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二章 継承祭
宴の準備
しおりを挟む新王の即位の際、柏木の里では継承祭が行われる。
新しく王となったものは、祭の間に行われる〝刀ノ儀〟を経て完全な王として君臨するのだ。
王は最も信頼できる国守(地方や町ごとにおかれる役人)を運び役として選び、柏木の里に派遣する。そして運び役となった国守は柏木の里で退魔刀を受け取り、聖晶王の墓で剣をささげ、聖晶王のお告げを聞き、それを王に伝えることで儀式は終わる。
儀式の途中であれば王でも止めたり勝手なことをしたりすることはできないし、妖怪や賊が襲うことも無い。柏木の里の精鋭中の精鋭、が国守を護衛しているからだ。
里ではこの時儀式だけでなく、祭りを催す。出店や山車がつくられ、毎回にぎやかになるのである。今回は白寛王の戴冠で、戦いの起きた都ではさまざまな噂が飛び交っているが、柏木の里にとっては継承者争いなどどうでもいいことで、儀式の準備のみが主な関心ごとだった。
行俊たちは今、その準備に取り掛かっていた。
「俺たちまだ疲れてるんだけどなあ…」
「黙って作りなさい」
夕霧は文句を垂れる寅二に注意する。祭りは明日まで迫ってきているのだ。
朱雀導師について行った四人の弟子たちは、行俊の宿舎の縁側で祭りに使われる提灯を作っていた。
行俊の部屋には提灯の材料である鞍掛の木や天狗竹、和紙が山のように置いてある。
これらを提灯にするためには、鞍掛の木や天狗竹をうまく提灯の形にくみ上げ、和紙を張っていかなければならない。このような面倒で地味な作業を行俊達が引き受けたのはもちろん本意ではなく、仕方のないことだった。
四人が陰摩羅鬼退治に行っている間に祭りの準備が始まり、山車づくりや太鼓の練習などの皆が好むような作業は真っ先になくなり、結局最後に余った提灯づくりが行俊達にあてられたのである。
「しかしずるいよな。俺たちが死にかけてた時にあいつらはのんびり祭りの準備について話してたんだってよ」
弓彦は向こうで人形を作っている者たちを親指で示す。
祭りでは人形を動かして聖晶王と五体の妖怪との戦いを題材にした芝居もする。彼らが作っているのは鎧や弓、刀を持った兵士の人形だった。刀や鎧は武具庫にしまわれていた本物である。
「早く終わらせないと間に合わないかも」
夕霧が心配そうにつぶやく。
「なに、大丈夫さ。この調子ならあと数時間で全部作り終わる」
弓彦は提灯の骨を組み上げるのに慣れてきているようだった。
四人がこうして急いでいるのは今日、里に帰って来てすぐに楓がやって来たことが原因となっている。
「里に妖怪が侵入したと思われます」
常に落ち着いて構えているはずの楓は、いつもよりやや慌てているように見えた。
「妖怪が侵入? 何やってるんだ、千里眼隊は」
「どうやら里の近くに強力な妖怪の気配がしたそうなんですが、それを誰かに見に行かせようとしたら気配が消えまして」
気配が消せる妖怪は往々にして強力だ。
そう考えた楓は、継承祭の準備をしながら、自分を含めた六白連の人間で妖怪を探し回ったが、見つからなかったのだという。
「気配を消した後、誰かにとり憑いたのかもな」
妖怪は人間にとり憑くこともある。そうなれば千里眼の術者でも探し出すことは不可能だ。
「青龍導師か朱雀導師が居れば、気配を感じた時点でその場所へ急行できたのでしょうが……」
それを聞いて、導師は何かに気付いたような顔をした。
「それでか…陰摩羅鬼の群れや水虎が同時に暴れだした理由が分かった」
水虎も陰摩羅鬼の群れも稀にしか現れることがないが、練度が低い者が戦うと逆に殺されてしまう確率が高いため、導師自らが出撃する。導師たちが居らず、警備が手薄の時にちょうど強力な妖怪が侵入してくるというのは偶然にしては出来すぎている。おそらく敵は陰摩羅鬼と水虎を陽動として動かしたのだ。
「青龍はまだ帰ってきていないのか?」
「はい。向かった村までの距離を考えるとまだ時間がかかると思います」
楓はそう答えてから少し考える様子を見せた。
「でも何故その妖怪はわざわざ危険な里へもぐりこんできたのでしょう?」
「重要人物、つまり俺とか青龍とかを殺すつもりだったか、それとも、祭りがあるからか…俺は祭りがあるからだと思うがね」
楓ははっとした。
「退魔刀を狙う気ですか…」
「たぶんそうだ。俺を殺すのなら、祭りがあって売り子や商人が流れ込んでくる明後日に入って来た方がいい。そちらの方が見つかる確率が今よりぐっと低くなるはずだからな。それならば、残る狙いは、財ぐらいのものだ。気配が消せるほどの強さを持った妖怪には神通力はさほど気にならないだろうが、退魔刀はどんな妖怪にも十分な脅威となり得る。そいつが何を企んでるかはわからんが、陰摩羅鬼や水虎を動かすほどだし、退魔刀の奪取以降も何かあるかもしれん」
「何かって?」
夕霧の問いに導師は首を振った。
「さあな。ま、刀の方はおそらく儀式のときに奪いにくるつもりだと思う」
普段保管されている場所は警備が厳重で、妖怪はとてもではないが近寄れない。しかし、儀式の途中であれば受け渡しの時に必ず隙が生じる。
「そうなると儀式のときに居合わせる者は六白連だけでなくまだ里の者が必要ですね。しかし人員補充で取り付かれている者を連れてくるかもしれません。しかも今回の継承祭の〝運び手〟である国守が妖怪の侵入時に里に来ています。護衛をするのと退魔刀を守るのが六白連の六人だけでは手が回らないから絶対人手がいりますし」
「じゃあ退魔刀とその国守を同じ部屋に入れてまとめて守ればいいじゃないですか」
行俊はそう言ったが、楓は横に首を振る。
「国守は退魔刀を祭りの間以外に受け取ってはならないとされているので駄目です」
儀式というものの面倒さは実務にも影響するものらしい。
すると、その会話に寅二が口をはさんだ。
「なら俺たちが行きましょう」
「こら、勝手に言うな」
行俊はそう注意したが、導師も楓もその手があったか、と言ったのでもうどうしようもなかった。
取り憑かれた可能性があるのは里にいた者だが、行俊たちはその時不在だったのでとり憑かれている心配はないというわけである。
「六白連は大丈夫なんですか」
「大丈夫よ」
そう言って楓は胸元を開ける。
赤い着物の下には光り輝く鎖帷子が着こまれていた。
「六白連に配給される白金の鎖帷子。魔除けの効果があるからとり憑かれることはまず無いわ。侵入時には全員私と一緒の場所にいたし」
白金は滅多に見られない高級な鉱物で、手甲一つ作るのにかかる費用は農民が十回なにもせずに人生を送れるほどの値段がつく。
「誰かにまたとり憑くってことは無いんですか」
弓彦の質問に、導師は答える。
「その心配はない。あとで教えよう。まだいろいろ調べないといけないことがあるから、夜になったら秋柴の庵…幽玄の間に来い」
「秋柴の庵? 導師の宿舎じゃないんですか」
「退魔刀があるかついでに確認するためだ。それまで祭りの準備でもしていたらどうだ。」
こうして残っていた仕事、提灯づくりに専念することになったのである。
「ああ、どうせなら屋台の準備が良かったなあ」
と寅二。
「俺は山車を作りたかった」
と弓彦。
山車を造るのは行俊のような念力を使える者なので弓彦は仕事選びに間に合っていてもそれは難しかっただろう。
そう思いながら、提灯を手で作るのと同時に、念力で二個を組み立てる。行俊は他の念力の術者と比べて物に及ぼせる力は強くないが、器用さに関しては自信がある。最近は念力系の最上位技である結界を張る術の練習を始めた。弱い力を広範囲に張り巡らせ、矢や投石、粉などの小さかったり軽かったりするものを受け止める技だ。流石に敵の前進や直接攻撃などは止められないが、その時は普通の念力で戦えばいいのである。
黙々と作業を続けていると、ぽつ、ぽつと雨粒が膝に落ちた。
「ひと雨来るか」
薄黒い雲が山の向こうから風に吹かれてやってきており、空を覆いつくそうとしている。
「そうだな。この湿り気なら、絶対降る」
弓彦はそういうと、地面に置かれている完成した提灯を縁側に持っていく。
他の三人も手伝って提灯をすべて取り入れると同時に、雨が降り始めた。
まるで水の入った桶でもひっくり返したようなどしゃ降りで、先ほどまで聞こえていた囃子や縦笛の音はざあざあという雨音にかき消された。
いつも見える輝いて見える水田も灰色に見え、その中を里の百姓がさっさと戻っていくのが見えた。盆地である里の中に水田があるのはこの山の地下水脈から念力で水を汲み上げているからなのだが、このように雨になるとあふれる危険があるので、一定の高さ以上になったら川に流れるような仕組みにしてあるのだ。
鞍掛の木も天狗竹も腐りにくいが、和紙の方はそうではない。縁側に置いているだけでは提灯がふやけてしまうため、移動させた提灯をまた動かして部屋の中にいれた。
「もし今日中に終わらなかったらお前の寝るところが無くなるが、いいのか」
「いざとなったら導師に一室貸してもらうさ」
とはいえ、導師の宿舎は迷いそうなので借りることが無いようにしたいが。
四人はその後、会話も無く提灯づくりを続けた。
山の輪郭がぼやけて霧が見え、雨が少し弱まり始めた時、すべての材料を提灯に変えることができた。
「意外と早めに終わったな」
「じゃあ、あとは庵にこれ全部置いていけば仕事は無しね」
四人は色めき立つ。
「持っていこうぜ」
「この雨の中を?」
寅二に行俊は聞き返した。どうやって雨の中この大量の提灯を持っていけばいいのだ。
「そりゃ、お前が提灯全部念力で持って行って、俺が水を熱して蒸発させればいいじゃないか」
なるほど。湯気で提灯が駄目にならないか心配だが、それは庵までの短い距離なら大丈夫だろう。
「よし、皆俺の周りに集まれ」
寅二の周りに密集し、その周りをさらに行俊の浮かせている提灯が囲んだ。
一行は雨の降る中にそっと足を踏み出す。
「こりゃいい。傘が必要ないな」
弓彦が手を上の方に伸ばして、突然引っ込める。
「熱い!」
「当たり前だろ。俺が水を蒸発させるための熱がたまってるんだから」
頭上に目を向けると、熱気のせいか、或いは蒸気のせいか少しぼやけて見える。
「そういえばお前、どうやったら雨粒一つ一つを熱することが出来るんだ?」
「いや、雨粒に対してじゃなく、俺の頭上の空気を熱しているような感じなんだ。ただ、実態のある物を燃やすわけじゃないから割ときついけど」
どの神通力でも技というものはあるらしい。弓彦や夕霧もこんな上位の技が使うことが出来たりするのだろうか。
「そういえば、秋柴の庵で何をするのかしら」
夕霧が裾を持ち上げて濡れないようにしながら言った。
「とり憑かれる云々の話を聞くだけだろ」
寅二の答えに夕霧は首を振る。
「あなた、自分でやると言ってたことも覚えてないの」
「流石に覚えてるよ。ええと…」
「朱雀導師たちの手伝いだろ。」
行俊は寅二の後を引き取った。
「でも手伝いなんて何をするんだろ」
「そりゃあ国守の警護か退魔刀の見張りじゃないのか」
「はあ。明日はせっかくの祭りだってのに」
里では年に一度大晦日の夜に祭りがあるが、それ以外では継承祭ぐらいしか祭りがない。祭りの夜は普段食べられないものや面白い出店があるため、里の者は毎年祭りを楽しみにする。
勿論行俊達も例外ではない。
「お前が余計なことを言わなかったらなあ」
弓彦がぼそりと呟いたのが寅二に聞こえたらしい。
「なんだと。」
「だから、お前が、余計なことを―」
続きを言い終える間もなく、弓彦の腹に寅二の拳がめり込んだ。弓彦は腹をおさえて座り込んだかとおもうと、
「痛ってえじゃねえか。この野郎!」
寅二に飛び掛かった。
陰摩羅鬼退治の時は協力していたが、普段は二人とも手が出るのが異様に早い。虫の好かない者同士なのだろうか。
もちろん神通力は無しの拳のやり取りである。もし行使してしまった場合は間違いなく使われた方は死に至る上、使った方も危険人物と見なされて排除されてしまう。
何度も喧嘩している二人はそれをわきまえているようで、お互いに気心も知れているようだった。
隣を見ると、夕霧は呆れて二人を眺めていた。
「よく飽きないわね」
「そりゃ、こいつが泣きっ面さらして謝るまでやるつもりだからな」
二人は同時に答えると、お互いに相手を睨め付ける。
「息が合うのか合わないのか、もう分かんない」
「はは」
その後も喧嘩の様子を眺めていると、肩に水滴が落ちてきたのに気が付いた。
「?」
上を見上げると、いくつかの水滴が浮いて行俊たちについてきていた。
「なんで水滴が?」
寅二はそれを見て、
「忘れてた」
という言葉を口にした。
「何を」
「雨を防ぐのを」
寅二がそこまで行った時、大量の水滴が行俊達を包んだ。
「やばい、はやく熱で傘作ってくれ」
「もう庵に入った方が早いだろ!」
すでに庵は目と鼻の先にあった。行俊達は濡れる提灯を何とか守りながら走る。
扉を開けて大量の提灯とともに庵の中に転がり込む。
「提灯は無事か!」
寅二との喧嘩で血だらけになっている弓彦は、自分よりも面倒な思いをして作った提灯の方が大切なようだ。
四人は一つずつ提灯が無事かどうか確かめていったが、幸い張っている紙が少し湿っている程度の被害だったので、行俊達は安堵した。
行俊は床に並べられた提灯を全て念力で持ち上げる。
「で、どこに持っていくんだ?」
「蔵に運ぶわ。確かこっちの方だったと思う」
夕霧はそう言ってから、傷だらけの寅二と弓彦を見る。
「あと、薬師の部屋にもいったほうがよさそうね」
冷たい蔵の中に提灯を運び終えると、四人は薬師の間に足を運んだ。
どんな強力な術や技を持った人間でも、体は一般人と変わらないため、怪我はするし病気にもかかる。普通は寺に傷や病気を治す方法を知っている僧侶がいるので、そこで診てもらえることができるのだが、政治的な理由で柏木の里には寺やその関係者は入ってこられないので、代わりの役目をする薬師がいるのだ。
「俺は薬とか嫌いなんだけどなあ」
寅二の呟きに、弓彦も頷く。この二人がお互いを嫌ったり競争意識を持っていたりするのは、同族嫌悪というものが源となっているのかもしれない。
「そんなこと言ってると、傷からが針那鬼が入って死ぬわよ」
針那鬼とは、目に見えないほど小さい妖怪で、泥の中やごみの中など、汚い場所にいる。普通はまったく無力なので気にすることは無いが、傷口や食べ物について人間の中に入って悪さをするのだ。体内に入ってしまえば基本的に目の届く範囲でしか効果のない神通力は効かず、薬や入り込まれた人間の体力に賭けるしかない。
「ほら、死にたくなかったらとっとと入りなさい」
夕霧は寅二と弓彦を薬師の間に押し込んだ。
中に入ってみると、薬師の間は清潔で、いくつもの壺や書物が積まれていた。
「怪我か、それとも病か」
声のした方を見ると、優しそうな老人がちょこんと座布団に座っていた。さらに奥の方では、がちゃがちゃと壺を動かす音が聞こえてくる。
「ついでに二人の切れやすい頭も治してほしいけれど…怪我です」
夕霧は憮然とする二人を老人の前に押し出した。
「ほうほう、喧嘩か。とりあえずそこに横になりなさい」
老人は二人を敷いてある布の上に寝かせると、まだがちゃがちゃと音のする奥へ叫んだ。
「ちょっと、の粉とを持ってきてくれないか」
わかりましたという声がしてすぐに、若い男が粉と草を持ってきた。
「千未の草は使わないんですか」
行俊がそう訊くと、老人は座ったままちらりと行俊を見た。
「よく 嘉慶 様に意見できるね」
老人が薬草と粉を合わせて小鉢の中でつぶしていくのを見ていると、薬草を持ってきた若者が言った。
「嘉慶? この人が?」
行俊も寅二と弓彦のように薬が苦手で、薬師の間には来たことが無かったが、嘉慶という薬師の話は知っていた。
もともとこの薬師は大陸の半島に存在する、高瑠璃という国に住んでいたが、さらに西にある漢箭との戦が起こり、それから逃れるため、海を渡って倭(ヤマト王朝を大陸風に言い換えた言葉)へやってきた。漢箭と高瑠璃との戦争がない時期に周辺国家で最先端の技術力をもつ漢箭にわたり、薬について学んできたので、ヤマトでは薬師として嘉慶の右に出る者のいないと言われている。
「芥子と間張草を一と四の割合で混ぜれば千未の草よりも回復は早い。芥子には痛み止めの効果もある」
老人は薬草の効能について説明しながら、嘉慶は手を止めず薬草と粉を潰し、混ぜ合わせ続ける。
「針那鬼が体内に入ってこないようにするにはまず、傷口を洗ってから薬を塗らねばならん。―六太、水を取ってこい」
「はい」
若者―六太は薬草のしまってある倉庫ではなく外の井戸へ水を汲みに行った。
「わしはもう長くないからな。あ奴が最初で最後の弟子よ」
嘉慶はそう言ってから小鉢から手を放し、薬を半分に分けた。
「最初? 漢箭とか高瑠璃にいるときは弟子を取らなかったのですか」
「そうだ。というかわしは特別でも何でもない普通の薬師なんだ」
「普通?」
聞き返すと、嘉慶はゆっくりと頷く。
「わしは漢箭で確かに薬について学んだ。が、学舎の中では薬学の知識でも、調合でも、誰よりも劣っていたのだ」
「じゃあ世の中にはもっと薬に詳しい人がいるんですね」
ヤマトでは嘉慶が最高の薬師と讃えられているが、周辺諸国ではそうでもないらしい。
行俊がヤマトの狭さを実感していると、水を持った六太が帰ってきて嘉慶の利き手側に置いた。
「針那鬼の侵入を防ぐには、井戸の水や湯冷ましが一番いい。雨水にも潜んでいることがあるからな」
嘉慶はそう言いながら寅二と弓彦の傷を水の含まれた布で拭いていった。
「でも針那鬼って見えないのにどうやって存在を知ったのですか」
思わずまた質問してしまった。隣では六太が感心したように行俊を見つめている。
「六太よりすぐ質問してくるな、お主は。六太、お前よりも学問の才能があるやもしれんぞ」
嘉慶が六太の方を向いてそう言うと、すでに忽然といなくなっていた。
「まったく、師を尊敬するのはいいが、それで問うてくることがなければ意味がないと言うのに」
憤慨した様子の嘉慶におそるおそる尋ねる。
「教えてくれませんかね」
嘉慶は寅二と弓彦の傷口に薬を塗りながら頷く。
「そうだな、針那鬼を見るためには、の実からとれる汁をかければいいのだ」
「白磁の実?」
白磁の実とは、柿に似た果物で、北方を除いたヤマト全域に自生している。青い間は杏や柿、桃と同じく毒を持つが、熟れると滋養強壮効果のある果物になる。
「普通は薄い黄色だが、針那鬼がいる場合は真っ黒に染まる。」
「え、なんで真っ黒に染まるんですか?」
嘉慶がその質問に答えるため口を開こうとしたが、怪我の処置が終わった寅二に制された。
「このジイさんにいちいち質問してたら日が暮れちまうよ。確かに話を聞く分には面白いけどさ」
今まで黙って後ろで座っていた夕霧も頷く。
「そろそろ時間ね」
窓から外を覗くと、すでに暗くなってきているのが見えた。
行俊は渋々質問するのをやめ、立ち上がる。
「ありがとうございました。いろいろお話が聞けて面白かったです」
「そうか。また何か聞きたくなったら来てみるといい。」
薬師の間を後にして、行俊達は幽玄の間に向かった。
その途中で、何度も人とすれ違う。彼らは篠笛や銚子を持っており、誰もが忙しく働いている様子だった。
「新王が起つとは聞いたけど、白寛王は良いやつなのかね」
寅二が何の気無しに言った。
「まあ頭もいいし先の乱以前の実績だけを考えれば良王にはなれそうだけどね」
夕霧がそう言うのは、一月前に起きた都での戦いの噂が里まで流れてきているからである。
主に戦いは宮廷内で行われた。朝廷警備隊と白寛の精強な私兵部隊との衝突は、後者に軍配が上がり、白寛に敵対する王族は皆殺しの憂き目にあったのだという。
現在は王位を安定するのに力を尽くしているようだが、力で奪い取った玉座の威光は前王の頃とは比較にならないほど弱まり、民からの信頼も薄くなっている。
「親戚皆殺しじゃ怖がられてもしょうがないよなあ」
「ま、俺たちには関係のない話だ」
それからは無言になった。雨粒が屋根に当たってはじける音は、先ほどまでは弱まっていたが、だんだん強くなっているようだった。
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