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第3部(終章)

隠し事

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蘇芳は花鶏とともに、皇宮の中を書府(図書室)に向かって歩いていた。
歩きながら、頭の中はさっきまでの皇女皇子たちの兄弟会議でいっぱいだった。

無言でせかせか歩く蘇芳の後を、花鶏も邪魔しないように黙ってついてくる。


(俺はただ、蜜瑠璃なら沙羅を封印するための名案を思い付くんじゃないかと思って、意見を引き出したかっただけなのに)

何せ瀧華国随一の頭脳の持ち主……という、隠れ設定なんだから。この場面で彼女を頼らないのは損だろう。
そんな頭脳の持ち主から出た妙案が……まさか御霊信仰を彷彿ほうふつとさせる代物とは。

(<神格>を与えて奉るって……ある意味、封印と言えなくもないけど、そんなこと出来るのか? もっと、もっとこう……)

これで正解なのか、という心配が胸の奥にこびりついて落ち着かない。

(なんか凄い呪文とか儀式とかして超強大なナントカを呼び出して封印するみたいな……そんなんじゃなくて良いのか?)



沙羅に<神格>を付与する国家事業が始動するらしいが、蘇芳にはさっぱり実感が持てない。しかも蜜瑠璃が、まるで蘇芳も同じ考えであるかのように水を向けてくるので、今さら「いえ、なんも考えてませんけども」とは言えず勢いでそれっぽい反応をしてしまった。

結果、まったく話についていけないまま、船は岸をはなれて海原へ漕ぎ出してしまったというわけだ。


(「沙羅を倒す」っていう俺の構想が、真向から否定されちまった……)


「先生、良かったんですか?今ならまだ、あいつらを止められますよ」

「あいつらなんて呼んではいけませんよ、殿下。にしても、随分仲良くなりましたね」

とくに北斗なんて、身内の前で「花鶏兄上」と自然に口にしていた。以前のような嫌味口調ではなく。黒南風も、花鶏のことを「弟」と呼んで、蘇芳が呼び捨てにした時に困惑していた。

それだけでなくーー。

「雨月殿下の雰囲気が、かなり変わりましたね」
「そうですか?」
「ええ。前まではもっと」

肩肘を張っていた気がする。完璧な皇太子として、何でも自分が決めて、臣下も弟たちもそれに従う。

それゆえに余裕がないようにも見えて危うかったが、さっき兄弟に囲まれていた雨月は、そういった緊張が和らいでいた。周囲に頼る、ということを知ったばかりの若者に見えた。

(俺のいなかった半年で、人間関係に変化が起きてる?)

思わず立ち止まって花鶏を見上げた。

「ん? どうしました」
「……いえ、なんでも」

確証はない。けれども霊獣を使役した国内支援は、花鶏の思い付きだと早蕨が言っていた。きっと他にも、蘇芳が知らない花鶏の半年間があったのだろう。

『頑張ったから褒めて』

あれはきっと、誇張ではなく事実なのだ。
蘇芳は腕を伸ばして、短くなった癖っ毛をワシャワシャとかき混ぜた。

「わ、あはは、もっとしていいですよ」

調子に乗って頭を下げてくるから、望み通り両手でかき混ぜた後、頭を掴んで旋毛に音を立ててキスをした。

「えっ、先生、今……え?」
「ほら、行きますよ。おいで」
「待って今、ねえってば先生」

龍である東雲なら、沙羅を倒すまでいかずとも、何らかの方法で封印は出来るかもしれない。
そうなれば、花鶏は救国の英雄だ。
蔑視されてきた皇子から一転、もっとも神聖な霊獣を従えた皇帝候補になるーー。華々しい終幕だ。

これが「物語」なら、それでいい。

だけど、もしそうなったら。

(たぶん、花鶏はこの国に本当の意味での居場所を失くす)

雨月はますます、自信を失くして揺らぐだろう。花鶏に対して劣等感を膨らませるかもしれない。今まで何の重圧もなく育った弟に、憎しみを抱いてしまうかも。

臣下はどうか。

神力ありきで皇族を尊重する彼らのことだ。きっと花鶏を担ごうとする派閥が新たに出てくる。
既存派閥の争いなど、それこそ花鶏の祖父の代でもうたくさんだ。
多々良姫は存命だが、かつて捨てた子が台頭するとなれば、実家がらみのいざこざは想像に難くない。


なにより。


(花鶏のこれからの人生が一変する。この子の望む生き方は、もっと自由なものだ)

雨月は人を頼れない完璧主義が玉に瑕だが、人の上に立ちたいという気概がある。理想と現実のギャップを克服できれば、重責を担う己の人生に価値を見出せるだろう。

では、花鶏は?
カデンルラに向かう船の上で、しがらみのない異国で、自由におおらかに振舞っていた花鶏を思い出す。

(花鶏の幸福は、そこじゃない気がするんだよなあ)


さっきの兄弟たちの様子を見て、その思いは一層強くなっていた。
せっかく、ここまで紡ぎ上げた身内同士のつながりを、断ち切ってしまいたくはない。

仮に英雄になっても、即位しても、蘇芳さえいればいいと花鶏なら言うだろう。

でも蘇芳は欲張りだから、花鶏にもっといろんなものを与えてやりたい。
蘇芳のいない場所でも、ほっと息を継げるひと時を。
ゲームの筋書きを辿っていたら生まれなかった、穏やかな人と人との繋がりを。
花鶏の一生の中に、蘇芳以外の思い出もたくさん、これから作ってやりたいのだ。

ゆえに決めた。
花鶏を救国の英雄にはしない。蘇芳だけが知っている事実に、独断で蓋をする。


(だから、蜜瑠璃の知恵を頼ろうとしただけなんだけど)

なにもあの場で、何か解決策が出てくるなんて思っちゃいなかったのだが。

もっと別のセオリーに則った妙案が、探せばどこかに隠れているのかも……。

蘇芳は足を止めた。いつの間にか、書府の扉の前だ。

(管理者としての俺が『正解』を決めるんじゃなく、この世界の住人たちが行く先を決める……か)


「それが『正解』なのかもな」
「先生?」

導いてやるなんて大言を吐いたが、正解なんて、生きてみないと分からないだろう。

なんせこの世界はもう、BAD ENDの先を歩き出しているのだ。ここから先はシナリオが存在しない。登場人物たちは自分たちで選択し、それは蘇芳も同じことだ。

(それなら俺の選択は、彼らを信じること、にしよう)

蘇芳は深呼吸した。胸のつかえが取れた気がする。腹が据わると、あとはもうどうにでもなれ、という心境になってきた。

「駄目だったら、また別の方法を考えればいい。ゲームじゃないんだから、スパっと全部解決とはいかなくて当然だ」
「げえむ、はともかく、先生の意見には賛成です。草案が通る前に、あれこれ悩んでも仕方ないですよ」

花鶏はすっかり、蘇芳が猫を被って過ごしていると思っているようだ。
何も突っ込んでこないのを良いことに、蘇芳も時折こうして、素の口調を出すようになった。

◇◇

書府の扉を開けると、古書独特のかび臭い匂いが鼻を突いた。

「どなたか、おられますか?」

一応声掛けをするが、返答はない。昼間でも薄暗いのは書棚が窓の日差しを遮り、中に積んだ紙を変色させないようにしているからだ。おかげで奥まったところはここからは見えない。

「いないのかな」
「兄上はここだと言っていましたけど……おい、はつり、いるか!」

ドサッと、物が落ちる音がして、奥の暗がりから水色の裾が覗いた。

「いきなり大きな声を出さないで、っ蘇芳先生!?」

長い髪を一括りにしたはつりが両手に巻物や帳面を携えて現れ、蘇芳の姿を見ると、それらを全部床に落とした。

「おい、落ちたぞ」
「蘇芳先生、ごめんさないっ、私、本当に……勝手に、ごめんなさい!」

はつりは花鶏の言葉を耳に入らない様子で、震え声だ。まるで断罪を待つように、蘇芳の前で直立したまま項垂れている。

「あなたのせいではありません。<三觜さんすい>を渡したのは私だし、使わせたのは<睡蓮>です。それに」

言いかけて、それ以上は口にできなかった。

それに、アケミツの目論見で、どんな形であれ、一度は<終焉の微睡みEND>が起こったと思う。
そうしなければ、アケミツたちは異分子の蘇芳の意識に介在できないからだ。
だからきっかけは何であれ、はつりの責任でないのは真実だ。
嫌な役目に巻き込んでしまったのを謝りたいのは蘇芳の方だった。

「それに、あなたが無事でよかったです」

はつりがハッと顔を上げ、じわりと涙を浮かべた。

「先生の前だからって泣くなよ。兄上をぶん殴った時の威勢のよさはどこへ行ったんだ」
「ぶん殴った……? 兄上って、まさか雨月殿下を!?」

はつりは顔を真っ赤にして花鶏を睨みつけた。

「花鶏こそ、記憶がない先生を監禁して夜な夜な口にもできないことをしてるって後宮で噂になってたくせに!」
「俺と先生の間で起こることはすべて不可侵だから、お前に口出しされる謂れなんてないね」

花鶏は鼻で笑うと、これ見よがしに蘇芳の腰に腕を回して、後ろから抱き着いた。

「な、なん、……蘇芳先生、嫌なことされて困ってたら言ってください!」
「俺を差し置いて、なんで先生がお前に助けを求めると思うんだ。嫉妬か? そうだよな、お前にはあの時、<睡蓮>の顔が」

「ああ、黙って!言わないって約束したのに!」
「俺だって後宮の噂について先生には黙っておくよう頼んだだろ」

蘇芳を真ん中に挟んで若者二人が喚き散らすので、頭が痛くなってきた。額に手を当てながら、

「二人とも、うるさい。順番に話してください。私にはもう……すっかり置いてかれてしまって、この半年間のことがさっぱりです……噂ってなんですか、花鶏」

ジロ、と首を捻って花鶏を睨むと、視線を逸らしたまま、すごすごと身体を離していく。

(最悪だ。絶対ろくでもない噂だろ)


「雨月殿下を殴ったんですか? あなたが、ほんとうに?」

その細腕で、凱将軍の指揮する軍部に所属している雨月を?

はつりは、チラッと花鶏を見て、
「花鶏がそうしたらいいって。その場にいてやるから、それで遺恨を水に流せって」
「……」

遺恨。はつりを……<秘蹟の巫女>を生贄に、<水蟲>を鎮めようとしたことか。そのために後宮に連れて来てちやほやした挙句、罪悪感から傍に寄せなくなったことか。

(両方だろうな)

「雨月殿下は、よく許しましたね」

巫女姫とはいえ、平民の娘だ。生来、選民気質の皇族が、よくそんな暴挙を許したものだ。

「花鶏が説得したんです。その方が、後々、雨月様の気も楽になるだろうからって」

身も蓋もない。驚いて花鶏を見ると、飄々と肩を竦める仕草をした。

「雨月兄上の欠点は、あの凝り固まった完璧主義ですよ。こうでもしないと、またはつりを贄にすると言い出しかねない。うわべだけであっても、とにかく「仲直り」したと兄上には認識させておく必要があったんです」

「うわべだけって……そうだ、雨月殿下ははつり様を贄にすれば沙羅をどうにかできると思っていたはずでしょう。こんな、ふらふら出歩いて大丈夫なのですか?身を隠すべきでは」

花鶏とはつりが、顔を見合わせた。
目配せした後、花鶏が開け放してあった書府の扉を閉め、かんぬきを掛けた。

「花鶏?」

東雲、と花鶏が呼ぶ声に応えて、黒蛇が出現した。鎌首をもたげて蘇芳の肩にコツンとじゃれてから、はつりの傍でとぐろを巻いた。

蘇芳は思わず、東雲の金色の目と共犯者のように視線を交わした。
東雲は明らかに意識世界でのことを覚えている目つきで、シュルシュルと赤い舌を出し入れした。

怯えるかと思っていたはつりが何気なく東雲の頭を撫でたのを見て面食らう。

「東雲は基本、はつりの影に潜むよう命じてるんです。兄上は今は身内しか信じられない状況なので、俺みたいな弟でもはつりを守護してると示せば牽制になります。護衛と、あとは一応……監視のために」

「……監視?」

一体なにを。

蘇芳は落ち着かなくなってきた。自分の知らないところで、何かが動いている。その渦の中心は、まさにここだ。

花鶏とはつり。この二人は蘇芳に何かを隠している。
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