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第3部:燃え上がる大地

第9章:アルデガン その1

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 叫び訴えるリアと解呪しようとするゴルツの様子にアラードは何かがおかしいと感じた。ラルダのときと違う!
 彼はグロスを見た。グロスもアラードを見た。その顔が蒼白になっていた。
「解呪の技が正常に発動していない。魂に向かうべき力が逸れていたずらに肉体を苛んでいる。閣下の御心は危うい……」
「やはり!」
 アラードは地に伏すリアの側にかけ寄った。
 見るも無残なありさまだった。人間なら耐えようのない深手を全身に負いながらもリアは右手で半身を支え、左手で腕輪を握りしめつつ見えざる嵐に抗っていた。だが回復しようとする傷をも嵐の刃は容赦なくえぐり抜いていた。何度も噛みしめた牙が唇を裂き鮮血が顎まで流れていた。
 そのとき、何かが割れる音がした。支えの腕輪がついに砕けたのだ!
 どうにか拮抗していた抵抗を嵐の暴威が圧倒した。もはや回復するのが追いつかなくなり、見る間にリアの全身は塞ぎきれなくなった無数の傷から噴き出す血で朱に染まった。弱りつつあった叫びもついにとぎれた。
 それでも彼女は近づこうとするアラードに息も絶え絶えの声でいった。
「近づか、ないで……。逃げ、て……っ」
 目がくらみそうな怒りにかられてアラードは振り向くや両手を広げて背後にリアを庇い、ゴルツに向かって叫んだ。
「やめてください! 閣下は間違っています!」

 その場の空気が凍りついた。
「なん……だと」
 ゴルツのぎらつく目がアラードをねめつけた。
「リアは人間です! 体こそ人間でなくても人間として行動しています! わからないんですか? 閣下も、みんなも!」
「ならば、その者の話もそなたは信じるというのか?」
 定まらぬ声でグロスがいった。
「なぜ我らが人間に攻められねばならぬのだ」
「それは……わかりません」
 アラードの声がゆらいだ。
「なによりこの洞門を命に替えても守るのが我々の使命。でも、せめて子供たちだけでも出してやってもいいのでは……」
 城壁からも、ためらいがちな同意の声がいくつか上がった。
「それでは、だめ……」
 やっと出るようになった声で、リアがまたも訴えた。
「信じなくていいの、私のことなんか……。でも、この話だけは信じて、信じてください。お願い! みんな!」
「そやつの言葉に惑わされるな!」
 ゴルツが一喝した。そして再び錫杖を掲げた。
「アラード、そこをどけ。どかねば容赦せぬぞ!」
「どきません!」
「きさま、そやつに魅入られたか!」
 アラードの怒りが再び燃え上がった。
「リアが人間の心のまま転化したと最初におっしゃったのは閣下じゃないですか! 死にかけたリアに血を飲ませてしまった私のことをそう責めたではありませんか!」
 アラードの叫びに周囲のざわめきがやんだ。
「毒蜘蛛の背に胡蝶を縫いつけたも同然だと、だから魂が苦しむのだと! そしてアルデガンを襲ったラルダがその苦しみゆえに無残に歪んでいたのを私たちは見たではありませんか!」
「アラード! やめてっ」
 リアが遮ったが、アラードはもう自分を止められなかった。
「閣下もわかっておられるはず。だから閣下の術はリアの体しか傷つけられないんです。魂に届かないんです。ごまかすのはもうやめてください!」

「きさま……っ」
 ゴルツの顔が歪んだ。錫杖を握る手が激情に震えた。すると、錫杖の輝きがじわり、と変じた。白い輝きにまごうかたなき赤みがさした。
「吸血鬼に魅入られ傀儡と化したか。主もろとも滅びよ!」
「おやめください、閣下! なりません!」
 ゴルツが振り上げようとした腕をグロスが必死で掴み、錫杖を奪おうとした。
「それでは呪殺です! 閣下の御心が砕けます!」
「おまえまで邪魔だてするかっ!」
 二人の司教は錫杖をめぐり争ったが、ゴルツは老人とは思えぬ力でグロスを突き飛ばした。そして冥府の炎の色と化した錫杖を高々と掲げた。

「なにか落ちてくるぞ!」
 城壁の上で誰かが叫んだ。全員が天を仰いだ。
 残照を残す空から落ちてきた白いものがゴルツとアラードたちのちょうど真ん中の砂地に叩きつけられた。
 白い長衣をまとった人間のようだった。宵闇の落ちた地上では人の目にはそこまでだった。
 しかし闇を見通すリアの目はそれが誰かも見て取った。彼女は悲鳴とまがう声で叫んだ。
「アザリア様ぁ!!」
「なんだとっ」
 砂地の四人はわれ先にとかけ寄った。
 こときれているのは一目でわかった。リアは師にすがりつき、聞く者の心さえも引き裂く悲痛な声をあげ泣き伏した。
 あとの三人はその姿を見ながら呆然と立ち尽くした。城壁の上の人々も同じだった。その一瞬、リアが人間でないことを誰もが忘れた。ゴルツの手から錫杖が落ちた。

「……転移の術? いや、唱えられたはずなど……」
 ようやくグロスがつぶやいた。
「さては高さを合わせず呪文を略したか。唱えて死ぬ身であればそれでよいと」
 ゴルツが呻いた。
「だがなぜ、なにゆえそこまで……」
 そのとき、アラードは気づいた。
「腕になにか結んでおられます!」
 グロスが結びを解いた。「これは! 閣下、書状です」
 ゴルツは布地を広げた。あとの三人ものぞき込んだ。そこには血文字でこうしたためられていた。

<二十年前に出奔したガラリアンがアルデガンを丸ごと滅ぼす妄執の果てに巨大な火の球を放ちました。アルデガンを洞窟の魔物もろとも吹き飛ばし焼き尽くす威力があります。ガラリアンは己の全てを火の玉に注ぎ込み抜け殻と化して死にました。彼の妄執が巨大な火の玉を束ねています。
 野望に利用するために彼に手を貸したのがレドラスの王です。二つの宝玉をはじめ必要な物をすべて与え何年もの歳月をかけて術を編ませました。しかしレドラスにとってアルデガンの破滅は陽動にすぎません。王は火の球を放つと同時にノールドに大軍を進めました。混乱に乗じて一気に攻め滅ぼすつもりです。
 もう防ぐすべはありません。今すぐ全員アルデガンを脱出して下さい>

「我らを野望を果たすための捨て駒にするというのか!」
 憤怒にかられてグロスが叫んだ。
「虫けらみたいに全員消し飛ばすと!」
 アラードが歯がみした。
「こんな、こんなことのせいでアザリア様が……っ」
 リアの涙に濡れた目が真っ赤に燃え上がった。
 そのとき城壁から悲鳴があがった。
「空が、空が!」
 南の空が血の色に染まっていた。平野を遮る峨々たる山脈の陰から地獄の太陽さながらの巨大な火の玉が姿を現わした。それは見る間に膨れ上がり、南の空を覆い尽くした。
「間に合わなかった!」リアが絶望に身をよじり叫んだ。
「アルデガンが燃え上がる……」アラードの脳裏にラルダの最期の呪詛がよみがえった。

「この地に封じられし魔物の脅威から人々を守ることこそ我らの使命。そのために死ぬ覚悟なき者などここにはおらぬ……」
 書状に目を落としたままだったゴルツが初めて口を開いた。
 その押し殺された声を耳にした誰もが戦慄した瞬間、ゴルツは血文字の書状を引き裂き叫んだ。
「だが、これは我らに対する裏切りじゃ!」
 照り返しを受け朱に染まった顔で、ゴルツは迫る火の玉を睨みつけた。
「数多の犠牲を払い魂を削って戦ってきた我らを背後から討つというか! ならばアルデガンの長たるこの身一つに使命を捨てた咎を負い、一命に替えただ我が仲間を守るのみ!」
 その声と共にゴルツは印を結び転移した。
「まさか、宝玉を!」グロスの声に振り仰いだ人々の目の前で、ラーダ寺院の尖塔の屋根が吹き飛び、巨大な旋風が吹き上げた。それは地獄の太陽と真正面からぶつかった。
 火の玉の巨体を旋風が巻き込み切り裂こうとすると、さしもの濁った太陽も進むのをやめ、どす黒く変色しながらよじるような動きを見せた。アラードは何が起こっているのか気づいた。
「あれは、まさか解呪の技!」
「なんだと!」グロスの顔色が変わった。
「閣下は火の玉を束ねている妄執を砕くおつもりです!」
「無茶な! そんなことをすれば閣下はっ」
 そのとき火の玉が広がり旋風を呑み込み、食いつぶそうとするように蠢きつつ、ぎりぎりと縮みに縮んだ。だが、そんな濁った太陽を、ついに旋風が内側から突き破った!
 異様な音を立てて火の玉が爆散した。言葉にならぬ怨嗟が尾を引くような響きとともに、大小さまざまなかけらが火の雨と化して大地に降りそそいだ。多くが荒野に落ちて大地を焦がしたが、それでもかなりの炎が城壁や建物に降りかかり激しい火災があちこちで起きた。
「仲間の救助に向かえ! 火の回らぬところに脱出させろ!」
 城壁の上でボルドフの叫ぶ声がした。人々はあらゆる方向へ、守るべき者のいるところへ我先にと走り去った。
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