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新婚旅行編
綺麗な妖精の羽
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一方、時間をほんの少し巻き戻して。
ポルカは、ジャンが出ていった扉に手を伸ばしたまま呆然としていた。そんな母の様子に、二人の息子たちは各々気遣わしげな……そして申し訳なさそうな顔をしている。
「ご、ごめん母さん! ジャン兄さんが酷いことを」
「連れ戻す、から。……待ってて」
「――いや、いいよ。追いかけなくても、いい」
ジャンの目が、ポルカの頭にこびり付いて離れない。ポルカが一等好きな、ジルによく似た朝焼け色の瞳は、やりきれない怒りで燃えていた。反抗期ですらあんな目で見られたことはなかったのに……ジャンをそんな風にしてしまったのは、間違いなく何も言わずに消えたジルと、あの頃のジャンの気持ちに寄り添えなかったポルカのせいだ。
ジルがいなくなった時、兄弟で一番大きかったのはジャンだ。
父親と過ごした時間も、思い出もしっかり残っているからこそ、あんなにも怒っているんだろう。愛情が大きかった分、父親が消えた時どれだけ怒って、悲しんだことか。……どんな事情があったとしても、あの時のジャンの怒りや悲しみ、そして苦労はなくならない。
二度目の恋に浮かれて、その事に気が回らなかったなんて。
――くそっ!! 母親として、情けないよ……!
「今のは、アタシが悪い。ごめんよ、ジャンはアタシが自分で追いかけるから、アンタたちはここで待っ――」
ポルカが椅子から腰を上げた、その時だった。
ふわり
ふわ ふわり
ポルカの目の前に、綺麗なものが舞い降りてくる。向こう側が透けるほど薄いそれは、よくよく見れば葉脈のようなきめ細やかな模様が全体に伸びていて……まるで、蜻蛉の羽のような形をしていた。
思わず両手を差し出したポルカの手元へ、“それ”は吸い寄せられるように舞い落ちる。
ポルカの両腕を伸ばしたくらい大きさだというのに、鳥の羽よりも軽い。
それは薄く、滑らかで――ポルカが初めて触った時と変わらず綺麗な羽だった。
「こ、れ……ッジルの……っ」
忘れもしない。遠い昔にポルカが隠した、綺麗な綺麗な、ジルの羽。けれど、その根本に、鮮やかな紅い血が滴っている。
――ジル、ジルに何かあったんだ! 羽がもげるような何かが……!!
妖精にとって、魔力の源となる羽は急所だと言っていたのに。ジルは、もしかしてジルはもう……!
瞬間、ポルカは弾けるように椅子を蹴って駆け出した。何か出来るか分からないけど、居ても立ってもいられない。
――羽がもげたなら、ジルはまた……何処かに落っこちてるかもしれない!
ジルの羽を、潰さないように優しく抱きしめる。正直、ジルが下界へ落ちたとして何処に落ちたか見当もつかない。でも、ここに羽があるってことは、もしかしたらそう遠くない所に落っこちたのかもしれない。
「か、母さん!?」
「どうした、の。母さん?」
「顔が真っ青ですお義母さん! そのまま走ったら危ないです待って!!」
目を丸くした息子たちや義娘に目もくれず、狭い廊下を駆け玄関の扉へ走る。早く、早くジルを探し出さないと。前みたいに、怪我をして、倒れて動けなくなってるかもしれない……!
腕の中に『綺麗な妖精の羽』を抱えたまま、年季の入った玄関扉を体当たりする勢いで押し開け――
グニッ!
「あっ」
「ウグッ!!」
「へっ?……………えっ!?」
踏み込んだ足に違和感を感じて、慌てて足を上げる。そして、自分が思い切り踏んだ“それ”を見下ろして……ポルカの顔は、みるみる真っ青になっていった。何故か隣に座り込んだジャンが呆然と見上げているが、そこに気付く余裕はこの一瞬で山の向こうへ吹き飛んだ。
「じ……っ、ジルぅぅうううぅぅぅううう!!??」
黒い雲がすっかり消えた夜空の隅々まで、ポルカの叫び声が響き渡る。
玄関先に落ちていた――何故か背中が血まみれの夫を、ポルカは思い切り踏みつけていたのだった。
ポルカは、ジャンが出ていった扉に手を伸ばしたまま呆然としていた。そんな母の様子に、二人の息子たちは各々気遣わしげな……そして申し訳なさそうな顔をしている。
「ご、ごめん母さん! ジャン兄さんが酷いことを」
「連れ戻す、から。……待ってて」
「――いや、いいよ。追いかけなくても、いい」
ジャンの目が、ポルカの頭にこびり付いて離れない。ポルカが一等好きな、ジルによく似た朝焼け色の瞳は、やりきれない怒りで燃えていた。反抗期ですらあんな目で見られたことはなかったのに……ジャンをそんな風にしてしまったのは、間違いなく何も言わずに消えたジルと、あの頃のジャンの気持ちに寄り添えなかったポルカのせいだ。
ジルがいなくなった時、兄弟で一番大きかったのはジャンだ。
父親と過ごした時間も、思い出もしっかり残っているからこそ、あんなにも怒っているんだろう。愛情が大きかった分、父親が消えた時どれだけ怒って、悲しんだことか。……どんな事情があったとしても、あの時のジャンの怒りや悲しみ、そして苦労はなくならない。
二度目の恋に浮かれて、その事に気が回らなかったなんて。
――くそっ!! 母親として、情けないよ……!
「今のは、アタシが悪い。ごめんよ、ジャンはアタシが自分で追いかけるから、アンタたちはここで待っ――」
ポルカが椅子から腰を上げた、その時だった。
ふわり
ふわ ふわり
ポルカの目の前に、綺麗なものが舞い降りてくる。向こう側が透けるほど薄いそれは、よくよく見れば葉脈のようなきめ細やかな模様が全体に伸びていて……まるで、蜻蛉の羽のような形をしていた。
思わず両手を差し出したポルカの手元へ、“それ”は吸い寄せられるように舞い落ちる。
ポルカの両腕を伸ばしたくらい大きさだというのに、鳥の羽よりも軽い。
それは薄く、滑らかで――ポルカが初めて触った時と変わらず綺麗な羽だった。
「こ、れ……ッジルの……っ」
忘れもしない。遠い昔にポルカが隠した、綺麗な綺麗な、ジルの羽。けれど、その根本に、鮮やかな紅い血が滴っている。
――ジル、ジルに何かあったんだ! 羽がもげるような何かが……!!
妖精にとって、魔力の源となる羽は急所だと言っていたのに。ジルは、もしかしてジルはもう……!
瞬間、ポルカは弾けるように椅子を蹴って駆け出した。何か出来るか分からないけど、居ても立ってもいられない。
――羽がもげたなら、ジルはまた……何処かに落っこちてるかもしれない!
ジルの羽を、潰さないように優しく抱きしめる。正直、ジルが下界へ落ちたとして何処に落ちたか見当もつかない。でも、ここに羽があるってことは、もしかしたらそう遠くない所に落っこちたのかもしれない。
「か、母さん!?」
「どうした、の。母さん?」
「顔が真っ青ですお義母さん! そのまま走ったら危ないです待って!!」
目を丸くした息子たちや義娘に目もくれず、狭い廊下を駆け玄関の扉へ走る。早く、早くジルを探し出さないと。前みたいに、怪我をして、倒れて動けなくなってるかもしれない……!
腕の中に『綺麗な妖精の羽』を抱えたまま、年季の入った玄関扉を体当たりする勢いで押し開け――
グニッ!
「あっ」
「ウグッ!!」
「へっ?……………えっ!?」
踏み込んだ足に違和感を感じて、慌てて足を上げる。そして、自分が思い切り踏んだ“それ”を見下ろして……ポルカの顔は、みるみる真っ青になっていった。何故か隣に座り込んだジャンが呆然と見上げているが、そこに気付く余裕はこの一瞬で山の向こうへ吹き飛んだ。
「じ……っ、ジルぅぅうううぅぅぅううう!!??」
黒い雲がすっかり消えた夜空の隅々まで、ポルカの叫び声が響き渡る。
玄関先に落ちていた――何故か背中が血まみれの夫を、ポルカは思い切り踏みつけていたのだった。
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