魔女の弟子

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第7章 火継ぎの港街

火継ぎの港街⑤

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エルマの山小屋を出発して4日後、私たちはいくつかの宿場町を中継しながら、セント クラーナに到着した。

「うーん、風が気持ちいい!」

 港を見下ろす展望台で、エルマはうんっと背伸びをした。
 私もエルマの横に並びながら、セント クラーナの景色をぐるりと一望した。
 緩やかな斜面に、白とオレンジを基調とした建築物がところせましと立ち並ぶ市街地の先には、大きな弧を描いた湾が広がり、穏やかな波の上で大小さまざまな船が帆を休ませていた。左手に目を向けると、港にそって続く市街地の更に先、湾の端から海に向かって大きく突き出した岬には、私が夢の中で見たものと同じ、巨大な灯台が鎮座していた。
湾の先には、どこまでも続く青い水平線と空が広がり、展望台の手すりに寄りかかると、まるで海鳥のように空を飛んでいる気分だった。
 潮の匂いをまとった海風は心地よく、生まれて初めて見る本物の海の景色に、私もすっかり興奮していた。

 正式な名前は『セント ポルト(港) クラーナ』、通称『セント クラーナ』は、街の伝説に基づき、地元の人間が『火継ぎの港街』と呼ぶ、一大港湾都市だった。セント クラーナは元々、古い時代に砦として築かれたそうだが、平和な時代は漁業が盛んであり、新しい市街地が開発されてからは、風光明媚な地形を生かして、有名な観光地としても名を知られていた。

「もうすぐ冬だぞ。むしろ肌寒いくらいだ。」

 エルザ師匠はというと、寒そうに手をこすり合わせていた。日常的に体を動かしてはいるが、基本的にデスクワークが多いせいか、エルザ師匠はどちらかというと寒がりだった。

「私は普段から山の気候に慣れてるからね。これくらいが涼しくて過ごしやすいのよ。ところで、これからの予定はどうするの?」

「そうだな、まずは宿泊先に荷物だけ預けて、早めに昼食にしよう。食事を済ませたら、旧市街地の"入国管理局"に向かう。そこで情報収集だ。」

「ちょっと、待って。その予定の中に、街の散策は入ってる?」

「散策?ああ、ミラルダや渡り烏の捜索か?それはまず情報を集めてから…」

 エルザ師匠の回答に、エルマは少し不服そうに目を細めた。

「そうじゃなくて、"観光"よ。エルザや私はここに来たことあるけど、ラルフ君は初めてでしょ?せっかくだからドンパチやる前に、一息入れましょうよ。ここまで長旅だったんだから。」

「休憩したいのはやまやまだが、奴らがここに潜伏していると仮定するなら、すでにここは敵地だと思って早めに行動した方がいい。私たちの存在を悟らせないように魔女の魂にジャミング(妨害)魔法をかけてはいるが、それでも十分な効果があるかは分からないからな。」

 セント クラーナに入る前に、エルザ師匠は私たち全員に魔法をかけた。エルザ師匠によると、魂(ソウル)が発する波長は、個人ごとに異なるらしく、ミラルダにその波長を探知されれば、私たちの存在を知られる可能性が高いとのことだった。

 エルマは手すりに寄りかかりながら、なおも不満げにくちびるを尖らせた。

「そりゃあ、そうだけどさ。じゃあ、せめて着替えない?観光客たちの中に混じるには、私たちの服装は不自然でしょ?」

 そう言われて、私たちは互いの格好を見比べた。
エルザ師匠は街に入ってからは山高帽は脱いだものの、普段の黒装束にマントと杖と、いかにもな旅支度だった。エルマの皮のコルセットや、機能的な狩人のジャケットは、山のなかでは不自然ではないが、さすがに観光向けの市街地にはそぐわなかった。私はというと、成長期に入ってから何度も服を新調したものの、私が村で来ていた農作業着と大して変わらなかった。

 エルザ師匠もさすがに納得したらしく、荷物を担ぎなおしながら市街地への入り口に向かい初めた。

「たしかにそうだな。服屋ならいくつか店に心辺りがある。宿に向かう道すがら買い物といこう。」

私たちが立っている展望台は、新市街地の入り口にあたるエリアであり、斜面を緩やかに下る目抜通りには、観光客向けの店や露店が軒を連ねていた。
 エルザ師匠とエルマは勝手知ったる様子で通り沿いのブティックを梯子していった。最初はエルマの買い物を急かしていたエルザ師匠だったが、だんだんエルマのペースに巻き込まれ、楽しそうに服を選び初めていた。

 「エルザ、これ似合うんじゃない?」
 エルマが、エルザ師匠に合わせてみせた服は、明るい黄色のワンピースだったが、エルザ師匠はやんわりと押し返した。

 「明るい色は苦手だ。なんというか、合わせかたがよくわからない。」

「せっかくスタイルいいのに、もったいないなぁ…そんな風に苦手に思わずに、色々挑戦してみたらいいのに。そういえば、エルザってもうすぐ誕生日よね?なにか買ってあげよっか?」

 思い返せば、エルザ師匠は私の誕生日を祝ってくれることはあったが、自分の誕生日を祝うことはなかった。以前理由を尋ねたときは、もう誕生日をありがたがる年齢でもないということだったが。

「いつも言っているが、別に誕生日だからって、贈り物はもういいぞ。毎年何を贈るか頭を悩ますのが面倒だからな。」

どうやらこの二人は毎年互いの誕生日に物を贈りあっているようだった。

「いいじゃない。この習慣がないと、自分が何歳になったか忘れちゃうもん。言い忘れないうちに言っておくけど、誕生日おめでとう!せんさんびゃくにじゅう…ムグッ!?」

 電光石火の早さでエルマの口を塞ぐと、師匠はこちらを睨み付けた。

 私はあわてて商品の棚に顔を背け、聞いていなかったふりをした。
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