。

「そうそう。アキより断然俺の方がいい男なのにっ」
「いや、織部はチャラ男代表だって」

 自分をアピールするような壱斗の言葉を否定するように宮丸が口を挟む。
 暁義は会話に入ることなく、心の隅で二人はこんなに仲が良かっただろうかとそんなことをぼんやり思い、ただ二人の会話を聞いていた。
 昔の彼女と別れたばかりの彼氏、そしてその関係を全て知る親友。居心地の悪さを感じないはずがない。

「ふふふ。織部君もかっこいいけど、でも暁義君は昔からモテるよ。気配りが上手いのかな? いつもさり気なくフォローしてくれたり、ね」

 そう言いながら清香が可愛らしく首を傾げた。
 そういう仕草は昔から変わってなくて、今でも純粋に可愛らしいと思う。

「いや、俺別に何もしてないし…」

 特別何かをしてるつもりはないからそう否定する他ない。

「それそれ。そういうとこがモテんだよなぁ。前に出過ぎないっていうか、出しゃばらないっていうか、ガツガツしてないっていうか…」

 そう宮丸が愚痴るが、モテようがモテまいが、暁義にはどうでもよかった。結局好きな人に好きになってもらえなければ、意味なんてない。
 暁義は、はぁ…と嘆息を吐くと、会話を他所に、また仕方のないことが頭をチラつく。
 壱斗は結局本気で付き合ってたわけじゃなかったんだろう。
 本気で好きだったら、きっとあんな不誠実なことばかり繰り返したりしないはず。だったらどうして付き合ってくれたのか…少しくらいは自分を好きでいてくれたのか?
 そこまで考えて、暁義は頭を振った。今更何を考えているのか。自ら別れを告げたのに…と不毛なことを考えてしまう。

「暁義君、この後二次会行く?」

 清香の言葉に思考が引き戻される。

「いや、帰るよ」

 流石に二次会にまで顔を出す気分にはなれない。
 どうせ壱斗は二次会に行くのだろうし、とコッソリと見やる。壱斗は横目でチラチラと清香を見ながら、宮丸と話をしていた。
 あからさま過ぎて疑う余地すらない。きっと清香が二次会に行くかどうかで壱斗はこの後の予定を決めるつもりだろう。

「よかった…悪いんだけど、駅まで一緒にいいかな?」

 その言葉に暁義は頷いた。
 二次会に行かないと言った清香が自分と一緒にいれば、壱斗もアプローチし辛いだろうと思ったからだ。
 いつからこんな捻くれた性格になったのだろうか、と暁義は卑屈めいたことを思ってみる。

「…虫除けみたいだ」

 ポツリとこぼれた言葉。

「虫って?」

 不思議そうに首を傾げる清香に、暁義は苦笑を浮かべた。

「いや……なんでも、ない」

 清香の邪魔をしたいのか、それとも壱斗の邪魔をしたいのか…。
 湧いた疑問に、何故か直ぐに答えを見つけることは出来なかった。

「アキ、ちょっといい?」

 壱斗に呼ばれ、思考が戻る。
 何の用事だろうかと不思議に思いながらも暁義は何? と返した。
 ちょっと、と言いながら立ち上がった壱斗が店の外へと促している。
 暁義は倣うように席を立ち、壱斗に続いた。
 外に出ると吐いた息が白く変わる。
 店に入ったときよりも冷え込んできているようだ。こんな寒さの中何の話だ?と思案するが、すぐさま清香のことだろうと暁義は察した。
 先刻目にしてしまった壱斗の態度、視線、そして敢えて二人きりにならなければならないという事…それらを総合すれば易い考えだ。
 壱斗がもう次の相手を見ているのだと思うと、その切り替えの早さに暁義の心も少しずつ冷えていく。だが、このまま壱斗の思い通りになるのは癪だとも思った。
 店を出てから背を向けたまま、壱斗は何も話さない。

「…何か、話があるんだろ?」

 暁義の言葉に、壱斗は漸く顔だけ向けた。
 ジャケットに手を突っ込み、拗ねたように口を尖らせている。

「寒いから早くしろ」

 ついて出た言葉が棘を持っていたのは寒さの所為か、それとも壱斗の所為か暁義自身ハッキリとは分からない。
 芯から冷えてしまいそうなほど空気はひんやりとしていて、微かに雪の気配を感じる。悴む手を擦り合わせ、お情け程度にはぁと息をかけるが流石にその程度では暖を取ることは叶わない。

「……アキ」
「何?」

 壱斗の言葉に視線を戻した。

「さっきの子、元カノだって?」

 やはりそうかと暁義は一つ息を吐く。
 清香と付き合っていたのは中学時代のことだから、当然壱斗が知りうることのない過去だが、大方、宮丸あたりから聞いたのだろうと暁義は予想がついた。
 壱斗がゆっくり身体の向きを変え、向き合う。
 いつもの軽い調子なのだろうと思っていた壱斗の目がいつになく真剣さを帯びていて、暁義は僅かに目を見開いた。
 そんな壱斗に暁義も真面目に言葉を返す。

「…まぁ」
「いつの?」
「中学。何で?」
「あの子、偶に飲み会で見かけてたけど…まだアキのこと好きなんじゃない? 付き合うの?」

 探りを入れてくるであろう事は予想していたが、壱斗の言動に何時もの軽い様子がなく、暁義は内心困惑した。
 本気なのだろうか。
 今までのような遊びじゃなく、本気で清香を…?

「さぁ…今日久しぶりに会ったし……てか、話ってそれ? もう壱斗には関係ないだろ」

 暁義は釈然としない気持ちになり、冷たく突き放すように答えた。
 その言葉に一瞬眉根を寄せ、沈痛な表情を見せたかと思うと、自分の感情を隠すように壱斗は俯く。

「…やめときなよ。どうせ直ぐ駄目になるって」

 壱斗の言葉に視界がぐらりと揺れるような錯覚を覚えた。
 どうしてそれを壱斗に言われなくちゃいけないのか…駄目になったのは壱斗の所為なのに…こんな苦しい目にあったのは壱斗が原因なのに!
 そんな感情が湧水のように次々と溢れ出してくる。
 壱斗だけには絶対に言われたくない言葉がここ数日押し込めて、蓋をして、感情を隠していた瓶をいとも簡単に割ってしまう。

「だから…っお前に関係ないだろ! 何でお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよっ」

 壱斗の言葉に耐え切れず、暁義は憤懣をぶつけるように声を荒げた。しかし壱斗は引こうとせず、言葉を続けた。

「あんな子やめなよ! 俺がいるじゃん! もう一回やり直そう。ねぇ、アキ……俺とやり直そうよ…」

 顔を上げると、突然想いを告げ、縋るような目を見せる。
 そんな目を向けられても、暁義の中では苛立ちが増すだけで、怒りが治まらない。

「ふざけんなっ! 自分勝手なことばっか言ってんなよ!」

 ここが外だとか、飲み会の途中だとかいうことも忘れて怒鳴り声を上げた。
 もしかしたら近くに人がいるかも知れない。
 抜け出した自分達を心配して、誰か様子を見に来るかも知れない。
 それくらいのこと冷静な頭で考えれば頭を過ぎったかもしれないが、そんな余裕は怒りで飛んでしまっていた。

「ヤダ! アキは俺のだ!」
「お前が縛られたくないって言ったんじゃないか! 何で今になってそんな…っ本当に、もう、お前に振り回されんの疲れたんだよっ……俺は、お前にとって都合のいいお人形じゃない…」
「っ……ごめん…ごめんっ、アキ…」

 暁義の悲憤を聞いた壱斗の目に涙が浮かぶ。

「何だよ……何で、壱斗が泣くんだよ…泣きたいのは俺の方、なのに…」

 散々浮気されて、嘘吐かれて、別れるときには最低だと罵られて…それなのに別れて直ぐによりを戻したいと自分勝手なことを言われ、一体どこまで振り回されればいいのか…暁義は壱斗の涙を見て、その怒りのやり場をどうすればいいのか分からなくなってしまった。
 壱斗にぶつけることも、自分の中で消化することも出来ない憤り。

「ごめん、アキ…俺……俺の中でこんなにアキの存在が大事だって、気づいてなかった……いなくなるなんて、考えられないっ」
「お前、今更…そんなこと言って恥ずかしいとか、みっともないとか、思わないのかよ」

 暁義がそう言うと、壱斗の肩が静かに揺れる。

「恥ずかしいことだって…みっともないことだって分かってるよっ…でも、そんな形振り構う余裕なんてない! また俺を好きになって欲しい! アキが欲しいんだよっ」

 壱斗の言葉に一瞬暁義の心が揺れるが、今までも同じようなことの繰り返しで、何度も何度も壱斗が謝っては暁義が許してきた。
 それを思い返すと、暁義の気持ちが再び段々と冷めていく。

「まだ好きだって思うなら、せめてそれなりの態度取れよ…合コンとか、顔出すの止めろよ…そんなこと続けてる奴の言葉なんか、信じられるわけ、ないだろ……っ」

 言葉の途中途中で浮かぶのは、あの日駅で見てしまった、女の子と楽しそうに話す壱斗の顔。あれは、確かにこの目で見てしまった事実。

「…やっぱり…もう、お前を信じるのは辛い」

 あんなにも心が痛むことはない。
 目の前で起こったことを、視界に捉えてしまったことを後悔し、同時に、これは夢だと人違いであると惨めにも現実逃避を考えてしまうような…あんなことがもし次もあったら、今度こそ耐え切れそうになかった。

「…やだ……嫌だ……お願い…誰とも付き合わないで! お願い…アキが俺以外の人を抱くなんて考えられない…考えたくない……ねぇ、お願い! もう俺を好きになってなんて言わないからっ…だから、せめてもう少し……俺の気持ちが落ち着くまででいいからっ…あの子とも、誰とも…お願いっ」

 壱斗が暁義の袖を掴み、縋りつく。
 顔は涙でぐしゃぐしゃになり、いつもの壱斗からは想像も付かないほどだ。
 形振り構わず求められて嫌なはずはない。
 それでも、あんなに辛くて惨めに感じる関係に戻るのだと思うと、首を縦に振る勇気なんてあるはずもなかった。

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