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第3部(終章)
『瀧華国転生譚』
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「そ、そんなの無しに決まってるだろ、ねえ、そうですよね!」
「いいよ」
「……はい!? え、いいんですか? だってこいつ、異分子ですよ」
「同僚」とアケミツの間で、まるでコントのようなやり取りが展開された。蘇芳もまさか、あっさり承諾されるとは思っていなかったから正直拍子抜けだ。顔に出ていなくても、アケミツには心中が読めるだろう。
「君が管理者になるなら、私たちは完全に『寵姫譚』から撤退することになるけど、この意味を正確に分かっている?」
ざわめく会議室が水を打ったようにシンとなった。
蘇芳が黙っていると、アケミツが続けた。
「何かの拍子に現実世界に戻れる可能性は一切断たれる。管理者の権限は永続的だから、よほどのイレギュラーがない限り途中で降りることはできない。つまり、君の知る言葉で言うなら、半永久の無償労働だけど」
生身の人間である君に、それが務まるの?
アケミツは淡々と問いかけてくる。
(永遠の無償労働、か)
蘇芳は一つ深呼吸して、アケミツを見据えた。
「花鶏が繰り返した時間の分くらいは、俺もやってみせないと、今後先生なんて呼ばせられないからな」
アケミツはわずかに目を見開き、そう、とだけ言って頷いた。
「そういう事なら特別手当くらいは付けてあげてもいいけど。正直、こちらとしても悪い条件じゃない」
その口端が少し上がっているのを見て、蘇芳は今更ながらに気付いた。
(こいつ、最初からおれに言わせる気だったな)
あくまで蘇芳から言い出したこと、という体裁を求めていたような言い草ではないか。誘導されたと思うと癪に障るが、それ以外の方策は浮かんでこなかった。
「悪いけど<三觜>は封じさせてもらいます。ただでさえ濫用のし過ぎだから、多少のハンデはつけないとね」
「……俺を222回もそっちの都合で殺しておいてよく言えたもんだな」
「もしかして怒っている?」
蘇芳は思いっきり顔をしかめた。自分がされたことより、それによって花鶏が味わった苦痛の方が許しがたかった。
アケミツはファイルを拾い上げ、軽く手の平で拭うように撫でた後、蘇芳に差し出す。
「権限を委譲しました。これで、この物語を保持する義務と責任はあなたに移行した」
ファイルを受け取って見ると、表紙のタイトルがさっきと変わっていた。
ーー『瀧華国転生譚』
ぱん、と小気味良く手を叩いたアケミツが、会議室の窓を開けた。
「さて、これから君の願い通り『転生譚』の世界に意識を帰すわけだけれど」
くどいくらいに、これが蘇芳の意思だという言質を取ってくるのが癪だ。
「こういう時は、ぱっと意識を転送してくれるんじゃないのか?」
「君みたいなイレギュラーの戻し方なんて知らないなあ。今回だってエンディングストーリーに上書きする形でやっと君の意識に介在できたんだから」
「……そんなんだからマニュアルの言いなりになって人を222回も殺す羽目になるんだ」
「人間というのは根に持つ生き物だね。方法は知らないけど、予測はできるよ。君、ちょっとこっちに来て外を見てごらん」
手招かれて窓に近寄ると、俄かに信じがたい光景が眼下に広がっていた。
21階のオフィスから眺める街の景色はそこにはなく、見渡す限り、真っ白い雲海が広がっている。
「良かった。権利を委譲したから、上手く繋がったみたい。君、ここから飛び降りていいよ」
「……なんだって?」
「この窓が唯一の扉。彼方あちら側への門になっている。そのファイルは通行証替わり。さあ早く、戻りたいんでしょう?」
蘇芳ははるか下を見下ろした。雲海の向こうは見えない。が、想像を絶する高さなことは分かった。
この世界で一度だけ聞いた花鶏の言葉を思い出す。
『死ぬまで側にいる約束だ、先生』
(ああ、そうだな。今まで何度も、お願いされてきたもんな)
執拗なまでに何度も、花鶏は蘇芳に傍にいて、離れないでと口約束をせがんできた。
その理由が分かった気がする。花鶏の根幹にある、やるせなさと焦りの正体が。
蘇芳はファイルを脇に挟むと、ぐっと足を窓の桟に掛けた。窓枠の上を掴んで全体重を乗せる。
強風が吹き込んできた。眼下の雲海はゆっくりと動き、蘇芳を待ち構えている。
蘇芳は振り向きざま、奥にいる「同僚」にピシッと人差し指を突き立てた。
「人を指差しちゃいけませんて習わなかった?」
舌打ちする。
「ほざけ。お前、最後に一個だけ訂正しろ」
「なんだよ」
蘇芳はにやりとしてみせた。窓の上枠に手をかけ、後ろ向きに身体を半分乗り出す。
「なにが『お前の理想を満たせる奴なんてこの世にいない』だ。いい加減なこと言いやがって」
「……」
「理想ど真ん中の奴を見つけたぞ」
「……言ってて恥ずかしくならないのかなあ」
乾いた笑いを向けられ、蘇芳は鼻を鳴らした。こいつらに恋愛の機微など期待した自分が馬鹿だった。
アケミツに視線を向ける。
「もう邪魔するなよ。ここからは俺たちの物語だ」
靴底で窓枠を蹴って、空中にダイブするだけだ。よし、やってやる、大丈夫だ、花鶏と会えるならこんな恐怖くらい、どうってこと……。
「あ、さっきも言ったけど、君の意識を禁錮する予定でいたから、空いた身体に「彼」を戻しておいたからね。周りとの齟齬は上手いこと埋めておいてくれる?」
「……は?」
「元の蘇芳の人格を戻しておいたってこと。君がこっちにいる間は、本物の蘇芳が彼方に……君、すごい顔だよ?」
「……は?」
「じゃあ、頑張って」
「ちょ、待てッ、お前らなんてことしてッ、うわ!」
慌てて身を乗り出した瞬間、靴底がずるっと滑り、身体がふわっと宙に放り出された後、重力に従い落下した。
高所からの落下。その恐怖さえ、どこかへ飛んで行った。
今、蘇芳の身体には<本物の蘇芳>がいる。もし花鶏が夢に囚われていないなら、傍には<本物の蘇芳>がいる。
蘇芳は愕然としたまま、雲海の雲間に呑まれていった。
どんどん下に落ちている。耳の横を風圧が轟々と唸り声をあげ、内臓がせり上がる感覚に、ジェットコースターさえ嫌いな蘇芳は失神しないだけ自分を褒めてやりたかった。
(どうするんだ……!このまま地面に激突なんてしたら)
真上に白い太陽が見える。その中にぽつんと黒点が浮かんだ。目を眇めると、黒点はみるみる大きくなり、近づいてくる。
蘇芳はそれが何か分かると、あ、と口を開いた。風圧で声が出ないかと思ったら、難なく言葉が出た。
「のんちゃん!」
腕を伸ばした蘇芳の胸元に、ぼふっと黒い塊、ハロウィンの夜のいで立ちの女の子が飛び込んできた。
「まにあった~」
今の蘇芳には女の子が東雲であるという謎の確信がある。そしてこれまでの奇妙な出来事は、彼女が必死になって蘇芳の意識に干渉していたのだと、やっと腑に落ちた。
「のんちゃん、どうやって俺がここにいるって分かったの? それになんでこの世界に」
入って来れるんだ。
東雲はぎゅっと蘇芳の胸に抱き着きながら、ぱっと顔を上げた。風圧で前髪がなびき、小さなおでこがあらわになっている。身一つで急降下しているのに、恐怖や焦りは全く感じられなかった。
それどころか、わくわくした顔で、
「のんちゃん、がんばった~! えらいえらいして~!」
蘇芳は一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返り、慌てて東雲の頭をワシャワシャし、頬っぺたを手で挟んで「えらいえらい!」と褒めた。
事実、東雲には感謝してもしきれない。
<異界>からの脱出にギミックアイテムが必要になる、というのはゲームに限った話ではない。昔話や民話なんかでもその手の話はよく出てくる。
思い出の品や、普段使っている物、会いたい人。
蘇芳が記憶を取り戻すために必要だったものは、「花鶏との思い出の品」だ。
約束の折り紙。贈り物の硝子のペン。そして海に流した星灯。
東雲はそれらをこの世界に送り込んだ。
東雲は拳を口に当てくふふ、と笑うと「いいこいいこもして~!」と強請った。ご機嫌だ。
相変わらず落下中ではあったが、蘇芳は要望に応えて「いい子いい子!」と褒めちぎった。
さらに上機嫌になった東雲は、蘇芳の首根っこに抱き着いてはしゃいでいる。
やがて満足したのか、思い出したように、
「ぺしゃんこになるのと、おそらとんでくのと、どっちがいい? どっちでもいいよ」
とんでもないことを聞かれて、蘇芳はうっと言葉に詰まった。どっちでも戻れるという意味だろうか。どちらにせよあってないような二択だった。
「……ぺしゃんこは嫌だなあ」
「わかった。ちょっとまってね」
落下速度が速くなる。雲海の白い世界を抜け、轟々と吹きすさぶ風の中、真横を見ると、はるか下だと思っていた陸地と青い海が見えた。
それは見慣れた景色だった。今となっては「見慣れた」と感じ入るくらい恋しい世界、瀧華国を遠く眺望しながら、蘇芳たちは落下している。こんな状況でなければもっと嬉しかった。
蘇芳はやや涙目になりながら、
「のんちゃん、急かすつもりはないんだけど、ちょっとってどれくらい? 俺、このままだと割とはやくぺしゃんこになりそう」
「あはは」
東雲が無邪気に笑った。蘇芳が顔を引き攣らせていると、東雲の子供らしい表情がすっと真顔になり、目つきが鋭く、目物を狙う蛇のそれになった。
金色の目が大きく見開かれ、黒い瞳孔はさらに細くなる。蘇芳が思わず息を止めた。突然東雲の輪郭が揺らぎ、弾けるように無数の黒い蝶が綿毛を飛ばすように舞い上がった。
「のんちゃん!?」
何千もの黒い蝶は、まるで黒い雨雲のようにひと固まりとなって上空に舞い上がる。腕の中から東雲の姿は消えていた。
真上を見ると、黒い蝶の大群は一度、雲海の中に消え、次の瞬間、雲を突き抜けてまっすぐ何かが凄まじいスピードで落下、いや、飛来してきた。
「!」
黒い、龍だった。
ああ、と思った。驚きのあと、納得して小さく笑ってしまった。遠い日の花鶏との会話を思い出したからだ。
ーー『ね、見て。東雲のここ、1枚だけ逆さの鱗がある。ほら』
ーー『どこに?……へぇほんとだ、面白い』
……なるほど、『逆鱗』ってわけね。
肢体をうねりながら急降下した龍が、絡めとるようにして蘇芳の背中を掬い上げた。
見た目より細くしなやかな胴体に腕を回してしがみ付くと、冷たい鱗の感触は黒蛇だった時のままだ。
かぎ爪のある鳥獣のような手足、馬のような黒い鬣、胴体から尾に掛けてほっそりとしなやかで、頭部には二本の角が生えている。
「すごいな。こんな綺麗な生き物、見たことないよ」
東雲は金色の目でちらりと蘇芳を見てから、嬉しそうに空中で身をくねらせた。
「ひ、うわあ」
危うく振り落とされるところだった。
「いいよ」
「……はい!? え、いいんですか? だってこいつ、異分子ですよ」
「同僚」とアケミツの間で、まるでコントのようなやり取りが展開された。蘇芳もまさか、あっさり承諾されるとは思っていなかったから正直拍子抜けだ。顔に出ていなくても、アケミツには心中が読めるだろう。
「君が管理者になるなら、私たちは完全に『寵姫譚』から撤退することになるけど、この意味を正確に分かっている?」
ざわめく会議室が水を打ったようにシンとなった。
蘇芳が黙っていると、アケミツが続けた。
「何かの拍子に現実世界に戻れる可能性は一切断たれる。管理者の権限は永続的だから、よほどのイレギュラーがない限り途中で降りることはできない。つまり、君の知る言葉で言うなら、半永久の無償労働だけど」
生身の人間である君に、それが務まるの?
アケミツは淡々と問いかけてくる。
(永遠の無償労働、か)
蘇芳は一つ深呼吸して、アケミツを見据えた。
「花鶏が繰り返した時間の分くらいは、俺もやってみせないと、今後先生なんて呼ばせられないからな」
アケミツはわずかに目を見開き、そう、とだけ言って頷いた。
「そういう事なら特別手当くらいは付けてあげてもいいけど。正直、こちらとしても悪い条件じゃない」
その口端が少し上がっているのを見て、蘇芳は今更ながらに気付いた。
(こいつ、最初からおれに言わせる気だったな)
あくまで蘇芳から言い出したこと、という体裁を求めていたような言い草ではないか。誘導されたと思うと癪に障るが、それ以外の方策は浮かんでこなかった。
「悪いけど<三觜>は封じさせてもらいます。ただでさえ濫用のし過ぎだから、多少のハンデはつけないとね」
「……俺を222回もそっちの都合で殺しておいてよく言えたもんだな」
「もしかして怒っている?」
蘇芳は思いっきり顔をしかめた。自分がされたことより、それによって花鶏が味わった苦痛の方が許しがたかった。
アケミツはファイルを拾い上げ、軽く手の平で拭うように撫でた後、蘇芳に差し出す。
「権限を委譲しました。これで、この物語を保持する義務と責任はあなたに移行した」
ファイルを受け取って見ると、表紙のタイトルがさっきと変わっていた。
ーー『瀧華国転生譚』
ぱん、と小気味良く手を叩いたアケミツが、会議室の窓を開けた。
「さて、これから君の願い通り『転生譚』の世界に意識を帰すわけだけれど」
くどいくらいに、これが蘇芳の意思だという言質を取ってくるのが癪だ。
「こういう時は、ぱっと意識を転送してくれるんじゃないのか?」
「君みたいなイレギュラーの戻し方なんて知らないなあ。今回だってエンディングストーリーに上書きする形でやっと君の意識に介在できたんだから」
「……そんなんだからマニュアルの言いなりになって人を222回も殺す羽目になるんだ」
「人間というのは根に持つ生き物だね。方法は知らないけど、予測はできるよ。君、ちょっとこっちに来て外を見てごらん」
手招かれて窓に近寄ると、俄かに信じがたい光景が眼下に広がっていた。
21階のオフィスから眺める街の景色はそこにはなく、見渡す限り、真っ白い雲海が広がっている。
「良かった。権利を委譲したから、上手く繋がったみたい。君、ここから飛び降りていいよ」
「……なんだって?」
「この窓が唯一の扉。彼方あちら側への門になっている。そのファイルは通行証替わり。さあ早く、戻りたいんでしょう?」
蘇芳ははるか下を見下ろした。雲海の向こうは見えない。が、想像を絶する高さなことは分かった。
この世界で一度だけ聞いた花鶏の言葉を思い出す。
『死ぬまで側にいる約束だ、先生』
(ああ、そうだな。今まで何度も、お願いされてきたもんな)
執拗なまでに何度も、花鶏は蘇芳に傍にいて、離れないでと口約束をせがんできた。
その理由が分かった気がする。花鶏の根幹にある、やるせなさと焦りの正体が。
蘇芳はファイルを脇に挟むと、ぐっと足を窓の桟に掛けた。窓枠の上を掴んで全体重を乗せる。
強風が吹き込んできた。眼下の雲海はゆっくりと動き、蘇芳を待ち構えている。
蘇芳は振り向きざま、奥にいる「同僚」にピシッと人差し指を突き立てた。
「人を指差しちゃいけませんて習わなかった?」
舌打ちする。
「ほざけ。お前、最後に一個だけ訂正しろ」
「なんだよ」
蘇芳はにやりとしてみせた。窓の上枠に手をかけ、後ろ向きに身体を半分乗り出す。
「なにが『お前の理想を満たせる奴なんてこの世にいない』だ。いい加減なこと言いやがって」
「……」
「理想ど真ん中の奴を見つけたぞ」
「……言ってて恥ずかしくならないのかなあ」
乾いた笑いを向けられ、蘇芳は鼻を鳴らした。こいつらに恋愛の機微など期待した自分が馬鹿だった。
アケミツに視線を向ける。
「もう邪魔するなよ。ここからは俺たちの物語だ」
靴底で窓枠を蹴って、空中にダイブするだけだ。よし、やってやる、大丈夫だ、花鶏と会えるならこんな恐怖くらい、どうってこと……。
「あ、さっきも言ったけど、君の意識を禁錮する予定でいたから、空いた身体に「彼」を戻しておいたからね。周りとの齟齬は上手いこと埋めておいてくれる?」
「……は?」
「元の蘇芳の人格を戻しておいたってこと。君がこっちにいる間は、本物の蘇芳が彼方に……君、すごい顔だよ?」
「……は?」
「じゃあ、頑張って」
「ちょ、待てッ、お前らなんてことしてッ、うわ!」
慌てて身を乗り出した瞬間、靴底がずるっと滑り、身体がふわっと宙に放り出された後、重力に従い落下した。
高所からの落下。その恐怖さえ、どこかへ飛んで行った。
今、蘇芳の身体には<本物の蘇芳>がいる。もし花鶏が夢に囚われていないなら、傍には<本物の蘇芳>がいる。
蘇芳は愕然としたまま、雲海の雲間に呑まれていった。
どんどん下に落ちている。耳の横を風圧が轟々と唸り声をあげ、内臓がせり上がる感覚に、ジェットコースターさえ嫌いな蘇芳は失神しないだけ自分を褒めてやりたかった。
(どうするんだ……!このまま地面に激突なんてしたら)
真上に白い太陽が見える。その中にぽつんと黒点が浮かんだ。目を眇めると、黒点はみるみる大きくなり、近づいてくる。
蘇芳はそれが何か分かると、あ、と口を開いた。風圧で声が出ないかと思ったら、難なく言葉が出た。
「のんちゃん!」
腕を伸ばした蘇芳の胸元に、ぼふっと黒い塊、ハロウィンの夜のいで立ちの女の子が飛び込んできた。
「まにあった~」
今の蘇芳には女の子が東雲であるという謎の確信がある。そしてこれまでの奇妙な出来事は、彼女が必死になって蘇芳の意識に干渉していたのだと、やっと腑に落ちた。
「のんちゃん、どうやって俺がここにいるって分かったの? それになんでこの世界に」
入って来れるんだ。
東雲はぎゅっと蘇芳の胸に抱き着きながら、ぱっと顔を上げた。風圧で前髪がなびき、小さなおでこがあらわになっている。身一つで急降下しているのに、恐怖や焦りは全く感じられなかった。
それどころか、わくわくした顔で、
「のんちゃん、がんばった~! えらいえらいして~!」
蘇芳は一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返り、慌てて東雲の頭をワシャワシャし、頬っぺたを手で挟んで「えらいえらい!」と褒めた。
事実、東雲には感謝してもしきれない。
<異界>からの脱出にギミックアイテムが必要になる、というのはゲームに限った話ではない。昔話や民話なんかでもその手の話はよく出てくる。
思い出の品や、普段使っている物、会いたい人。
蘇芳が記憶を取り戻すために必要だったものは、「花鶏との思い出の品」だ。
約束の折り紙。贈り物の硝子のペン。そして海に流した星灯。
東雲はそれらをこの世界に送り込んだ。
東雲は拳を口に当てくふふ、と笑うと「いいこいいこもして~!」と強請った。ご機嫌だ。
相変わらず落下中ではあったが、蘇芳は要望に応えて「いい子いい子!」と褒めちぎった。
さらに上機嫌になった東雲は、蘇芳の首根っこに抱き着いてはしゃいでいる。
やがて満足したのか、思い出したように、
「ぺしゃんこになるのと、おそらとんでくのと、どっちがいい? どっちでもいいよ」
とんでもないことを聞かれて、蘇芳はうっと言葉に詰まった。どっちでも戻れるという意味だろうか。どちらにせよあってないような二択だった。
「……ぺしゃんこは嫌だなあ」
「わかった。ちょっとまってね」
落下速度が速くなる。雲海の白い世界を抜け、轟々と吹きすさぶ風の中、真横を見ると、はるか下だと思っていた陸地と青い海が見えた。
それは見慣れた景色だった。今となっては「見慣れた」と感じ入るくらい恋しい世界、瀧華国を遠く眺望しながら、蘇芳たちは落下している。こんな状況でなければもっと嬉しかった。
蘇芳はやや涙目になりながら、
「のんちゃん、急かすつもりはないんだけど、ちょっとってどれくらい? 俺、このままだと割とはやくぺしゃんこになりそう」
「あはは」
東雲が無邪気に笑った。蘇芳が顔を引き攣らせていると、東雲の子供らしい表情がすっと真顔になり、目つきが鋭く、目物を狙う蛇のそれになった。
金色の目が大きく見開かれ、黒い瞳孔はさらに細くなる。蘇芳が思わず息を止めた。突然東雲の輪郭が揺らぎ、弾けるように無数の黒い蝶が綿毛を飛ばすように舞い上がった。
「のんちゃん!?」
何千もの黒い蝶は、まるで黒い雨雲のようにひと固まりとなって上空に舞い上がる。腕の中から東雲の姿は消えていた。
真上を見ると、黒い蝶の大群は一度、雲海の中に消え、次の瞬間、雲を突き抜けてまっすぐ何かが凄まじいスピードで落下、いや、飛来してきた。
「!」
黒い、龍だった。
ああ、と思った。驚きのあと、納得して小さく笑ってしまった。遠い日の花鶏との会話を思い出したからだ。
ーー『ね、見て。東雲のここ、1枚だけ逆さの鱗がある。ほら』
ーー『どこに?……へぇほんとだ、面白い』
……なるほど、『逆鱗』ってわけね。
肢体をうねりながら急降下した龍が、絡めとるようにして蘇芳の背中を掬い上げた。
見た目より細くしなやかな胴体に腕を回してしがみ付くと、冷たい鱗の感触は黒蛇だった時のままだ。
かぎ爪のある鳥獣のような手足、馬のような黒い鬣、胴体から尾に掛けてほっそりとしなやかで、頭部には二本の角が生えている。
「すごいな。こんな綺麗な生き物、見たことないよ」
東雲は金色の目でちらりと蘇芳を見てから、嬉しそうに空中で身をくねらせた。
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小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
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