魔女の弟子

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第7章 火継ぎの港街

火継ぎの港街③

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「ただいま。」

 正午を過ぎた辺りでエルマが帰ってきた。

「ラルフ君へのお礼もかねて、お姉さん頑張って来ちゃった!」

 エルマは誇らし気に腕を掲げてみせた。彼女の手には、立派なつがいの山鳥が狩りの成果として握られていた。

 「お腹空いてるところ悪いけど、さっそく料理にかかるからもう少し我慢してね。」

 「エルマ、料理なら私も手伝うよ。」

エルザ師匠の申し出に対して、エルマは手をひらひらと振って断った。

「エルザも休んでなさいよ。貴女、この2日間ほとんど寝ないでラルフ君の看病してたじゃない。」

そう言うと、さっさと山鳥の下処理にとりかかっていった。

 十分に休養をとった私は、エルザ師匠とベッドを交代し、エルマの料理を手伝うことにした。
 血抜きと、羽をむしる作業は、この3ヶ月間の山小屋生活で私も手慣れたものになっていた。
 エルマと私はかまどの前の小さな丸太に腰を並べながら、山鳥の焼け具合を確認しつつ雑談に興じていた。

 「ラルフ君はさ、」

 エルマは鳥に刺さった串を回しながら口を開いた。

「怖くなかったの?ミラルダや幽鬼(ファントム)たちが。そりゃ、私がピンチになったのが悪かったんだけど、私を助けるためにあいつらと戦おうと前に出るなんて、勇気あるなと思ってね。」

 私はミラルダとエルマの間に立ち、第三の目を開いて自らの暗い魂を召喚したときのことを思い出した。

「もちろん、怖かったですよ。でも、あの時は何とかしなきゃって気持ちの方が強かったですし、それに、エルマさんが死ぬ方がもっと怖かったですから。」

 こちらを見たエルマの黒曜石のような瞳のなかには、深い憂慮の色が見えた。

 「ラルフ君、君はとても強い心を持った人間だと思うわ。エルザが弟子として育てようと決めたのも納得できる。だけど、正直言うとね、幽鬼(ファントム)たちを打ち負かしたときの貴方は、とても普通の人間には見えなかった。あの時何が起こったかもよく理解できていないけど、君の中に、なにかとても恐ろしいものが潜んでいるように感じたの。」
 
 そう言うと、かまどの方に視線を戻した。

「詳しい話はエルザに聞くけど、君が受けている指導は普通じゃない。力と引き換えに、大切な何かを代償にしているように思えてならないの。」

 それきり、エルマは黙り込んで、調理に専念していた。
 
 森の中が夕闇に沈み始めたころ、私はようやく3日ぶりの食事にありつくことができた。
 エルマの手料理は山で採れたものを中心に、食卓の上を華やかに彩っていた。朝狩ったばかりの山鳥の香草焼きは、炭火で香ばしく焼き上げられた皮と、かぶりついた時に口に溢れる肉汁が絶妙な一品だった。その他にも、山菜とキノコの出汁がきいたスープ、小麦粉を練って、木の実を混ぜ込んだ薄焼きパン、山イチゴとハーブのジャムなど、思春期を迎えた私の旺盛な食欲を満たすには十分なボリュームがあった。

 食後、エルザ師匠とエルマは自家製の林檎酒を、私は野生の葉から作ったハーブティーをすすりながら、暖炉の中で踊る火を眺めていた。

 「ねぇ、エルザ。ラルフ君のことなんだけど、」

 エルマがいつになく真剣な口調で話し始めた。

「この子が持っている"不死人"の力って、いったいどんなものなの?私、何も聞かされてなかったけど、ミラルダはその"不死人"とやらの力を目当てに、ラルフ君を連れ去ろうとしていたのよ。」

 エルマは真っ直ぐエルザ師匠を見つめ直した。

「言えないことなら、これ以上は聞かない。だけど、私はラルフ君の持つ力がすごく不吉なものに思えてならないの。少しだけでもいいから、ラルフ君のこと、説明してくれないかしら。」

 エルザ師匠は杯をテーブルの上に置き直した。

「そうだな。まず、ラルフのことを何も話していなかったのは謝る。ラルフ本人の身の安全を思ってのことだったが、保護者のかわりを頼んだエルマに話していなかったのは、むしろ二人を危険にさらしてしまったようだ。」

 そう言うと、エルザ師匠は慎重に言葉を選ぶように、不死人と、その力についてエルマに説明を始めた。 
 エルマは手で口を押さえながら、真剣な様子でエルザ師匠の説明に聞き入っていた。

「つまり、不死人は、"魂(ソウル)の器であり、他者の魂(ソウル)を吸収する"力があるということなの?」

 エルマは私の方を見ながら呆然と呟いた。

「そうだ。ミラルダや幽鬼(ファントム)たちと交戦したときの様子はラルフからも聞いたが、どうやら、ラルフは自らの"暗い魂"の召喚に成功したようだ。ミラルダや幽鬼(ファントム)に対してダメージを与えたのは、暗い魂の特性の一つとされる、"吸精の業(わざ)"だろう。」

 エルザ師匠も横に座る私の方に目を向けて答えた。師匠の話し方はいつもと同じ、淡々とした語調だったが、瞳の中には一抹の不安の色が見えた気がした。
 私はあらためて、暗い魂をから伸びた腕が、ミラルダや幽鬼(ファントム)たちの魂(ソウル)の一部をもぎ取り、捕食した様子と、そのときの感触を思いだした。ヘドロを喉に無理やり突っ込まれたようなあの感覚は二度と味わいたくないおぞましいものだった。

「じゃあ、ラルフ君の中には、ミラルダや幽鬼(ファントム)たちの魂(ソウル)が取り込まれたってこと?そんなことして大丈夫なの?」

「一応、治癒魔法をかけるときに、ラルフの状態は確認した。魂(ソウル)の波形にわずかな乱れがあるが、今のところ、大きな異常は無さそうだ。」

「大きな異常は無いって言ったって、、、ラルフ君はあのミラルダの魂(ソウル)を吸収したのよ?普通の魔女ならともかく、自分の死を偽装するくらい、魂(ソウル)の操作に長けた魔女の魂なんか吸収したら、何が起こるかわかったものじゃないわ。」

 そう言うと、エルマはテーブル越しに両手で私の顔を挟み込み、目のなかをぐっと覗き込んできた。私の視界にはエルマの黒曜石のような瞳がいっぱいにひろがった。

「ラルフ君、本当に身体は大丈夫なの?いつもと違うところはない?」

「ありません、ただ…」

 私はエルマの手を顔から引き剥がした。どうにもエルマは人との距離感が近すぎる気がした。あくまでも個人的な感想だが、そういうところがあの陰湿な性格のミラルダと気が合わない理由の一つなのだろう。

「昨日、奇妙な夢を見ました。その…渡り烏が出てきた夢です。」

 「それは、お前がたまに見ると言っていた、故郷が炎に包まれている悪夢のことか?」

 エルザ師匠には私が時折みる夢のことを話していたが、夢の中の細かい情景について話したことは
なかった。

「そうです。ですが、今回の夢はいつもと違うところがありました。」

 私は夢の中で見た景色について、できる限り詳細に説明した。ミラルダや幽鬼(ファントム)たちの魂(ソウル)を吸収したことと関係しているかどうかはさておき、エルザ師匠もエルマも私の夢の中の話に真剣に耳を傾けていた。

 「巨大な灯台が立つ港街、か。」

  エルザ師匠が記憶を探るように宙を眺める一方で、エルマはまたテーブル越しに身を乗り出した。

「最後の場面だけど、結局渡り烏の素顔は見れたの?」

 私はわずかに迷ったが、首を横に振った。

「いえ、仮面が外れる直前に目を覚ましたので…」

 エルマものけぞりながら天井を眺めた。

「そっかぁ、もし素顔を見れてたら容疑者が絞り込めたかも知れないのになぁ…」

「エルマ、夢の中のことにこだわってもしょうがないだろう。ラルフ自身が実際に渡り烏の素顔を見たことがない以上、夢の中のやつの正体には意味が無いはずだ。」

エルマは口をへの字に曲げながら思案していた。
「うーん、それはそうなんだけど、でもラルフ君はミラルダの魂(ソウル)の一部を奪ったのでしょう?だったら、あいつの記憶情報の一部も一緒に取り込んでいて、夢の中でそれを見た、ということは考えられない?」

 エルマの考察はいささか以上に飛躍した話だったが、暗い魂が行ったこと自体が非常識的なことである以上、否定することもできなかった。
 エルザ師匠も同じ考えらしく、腕を組んで思案していた。

「あり得ないことではないかもな。それに、ラルフの言う、巨大な灯台が立つ港街は、この国に実在する街だ。もし、ラルフの見た景色がミラルダの記憶の一部だとすれば、渡り烏がその街に潜んでいる可能性があるかもしれん。」

 渡り烏の足跡に繋がる思わぬ考え方に、私もエルマも身を乗り出した。

「それはなんという街ですか?」

 エルザ師匠は自分の鞄から地図を取り出してテーブルの上に広げた。この国の国土全体が描かれた地図には、あちこちにメモが書き込まれ、使い込まれた形跡があった。
 エルザ師匠の形の良い指先が地図の上を滑り、王都から見て南方にある、沿岸の地名を指差した。

「『セント クラーナ』、またの名を『ポルト(港) クラーナ』。地元の人間が『火継ぎの港街』と呼ぶ、巨大な貿易都市だ。」
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