暁の標

鳥栖圭吾

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三章 風雲急を告げる

彼の地に集う者たち

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 太陽が真上でさんさんと照り付けている。冬とはいえ、さらに運動しているものだから服が汗で体に引っ付いてくるので、非常に暑い。
二郎は担いでいる瓶をおろすと、柳の影で少し休むことにした。
 額に浮いていた大粒の汗が頬を伝い、地面に落下する。それらを拭って、瓶の中を満たしている水を一杯すくって飲んだ。
 水が喉のひび割れに入って渇いている部分を潤わせながら、冷気が体内に取り込まれていく。熱く火照っていた体は少しずつ温度を下げ、次第に寒くなってくる。
 くすん、とくしゃみをした時、ちょうど話しかけてきた者が居た。
「おい、お前何仕事を勝手に休んでるんだ。働かざる者、食うべからずだぜ」
 現れた人物を見て、二郎はげんなりする。義兄の幸作だった。
「はやく立てよ。今日は昼めし抜きにするぞ」
 そう言われて、二郎は渋々立ち上がる。すると、幸作はいきなり二郎を殴り飛ばした。
「立てと言われたらさっさと起きろ! このぐずが!」
 拳の当たった部分が赤くはれ、じんじんと痛み出す。二郎が幸作を見上げると、幸作は不愉快そうに眉をしかめた。
「なんだ、その目は。食わせてやってるんだから感謝しろよ!」
 そう言って再び二郎を殴りつける。二郎は抵抗することなく拳を受け続ける。
 実は二郎は幸作より体つきはしっかりしており、反撃しようと思えばいくらでも幸作をぼろぼろにすることはできる。しかし、それはいつも身分差という見えない壁に阻まれてかなわなかった。
 二郎の両親は元々都で船を回す店をしていたが、商売に失敗し、人買いに連れ去られた。残った二郎は親戚をたらいまわしにされ、結局行きついたのが幸作の家だったのである。二郎は叔父と叔母に養子にしてはもらっているものの、ひどく冷たい。幸作に怪我の一つでもさせようものなら、すぐに家を放り出され、野垂れ死にするだろう。幸作の方もそれを承知で二郎をいたぶっているわけである。
「ふん、まあいい」
 そう言うと、幸作はどこかへ歩き去ってしまう。幸作の両親、つまり二郎の叔父と叔母は呉服屋を営んでいるが、幸作自身はまだ働いていない。学問を修めたり仏教を学んだりするわけでもなく、ただ遊びまわっている。二郎と年齢はほとんど変わらないはずなのに、この差はいったいどこから生まれたのだろうか。
 二郎はそう思いながらもなんとか家に帰り着く。
「遅いわ。あと薪が無くなったわ。買いにいって頂戴」
 叔母は二郎の顔を見るなり、そう言った。そして、さも当然であるかのように瓶を二郎から感謝の一言も発さず奪い取ると、台所の床に置いた。
「ほら、はやく行ってきなさい。十束だよ」
 叔母が顎で示した先には一つの荷車があった。母屋に続く倉庫にしまってあったものを引っ張り出したものである。あれで運べという事だろう。
 二郎は何も言わずに立ち上がると、金を受け取って玄関を出た。出るときに少し荷車の角が壁に当たった。
 薪を売る店まで少し距離がある。その間、二郎は通過する市場の人通りを眺めながめながら荷車を引いていくことにした。
 茶店や武器屋など、市場にはたくさんの店が立っていた。たくさんの道行くほとんどが商売人や荷物運びで、中には一緒に買い物をしているらしい親子もいる。
「おっかさん、おっかさん、あの飴玉買いたいよ」
「うん、新しい履物を買ってからね。その後なら一つだけ買ったげる」
 その母と息子の会話を聞いていると、何となく見ているのが嫌になり、目を背けた。


「薪? ちょっと待ってくれ
 薪屋の主人はそう言って小屋の中へ入っていく。
「いくつほしいんだ
「十束です。これ、銭です」
「まいど、ぴったしだね。ほら、持っていきな」
 二郎が薪を荷車に積み終わると、薪屋の主人が手招きしているのが見えた。
「ちょっと茶でも飲んでいかないか」
 二郎は養子になってから茶など飲んだことが無い。ありがたくいただくことにした。
 小屋の中に入ってみると、木片が辺りに散らばっており、奥の方にいくつも薪が重なっているのが見える。お世辞にも綺麗とは言えない小屋の中だった。
「よっこらしょ。ほら、あんたも座ったら」
「はあ……どうも」
 そして薪屋の主人は茶を淹れ始めた。しかし、その淹れ方は適当で、茶の葉を刻んだものに熱湯を注ぐだけというものだった。元々小屋の中で水を沸かしていたらしく、煮えたぎるお湯があったので数秒でお茶はできた。
 できたお茶を二つの湯飲みに入れると片方を薪屋の主人は渡してきた。
「あ、ありがとうございます」
「なあに、お前さんが苦労してるのは皆知ってる。あの家族は外面だけは良いが、まあ中身の醜さは周知の事実だからな。たまにはこういう骨休めもしないと」
 二郎は久しぶりに人の善意というものに触れた気がした。これまでの叔父や叔母、幸作の二郎に対する態度を鑑みれば致し方ないことなのだが。
「しかし、これからもっと大変になるからな。頑張れよ」
「大変になる? 何か起こるんですか」
 それを聞いた薪屋の店主は頷いた。
「今日の朝徴兵のお触れがあったんだ。その時にお前の名前と幸作の名前が書いてあったぞ。明日、広場に集合だそうだ」
「徴兵⁉ 俺はこの前高瑠璃の方に戦で出かけてたんですが……」
 ヤマトの徴兵制度は、民への負担を減らすため、一度兵役をした者は五年徴兵を免れる。高瑠璃との戦争に行ってまだ一年ほどしかたっていないので、二郎が戦争に行かなければならないのは何故なのか。
「どうも柏木の里の方で反乱が起こったらしい。それで里の解体を通達したらしいんだが、まあそれに応じないんで軍隊派遣ってことになったらしい。それで早く兵を集めるために前回の戦の兵帳簿を流用したからまた行かないといけないんだろうな。ほんと気の毒だ」
 柏木の里。本来は妖怪退治を専門とする機関である。そこで暮らす人々は神通力を備えており、さまざまな術を扱うことが出来る。
二郎は一度だけ都に派遣されてきた術者を見たことがあった。確か廉次とかいう術者で、都のどこかに隠れて夜な夜な人を襲っていた土蜘蛛を文字通り捻り殺してしまった。独りでに浮いている土蜘蛛の首や、不自然に空中で停止した糸が記憶に残っている。はたしてそんな彼らを相手取って戦に勝つことは出来るのだろうか。
 二郎が飲んだ茶はひどくにごっており、少し苦かった。
「今のうちに武器とか鎧とか買っていった方がいいと思うぞ」
 薪屋の主人はそう言ってお茶をすすった。


「戦? 徴兵? なんだいそれ」
 叔母に自分と幸作が徴兵されていたことを話すと、叔母は青くなって武器と防具を買いに行った。そして幸作が帰って来たのと同時に鉄の鎖帷子を買った叔母が帰ってきた。
「どうしたの?」
 幸作が問うと、叔母は
「あなたの防具よ。徴兵されてるらしいわ」
と言って慌てて家にある槍と弓を取りに行く。当然二郎の分の鎖帷子は無い。
「ええっ⁉」
 幸作は驚いた声を出す。しかし、徴兵を断ると後々税がきつくなるので行かざるを得ないのだ。
「生きて帰ってきなさいよ」
 叔母は、やはり幸作だけに言った。

 次の日、都の広場には五千人の兵士が集まった。その真ん中あたりに二郎と幸作は居るのだが、人の熱気で少し温かった。
「兵士を十万派遣するって聞いたけど全然いないじゃねえか」
「指揮は朝比奈将軍らしいぜ」
「まだ借金があるのになあ…」
 等々、おしゃべりが聞こえてくる。
「しかしよお、柏木の里なんかと戦争してこっちは勝てるのかね」
 という声があったのでそれに耳を傾けた。
「いやあ、五千ぽっちじゃ燃やされてお終いだからな。せめて五万ぐらいいないと無理だろ」
「一回里のやつが戦場で戦うのを見たら、もうばったばったと高瑠璃兵を百人くらい殺してたしなあ……どんくらい里にそういう奴等がいるんだ?」
「千人ぐらいだろ」
 どうやら今回の戦いはかなり厳しいものになるらしい。どこの話を聞いてもそんなものばかりだった。
 流石に戦いが怖くなってきたころ、大太鼓が鳴った。
「進軍!」
 大声が聞こえてきたかと思うと、前の列の者たちが歩き始めた。慌てて二郎はそれを追い、移動を始める。まだ六千人ほどにしかなっていないはずだが、本当にこれだけの人数で柏木の里を攻略することができるのかは兵法を学んでいない二郎には全く分からない。
 しばらくして東城門を抜け、都の外に出ると、青空と草原が広がっていた。この道の先には、一体どんな地獄が待ち受けているのだろうか。
 二郎は北西の空の彼方に灰色の雲が立ち込めているのを見た。


 行俊は大きなくしゃみをしたせいで集中を乱され、飛んでくる紙屑がこつんと頭にあたった。
「おいおい、練習しても全然できねーじゃん、結界」
「今のはくしゃみしたからな。次は止めて見せる」
「そんな感じで毎回言い訳するよね。あなたは」
 行俊は結界展開の修行をしていた。周りで夕霧と弓彦が手持ち無沙汰にそれを眺めている。この修練は、寅二が投げてくる紙屑を周りに力を張り巡らせることで受け止めなくてはならないのだが、何分今まで念力を見えない腕のようにとらえていたため、周りに張り巡らせるという想像が難しい。朱雀導師によると、これは念力を腕の延長として考えている者特有の弊害なのだそうだ。稀に存在する、全く腕や鉤爪といったものを想像せず感覚で念力を扱うものは易々と結界を習得することができるらしいが、残念ながら行俊は天才ではないため、相応の努力が必要なのである。
「ま、廉次が言うにはいいとこまで来てるらしいし、もうちょっとだろ」
 寅二がそう言って投げた紙屑は速度を落としはしたものの、やはり行俊の額に当たる。
 廉次は牛鬼との戦いで頭に石礫をくらい、二日ほど昏倒していたが、幸い命は助かって薬師の部屋でけが人と共に仲良く療養している。偉そうにしていた廉次が相変わらずの仏頂面で横になっているのを見て、いい気味だと思った。勿論声には出さなかったが。
「牛鬼を相手にした時に習得してたら何とかなってたかなあ」
「さあ……牛鬼と言えば、あの忠孝のおっちゃんが言ったことは里の皆知っちゃったのかね」
「多分ね」
 鈍国守羽名忠孝という今回の継承祭の〝運び手〟が牛鬼に取り憑かれており、今回の騒動の元となったのである。取り憑いていた牛鬼が死んだ後、鈍国守は驚くべき真実を口にした。牛鬼が取り憑くように仕向けたのは都にいる白寛王である、と。
 これを聞いた朱雀と青龍二人の導師と六白蓮、その他の役場の人間は、里ですぐに会議を始めた。行俊たちは参加できなかったが、導師の話を聞いて、会議の内容を知ることが出来た。
 牛鬼が出てきているということは、残りの四体の妖怪、蛟、鵺、雷獣、妖狐も封印が解けているはずである。そこで、白寛王が紺碧玉を鈍国守に渡したのは、白寛王自身がそれらの妖怪に取り憑かれているのではないか、という意見が出てきた。しかし、都には少数ではあるものの術者が常駐しているため、妖怪は容易に侵入しにくい。そのため、白寛王憑依説はかなり真実味を帯びてはいるものの、完全に肯定はされていなかった。
 その真偽を知るため、都に六白蓮の一人、如月が秘密裏に派遣された。しばらく連絡はあったものの、都に入ってしばらくして途絶え、消息不明となってしまう。
 そこに、都から里の解体を命ずる通達がなされたので、里は騒然となった。
 文書も〝国守の抹殺〟や〝反乱を企図している〟などという出鱈目なものであり、それに対する処罰は〝里の解体〟だった。里を解体して里の者たちは皆手当のないまま放りだされ、導師は両名都に出頭せよということで、里の完全消滅を狙っていることが分かる。里の者は神通力が使えるため、里の解体後職に困ることは無いかもしれないが、それで食い扶持を稼げなくなる人間は少なからず出てくるだろう。そして、そんな人々に街で暮らす里の者たちは人知れず殺され、淘汰されてしまう。
 よもや朝廷がそこまで見抜けぬはずがあるまい。さらに、柏木の里を解体するということは妖怪を押さえる存在が居なくなることも示す。だから、普通なら里をこのような
形で処罰することは朝廷にはできないはずー
「だが、妖怪が朝廷を操っている場合は別だ」
 朱雀導師は会議の途中でそう断言した。
「妖怪が牛耳っている朝廷なら配下である妖怪たちが脅威にはならない。つまり、操っている奴らにとって俺たちの存在は価値などなく、邪魔でしかないんだ」
「ということは、もう四体の解放された妖怪たちが暗躍しているとみて間違いないでしょうね」
 楓がそう言うと、青龍導師も頷く。
「で、解決の手段は当然、〝朝廷と柏木の里の全面戦争〟となるわけだな」
 そして、通達を無視して里は食料を備蓄し、本当に戦争の準備を始め、朝廷の方も軍を集め、里に派兵し、里に対して宣戦布告をした。
 国歴三四五年に起きた寛永の乱、鄒畿山の戦いの始まりを告げることとなったのである。

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