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新婚旅行編

夜が明ける

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 妖精の国へ戻るのは本当に一瞬だった。ジルの背中に羽を返して、目の前がピカッと朱色に光ったと思ったら……いつの間にか、雲海の波打ち際に立っていたのだ。
 昔のようにふっ飛ばされたらどうしよう?と内心ヒヤヒヤしていただけに、ポルカはささやかな胸を撫で下ろす。

「……帰って、きた?」
「ああ」

 振り向けば、シエンテの街がある。沢山の空模様を描いた屋根で賑やかだった街並みも、夜明け前の薄闇に沈んでしまっていた。
 正面をむけば、地上では絶対にお目にかかれない雲の海が目の前に広がっている。

 ――ホントに、帰ってきたんだ。

 ポルカの足首を、泡のような雲の波がするすると擽ってゆく。お日様の下で見たときは何処までも真っ白だったのに、夜明けを待つ雲海は灰色がかって少し暗くどんよりとして見えた。
 雲海が立てる漣の音を聞きながら、ぼんやりと雲の流れを見ていると――少しずつ、空が白んでゆく。

 さっきまでどんよりして、深くて暗い灰色に沈んでいた雲の向こうが、朝日に照らされてゆっくりと色を変えた。
 紫、藍色、白、黄色、橙色……少し冷たい夜の色から、ほんのり温い朝の色へ。
 そして、変わっていく空の色に塗り替えられるみたいにして、雲海もまたゆっくりと、鮮やかに色を変える。

 やがて―――

「……夜が、明けたな」

 朝焼けの空が、灰色だった雲の海を鮮やかな朱色に染め上げてゆく。雲の水平線から顔を出した朝日のまぶしさに、ポルカは思わず目を細めた。
 妖精の国で見る朝日があんまり眩しいものだから、目玉がびっくりして涙が滲む。

 ころり ぽとり

 ひと粒、ふた粒、頬を伝って顎の先から、大粒の涙が零れ落ちてゆく。朝焼けに染まった空と雲海を見つめながら、ポルカはただただ涙を流していた。
 ジルは黙って太い指で拭うと、黙って震える肩を強く抱き寄せてくる。その不器用な優しさが染みて、もっと涙が溢れてくるのを止められない。

「下界は、もうとっくに……朝に、なったかな」
「……ああ」
「あの子達に、随分早起きさせちまったよ。見送りなんて良いって言ったのに……心配だねェ」
「……そうだな」
「ジャンは今日も仕事だって言ってたろ?ガルラも、あの子は体が一等物を言う仕事だろ?寝不足でヘマやらかさなけりゃ良いんだけど……ミゲルとサリアさんは……臨時休業にするらしいから安心だけど。ああでも、ジルコニアはしっかり二度寝してくれたかねェ」
「………………」

 ジルは、小さく震えるポルカを抱き締めて、ぶっきらぼうな返事をする。ポルカはたまらなくなって、ギュウっと抱きついて大きな胸に顔をうずめた。
 本格的にしゃくりあげ始めた背中を、無骨な手のひらが何度も何度も優しく撫で擦ってくれる。

「泣くな、ポルカ。絶対に、今度こそ俺がどうにかしてやる」
「ぅ、ぐ……っひぐ、う、うゔ……っ」
「まずは手紙を送れる魔法を探す。無けりゃ造るしよ。それで、ゆくゆくは顔だって見られるように、声出して話せるように……俺が、何とかしてやるから」

 逞しい胸板から顔を上げると、ジルがポルカを見下ろしていた。朝焼けを受けて燃えるように輝くその瞳は、何処までも真剣に……じっと、見つめている。
 人によっては睨まれているようにも感じるくらいの鋭さだ。でも、その鋭さが、ジルの本気を痛いくらい伝えてくれる。

「っほ、ホントに……!? そんな事まで出来るのかい!?」
「ああ、信じろ。前に言ったろ、俺は嘘はつかねぇってな」
「……アタシと、違って?」
「……それはもう言うな」
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