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とある大工の死、水辺の者達
しおりを挟む「貴方、風邪を引きますよ」
「そのくらい大丈夫じゃ。この程度で風邪を引くほど儂はやわにできておらん」
高知丸、いや春日伝七郎は映画を観ながら、ソファでうとうととしていた。
「でももう年ですし、若いころとは違うんですよ」
「うるさいな。儂は生涯若々しく生きると決めておるんだ」
「年寄りの冷や水っていうんですよ。いい加減歳をとったことを認めてはどうです」
答えるのは、伝七郎の妻、花子だった。若いころはなかなかの美人だったが、いまでは自分で〝梅干し〟と言うほど皺が増えている。その顔を見るたびに、伝七郎は花子に相当の苦労を強いてきたのだと思い、つい目を背けてしまう。
時計を見ると、丁度八時を指したところだった。まだこんな時間なのに、眠くなってきている。伝七郎も、流石に自分の体の衰えは自覚していた。
ずっと大工として働いてきた彼は、風邪一つすることなく、一家の大黒柱となっていた。二人の息子を成人させ、送り出した後も精力的に大工仕事に打ち込み、何人もの弟子を抱えるまでになっていた。
生涯現役をモットーとしていた伝七郎だったが、昨年、長年の無理が祟ったのか、過労で倒れ、そのまま引退することになったのだ。
蓄えはあったものの、贅沢に暮らせるほど多くはない。伝七郎はこれまで伝七郎が活躍する陰で支えてきてくれた花子に何かお礼をしたいと思い、何が欲しいか聞いたことがある。
「そうですねえ、一度ハワイなんかに行ってみたいですねえ」
旅行など何十年も前の新婚旅行へいったきりで、他にどこへ行った記憶もない。仕事が忙しく、その機会になかなか恵まれないためでもあったが、せめて一度くらいは花子の望みをかなえてやりたい、と思った。
しかし自分のへそくりを合わせても到底旅行の資金には足りず、伝七郎は妻との旅行の為、新たに仕事を始めなくてはならない。
これまで仕事で家族サービスの一つもしてやれなかったからと旅行を計画し、そのためにまた働かなくてはならないとは、どういう皮肉だったのか。
とにかく伝七郎はバイトを探した。これまでのような大工としての仕事は、体がすっかりなまっているため難しいだろう。何か、大金を短時間に稼げるバイトは無い物だろうかー
その時、あるチラシが目に入った。
「花子―」
高知丸は手斧を敵の二人組に投げた時、最愛の妻を想っていた。まさかこんな危険な仕事だとは思わなかった。だが、絶対、絶対にこのゲームを生き延びて、生き延びて……
高知丸は橙に映える海と、それを眺める二人―自身と花子の姿を幻視した。伝七郎は、その幻の中で、花子に微笑みかける。
―どうだった、来てみた感想は。
花子は、しわくちゃの顔に、さらに線を刻むと、笑った。
―これまでで一番楽しいです。
―そうか。
伝七郎は、顔を海に戻す。
―そろそろホテルに戻ろうか。
言った直後、高知丸の脳が生み出したハワイの姿は、瞬く間にかき消えた。
―いったい、何故―
思う間に、高知丸の意識も闇に飲まれて、消えた。
千郷の撃ちだした鉄球は、高知丸の眼球を抉り、柔らかい角膜を突き破り、脳組織まで到達していた。
高知丸の投げた手斧は狙いが狂い、俺の顔の真横を通り過ぎ、後ろの壁に激突した。斧の刃が掠ったのか、俺の頬からつうと一筋の血が流れ落ちる。
高知丸は、ゆっくりと後ろへ倒れた。その目は先ほどまで宿していた闘志を失い、ただ虚ろに開いていた。
どさり、と音を立てて、地面に崩れ落ちると、高知丸の身体は動かなくなった。
「………高知丸……」
高知丸は、決して好きで殺し合いをしているわけではなかった。赤城のように、最初から相手を殺そうとしているのではなく、ただ生き残るために、こちらを攻撃しようとしていた。現に、俺が同盟の話を切り出した時も、考えるようなそぶりがあった。あれは演技だったかもしれないが、うまくいけば信用して仲間になっていた可能性もあったかもしれない。
千郷を見やると、高知丸を呆然と見降ろしていた。
「え……嘘……嘘だよね……。私はちょっと怪我させようとしただけだったのに……こんな……こんなことって……」
「……運が悪かったんだ。俺たちも、こいつも」
「いいえ……まだ助かる。まだ助かるわ。ねえ、そうでしょ?」
「…………」
千郷は人を殺めてしまったということを受け入れられずにいるようだった。無理もない。彼女は、人にスリングショットを向けてはいたが、殺傷するためではなく、相手を脅すため、もしくは威嚇射撃のみに使っていた。
つまり、彼女はこのゲームで、人を殺そうという気持ちは全くなかったのだ。それが一転、三番目の犠牲者を作り出した張本人となってしまっている。その事実が、彼女を責め苛んでいるのだろう。
「君は悪くない。事故だよ」
「でも、これは、この人は……」
「とにかく落ち着いてくれ」
千郷の動揺は俺の比ではなかった。先ほどまではきつい物言いをしてはいたが、根は優しい人間なのだろう。それだけに、心が余計に不安定になっているのだ。おとなしく心が落ち着くまで待っている方がいいかもしれない。
俺が何も言わず、ガラクタの中にあった椅子に腰かけ、しばらく待っていた。
見ていると、千郷は高知丸の死体の前で、何かぶつぶつと呟いていた。声が小さすぎるため、その内容は切れ切れにしか聞こえてこない。
「…………ごめんなさい…………本当は…………でも…………また私は………」
言葉と共に、短い嗚咽が断続的に聞こえてくる。
そっとしておこう。俺はいたたまれなくなって、ふいと顔を背けた。
しかし俺は、千郷の言った「また私は」というセリフが気になっていた。なにを「また」したのだろうか。その時、彼女が前に、何故このゲームに参加することになったのかというのを口にするのを嫌がったのを思い出した。確かに自分が金に困っている事情なんて話すのは恥ずかしいだろうし、話す必要もない。だが、話さなかったのではなく、話せなかったのだとしたら? 俺との同盟において、信頼を崩しそうなる不安材料があるのだとしたら? これは俺の勝手な想像だが、その理由はひょっとするとー
「ありがと。落ち着いた」
振り向くと、目の前に千郷がいた。その目は赤く、頬に涙の痕があった。
「大丈夫か?」
「うん。もういい」
高知丸の方を見ると、彼は着ていたシャツを被せられ、仰向けに寝かせられていた。
「あの人は……気の毒だけど、もうどうしようもない」
「…………そうだな。ちょっと斧を拾ってくるよ」
高知丸の投げた斧は、俺のいた場所から数メートル離れた壁の下に転がっていた。少し欠けていたが、その刃はまだ鈍く光っており、武器としてまだ使えることは分かった。
「それはあなたが持ってて」
「ああ。もう君は両手が塞がってるしな」
それに、殺した相手の武器を使うのは千郷にとって余計精神的負担が増えるかもしれない。俺が持っておくのがベストだ。
「………とにかく、予想外の出来事はあったけど、俺たちの安全地帯へ行くという目標は変えない。ていうか、変えたらまた今回みたいに遭遇戦になる可能性が高いからな。しばらくはそこで粘っていよう」
千郷は黙って頷く。その時、端末の振動が、誰かの掲示板への投稿を知らせた。
何が表示されているかはすでに二人とも分かっていたことだったが、それでも端末の画面を見てしまった。
〈高知丸さんが死亡しました〉
〈橋野和樹〉
ポイント 0
所有武器 罠操作アプリ 手斧
所有アイテム 赤の鍵
現在位置 地下二階中央付近のフロア
〈長崎千郷〉(負傷)
ポイント 0(+100)
所有武器 スリングショット
所有アイテム なし
〈高知丸(本名・春日伝七郎)死亡 残り十名〉
08:14
ぱちゃぱちゃと水を蹴る音が、迷宮の通路に響いた。
「このあたりはよく滑るな……」
助さんは、足元を確認しながら、呟いた。
ゲーム開始から二日目。助さんは何とか休憩所を見つけ、しっかり休んだ後に探索を再開した。地下一階に存在する巨大水路は、朝ではあるが、外から入ってくる光が一切ないために、夜とあまり変わらない明るさだった。
助さんが今いる、「水路」ステージでは、蛍光灯の光が当たっているところは澄んだ水が流れ、コンクリートの底が見える。光の届かない場所は全く水中の様子が見えず、不気味に揺蕩っている。流れる水が時折ズボンの裾にかかり、少し不愉快だった。
この巨大な水路をも、ゲーム運営は管理しているのだろう。このゲームの舞台を作るのに途轍もない金額がかかっているのがわかった。そんな彼らからすれば、プレイヤーに払う賞金など、それほど高くは無いのかもしれない。そう考えると、助さんは一層不愉快な気持ちを強めてしまう。
ああ、こんなバイトなら参加するんじゃなかった。
先ほど掲示板で知った、高知丸の死を思い出し、げんなりとする。これで三人目の犠牲者である。ゲーム開始時に見た十二人のうちの何人かは、すでに殺人を犯しているのだ―
助さんは正義漢だった。和平を呼び掛けていたコッコーが殺された時は憤りをおぼえたし、誰かが危ないとなればすぐに飛んで行って助けてやるつもりでいた。
それでも、何度も出る犠牲者を助けることは出来ず、ただ無為に彷徨っているだけしかできなかった。無力感に苛まれながら、なおも助さんは協力できる仲間を探していた。
水路の傍を歩いていると、ぼちゃり、と水面で何かが跳ねた。
―敵か!
水面を注視する。光が当たらず、黒々とした水は、目を凝らしても水中の様子は見えない。
「誰だっ!」
水中を移動できるアイテムがあるのだろうか。もしそうなら、あちらはこちらを攻撃できる装備を持っているだろうし、こちらの水中への攻撃は命中率が低い。そもそも、助さんの楯では打撃を与えることも難しかった。
助さんは楯を水路に向けて構え、じりじりと壁際まで後退する。背が壁につくときには水面の波紋は消えてしまっていた。
息を詰めて、水面を見守る。しかし、どんなに待っても、二度目の音はしなかった。
(攻撃してこないのか………?)
その時、助さんは水面が静かすぎることに気が付いた。もし誰かがアクアラングでも付けて水路を移動していたのなら、水面に泡が浮かぶはずである。それがなかったということは、誰も居なかったということなのだ。
だとすると、先ほどの物音は何だったのか。
そう思った時、再び水面を跳ねる音がした。助さんは振り向き、楯を素早く音のした方へ向ける。
とん、と軽い感触がして、助さんはびくりとした。
それは、地面に落ちると、ぴちぴちと飛び跳ね、やがてぐったりと動かなくなった。
「…………魚?」
それは、助さんが川へ釣りに行っていたときに見たことのある、ヤマメという魚だった。串に刺して丸焼きにし、塩をかけて食べると美味しい、ごく普通の川魚だ。
ゲーム運営は、水路に水を張るだけでなく、魚まで放流しているのだ。休憩所を見つけられず、迷宮内で餓死するという可能性を無くすための救済方法の一つとして、用意されていたのだろう。助さんは、物音の正体を知り、安堵した。
「まあエネルギー源をゲットできたのはありがたいか」
これから、激しい戦いが待ち受けているかもしれない。そんな時の為に、エネルギーを蓄えておく必要があるだろう。助さんは、休憩所から持ってきたリュックサックに中に、自分がボックスから獲得した、〝アーミーナイフ〟、〝ライター〟をゲットし、またゴミが大量に転がっていたところで炭が混じっているのを見つけ、集めておいたのである。あのゴミだらけのフィールドは、遮蔽物だけでなく、さりげなく使えるアイテムが転がっていた。
助さんは炭にライターを近づけ、火を近づけようとした。
「………」
しかし、なかなか燃え移らない。普通は新聞紙に火を点け、そこから炭に移すのだが、持っていないものはどうしようもない。
結局助さんはヤマメを食べることを諦め、なくなく水路にリリースするしかなかった。
〈助さん〉
ポイント 0
所有武器 防弾シールド アーミーナイフ
所有アイテム ライター 炭
現在地 地下一階北のフロア
「………危なかった」
助さんが奇妙な物音を聞いたところから少し離れた水路。その水中から、マイケル玉緒は、顔を上げた。
アイテムボックスから入手したウエットスーツと、アクアラング。マイケル玉緒は新しい武器を見つけるまで、そうして水路を移動することで目立たないようにして生き延びるという方針だった。
マイケル玉緒は、水路の道に取りつくと、ばしゃり、と大きな水音をあげ固いコンクリートの上に座った。身に着けていたアクアラングを外し、床に置く。
(一応、「罠」は仕掛けておいた。それも、看破することのできない罠を)
これに誰かが引っかかってくれれば、隠れながらポイントを稼ぐことができるだろう。毒薬の瓶は、水路を移動する前に、しっかりと口をしめ、左手に持っていた。
マイケル玉緒は水路に上がると、濡れた金髪を絞って、水を落とす。水路に隠れると言っても、ずっと水中にいれば体温が下がる。そのため、時折移動を止め、休憩を取るのだ。
マイケル玉緒は、左手に持っていたリュックサックを開ける。
休憩所にあったリュックサックは水中に持ち込むことも想定されているのか、完全防水だった。中には自分の服と、荷物が入っている。
その中から、休憩所で入手した弁当のサンドイッチを選び取り、包装を剥がす。
(しっかし、思ったよりハードね)
ずっと水の中にいるのは、地上にいるときよりも遥かに大量のエネルギーを必要とするらしい。空腹だったので、サンドイッチを頬張ると、あっという間に腹の中に収まった。
本当はもう少し前に食べるつもりだったが、誰かが水路脇の道にいる気配がしたので、その地点から遠く離れた場所で休憩することを余儀なくされたのである。
気泡を水面に出しては怪しまれるので、その間、アクアラングの空気の供給をいったん止め、静かに移動しなくてはならなかった。途中でうっかり空気を吐き出してしまい、ひやひやとしたが、何とか切り抜けられたので、ほっと安心していた。
サンドイッチを食べ終わると、リュックサックから端末を取り出し、状況の確認をする。
(高知丸死亡、か。もうこれで三人目。まさかまだ二日目なのに三人も死ぬなんて……)
自分も見つかれば危ない。思っていたよりもこのゲームに乗り気な奴らはたくさんいたということか。
(面白い。私は絶対に生き残って見せる)
リュックサックに端末を仕舞うと、マイケル玉緒はアクアラングを着けなおした。
〈マイケル玉緒〉
ポイント 0
所有武器 なし
所有アイテム 毒薬 アクアラング
現在地 地下一階南のフロア
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