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第7章 火継ぎの港街
火継ぎの港街④
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私が回復してから二日後、私たち三人は、まだ夜も空けきらない早朝にエルマの山小屋を出発した。霧降山の真っ暗な樹海の中を、私たちを乗せた二頭の馬は、エルマの使い魔が灯す光を便りに、ゆっくりと歩を進めていた。
エルザ師匠とエルマは相談の末、私が夢の中で見た景色である『セント クラーナ』という港街に現地調査に赴くことを決めた。それは手がかりと呼ぶにはあまりにも不確かなきっかけだったが、ミラルダや渡り烏の所在がつかめない以上、少ない可能性にかける他はなかった。
もっとも、エルザ師匠には、『セント クラーナ』にミラルダがいる可能性については、以前から推測していたらしいが、この時点ではその理由について説明してはくれなかった。
「そういえばさ、」
前を先導するエルマが口を開いた。
「ミラルダって、『沈黙のユーリア』に師事していたことってあったの?あいつ、ユーリアのことを"先生"と呼んでいたわよ。渡り烏の正体がユーリアじゃないかって問い詰めたときも、なんだか面白がっていたし、渡り烏の正体がユーリアだっていうのは、やっぱり可能性高いかもよ。」
エルザ師匠の背中側に騎乗していたわたしには彼女の表情は見えなかったが、小さい嘆息の音が聞こえた。
「ユーリアからミラルダを指導していたという話は聞いたことはないな。だが、二人とも魔法系統が近いことを考えれば、ミラルダがユーリアの教えを受けた可能性は高いだろう。ミラルダが使ったという"沈黙の禁則"という魔法は、ユーリアが"唯一使うことができた"魔法だ。ミラルダにそれを伝授していたことは十分考えられるしな。」
渡り烏の正体が『沈黙のユーリア』だという考え方を支持する一方で、エルザ師匠はそう考えることがつらいようだった。私にしてみても、エルザ師匠が悪人であるという烙印を他人から押されれば、自分の中にある、基盤のようなものを揺さぶられる思いがすることだろう。一方で、エルザ師匠の言葉の中に違和感を感じた私は、彼女の肩を叩いた。
「ユーリアという魔女が、"唯一使うことができた魔法"とはどういう意味ですか?」
エルザ師匠は微かに私の方を振り返ると、淡々と質問に答えた。
「文字通りの意味で、ユーリアは"沈黙の禁則"という魔法一種類しか使えなかったんだ。本来、魔女は同一系列の中で、複数の種類の魔法を発動することができる。その種類は魔女によって異なるし、訓練次第ではその数を増やすことも可能だ。だが、基本的に魔女が魔法を発動するためには、3つの条件がある。」
そう言うと、エルザ師匠は指を三本立ててみせた。
「一つは、魔法を発動する環境下において、魔力が十分に満たされている状態であること。二つ目は、魔法を発現するための触媒を持っていること。私の呪術で言えば、種火や杖がこれにあたるな。そして、三つ目の条件として、魔法を行使する魔女本人が呪文を詠唱するための"言葉という概念を持っている"ということだ。だが、ユーリアは元々、"言葉"という概念を持たない人だった。故に、基本的な魔法は使えず、ただ、"沈黙の禁則"という、特殊な魔法のみを扱うことができるだけだった。」
それを聞いて、私は首をかしげた。
「言葉なんて、誰でも持っているものではないのですか?何故、それが魔法発動の条件に入るのですか?」
エルザ師匠は一度振り返り、私の目をみた。私が質の良い質問をしたときに見せる、彼女なりの喜びの仕草だった。
「言葉の存在が当たり前の我々にとってはそうだろうな。言葉というものは、本来、遺伝されるものではなく、後天的なものだと考えられている。国や文化圏によって、文法、発音、文字が異なるのもそのためだが、どのような言語でも共通しているのは、"頭の中で言葉とイメージが結び付く"こと、そして、"音として発音ができる"、ということだ。」
樹海の木々の隙間から見える空が、少しずつ明るくなってきていた。秋の虫の声に混じって、エルザ師匠の説明が続いた。
「言葉は人類がお互いにコミュニケーションを行うための道具として身につけたものだ。お互いの思考を直接伝達する手段を持たない人間にとっては、最適な手段といえるだろう。だが、ユーリアの生まれの民族は、言葉によらないコミュニケーションをとることができる珍しい民族だった。いや、もはや種族というべきか。」
森の密度が少なくなり、木々の間から、麓の平原の景色が見えるようになってきた。
「それはどんな種族だったのですか?」
エルザ師匠はもう一度私の方を振り返った。
「ユーリアの出身地では、皆お互いの魂"ソウル"の状態を直接視ることができたそうだ。彼らにとっては、魂"ソウル"の色や、形などの傾向を読み取ることで、お互いの思考を直接共有することができたらしい。」
魂"ソウル"の状態を直接視る。それはつい先日私が体験したことだった。
「つまり、ユーリアという人は…」
「ああ、」
私たちは霧降山の樹海を抜けた。それと同時に、朝焼けの空の真ん中を貫く日の出が私たちの視界を埋めた。
「魂(ソウル)の状態を直接視ることができるのは、暗い魂を覚醒させた人間のみが持つ力だ。つまり、ユーリアは魔女になる以前、不死人として生きてきた人だった。」
「ちょっと待ってよ。」
エルマは朝日に向かって眩しげに目を細めていた。
「不死人というのは、死の概念が無いのでしょう?以前に貴女は、ユーリアの最期を看取ったと言ってたわよね。話が矛盾してない?」
エルザも眉間に皺を寄せながら、朝焼けの空をにらんでいた。
「それは事実だ。私はかつて、魔女の力を暴走させた果てに、瀕死の目にあったことがある。魔女の魂を消耗しつくし、死の間際にいた私を、ユーリアは自らの魂(ソウル)と引き換えに蘇生してくれたんだ。目覚めた私の傍らにあったのは、すでに冷たくなったユーリア先生の遺体だけだった。その後、彼女の遺体の埋葬も私が行った。」
そう言うと、エルザ師匠は黙祷するようにわずかな時間目を閉じた。
「正直なところ、私には渡り烏の正体がユーリアかどうかはまだ確信が持てない。ユーリアは渡り烏のように、武器を生成したり、炎で攻撃する魔法は使えなかったはずだ。だが、ユーリアが私に対して、自分の手の内を全て見せていたとも限らないし、そもそも、彼女が魔法を使えること自体を隠していたとも考えられる。今回の件に関して、どのような手法で事件を起こしたかを考えるのはあまり意味がない。重要なのは、」
エルザ師匠は手綱を握り直すと、私の方を振り返った。エルザ師匠の青い瞳の中には、強い覚悟がうかがえた。
「何故、このようなことを起こしたか、だ。ユーリアが人間を虐殺する理由など、考えもつかないが、それはもはや直接本人に問いただすしかない。もしもセント クラーナで渡り烏と遭遇することになれば、必ずやつの正体を暴いて見せる。」
私はエルザ師匠の目を見つめ返しながら、大きくうなずいた。渡り烏については、もはや私だけではなく、エルザ師匠にとっても個人的な問題になっていた。そして、渡り烏を倒すことに対する強い気持ちをエルザ師匠と共有できることを、私はとても嬉しく感じていた。
「全力でサポートするわ、貴方たちを。」
エルマも手綱を握りなおし、早駆けの準備をした。
「急ぎましょう、セント クラーナへ」
二人の頼もしい魔女は、南に向けて同時に愛馬を進めた。
「ところで、師匠…」
激しく揺れる馬上で、エルザ師匠の背中に捕まりながら、私は尋ねた。
「ユーリアという人の瞳の色は、何色でしたか?」
エルザ師匠は記憶を探るようにしばらく沈黙したが、帰って来た答えは予想していたものではなかった。
「私はユーリアの瞳を見たことがない。彼女は…私が初めて出会ったときにはすでに両目を失っていた。彼女いわく、『人の闇を見つめすぎた』と言っていたが…彼女の瞳の色がどうかしたか?」
私は思わず、師匠の背中に捕まる腕に力を入れ直した。
「いえ、何でもありません。ちょっと気になっただけです。」
エルザ師匠はいぶかしむように首を少しかしげたが、やがて、馬の操作に集中し直した。
私が見た悪夢の最後は、渡り烏が仮面を外そうとする瞬間だったが、私はエルマからの質問に対して、少しだけ嘘をついていた。
確実に渡り烏の顔を見たわけではなかったが、しかし、仮面の下の暗闇に光る目は、透き通った水底を思わせるような、深い青色だったような気がしていた。例えるならば、そう、エルザ師匠の瞳のように。
エルザ師匠とエルマは相談の末、私が夢の中で見た景色である『セント クラーナ』という港街に現地調査に赴くことを決めた。それは手がかりと呼ぶにはあまりにも不確かなきっかけだったが、ミラルダや渡り烏の所在がつかめない以上、少ない可能性にかける他はなかった。
もっとも、エルザ師匠には、『セント クラーナ』にミラルダがいる可能性については、以前から推測していたらしいが、この時点ではその理由について説明してはくれなかった。
「そういえばさ、」
前を先導するエルマが口を開いた。
「ミラルダって、『沈黙のユーリア』に師事していたことってあったの?あいつ、ユーリアのことを"先生"と呼んでいたわよ。渡り烏の正体がユーリアじゃないかって問い詰めたときも、なんだか面白がっていたし、渡り烏の正体がユーリアだっていうのは、やっぱり可能性高いかもよ。」
エルザ師匠の背中側に騎乗していたわたしには彼女の表情は見えなかったが、小さい嘆息の音が聞こえた。
「ユーリアからミラルダを指導していたという話は聞いたことはないな。だが、二人とも魔法系統が近いことを考えれば、ミラルダがユーリアの教えを受けた可能性は高いだろう。ミラルダが使ったという"沈黙の禁則"という魔法は、ユーリアが"唯一使うことができた"魔法だ。ミラルダにそれを伝授していたことは十分考えられるしな。」
渡り烏の正体が『沈黙のユーリア』だという考え方を支持する一方で、エルザ師匠はそう考えることがつらいようだった。私にしてみても、エルザ師匠が悪人であるという烙印を他人から押されれば、自分の中にある、基盤のようなものを揺さぶられる思いがすることだろう。一方で、エルザ師匠の言葉の中に違和感を感じた私は、彼女の肩を叩いた。
「ユーリアという魔女が、"唯一使うことができた魔法"とはどういう意味ですか?」
エルザ師匠は微かに私の方を振り返ると、淡々と質問に答えた。
「文字通りの意味で、ユーリアは"沈黙の禁則"という魔法一種類しか使えなかったんだ。本来、魔女は同一系列の中で、複数の種類の魔法を発動することができる。その種類は魔女によって異なるし、訓練次第ではその数を増やすことも可能だ。だが、基本的に魔女が魔法を発動するためには、3つの条件がある。」
そう言うと、エルザ師匠は指を三本立ててみせた。
「一つは、魔法を発動する環境下において、魔力が十分に満たされている状態であること。二つ目は、魔法を発現するための触媒を持っていること。私の呪術で言えば、種火や杖がこれにあたるな。そして、三つ目の条件として、魔法を行使する魔女本人が呪文を詠唱するための"言葉という概念を持っている"ということだ。だが、ユーリアは元々、"言葉"という概念を持たない人だった。故に、基本的な魔法は使えず、ただ、"沈黙の禁則"という、特殊な魔法のみを扱うことができるだけだった。」
それを聞いて、私は首をかしげた。
「言葉なんて、誰でも持っているものではないのですか?何故、それが魔法発動の条件に入るのですか?」
エルザ師匠は一度振り返り、私の目をみた。私が質の良い質問をしたときに見せる、彼女なりの喜びの仕草だった。
「言葉の存在が当たり前の我々にとってはそうだろうな。言葉というものは、本来、遺伝されるものではなく、後天的なものだと考えられている。国や文化圏によって、文法、発音、文字が異なるのもそのためだが、どのような言語でも共通しているのは、"頭の中で言葉とイメージが結び付く"こと、そして、"音として発音ができる"、ということだ。」
樹海の木々の隙間から見える空が、少しずつ明るくなってきていた。秋の虫の声に混じって、エルザ師匠の説明が続いた。
「言葉は人類がお互いにコミュニケーションを行うための道具として身につけたものだ。お互いの思考を直接伝達する手段を持たない人間にとっては、最適な手段といえるだろう。だが、ユーリアの生まれの民族は、言葉によらないコミュニケーションをとることができる珍しい民族だった。いや、もはや種族というべきか。」
森の密度が少なくなり、木々の間から、麓の平原の景色が見えるようになってきた。
「それはどんな種族だったのですか?」
エルザ師匠はもう一度私の方を振り返った。
「ユーリアの出身地では、皆お互いの魂"ソウル"の状態を直接視ることができたそうだ。彼らにとっては、魂"ソウル"の色や、形などの傾向を読み取ることで、お互いの思考を直接共有することができたらしい。」
魂"ソウル"の状態を直接視る。それはつい先日私が体験したことだった。
「つまり、ユーリアという人は…」
「ああ、」
私たちは霧降山の樹海を抜けた。それと同時に、朝焼けの空の真ん中を貫く日の出が私たちの視界を埋めた。
「魂(ソウル)の状態を直接視ることができるのは、暗い魂を覚醒させた人間のみが持つ力だ。つまり、ユーリアは魔女になる以前、不死人として生きてきた人だった。」
「ちょっと待ってよ。」
エルマは朝日に向かって眩しげに目を細めていた。
「不死人というのは、死の概念が無いのでしょう?以前に貴女は、ユーリアの最期を看取ったと言ってたわよね。話が矛盾してない?」
エルザも眉間に皺を寄せながら、朝焼けの空をにらんでいた。
「それは事実だ。私はかつて、魔女の力を暴走させた果てに、瀕死の目にあったことがある。魔女の魂を消耗しつくし、死の間際にいた私を、ユーリアは自らの魂(ソウル)と引き換えに蘇生してくれたんだ。目覚めた私の傍らにあったのは、すでに冷たくなったユーリア先生の遺体だけだった。その後、彼女の遺体の埋葬も私が行った。」
そう言うと、エルザ師匠は黙祷するようにわずかな時間目を閉じた。
「正直なところ、私には渡り烏の正体がユーリアかどうかはまだ確信が持てない。ユーリアは渡り烏のように、武器を生成したり、炎で攻撃する魔法は使えなかったはずだ。だが、ユーリアが私に対して、自分の手の内を全て見せていたとも限らないし、そもそも、彼女が魔法を使えること自体を隠していたとも考えられる。今回の件に関して、どのような手法で事件を起こしたかを考えるのはあまり意味がない。重要なのは、」
エルザ師匠は手綱を握り直すと、私の方を振り返った。エルザ師匠の青い瞳の中には、強い覚悟がうかがえた。
「何故、このようなことを起こしたか、だ。ユーリアが人間を虐殺する理由など、考えもつかないが、それはもはや直接本人に問いただすしかない。もしもセント クラーナで渡り烏と遭遇することになれば、必ずやつの正体を暴いて見せる。」
私はエルザ師匠の目を見つめ返しながら、大きくうなずいた。渡り烏については、もはや私だけではなく、エルザ師匠にとっても個人的な問題になっていた。そして、渡り烏を倒すことに対する強い気持ちをエルザ師匠と共有できることを、私はとても嬉しく感じていた。
「全力でサポートするわ、貴方たちを。」
エルマも手綱を握りなおし、早駆けの準備をした。
「急ぎましょう、セント クラーナへ」
二人の頼もしい魔女は、南に向けて同時に愛馬を進めた。
「ところで、師匠…」
激しく揺れる馬上で、エルザ師匠の背中に捕まりながら、私は尋ねた。
「ユーリアという人の瞳の色は、何色でしたか?」
エルザ師匠は記憶を探るようにしばらく沈黙したが、帰って来た答えは予想していたものではなかった。
「私はユーリアの瞳を見たことがない。彼女は…私が初めて出会ったときにはすでに両目を失っていた。彼女いわく、『人の闇を見つめすぎた』と言っていたが…彼女の瞳の色がどうかしたか?」
私は思わず、師匠の背中に捕まる腕に力を入れ直した。
「いえ、何でもありません。ちょっと気になっただけです。」
エルザ師匠はいぶかしむように首を少しかしげたが、やがて、馬の操作に集中し直した。
私が見た悪夢の最後は、渡り烏が仮面を外そうとする瞬間だったが、私はエルマからの質問に対して、少しだけ嘘をついていた。
確実に渡り烏の顔を見たわけではなかったが、しかし、仮面の下の暗闇に光る目は、透き通った水底を思わせるような、深い青色だったような気がしていた。例えるならば、そう、エルザ師匠の瞳のように。
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