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61 アピール作戦 6

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「見せて」

 ダウール様はフィーリアの目の前に立つと、髪の毛が絡まったネックレスに手を伸ばした。
 ネックレスを持つときにダウール様の手がフィーリアの肌に触れる。瞬間、その場所に心臓が移ったように肌が脈打つ。すぐに離れたのに、ドキドキが止まらなかった。
 これ……、思ったよりも恥ずかしい。
 思ってもみなかったほど近くて、絡まった様子を見るためなのか、ダウール様が顔を近づけた。
 うわあ、近い近い。
 一気に動揺してしまった。自分からお願いしたことだから、離れてとも言えない。

「結構絡まってるな」

 呟かれた言葉が耳元で囁かれたように近く感じて、心臓が跳ねた。

「そう?」

 動揺しているのを悟られないように答えた言葉は素っ気なくなってしまった。
 そんなフィーリアにも気付かないのか、ダウール様は真剣な顔をして絡まった髪の毛と格闘していた。
 その姿に動揺していた気持ちはすぐに落ち着いた。そう、恥ずかしがっている場合じゃない。一度目を閉じてからゆっくりとダウール様を見つめるために目を開いた。
 フィーリアの視界がダウール様の端整な顔立ちを捉えた。
  
 あ、まつげ結構長いんだ。
 鼻筋もすっとしてる。
 目も切れ長で、煉瓦色の瞳が意志の強さを表していた。
 
 呼吸する息がわかるほど間近で見たのは初めてだった。ダウール様と視線が合わないので、じっくりと観察する時間が思わぬところで出来てしまった。改めて見ても、女性に騒がれるのがわかる端整な顔立ちだった。
 観察しているとダウール様はふっと息を吐き、視線を上げた。そこでフィーリアが見つめていることに気付いたのか、ダウール様と視線が交わった。
 トクンとそれまで平静でいた心がまた脈打ち始めた。

 見つめ合うこと、体感で数十秒。
 身長差があるから上目遣いになっているはず。……というか上目遣いになっていて欲しい。
 見つめ続けること、体感で数十秒。
 ……このあとどうすればいいの?
 見つめたあとのことをなにも考えていなかったことに、今気付いた。背筋に冷や汗が流れる。
 突発的な思いつきで行動した結果、自分の状況を最悪なものにしていた。

 ど、どうしよう。
 困っていても今の状況の打開策が思い浮かばない。
 その間も、ダウール様はフィーリアを見つめ返してくれている。その瞳には何の感情も浮かんでないように見えた。

 今なにを思っているのかな?
 突然見つめ続けて不思議に思っているだろうか?
 なにも言ってくれないからわからない。

 見つめ合うこと、体感で数十秒。
 ああ、どうしよう……。
 終わりがわからない……。
 ダウール様の瞳にフィーリアの不安に揺れる顔が映っていた。懇願しているようにも見えて、その顔をダウール様に見られているのだと自覚した途端、急に恥ずかくなった。
 ダウール様に見られてる。見つめ合っている。その状況がとてつもなく恥ずかしくなった。
 恥ずかしい……。すぐにでも顔を手で覆ってしまいたい。
 けれど、上目遣いをしようとした理由を思い出すと今の自分が情けなくて、じわりと瞳が潤んだ。
 こんなことで泣きそうになるのも負けたようで悔しくて、目に力を入れて、今できる《見つめる》ということだけでもやり遂げようと頑張って見つめ続けた。
 その時ふっとダウール様の瞳の奥で揺れるものが見えた気がした。
 それが気になって見つめ返すと、フィーリアの希望に添うようにダウール様の瞳が近くなった。フィーリアは惹きつけられ、もっとよく見るために見つめ返した。

「ン、ン……」

 存在を主張するような咳払いに、フィーリアはハッとした。
 音のしたほうを見ると、ラマが苦い顔をして見つめていた。
 なにか拙いことをしたのだとわかってダウール様のほうを振り返ると、唇がぶつかるほど近くにダウール様の顔があって慌てて飛び退いた。

「っ……」

 キスしてしまうかと思った。それほどに近かったことに驚いて、今更ながらに顔が赤くなった。
 それを見たダウール様も手で口元を隠し、そっぽを向いてしまった。

「そろそろお食事を再開してください。冷めてしまいます」
「あ……、そうだね」
「……そうだな」

 ラマの注意に食事の途中だったことを思い出した。
 気まずげに視線を戻すと、ダウール様はフィーリアのほうに手を伸ばし、ネックレスに絡まっていた髪の毛を掬い取ると、梳くように何度か手を動かしたあと整えるように後ろに流した。

「ほら、解けた。……気を付けろよ」
「……ありがとう」

 ダウール様の仕草に、すでに騒がしかった鼓動がとどめを刺されたように激しく脈打った。
 フィーリアの思惑とは違って、ダウール様をドキドキされるどころか逆にフィーリアが打ち負かされてしまった。
 もう心臓が持ちそうもなかったので、かき込むように食べて、急き立てるようにダウール様を帰した。

 あー、あー、あー。情けない。不甲斐ない。
 自分がこういうことに不向きなのだと実感するには十分だった。



 翌日。勉強先から帰ってくると、ラマに来客があると告げられた。

「お帰り、フィー」
「フィーリア様、お邪魔しております」

 部屋に入ると自室のように寛いでいたクトラと優雅に座っているニルン様が待ち構えていた。

「クトラに、……ニルン様?」

 クトラだけだと思っていたフィーリアは、思わぬ人がいて驚いた。

「クトラ様に誘われまして。ご不在中だと存じておりましたが勝手にお邪魔してしまい申し訳ございません」
「いえいえ、ちょっと驚いただけですから。クトラが無理を言って連れて来たんでしょう?」

 ニルン様は椅子から立ち上がって謝罪の礼をしているのに、隣にいるクトラはいい笑顔で笑っている。悪びれない笑顔がフィーリアの言葉を肯定していた。無作法を申し訳なく思っているようだけれど、フィーリアとしてはクトラの我が儘に巻き込まれたニルン様に謝りたいくらいだった。

「それで? ダウールの反応はどうだったの? 昨日から気になって気になってしょうがなかったんだよね」

 早く座ってと言うように、椅子の座面を叩いて促される。
 クトラに促されるまま座ると、ニルン様も椅子に座り直した。
 その間にラマはフィーリアのお茶と二人のお茶を入れ直して、お菓子を用意した。
 早く、早く、待ちきれないよという視線をクトラから送られ、昨日の出来事を思い出して口を開く。

「失敗した、かな……」
「どこら辺が?」
「ええと、……あ、ニルン様は……」

 事情を知らないニルン様がいるんだったと視線を送れば、ニルン様はにこりと微笑んだ。

「存じ上げておりますわ。ダウール様をお好きだと気付かれたのでしょう?」
「……はい」

 綺麗すぎる笑顔にどう答えていいかわからず、結局頷くことしかできなかった。
 いつの間にか知られていたことがなんとなく後ろめたい。
 誰に聞いたんだろう……と考えなくても、クトラしかいないけど。

「でも、少し悲しかったのですよ?」

 悲しげに袖口で口元を隠してニルン様に見つめられた。

「クトラ様にはお話なされたのに、私には教えてくださらなかったのですもの。お友達だと思っていましたのに」
「お友達……」
「ええ、お友達のフィーリア様から直接教えていただきたかったですわ。こんな面白……素敵なこと」
「お友達」

 ニルン様のお友達という言葉に、フィーリアは激しく反応してしまった。

「はい。お友達ですわよね」

 ニルン様ににこりと微笑まれて、お友達だと言われて心が羽根が生えたように舞い上がった。
 お友達!
 クトラ以外の! 念願のっ! ……お友達ができたー!
 しかも相手からお友達ですわよねと言ってもらえて、フィーリアのテンションは一瞬で最高潮に達した。

「ニルン様がお友達。嬉しい!」
「まあ、そんなに喜んでいただけるなんて、こちらこそ嬉しいですわ」
「わたしも嬉しい! ニルン様がお友達だなんて!!」

 思い余って抱きつきそうな勢いのフィーリアの前に、クトラが手を差し出した。

「フィー! 落ち着いて。今気になるのはそこじゃないから」
「だって、クトラ。ニルン様がわたしをお友達だって言ってくれたんだよ?!」
「はいはい、そうだねー。よかったねー。だからとりあえず落ち着いて」
「クトラ、ひどい」

 一緒に喜んでくれないクトラに不満をぶつけると、一刀両断された。

「フィーの浮かれ具合がひどいからしょうがない」
「うっ……」
「ふふ」

 笑い声に、呆れられたかもと不安でニルン様を見ると、楽しそうに笑っていた。

「本当に仲がよろしいのですね。是非私も交ぜていただきたいですわ」
「もう入ってるでしょ」
「そう、だよ。もうお友達だもん」
「ありがとうございます。それでは私にも聞かせてくださいませ」

 にこりと微笑まれて、話の続きを促された。


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