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がらんどうの口約束
しおりを挟む――ああ、これは夢だ。
がらんどうになったリビングの真ん中で、幼い舞花が泣きじゃくっている。これから引っ越しだ。舞花はこの慣れ親しんだ家を出て、姉と一緒に安いアパートへ移り住むことになっているから。
姉は笑って「何も心配ないよ」と言ってくれるけれど、舞花はちゃんと知っている。その細い肩が、ほんの僅かに、震えていたこと。夜中に父母の遺影の前で声を殺して泣いていることも。だから、舞花はどんな時も泣くわけにはいかなかったのに。
いよいよ涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった舞花の顔に、突然タオルハンカチが押し付けられた。
『……泣くなよ、まーちゃん』
『だっで……だっでぇ……っ』
顔面をタオル地で強く擦られ、鼻の下がひりひりする。いつもなら文句を言って、そこから少し喧嘩するところだ。けれど、もうヨシくんにこうやって世話を焼かれるのも最後なのだと思うと拭かれたそばから涙が溢れてくる。
喧嘩も仲直りも、お別れしたら二度とできない。
――寂しい。怖い。行きたくない。
一生懸命頑張っている姉に、そんな事言えるわけがない。舞花もとにかく明るく振る舞って、引っ越し準備も頑張った。
でも、思い出の詰まった家がからっぽになっていく様を見て、元気のハリボテが一気に崩れ落ちてしまった。
かつてないほど憔悴した舞花に何を思ったのか、ヨシくんが舞花の顔をのぞき込んでくる。
『泣くほど引っ越し嫌なら、そういえば良いだろ』
『うるさい』
言えるわけないでしょ、と睨みつけると、ヨシくんは少し考えて……ポン!とタオルハンカチを持った手を打った。
『……そんなに寂しいなら、俺がむかえに行ってやろうか!』
『……え、ほんと?』
彼の目の中に、泣きじゃくってぐちゃぐちゃの自分が映っている。お世辞にも綺麗とは言えない舞花の頬をタオルハンカチでゴシゴシ拭きつつ、ヨシくんはニカッと笑った。
『うん。そいで、ずっと一緒に遊ぼう。約束だ』
『約束……大丈夫かなー。ヨシくん忘れっぽいし』
『ひっでー! お前こそ俺のこと忘れんなよ』
『……忘れないよ』
夕日に照らされたがらんどうの部屋の中で、幼い二人が寄り添い合う。
その時、その瞬間だけは、父母への恋しさも、引っ越しへの不安も、姉への申し訳無さも……柔らかな温もりに溶けていった気がしたのだ。
他愛ない、子ども同士の口約束。
心の奥に仕舞い込んだ、ヨシくんの思い出。
――そんな、懐かしくて優しい夢を見て。
舞花は冒頭のような朝を迎えたのである。
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