猫巫女こなつちゃんR

衣江犬羽

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西野小夏の章

第六話 秘密の猫巫女 〜初めてパーティ用のゲームを一つは用意しとこうって決意したよね〜

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 人生生きている中で色々あるけど、身体ごとひっくり返る様な衝撃を受ける事は決して多くはないと思う。だけどその大きな衝撃が一度起きると、巡り巡って更なる衝撃を生み出していく。私自身もそうだ。始まりは喋る猫を飼いだしてから。何度も味わうことの無い衝撃を短期間でこの身で受けてきている。

 そんな短期間の衝撃を全て塗り替えた今のこの状況は今後私と、私に同化した猫に絡みついて離してはくれないのだろう。

 何故なら私たちは今、友達の家のベッドの上で唇と唇を⋯⋯。
 
 どうしてこんな事になっているのかは少し前まで遡ります。

     ✳︎

 事の始まりはアレを見てから。沙莉が憑依されてから数日後。
 いつもの様に学校に登校した私は、体育の合同授業の為に体操着とジャージに着替えて、体育館へと移動していた。
 その途中で私と同じ、学校指定の紺色のジャージをトップスの上から着て、下は膝丈程の長さのあるハーフパンツの格好をした沙莉と綾乃と仲良く揃って歩いていたのだが、暫くして遠くの廊下から何やらざわざわと、十人くらい他の生徒たちが私たちと反対側の廊下を塞ぐ様にして集まってざわついていた。

「なんかあったんかな?」
 沙莉がまず先に疑問を口にして、私たちも不思議な表情を浮かべて様子を伺った。
「なんだろう⋯⋯?」
「見に行ってみる?」
 
 私たちがそのざわついている所へ足を運ぼうとした矢先、集まった生徒の更に奥からキャーと甲高い黄色い女子生徒の声が、私たちのところまで廊下を響かせた。
 そして集まった生徒たちが通路を開ける様に動き、そこを堂々と歩く紬先輩の姿があった。

「紬先輩⋯⋯?」
「パイセンやん」
 紬先輩の表情を覗くと何故か自信たっぷりというか、誇らしげに笑顔を見せて歩いていた。確かに普段は表情を崩さない人で、こんなにも満ち溢れた笑顔を見せる人ではないのだが、それだけでこんなに人集りが出来て、黄色い声が上がるのだろうか。そんな紬先輩を遠くから見つめていると、こちらに目が合ったので私は思い切って手を振って、紬先輩に元気に挨拶をしてみせた。

「紬先輩ー! おはようございます!」
 私の声に反応して、紬先輩がこちらに向かって誇らしげな笑顔のまま歩いてきた。しかし紬先輩は適切な距離を保って挨拶を返すのではなく、そのままの勢いで私との距離を縮めてきた。
「え、あ、あれ? 紬せんぱっ、え?」
 慌てて私はそのまま後退して、近くの壁を背にする形でお互い静止した。紬先輩は至近距離で、後ろの壁に手をついて私をじっと顔を近づけて見つめてくる。
 遠くからだと誇らしげな表情に見えたが、至近距離で見つめてみると頬は少し紅潮していて目の奥が怖い様な⋯⋯。
 それにこの状況、これはいわゆる壁ドンという奴だろうか。紬先輩の後ろをチラッと見てみると、沙莉と綾乃がそれぞれ顔を赤くさせて、口に手を当ててコチラを見据えている。沙莉に至っては耳まで真っ赤だ。

「んふふ、小夏って、そう⋯⋯あなたが⋯⋯」
 そう私の顔を見つめながら囁いた紬先輩が、もう片方の手の人差し指で私の頬から下顎にかけてツーっとなぞり始めた。先輩の指先から伝わる感触が、私の判断力を削ぎ落としていく。心拍数も跳ね上がって、思考回路も回らない。私が動揺しきって固まっていると、紬先輩はなぞっていた指先を止めて、私の顎をクイっと掴んで更に顔を近づけて、唇が当たるギリギリで囁いた。

「私を、大切にしてあげなさいね⋯⋯」
「ほ⋯⋯?」
 完全に動揺し切って、ようやく絞って出た声がは行の五個目になってしまった、サボテンみたいな顔になってしまっている私から紬先輩が、その囁きを最後に身体を離してその場を去っていってしまった。

「ほ⋯⋯ほ⋯⋯」
 サボテンのまま崩れ落ちた私は、沙莉と綾乃に両方から慰められながら授業に向かった。
「わたしも憑依された時、こんなんやったん?」
「いや⋯⋯全然違うと思う⋯⋯」
「ほ⋯⋯」

     ✳︎

「とにかく紬先輩は、あの流れからして迷魂に憑依されてると見てます⋯⋯」

 サボテン状態がなかなか抜けない中、何とか授業を切り抜けて昼休みまで持っていった私はいつもの食堂の席で二人と合流して、紬先輩に関して話し合っていた。
 いつもなら紬先輩もその場に居るのだが、今日は来ていない。
 お弁当で元気を取り戻してサボテンから人間へ昇格した私はようやく冷静に考えを巡らせて、沙莉と綾乃に議題を投げかけた。

 沙莉はあの一件以降私と綾乃が猫巫女だという事を聞いている。ラオシャとも再度私の家で会って会話を交わしているし、その会話の中でラオシャが猫巫女の契約を促したが、沙莉はアッサリとそれを断った。
『そんなのに頼らなくてもこなっちゃんは守れるから』と、照れくさい事を言っていた気がするが、私はその時友達と一緒に遊べる様なジャンルのゲームもコントローラーも無くて気が死んでいたのである。ラオシャとの出会いは私を独りから徐々に解き放っているのだなとゲームを通じてその時ひしひしと実感していた。
 
 そんな悲しい話は戻って現在、話の分かる沙莉と綾乃と向かい話し合っている。
「私もそう思う⋯⋯外見に変化はなかったけど⋯⋯」
「でもあからさまに性格がな~。後何か艶かしいっていうか」

「⋯⋯『大切にしてあげてね』か⋯⋯」
「こなっちゃん?」
「ううん、何でも⋯⋯。本当にもし憑依されてるなら、神衣を使うしか無いよね。帰ったらラオシャにも話してみるよ」

「行動的やね~こなっちゃんは。あ、紬先輩の件とは関係ないねんけどな?」
 沙莉が両手を後頭部に持っていき、椅子を斜めに傾けながら話し始めた。そんな隣では食べるペースが比較的遅い綾乃がハムスターの様にお弁当を口一杯に頬張って沙莉の話に耳を傾けている。私もそんな愛らしい綾乃と共に話を聞く事にした。

「他の生徒から聞いた話やねんけど、昨日から『メンヘラ花子さん』ってのが一部で噂になってるらしくて、聞いてみたらトイレの花子さんと同じ事やねんけど、言動がメンヘラみたいやねんて。せやから『メンヘラ花子さん』言うて、学校の七不思議の一つとして認定されつつあるらしいわ」

「⋯⋯この時期に? 夏ももう終わって気温も落ち着いてるのに、『メンヘラ花子さん』とか⋯⋯どんな事言うの?」
「その話をしてた生徒が言うには、特定のトイレの個室をノックすると、その中から『どうせ私なんて、私なんて⋯⋯あー消えたい、消えたらいっそ愛されるかな⋯⋯』って言うねんてさ」

「それは確かにメンヘラ⋯⋯紬先輩とは全く関係ないけど、でも幽霊とか都市伝説の類って、迷魂との関連性ありそう~。あんまり考えてこなかったけど」

「全部で十二体くらいおるんやろ? この学校に一体くらいおりそうなもんやけどな」
「うん⋯⋯。取り敢えず紬先輩と、その『メンヘラ花子さん』は一旦持ち帰るよ。綾乃もそれで良い?」

 沙莉は話終わると水筒からお茶を注いで綾乃に渡した。綾乃はそのまま無言で頷いて笑顔を返してくれたので、お昼休みはそれでお開きとなった。

 そしてそれぞれその場では結論が出せず放課後になり、私は紬先輩に見つからないようにそそくさと家に帰り、ラオシャにもこの事を話すことにした。

     ✳︎

「ただいま~、⋯⋯もふっ」
 真っ直ぐ帰宅して制服から私服に着替えた私は、リビングのソファの端で寛いでいたラオシャを見つけるや否やお腹目掛けて吸った。最初は声を上げて嫌がっていたが、今はもう動じる事も無く私の顔が埋まるのを受け入れている。

 自室以外ではラオシャは話せない為、いつも私の眼を見て必死にアピールしてコミュニケーションを取っている。話がある際には私からラオシャの鼻を人差し指でツンと触るのが合図で、今日はすぐに吸った後に鼻をつついた。
 
「お母さん、ラオシャと遊んでから課題やっとくね~」
「は~い、遊び過ぎちゃダメだよ~」
 リビングの左側の奥で料理をしているお母さんに向けて声をかけて、ラオシャを抱えながら自室へ戻った。
「⋯⋯ラオシャ、太った?」
 飼い始めた頃は軽かったけど、今はしっかりと、主にお腹周りに脂肪が増えた気がする。あまり眼を合わせてくれないので気にしているのだろう。家族の居ない間に勝手にサバ缶カーニバルだのフェスティバルだのやっているからだ。自業自得とはこの事である。
 自室に着いてラオシャを降ろし、私もいつもの熊の下半身クッションに腰を降ろしてリラックスした。

「はー⋯⋯今日すごい事になったんだよラオシャ⋯⋯」
「うむ⋯⋯太って見えるか」
「見える、将来たぽたぽ。紬先輩に多分迷魂が憑依しててさ、後学校内で都市伝説も起こってて、ちょっと忙しくなるのかなって」
「まさかの二件か。それに一件が憑依とはの⋯⋯」
「それでお願いなんだけどラオシャ、今日中に神衣で紬先輩助けちゃわない? 寝てる間に、とかさ」
 身体をラオシャに向けて真剣な顔で尋ねる。
「別に構わんが、お前、身体は大丈夫なのか⋯⋯?」
「何が? 全然大丈夫だよ?」

「神衣は、小夏の身体を全部使ってワシの力を最大限発揮するものじゃから、何かしら疲労があっても可笑しくはない筈なんじゃが⋯⋯」
 不思議そうに私を見つめているが、別に大した変化も無ければ、異常も違和感もない。

「そういう魔法じゃないの? だって沙莉に踏まれた傷が治ってたじゃん」
「そんな魔術はワシは何も⋯⋯」
「あ、やっぱり魔法だったの」

 ラオシャがつい言ってしまったと顔を歪ませたがすぐに冷静になって訂正した。
「そ、そうじゃ⋯⋯しかし魔法ではなくて魔術じゃ。細かい説明は省くが、これまでの力は魔術によって動いておったのじゃ。いずれ話そうと思っておったのじゃがな⋯⋯」
 
「うーんうーん⋯⋯私にとっては同じだし、後悔もしてないし、構わないよ。私やり切るからさ」
 少し暗い顔をしていたラオシャに、私は笑顔を向けて言葉を返した。ラオシャも顔が晴れて、少しほっこりした空気が私たちを包んだ気がする。

「お前は本当に変な奴じゃな⋯⋯良いぞ。迷魂を全て還すその時まで付き合ってやる」
「任せて下さいよ、才能はありますから~」
 鼻を伸ばして自信満々に答えてみせた。
 
 ラオシャとは随分仲良くなったが、正直最後の時がやって来る事が惜しい。もし許されるのであれば、猫巫女でなくなった後も、帰ってくる場所が私の家であれば良いなと、密かに思う。私はラオシャと、何もないいつも通りの日常を──

 過ごしてみたいと願ってしまうのでした。

     ✳︎

 その日の夜。家族も寝静まり、深い時間に差し掛かろうとしている頃。

「よし、良いよ、ラオシャ」
「依代司るは神の衣、我、真名の開示により力を解き放つ──」
 また私の意識がそこで一旦眠りについて、私の身体は一旦ラオシャに託される。私が沈んでいる間にラオシャ曰く、この後私の身体が光り出して、目の色が変わり、猫耳が生えた後巫女服の様な装飾の羽織りを纏われる、らしい。
 そしてこの神衣中はラオシャと意識を交代しながら話すので、私の身体が二人分を喋る事になる。
「⋯⋯よし、神衣完了じゃ。その場で紬の家をチェックするぞ」
「ゴメンなさい先輩、覗かせてもらいます⋯⋯」
 
 神衣の影響で常時天眼になっているラオシャと同じ色の眼で、カメラがズームする様に視界を動かして紬先輩の家の方向を覗く。部屋の奥、ベッドの上で静かに眠る紬先輩がすぐに確認出来たが、そこに被さるように赤い反応があった。
「わ、本当に憑依されてる⋯⋯!」
「ふむ。寝ている間に家に入り込んで、早々に片付けてしまうか」
「そ、そうしようか。あ、その前に学校も見てみようよ、迷魂いると思うし」

 私は徐に、学校の方向へと視線を動かして、迷魂の反応を探る。
 しかし反応がありそうなトイレを粗方見て確認するが、それらしい反応は一つも見当たらない。
「う~ん、全く反応ないけど⋯⋯」
「誰かの悪戯というオチでは無いかの」
「まあ、七不思議だしね⋯⋯」
 
 メンヘラ花子さんは実在する。それが分かっただけで収穫として、私は紬先輩の方へ眼を向けた。
「それにしても沙莉の時と違って、なんていうか静かだね⋯⋯」
「赤い迷魂である以上何かしら悪戯しておるはずじゃがな⋯⋯よし、窓から飛び出して、屋根を伝って向かうぞ」
 ラオシャが私の身体を動かして、部屋の窓から身体を乗り出そうとした。私は慌てて自分の体を制止させた。
「ちょ、ちょっと何しとるん! 死ぬやんかそれは!」
 慌て過ぎて方言が漏れ出てしまった。ラオシャはそんな私に食い気味で促してくる。
「そんなんでは死なんからワシを信じてみよ。神衣で身体能力も上がっておるし、ワシに身体を預けて見ておれ」
「ほんまに?」
「行くぞっ⋯⋯!」

 ここは素直にラオシャに身体を委ねる事にして、意識の中で私を見守る事にした。
 そして何となく察していたのだが、私の身体一つを二人で共有していると言うことは、恐らく感覚も共有しているのだろう。今私は怖いと同時に生まれてくるはずのない心の余裕を感じている。
 躊躇なく私の身体は窓に足をかけて、目一杯真っ暗になった外に向かって身を放り出した。その勢いのままラオシャは私の身体を捻らせて半回転すると、身を放り出した窓の間上にある屋根の先端部分目掛けて鎖付きの浄化の枷ピュリカフスを投げて引っ掛けた。
 浄化の枷ピュリカフスを投げた勢いのまま引っ張り、身体を回転させながら大きく跳躍し、無事屋根の上へ着地してみせた。

「ほらの、このくらいは簡単じゃ」
「な、なんか変な感じ⋯⋯神衣って結構凄いんだ」
「あんな一瞬で浄化の枷ピュリカフスを作れるのは小夏の才能あってこそじゃがな。さて、ここから屋根を伝って紬の家まで向かうぞ」
「あ、そうだったね。あのさ、次は私が動いてみるよ⋯⋯」
 私の家から紬先輩の家まで、大体徒歩だと十分ほど。屋根を伝って行けば、三分も経たずに着けるだろうか。近隣の家家の屋根を眺めながら予測して、私はなるべく地面を視界にいれない様に心がけながら、屋根の先まで素足を持っていく。
「行ける、行ける⋯⋯私は猫巫女、私は猫巫女⋯⋯」
 足の指先を震わせながら、私は意を決して一心不乱に向かいの屋根まで飛ぶ気持ちで跳躍した。
「せーの、ほ!」
 身体は空中へ、助走無しで飛んだ事に多少後悔したが、気付いた時には向かいの屋根まで難なく着地出来ていた。自分の身体とは思えない程高く飛び、着地時の反動もクッションの上を歩く様に柔らかかった。
「おお~! 神衣の力って凄い⋯⋯!」
「続けて他の屋根へ移るぞ」
「今私が感動しとるやろ!」
 ラオシャの淡々とした言葉に多少の憤りを覚えながら、私は次々と屋根から屋根へ飛び移って、暗い空間の中夜風を感じながら空を駆けた。
「風が気持ち良い⋯⋯! とにかく身体が軽いねラオシャ」
「慣れたもんじゃな、すっかり動き方を身に付けておる。言ってる間に紬の家へ着くぞ」
「このまま行こう~!」
 屋根を飛び移る事三分。あっという間に紬先輩の家まで着いた。部屋の窓のそばまで近付き、そっと部屋の中を見る。
 ぐっすりと布団を掛けて眠っている紬先輩を確認してから、ゆっくりと窓を開けようとしたが、窓は内側で鍵が掛かっていた。
 動揺しかけたが、すぐに意識の中でラオシャが交代して来て私の身体を動かすと、手のひらを鍵のある方に向かってスリスリと擦り始めた。
 そして擦った手を止め、窓に手を掛けると、鍵が掛かっていた窓が開いた。罪悪感が否めないが、迷魂を引き剥がす為致し方無いと、身を乗り出して部屋の中で入った。暗がりではあるが天眼なので物はハッキリと見えた。窓から入った紬先輩の部屋は実にシンプルにお洒落で、目の前には丸型のマットの上に可愛いローテーブルと、側にはクッションが置いてある。右手には小さなオープンラックに他の部屋へ続く扉があり、左手には机と椅子、引き出しが並んで置いてあり、もう一つ窓があった。
 そしてテーブルを挟んで向かいには紬先輩の眠るベッド。私は静かに忍び寄って、ベッドの前まで近づいた。
 沙莉の時と同様に意識の中に入らないと行けない為、この状況下で自分の額と紬先輩の額を合わせないといけない。変な気持ちが芽生えそうになる前にベッドに手を置き、仰向けになって眠っている紬先輩を覆い被さる形で、自分の顔紬先輩の顔まで持っていく。
 静寂な空間の中で、私の早まっていく心臓の鼓動の音だけが鳴っている。
 なんて事はない、額を合わせるだけ。額を、合わせて──
「先輩、失礼します⋯⋯ん?」
 合わせようとした手前で、背中から何かの感触が伝わって来た。私はその何かを調べようと振り向くと、紬先輩が両手を伸ばして、私を包む様に抱いていた。
「ちょ、ちょっとせんぱっ──んむっ! んー! んー!」
 紬先輩が起きている事に気付いた私が咄嗟に顔を再び合わせて呼びかけたその瞬間、零距離まで顔を近づけて唇と唇を重ねていった。その重なった甘い感触が、私の思考を奪い去ってゆこうとする。必死に抵抗して身体を離して、その衝撃から全力で逃げた。
「っぷぁ⋯⋯! ラオシャ! ラオシャ交代! 後は任せたから⋯⋯あむっ、んー!」

 馬鹿野郎と聞こえた気がするが、今はそんな事どうでもいい私にはもう正常な判断は出来ない。身体をラオシャに強引に任せて、私は唇を奪われながらも額を合わせ、紬先輩の意識へ入り込んだ。
 ごめんラオシャ、せめて私の身体だけでも、無事に守っていてくれ。

     ✳︎

 沙莉と同じ、白だけの空間。どこまでもその空間を落ちていく自分と、さっきまでの唇の感触が残っていた。
「即確保したるからな迷魂ー!」
 落ちていく空間に向けて、全力で声を張り上げて主張する。すると白い空間が変わって、瞬きをした次の瞬間には、紬先輩の家の真上を飛んでいた。
「ホント唐突だなあ⋯⋯ていうか、同じ場所?」
 フワッと屋根の上へ着地して、入ってきた部屋の窓へ歩み寄る。するとそこには、机の引き出しに向かっている、少し若くなっている紬先輩の姿があった。
「過去の出来事か⋯⋯何してるんだろ」
 耳を澄ましてみると、話している内容が私の耳に届いてきた。
「今日はどのゲームにしよっかな~。デーモンファンタジスタは一度始めたら長くなっちゃうし、レグメンティアもな~」
 恐らく中学生の頃の紬先輩が、なんと私と同じ様なゲームを選んで迷っていた。それこそデーモンファンタジスタは、ラオシャと出会う前後で遊んでいた一人用のゲームタイトルである。
 デーモンファンタジスタの発売日から考えるに中学三年生の頃の紬先輩だ。つまり紬先輩は発売日からすぐに購入して遊び尽くしたのだろう。

「私より凄い人おった⋯⋯」

 そのまま眺めていると視界に靄がかかり、また白い空間へと戻ってきた。
「紬先輩は、私と同じ独りゲームをする人⋯⋯そこがヒントなのかな⋯⋯?」
 考えているうちにまた空間が変化して、次は私たちが通っている神無咲高校へと場所が変わった。屋上へ着地して、天眼で紬先輩を探す。周りを見渡すと桜が咲いているので、この時は入学式の日だろうか。
「紬先輩が入学した日かな⋯⋯あっいたいた」
 教室を隈なく探していると、何か思い悩んでいる紬先輩を見つけた。周りの様子も見てみると、上手く輪に馴染めていないのか、紬先輩だけ独り席に座っている。
 そんな先輩を眺めていると、赤い迷魂が私の眼前へ割り込んできた。ビックリして口を抑えながら身を引くと、赤い迷魂が私に語りかけてきた。
「あの子、どう思う?」
「えっ⋯⋯紬先輩の事?」
「そう、あなたから見て、あの子はどうなの?」
突然の質問に困惑の表情を浮かべながら、私はそれに答えてみた。
「そりゃあ、独りで、友達が出来ないままだから、寂しそうだなって⋯⋯いやいや、そうじゃなくて、あなた! 紬先輩に憑依して、私にキ、キ⋯⋯!」
「ええ、あの子の中にある気持ちを汲み取ってあげたのよ。あなたは知らないでしょうけどね」
「気持ち⋯⋯?」
 気持ちとはどういう事なのだろうか。
また悩んでいると場面が変わって、目の前の迷魂と共に職員室の方まで移動していた。

「よく見てなさい、ここからのあの子。孤独な自分を変えたくて、委員長になり、二年生に上がって間もない頃よ」
「二年生になって間もない頃⋯⋯あ⋯⋯」
 その職員室での出来事は私も見覚えがあった。初めて紬先輩と出会い、ぶつかった場所。抱えていたプリントを二人で拾い、そこから仲良くなった私たち。紬先輩が初めて出来た最初の友達。それが私だった。

「あたた⋯⋯ごご御免なさい! 私よそ見してて⋯⋯えっと⋯⋯」
「あ、ああ、えっと、良いの。ほら、プリント、ひ、拾いましょ、手伝うわ」

「ありがとうございました! あの、良かったらお礼がしたいので、お名前だけでも! 後仲良くしたいです⋯⋯!」
「あ、ああ。私は宮城みやしろ、宮城紬」
「私は西野小夏です! 今度良かったら私の新しく出来た友達も紹介しますね、紬先輩! では失礼します!」

「先輩⋯⋯先輩⋯⋯か。そっか、先輩⋯⋯」

 遠くで当時の私たちを見る。
「先輩って呼ばれた事も無かったんだ⋯⋯」
「ええ、そして暫くして現在、そんな紬先輩にワタシが憑依したんだけど」

「あ、え? 迷魂、学校にいたの⋯⋯」
「ま、気付かれないよね⋯⋯私なんて、生前はそれはそれは惨めだったし、毎日消えたかったし、便所メシの毎日とSNSの承認欲求だけが生き甲斐だったわ」
 それを聞いて私はハッとなり、沙莉から聞いた噂が脳裏に浮かんできた。
 恐る恐る、赤い迷魂に向けてアレを聞いてみた。
「も、もしかして⋯⋯あなた『メンヘラ花子さん』?」
「はあ? そんな名前付けられてんの! マジそれ病むわ~、なにそれ⋯⋯うわ死にたい⋯⋯もう死んでるけど」

「えっと、つまりどういう事⋯⋯」
「あの子は、変わりたい自分を紡いでくれたあなたを特別視してるから、余計好かれたいんでしょうね。そんな部分が強まって、私と共鳴したのよ。諦めなさい、あの子も私の存在を認めちゃってるから」
「それは話が別だよ⋯⋯私はあなたを引き剥がしに来てるんだから」
「やだやだ! ワタシここにいたいのよ! ワタシもあの子も愛すより愛されたいから! 色々片付くまで一緒に居させて! 悪い様にしないから! あなたとキスしてくれればそれで!」
「情緒不安定なんかあなたは! ていうかキスとか止めて! 貞操守りに来てんねんこっちは!」
 もう何なんだろうこのやりとりは⋯⋯。話を聞いてくれる様にもならないし、とにかく面倒くさい。
「良いの? あの子の身体のまま、ワタシ泣くわよ?」
 迷魂が距離を詰め寄って私を責め始める。観念して私はとにかくこの話を持って帰る事にした。
「ぬあーもう分かった! 分かったから取り敢えず、ラオシャに相談させて⋯⋯もう嫌⋯⋯何なんこの花子さん⋯⋯」
「にへへ、今日はこれにてお開きね。花子さんとあの子はいつでも、あなたを見てるわよ」
「あーはい。じゃ⋯⋯」
 最低限の気力で言葉を交わし、意識の空間を後にした。もう色々、色々疲れた。
「じゃねー、あの子を大切にしてあげてねー」
 
     ✳︎

「そういう言葉だったんかい⋯⋯」
 現実に戻ってきた私は、すぐにラオシャに語りかけようとしたが、何故か身体がとても疲れていた。息が苦しい、腰も痛くて、身体も火照っている。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯え、え⋯⋯ラオシャ⋯⋯そっち、どうだっ──」
「す、スゴかったぞ⋯⋯」
 意識が途中交代して、ラオシャは一言言い放ち、すぐに私に戻ってきた。
「終わった⋯⋯」
 身体から感じられるあらゆる熱と知らない感覚が私を襲いながら、私は守れなかった事実を知る。隣でぐっすり眠る紬先輩も、寝汗が凄い事になっているに違いない。
「えっと⋯⋯はぁ、も、戻ろう⋯⋯腰痛いし⋯⋯熱いし⋯⋯」
 その時の夜風は丁度気持ち良く、私の身体の熱を覚ましてくれた気がした。そして、思ってしまいたくない気持ちを押し殺しながら、自分の家へ帰った。

     ✳︎

 後日、学校での昼休み。紬先輩を含めた私たちはいつもの場所へ集まって、メンヘラ花子さんの事について、恥ずかしい所は伏せて話をした。
 事前にラオシャにも相談したが、残り一匹になった時に送ってしまっても構わないだろう、しかし小夏は過敏に身体が跳ねるだの本当にうるさい事を交えて喋っていた。
 そして友達の意見も聞いて多数決を取った結果、二対二で引き分けになってしまった。完全に沙莉の犯行で結果、紬先輩とメンヘラ花子さんとの一時的共存が決まってしまった。

 しかし衝撃のアレがあった手前、後には引けない私は何とか交渉し、貞操は守らさせて下さいと一線を引いた。

 キスもそれ以外も契約上今後阻止するが、早急に対策が必要である。ラオシャの魔術で何とか出来ないか帰ったら相談しよう⋯⋯。もう襲われるのは懲り懲りだ。
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