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奴隷契約書
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ユシウスが名残惜しそうに出掛けた後、レネリウスはふっと息をついた。
お師匠は本来、弟子だろうが血を分けた娘だろうが、情けをかけるようなお優しい方ではない。
魔法という分野の発展と探求にのみ、無限の愛情を注いでいるお人なので、今回は本当に気まぐれといっていいだろう。
ここで失敗したら、もう次はない。
レネリウスは目の覆い布を取り払った。
「それに触らないでください。大事なものが入っているんです」
びくりと肩を震わせ、ロザンナは触れていた真鍮製の小箱から手を離した。ゆっくり振り返ると、銀色の髪の魔法使いが悠然と立っている。
昔見た記憶の姿と変わらない。違うのは、髪の長さ……初対面ではもっと長かったように思う。それに目……ロザンナはぞっとした。目隠しを取ったことで露わになった、美しいが血の気のない、蝋人形のような顔。
ユシウスはかつて、魔法使いをこの世で最も美しいと賛美していたけれど、とてもそんな風に思えない。
「お探しの物はこちらですか、お嬢さん」
レネリウスの手が、丸めた羊皮紙を掲げた。ロザンナは目を見張った。黄ばんだそれが、ユシウスの言っていた契約書に違いない。
「それ、ユシウスを繋いでおくための契約書ね? それさえなければ、あんたから自由になれるって、ユシウスが教えてくれたわ」
レネリウスはゆっくりと頷いた。
「確かに、これはあの子が私のものであるという証明書です。これがある限り、あの子はわたくしの奴隷であるという枷から逃れることはできない」
ロザンナの顔に勝ち誇った笑みが浮かんだ。ことさら声高に吐き捨てる。
「やっぱりね。あんたから解放されたら、私と一緒に来て、願いを聞いてくれるって言ったわ。そのためにそれを持ちだすよう頼まれたんだから」
「なら、あなたの手間を省いてあげましょうか」
怪訝な顔のロザンナの前で、おもむろに羊皮紙を広げ、
「あ、何をっ!」
勢い良く、紙を両手で真っ二つに引き裂いた。
途端、羊皮紙は自ら燃え上がり、どこにも燃え移ることなく一瞬で消滅した。
レネリウスは深い息を吐いた。吹っ切れたような心地がした。
「さっさとこうしていれば良かった……こんな物を後生大事に金庫に入れておかなくても、ユシウスはあの子の意思でわたくしの傍にいてくれるのだから」
ロザンナは説明の出来ない苛立ちに駆られた。
「何を言ってるの……?彼を縛り付けていたのはあんたでしょ。いいわ……もともとそれは破いてやるつもりだったから。もうユシウスはあんたの物じゃない」
「そうですね、お嬢さん。あなたが正しい……あの子は初めから誰のものでもなかった。ただわたくしにとっての大事な人だった」
レネリウスはロザンナに向かうと、いきなりその手首を掴んだ。
「ひっ、離して!」
「その手に持っているものを渡してください。誰に頼まれたのか想像はつきますが……おおかたあの嫌味なカラスでしょうかね」
「なによカラスって!私はユシウスに頼まれてきたって言ってるじゃない」
喚くロザンナに一つ溜息をつくと、レネリウスはおもむろに瞼を開いた。
ひっ、とロザンナの表情が凍り付く。その真っ黒い空洞の中に眼球はなく、なのにじっと見つめられている気がして、ぶるぶると身体が震えた。
「これだけは言おうと思っていました。あなたの母親のことは、助けられなくて申し訳ありません。あの子を信じて、薬を飲ませてくれてありがとう」
「いやああっ」
がむしゃらに腕を振り払ったとき、手の中にあった小さな種が床にぶつかった。
レネがそれを拾う間に、ロザンナはも足をもつれさせながら外の森へと逃げ出していった。
「アラン、違いますね、アル、アルマ?……まあいいか」
かつて自分を目の敵にしていた魔法使いを思い出そうとしたが、名前が出てこない。眉間にしわを寄せて唸るが無駄だった。ユシウスがくれた小石のやどんぐりの数は思い出せるのに……我ながらぽんこつな出来の頭である。
「天才的魔法の才能しか取り柄がないわたくしの事など、放っておいてくれたらよいものを」
手のひらに載せた種から、しゅるしゅると細い蔦が伸びて、レネリウスの指に棘が刺さった。ささくれ程度の傷だ。
頭の奥で、大事な彼の声がする。
「本気で俺があんたみたいな魔法使いと一緒に居たいなんて思うわけないだろう」
(わたくしも、なぜあなたがこんな陰険な男と居たがるのか、今もってなお不思議ですよ)
「ほかに行く宛がなくて、仕方なく機嫌を取ってただけだ。でなきゃこんな気味悪い森で、あんたみたいな高慢で偉そうな奴と住むもんか」
(それなら、これからは色んな所へふたりで行きましょう。もしそれで、わたくしと居るよりもいいと思える場所が、誰かが……見つかったら、わたくしは……まあ、泣いて駄々をこねるかもしれませんけれど。その時はその時です。これからはわたくしが、心を捧げて思いを伝えるだけ。あなたがしてくれたように。どうか傍にいてほしいと)
お師匠は本来、弟子だろうが血を分けた娘だろうが、情けをかけるようなお優しい方ではない。
魔法という分野の発展と探求にのみ、無限の愛情を注いでいるお人なので、今回は本当に気まぐれといっていいだろう。
ここで失敗したら、もう次はない。
レネリウスは目の覆い布を取り払った。
「それに触らないでください。大事なものが入っているんです」
びくりと肩を震わせ、ロザンナは触れていた真鍮製の小箱から手を離した。ゆっくり振り返ると、銀色の髪の魔法使いが悠然と立っている。
昔見た記憶の姿と変わらない。違うのは、髪の長さ……初対面ではもっと長かったように思う。それに目……ロザンナはぞっとした。目隠しを取ったことで露わになった、美しいが血の気のない、蝋人形のような顔。
ユシウスはかつて、魔法使いをこの世で最も美しいと賛美していたけれど、とてもそんな風に思えない。
「お探しの物はこちらですか、お嬢さん」
レネリウスの手が、丸めた羊皮紙を掲げた。ロザンナは目を見張った。黄ばんだそれが、ユシウスの言っていた契約書に違いない。
「それ、ユシウスを繋いでおくための契約書ね? それさえなければ、あんたから自由になれるって、ユシウスが教えてくれたわ」
レネリウスはゆっくりと頷いた。
「確かに、これはあの子が私のものであるという証明書です。これがある限り、あの子はわたくしの奴隷であるという枷から逃れることはできない」
ロザンナの顔に勝ち誇った笑みが浮かんだ。ことさら声高に吐き捨てる。
「やっぱりね。あんたから解放されたら、私と一緒に来て、願いを聞いてくれるって言ったわ。そのためにそれを持ちだすよう頼まれたんだから」
「なら、あなたの手間を省いてあげましょうか」
怪訝な顔のロザンナの前で、おもむろに羊皮紙を広げ、
「あ、何をっ!」
勢い良く、紙を両手で真っ二つに引き裂いた。
途端、羊皮紙は自ら燃え上がり、どこにも燃え移ることなく一瞬で消滅した。
レネリウスは深い息を吐いた。吹っ切れたような心地がした。
「さっさとこうしていれば良かった……こんな物を後生大事に金庫に入れておかなくても、ユシウスはあの子の意思でわたくしの傍にいてくれるのだから」
ロザンナは説明の出来ない苛立ちに駆られた。
「何を言ってるの……?彼を縛り付けていたのはあんたでしょ。いいわ……もともとそれは破いてやるつもりだったから。もうユシウスはあんたの物じゃない」
「そうですね、お嬢さん。あなたが正しい……あの子は初めから誰のものでもなかった。ただわたくしにとっての大事な人だった」
レネリウスはロザンナに向かうと、いきなりその手首を掴んだ。
「ひっ、離して!」
「その手に持っているものを渡してください。誰に頼まれたのか想像はつきますが……おおかたあの嫌味なカラスでしょうかね」
「なによカラスって!私はユシウスに頼まれてきたって言ってるじゃない」
喚くロザンナに一つ溜息をつくと、レネリウスはおもむろに瞼を開いた。
ひっ、とロザンナの表情が凍り付く。その真っ黒い空洞の中に眼球はなく、なのにじっと見つめられている気がして、ぶるぶると身体が震えた。
「これだけは言おうと思っていました。あなたの母親のことは、助けられなくて申し訳ありません。あの子を信じて、薬を飲ませてくれてありがとう」
「いやああっ」
がむしゃらに腕を振り払ったとき、手の中にあった小さな種が床にぶつかった。
レネがそれを拾う間に、ロザンナはも足をもつれさせながら外の森へと逃げ出していった。
「アラン、違いますね、アル、アルマ?……まあいいか」
かつて自分を目の敵にしていた魔法使いを思い出そうとしたが、名前が出てこない。眉間にしわを寄せて唸るが無駄だった。ユシウスがくれた小石のやどんぐりの数は思い出せるのに……我ながらぽんこつな出来の頭である。
「天才的魔法の才能しか取り柄がないわたくしの事など、放っておいてくれたらよいものを」
手のひらに載せた種から、しゅるしゅると細い蔦が伸びて、レネリウスの指に棘が刺さった。ささくれ程度の傷だ。
頭の奥で、大事な彼の声がする。
「本気で俺があんたみたいな魔法使いと一緒に居たいなんて思うわけないだろう」
(わたくしも、なぜあなたがこんな陰険な男と居たがるのか、今もってなお不思議ですよ)
「ほかに行く宛がなくて、仕方なく機嫌を取ってただけだ。でなきゃこんな気味悪い森で、あんたみたいな高慢で偉そうな奴と住むもんか」
(それなら、これからは色んな所へふたりで行きましょう。もしそれで、わたくしと居るよりもいいと思える場所が、誰かが……見つかったら、わたくしは……まあ、泣いて駄々をこねるかもしれませんけれど。その時はその時です。これからはわたくしが、心を捧げて思いを伝えるだけ。あなたがしてくれたように。どうか傍にいてほしいと)
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