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別れよう…
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『今日、会いたい』
暁義は壱斗にそれだけ書いたメッセージを送った。
付き合い始めて一年目の記念日。
別れを切り出すのにはいい切っ掛けに思える。
バイトをこの日の為にわざわざ交代してもらい、プレゼントを準備して、お洒落なお店でご飯を食べて、たとえささやかでも恋人になれた日を二人で祝う……男同士で、とも思うが、少なくとも少し前までは嬉々としてこの日を待ち望んでいた。しかし今は、宮丸との会話が頭にチラついて離れない。
寛大に浮気を許し続けるほど気持ちに余裕もないし、これから先もこの状況は変わらないのだと思うと、暁義は耐えられなかった。
もう、心が限界だった。
講義が終わり、真っ直ぐ大学を出る。
自宅へと足を向けていたが、朝送ったメールの返事はまだ来ていない。
いつになるか分からない壱斗の返事をただ家で待つのは空しいような気がして、特に当てもないままぶらりと街中へと足を運んだ。だが日が暮れるにつれ寒さが増し、周りを見ればカップルばかりで、段々惨めな気分になっていく。
「……帰ろ」
誰に言うでもなく呟き、駅へと足を向ける。
賑う街中から逃げるように、駅への道程を黙々と歩いた。
そうやって駅に着いたのは、いつもはあまり利用しない時間帯。
駅の改札口は帰宅する学生やサラリーマンでごった返している。この時間帯は利用するもんじゃないな、と思いつつ、ホームへと向かった。
プラットホームも変わらず人の波で、どこが列の終わりなのかもよく分からない。
そんな中、よく知る顔を見つけた。
「壱斗…?」
その傍らには、小柄な女の子の姿。その子が手招きするように手を動かすと、壱斗がゆっくりと腰を曲げ女の子へと近づいた。女の子が顔を近づけ、口を開き何か話しかけている。すると、壱斗から笑顔がこぼれた。
忙しなく人が行きかう中、互いの目を見つめ、微笑みあっている。それは恰も恋人同士のやり取りを見ているようで…。
ドアが閉まります、と車掌の声が響いているが、暁義はそこから動くことが出来ず、ただ二人が乗る電車を見送っていた。
――ああ、どうりで連絡がないと思った…。
初めて浮気現場を目の当たりにしたショックは大きく、どうやって家に帰り着いたか、はっきり覚えていない。
家に帰ってからは、ただひたすら鳴ることのない携帯を見つめていた。
いつの間にか窓から差し込む光が橙色の夕日から青白い月明かりへと変わる。その頃になって漸く昼に打ったメッセージの返事が返ってきた。
『遅くなってごめん。今からそっち行くよ。』
それで漸く暁義の思考が戻る。
女と一緒にいた…壱斗は記念日すら覚えていなかったんだ、と暁義の中で空しさが増す。
態々バイトを交代までしてもらった自分がただただ女々しく思えた。
僅かでも楽しみにしているかもしれないなどと淡い期待を抱いていた自分が無様に思えて仕方がない。
メッセージが届いてから三十分程で壱斗は暁義の家へとやって来た。
「遅くなってごめんね。ちょっと用事あってさぁ」
壱斗はいつもと変わらない陽気な態度で部屋へと上がり、荷物を床に置くとソファに座り、お気に入りのクッションを抱える。
暁義もその隣に並んで座った。
「何の用事?」
「あー、同じゼミの奴らと集まる約束してて」
「…」
壱斗が言葉の最初に「あー」と付けるときは何か誤魔化しているときの癖だ。
高校からの付き合い…それがたった三~四年だとしても、それなりに壱斗のことを見てきた。
もしそんな癖を知らなかったとしても、今日ばかりはそれが嘘だと知っている。
夕方、壱斗は女の子と一緒にいた。その事実がある。暁義は実際にその現場を見てしまったのだ。
「ねぇアキ、今日泊まってもいい?」
浮気現場を見られていたことなど知らない壱斗は素知らぬ顔でいつも通りに過ごしている。
罪の意識など微塵も感じられなかった。
言うなら今しかない。そう思い口を開く。
「……と」
だが緊張のためか、まるで咽喉が張り付いたように言葉が上手く出ない。
壱斗に気づかれないよう、暁義は静かに深呼吸をする。
「そういえば、今日チョコ何個貰った?」
暁義の様子に気づかず、壱斗は次の話題へと移っている。
「……ちと」
「俺さ、何個か貰ったんだけどさぁ、何か知んないけど、皆義理しかくれないの。折角貰っても義理だけってどうよって感じじゃない? あ、でさ、俺から」
もう壱斗の言葉は頭に入ってこなかった。いや、壱斗の言葉を聞くほどの余裕が暁義にはなかった。
言え。今言うしかない。
そう自身を叱咤する。
「壱斗」
「ん?」
やっと壱斗が暁義の声に気づき鞄を漁っていた手を止め、顔を向けた。
「…」
漸く名前を呼んだが、その後の言葉が続かない。
「アキ? どうかした?」
そう言って首を傾げる姿に、直ぐそこまで出ていた言葉を思わず飲み込みそうになる。
だが、もう譲れなかった。
「今日、お前……本当は女と、いただろ」
僅かに震える声。
今までだったらもっと、こんな噂聞いたんだけど、と軽い調子で聞いていたような気がする。
どうしてこんなにも緊張するのか…事実を知ってからと知る前では覚悟も相手への信頼度もこんなに違うのだと改めて感じた。
「何、アキ、急に…」
このことを言えば、もう縋れるものすらなくなる。もう終わりにするんだ。
「女と二人で電車、乗ってただろ」
継げた言葉に一瞬壱斗の表情が固まった。
暁義の脳裏にはあの駅で見たことがリアルに浮かび、壱斗の表情と相俟って現実味が増していく。
あれは、夢じゃなかったのだ、と。
「…俺の後、つけたの?」
壱斗が静かに呟く。
「違…っ」
断じてそんなことはしていない。
暁義はそれだけははっきりと言える自信があった。
過去にどれだけ浮気されても、壱斗を信じたかったから、後をつけたことなど一度もない。いや、壱斗を信じたかったというのは建前で、現実を目の当たりにする勇気がなかっただけだ、と暁義は心の中で訂正する。
結局は、傷つくだけの覚悟が出来ていなかっただけで、本当は壱斗がどんな女と会っているのか気になって仕方がなかった。そしてそれを、偶然という形で、今日見てしまった。偶然見かけなければ、いつか自らの意思でやっていたかも知れない。ただ、偶然か故意かの違いだけで…。
そのことに気づき、否定の言葉は途中で途切れてしまった。
「最低。アキがそんな奴だと思わなかった」
壱斗のその言葉が頭の中に響く。
元を辿れば壱斗がだらしなく女と遊んでいることが 原因なのに、どうして自分の方が悪く言われているのか…暁義の中でそんな不条理に対し沸々とした怒りが湧き上がる。
何度も何度も裏切られ、怒りたいのはこっちの方なのに、どうしてこんなに責められているのか。
自分を正当化しようとする壱斗に、暁義はとうとう憤りを抑えきれなくなった。
「…っざけんな……俺は一体どれだけ我慢すればいいんだよ! 何度お前の浮気に耐えればいい? 浮気する度にごめんって、もうしないって…何度聞いたら…っ」
確かに何度も許しながらも信じきれていなかったことは、自分にも非があるかも知れない。さっさと見切りをつけていれば互いにこんな醜い感情を抱くことはなかっただろう。
責めたいのは暁義の方なのに、少しの非でも自分が悪いように思えてきて、惨めさが増していく。
「別に女の子と遊ぶくらいいいじゃん。俺だって男だし、女の子がいいときもあんの」
開き直るように答える壱斗。
どうして自分だけじゃ駄目なのだろう。
女の子がいいのなら、どうして別れてくれなかったのだろう。
暁義は、壱斗の考えが分からなかった。
そんな理由なら、友達でいた方がどれほど楽だったか。
「…わかった……もう別れよう。俺、もう耐えれそうにない…」
壱斗の心がどこか遠くにあるようで、全く愛情を感じられない。
恋人同士のはずなのに、自分の勘違いじゃないかと思ってしまう。
なんなら、本当は自分も浮気相手の一人かも知れないなどと疑ってしまう。
それほど暁義の心は疲れ果てていた。壱斗とのこの関係に耐えられなくなっていた。
「俺、多分壱斗の考え理解出来そうにないし…お前も、俺の気持ちなんて、分かんないだろ…」
「っ!…そうだね……いいよ、別れよ。俺も、恋人って言葉に縛られんの…もう、疲れたし…っ」
そう語られた壱斗の顔を見る勇気はなく、視界の隅で固く握られた拳だけが震えていた。
こうして約二年の片想いを経て叶った恋は、幸福と疲弊をもたらし、濃い一年のわりに呆気なく終わりを迎えたのだった。
暁義は壱斗にそれだけ書いたメッセージを送った。
付き合い始めて一年目の記念日。
別れを切り出すのにはいい切っ掛けに思える。
バイトをこの日の為にわざわざ交代してもらい、プレゼントを準備して、お洒落なお店でご飯を食べて、たとえささやかでも恋人になれた日を二人で祝う……男同士で、とも思うが、少なくとも少し前までは嬉々としてこの日を待ち望んでいた。しかし今は、宮丸との会話が頭にチラついて離れない。
寛大に浮気を許し続けるほど気持ちに余裕もないし、これから先もこの状況は変わらないのだと思うと、暁義は耐えられなかった。
もう、心が限界だった。
講義が終わり、真っ直ぐ大学を出る。
自宅へと足を向けていたが、朝送ったメールの返事はまだ来ていない。
いつになるか分からない壱斗の返事をただ家で待つのは空しいような気がして、特に当てもないままぶらりと街中へと足を運んだ。だが日が暮れるにつれ寒さが増し、周りを見ればカップルばかりで、段々惨めな気分になっていく。
「……帰ろ」
誰に言うでもなく呟き、駅へと足を向ける。
賑う街中から逃げるように、駅への道程を黙々と歩いた。
そうやって駅に着いたのは、いつもはあまり利用しない時間帯。
駅の改札口は帰宅する学生やサラリーマンでごった返している。この時間帯は利用するもんじゃないな、と思いつつ、ホームへと向かった。
プラットホームも変わらず人の波で、どこが列の終わりなのかもよく分からない。
そんな中、よく知る顔を見つけた。
「壱斗…?」
その傍らには、小柄な女の子の姿。その子が手招きするように手を動かすと、壱斗がゆっくりと腰を曲げ女の子へと近づいた。女の子が顔を近づけ、口を開き何か話しかけている。すると、壱斗から笑顔がこぼれた。
忙しなく人が行きかう中、互いの目を見つめ、微笑みあっている。それは恰も恋人同士のやり取りを見ているようで…。
ドアが閉まります、と車掌の声が響いているが、暁義はそこから動くことが出来ず、ただ二人が乗る電車を見送っていた。
――ああ、どうりで連絡がないと思った…。
初めて浮気現場を目の当たりにしたショックは大きく、どうやって家に帰り着いたか、はっきり覚えていない。
家に帰ってからは、ただひたすら鳴ることのない携帯を見つめていた。
いつの間にか窓から差し込む光が橙色の夕日から青白い月明かりへと変わる。その頃になって漸く昼に打ったメッセージの返事が返ってきた。
『遅くなってごめん。今からそっち行くよ。』
それで漸く暁義の思考が戻る。
女と一緒にいた…壱斗は記念日すら覚えていなかったんだ、と暁義の中で空しさが増す。
態々バイトを交代までしてもらった自分がただただ女々しく思えた。
僅かでも楽しみにしているかもしれないなどと淡い期待を抱いていた自分が無様に思えて仕方がない。
メッセージが届いてから三十分程で壱斗は暁義の家へとやって来た。
「遅くなってごめんね。ちょっと用事あってさぁ」
壱斗はいつもと変わらない陽気な態度で部屋へと上がり、荷物を床に置くとソファに座り、お気に入りのクッションを抱える。
暁義もその隣に並んで座った。
「何の用事?」
「あー、同じゼミの奴らと集まる約束してて」
「…」
壱斗が言葉の最初に「あー」と付けるときは何か誤魔化しているときの癖だ。
高校からの付き合い…それがたった三~四年だとしても、それなりに壱斗のことを見てきた。
もしそんな癖を知らなかったとしても、今日ばかりはそれが嘘だと知っている。
夕方、壱斗は女の子と一緒にいた。その事実がある。暁義は実際にその現場を見てしまったのだ。
「ねぇアキ、今日泊まってもいい?」
浮気現場を見られていたことなど知らない壱斗は素知らぬ顔でいつも通りに過ごしている。
罪の意識など微塵も感じられなかった。
言うなら今しかない。そう思い口を開く。
「……と」
だが緊張のためか、まるで咽喉が張り付いたように言葉が上手く出ない。
壱斗に気づかれないよう、暁義は静かに深呼吸をする。
「そういえば、今日チョコ何個貰った?」
暁義の様子に気づかず、壱斗は次の話題へと移っている。
「……ちと」
「俺さ、何個か貰ったんだけどさぁ、何か知んないけど、皆義理しかくれないの。折角貰っても義理だけってどうよって感じじゃない? あ、でさ、俺から」
もう壱斗の言葉は頭に入ってこなかった。いや、壱斗の言葉を聞くほどの余裕が暁義にはなかった。
言え。今言うしかない。
そう自身を叱咤する。
「壱斗」
「ん?」
やっと壱斗が暁義の声に気づき鞄を漁っていた手を止め、顔を向けた。
「…」
漸く名前を呼んだが、その後の言葉が続かない。
「アキ? どうかした?」
そう言って首を傾げる姿に、直ぐそこまで出ていた言葉を思わず飲み込みそうになる。
だが、もう譲れなかった。
「今日、お前……本当は女と、いただろ」
僅かに震える声。
今までだったらもっと、こんな噂聞いたんだけど、と軽い調子で聞いていたような気がする。
どうしてこんなにも緊張するのか…事実を知ってからと知る前では覚悟も相手への信頼度もこんなに違うのだと改めて感じた。
「何、アキ、急に…」
このことを言えば、もう縋れるものすらなくなる。もう終わりにするんだ。
「女と二人で電車、乗ってただろ」
継げた言葉に一瞬壱斗の表情が固まった。
暁義の脳裏にはあの駅で見たことがリアルに浮かび、壱斗の表情と相俟って現実味が増していく。
あれは、夢じゃなかったのだ、と。
「…俺の後、つけたの?」
壱斗が静かに呟く。
「違…っ」
断じてそんなことはしていない。
暁義はそれだけははっきりと言える自信があった。
過去にどれだけ浮気されても、壱斗を信じたかったから、後をつけたことなど一度もない。いや、壱斗を信じたかったというのは建前で、現実を目の当たりにする勇気がなかっただけだ、と暁義は心の中で訂正する。
結局は、傷つくだけの覚悟が出来ていなかっただけで、本当は壱斗がどんな女と会っているのか気になって仕方がなかった。そしてそれを、偶然という形で、今日見てしまった。偶然見かけなければ、いつか自らの意思でやっていたかも知れない。ただ、偶然か故意かの違いだけで…。
そのことに気づき、否定の言葉は途中で途切れてしまった。
「最低。アキがそんな奴だと思わなかった」
壱斗のその言葉が頭の中に響く。
元を辿れば壱斗がだらしなく女と遊んでいることが 原因なのに、どうして自分の方が悪く言われているのか…暁義の中でそんな不条理に対し沸々とした怒りが湧き上がる。
何度も何度も裏切られ、怒りたいのはこっちの方なのに、どうしてこんなに責められているのか。
自分を正当化しようとする壱斗に、暁義はとうとう憤りを抑えきれなくなった。
「…っざけんな……俺は一体どれだけ我慢すればいいんだよ! 何度お前の浮気に耐えればいい? 浮気する度にごめんって、もうしないって…何度聞いたら…っ」
確かに何度も許しながらも信じきれていなかったことは、自分にも非があるかも知れない。さっさと見切りをつけていれば互いにこんな醜い感情を抱くことはなかっただろう。
責めたいのは暁義の方なのに、少しの非でも自分が悪いように思えてきて、惨めさが増していく。
「別に女の子と遊ぶくらいいいじゃん。俺だって男だし、女の子がいいときもあんの」
開き直るように答える壱斗。
どうして自分だけじゃ駄目なのだろう。
女の子がいいのなら、どうして別れてくれなかったのだろう。
暁義は、壱斗の考えが分からなかった。
そんな理由なら、友達でいた方がどれほど楽だったか。
「…わかった……もう別れよう。俺、もう耐えれそうにない…」
壱斗の心がどこか遠くにあるようで、全く愛情を感じられない。
恋人同士のはずなのに、自分の勘違いじゃないかと思ってしまう。
なんなら、本当は自分も浮気相手の一人かも知れないなどと疑ってしまう。
それほど暁義の心は疲れ果てていた。壱斗とのこの関係に耐えられなくなっていた。
「俺、多分壱斗の考え理解出来そうにないし…お前も、俺の気持ちなんて、分かんないだろ…」
「っ!…そうだね……いいよ、別れよ。俺も、恋人って言葉に縛られんの…もう、疲れたし…っ」
そう語られた壱斗の顔を見る勇気はなく、視界の隅で固く握られた拳だけが震えていた。
こうして約二年の片想いを経て叶った恋は、幸福と疲弊をもたらし、濃い一年のわりに呆気なく終わりを迎えたのだった。
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