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マークX
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目の前を一台の車が通り過ぎた。
トヨタ、ダークブルーのマークX。色鮮やかな、それでいて深みのある海のような美しいボディ。冷静かつ知的、どこまでも駈け抜けていきそうな凜としたフロントマスク。
高級感とやんちゃさを持ち合わせた、脳裏に浮かぶ持ち主のイメージにぴったり合う車は、私の人生の大切な日に、必ず目の前に現れる。
吹奏楽部の夏のコンクールのオーディションの日も、コンクール当日も、センター試験の日も、大学入試の日も、第一志望の合格発表日も。
その車を見ると、ドクドクと脈打っていた心臓は落ち着きを取り戻し、『やれることはやった。後は自信を持って一歩踏み出すだけだ』そんな気持ちが沸々と湧き上がってくる。私にとって守り神のような存在。
私がその車の持ち主に出会ったのは四年前。まだ中学三年生の頃だった。
都会でもなく、全くの田舎でもない、小さな街の吹奏楽部に所属していた私はその日、新しく着任する予定の音楽の先生を待っていた。
3年生8名、2年生10名の総勢18名。吹奏楽部としては人数の少ない、例年地区大会負けの弱小バンド。それでも私たちは全国大会を夢見て日々練習に励んでいた。
「初めまして、石崎です」
やってきた先生は再任用の教師だった。白髪の交じった髪にピンク色のワイシャツとグレーのスラックスに身を包み、先生は指揮台に立った。
地元で有名な音楽の教師で、以前勤めていた学校の吹奏楽部は全国大会に出場し、3年連続で金賞を受賞していた。つまり、石崎先生は全国大会を目指す私たちにとって夢を現実にするための唯一の希望だった。
「とりあえず、何でもいいから一曲吹いてみろ」
挨拶もそこそこに石崎先生はいきなりそう言った。
突然の出来事にみんなで顔を見合わせる。ピリピリとした空気の中、とりあえず最近新入生オリエンテーションのために練習をしている人気男性グループのポップスを演奏することに決めた。
「下手クソ。いもくさい。まず楽譜通りにすら吹けてない。そんなんで誰に聞かせるんだよ。今の聞いて入りたいって思う一年なんて一人もいないぞ」
演奏が終わった瞬間、降ってきたのはそんな言葉のオンパレード。
怒濤の勢いで石崎先生から指示が飛ぶ。音程、発音、音の吹き方、切り方、合わせ方、歌い方ーー。
高度な技は何も無い。ほとんどが基本中の基本。それか、直ぐにできるような簡単なテクニック。
ひとしきり注意が終わったところで、石崎先生は鞄から指揮棒を取り出してすっと構える。
音楽室がしんっと静まりかえる。
今までにない独特の雰囲気。いつもの和気藹々とした楽しい空気はとっくの昔に何処かへ消えた。
指揮棒が振られると同時に楽器が鳴り出す。
音楽が流れ出すーー。
演奏者が変わったわけでも、何日もかけて練習したわけでもない。
たった数分、いくつかの指示をされただけ。それだけのはずなのに、この人が、石崎先生が指揮を振ると『音楽』が流れる。
音に推進力が増す。
もちろん、楽器の腕は未熟なままだ。荒削りで決して上手いとは言えない。それでも10分前に吹いた曲と同じだとは思えないような迫力と流れ。
吹き終わった後には、その数分が一瞬のようにも、何時間も経っていたかのようにも感じられた。
それから忙しい日々が始まった。現在春休み中。学校が始まるまであと1週間。
まず、休日は毎回夕方までびっしり練習していたのが、お昼までに変更された。
石崎先生曰く、「ダラダラと何時間やったって無駄だ。学生の本分は学業なんだから、部活は短時間で集中的にやれ」と。
また、毎週水曜日に設定されていた自主練や自由参加だった平日の朝練も廃止された。「やるならやる、やらないならやらない、どっちかにしろ」だそうだ。
なのに、なぜか今までの何倍も忙しい
1週間、石崎先生と一緒に部活をしてわかったことがいくつかある。
石崎先生は口が悪い。ポンポンと『教師』という職にいる者が生徒の前で口に出してはいけないような言葉が出てくる。休憩時間には「たばこ吸ってくる」と言って校舎から出て行くし、何ならほかの先生たちの悪口さえも平気で言う。
教師という枠からは外れた、とても人間くさい人。
誰よりも音楽のことを考え、生徒のこと見ていないようでよく見ている人。
下手に綺麗事を言う人より、ずっと信頼、尊敬できる人。
それが私が受けた印象だった。
まぁ、悪口に関しては単純にその先生が嫌いだというだけかも知れないが。
初めて言われたことはその場でできなくてもあまり言わない。でも、翌日の合奏までにできていないとボロクソに言われる。
練習時間は減った。だが密度は上がった。課題も増えた。尋常じゃないほどに。
ボロクソに言われないようにしようとしたら楽器を持ち帰って家でひたすら練習するしかない。春休みの今は朝早めに学校に行って練習するのも可能だが、朝練廃止になったため、学校が始まってしまったら圧倒的に時間が足りない。
けど、楽しい。
のんびりと、馴れ合ってワイワイやるのも楽しかったけれど、そこにはなかった、違った楽しさここにはがある。
そんな毎日に私はワクワクしていた。
新学期が始まり、新入生が入ってくる。
入学式が終わり、オリエンテーションが終わり、石崎先生発案の音楽室でのミニコンサートが終わった。石崎先生はたった1週間で入学式の入退場のマーチとオリエンテーションでの部活紹介のポップスだけでなく、音楽室でのミニコンサートで演奏するための5曲まで完成させた。
入ってきた1年生は12人。ここ数年で1番の人数。後々聞くとミニコンサートの影響が大きかったらしい。
総勢30名になった私たちは夏のコンクールに向けて走り出した。
曲は運動会でよく流れるあの曲を作曲したクラッシックの作曲家のオペラの1曲。
木管楽器のアンサンブルから始まりユーフォニアムのソロ、金管楽器の華やかなメロディーへと続く美しい楽曲。
毎日、毎日、毎日、毎日、その曲を吹きまくる。
怒られて、怒鳴られて、呆れられて、罵られて、でも私もみんなも不思議とムカつくことは無かった。この先生は自分たちの夢のために指導してくれているのだから。どんなに怒られてもそれだけは揺らがなかったから。
一学期が過ぎ、夏休みに突入し、ホール練習が始まる。
昨年までとは比べものにならない出来。
「これなら今年こそは」
誰もがそう思っていた。
そんな中ぶっ込まれた言葉は相変わらず厳しい物だった。
「おまえら、なに気緩んでんだよ。確かに4月よりは上手くなったかもしれない。でも、全国いきたいんだろ?全国にはうちのバンドよりレベルの高いとこなんて沢山いるぞ?こんなんで満足してるんじゃ絶対に全国なんて行けやしない。まぁ、これぐらいでいいってお前らが言うなら俺は別にとめないけどな。全国大会は俺の夢じゃない。行きたいって言ったのはお前らだ」
愕然とした。
なんとなく、いつもより頑張って、なんとなく、いつもよりいけるんじゃないかって思っていた。
そんな自分が恥ずかしかった。みんなも同じようだった。
ぎゅっと唇を噛みしめて自身に活を入れる。
どれだけ頑張っても届かないかもしれない。辛いだけで終わってしまうかもしれない。でも、後悔だけはしたくなかった。
何処かのマンガで「青春全部賭けても叶わない」そんな台詞があった。
叶わないかも知れない。でも賭けなかったら、100%後悔する。それだけは確かだった。
結果として私たちは地区大会を突破し、県大会で実力を出し切って、最高の演奏をして、負けた。
悔いはなかった。
『努力は必ず報われる』その言葉には一片の真実があると思う。
努力は、確かに報われる。でも、『努力した分』しか報われない。
『なんとなくやった努力』は報われることはない。
私たちの努力は多く見積って半年。全然足りるわけがなかった。
数ヶ月後、卒業と同時に私は家の都合で地元を出た。
石崎先生は、その後も中学に残り、後輩たちの指導に当たった。
相変わらずの口の悪さと、指導力で。
あっと言う間に、2年の時が経った。
ピコン
メッセージの着信をスマホが知らせた。
もうずいぶん何のやりとりもなされていなかった、中学時代の吹奏楽部のグループメッセージ。
『8月18日、午後14時20分、石崎先生が亡くなりました』
思考が、停止した。
たった1文。
何度読んでも、内容が頭に入ってこない。
理解が、出来ない。
信じられない、信じたくない、そんな思いが募る。
石崎先生が癌に侵されていると言うことは聞いていた。春頃に脳に腫瘍が見つかり、手術したことも、全身7カ所に転移していることも、肺に転移したものが大きく、入院して抗がん剤の治療をしていることも、県大会で指揮を振るために、部活に戻ろうと頑張っていることも。
長くはないかもしれない、覚悟はしていた。数週間前に久しぶりに帰省をしたとき誰も口には出さなかったが、みんながそう思っていた。
臨時で指揮を振っていた石崎先生懇意の先生が言っている言葉の端々ににじむ厳しさを、おそらくみんな感じていた。
でも、でも、それにしても、早すぎる。
何分か後に、いや、数秒だったかもしれないが、私の脳は急速に回転を始めた。
まずは地元にいる友達に電話をして葬儀の日程を確認。旅行用のカートに制服と数日分の着替えを詰め込んで家を飛び出した。
電車の中で飛行機のチケットを取り空港へ向かう。
明日は部活があるとか、親への連絡とか、当日のチケット代は高いとか、そんなことは頭になかった。
行かなくちゃいけない。行かないと一生後悔する。それだけが頭に中にあった。
飛行機の中で私は一通の手紙を書いた。
空港で買った真っ白な便箋に、ただただ、自分の思いを書き尽くした。
石崎先生に教わったこと、もっともっと一緒に音楽を奏でたかったこと、あの1年が自分にとってどれほど素晴らしいものだったか、どれだけ先生が大好きで、尊敬しているか、そして今の自分の決意。
その手紙は今でも机の奥に大切にしまわれている。
沢山の思い出と、あの日々を写した写真とともにーー。
ガラガラとキャリーバッグを引きずりながら懐かしい道のりを歩いて行く。背中にはお小遣いを貯めて買ったサックスがワインレッドの綺麗なケースに入って鎮座している。
ジリジリと太陽がアスファルトを焼く夏の1日。
あの日も、石崎先生が亡くなった日も、こんな暑さだった。
あの日から、1年ぶりとなる帰省。何も言わずに飛行機に飛び乗ったことは後でめちゃくちゃ親に叱られた。せめてメッセージの1つでもしてから行けと。
ついでに言うと滞在地も決めずに突っ走ったため、地元の駅で私は途方に暮れた。翌日に控えるお通夜まで過ごす場所がどこにもなかったからだ。ちなみに私の地元にホテルなどという物は存在しなかった。
今回はしっかりと滞在地を決めて帰ってきている。前回急な出来事にもかかわらず泊めてくれたあの頃の仲間の家。
1年前、彼女は駅で途方に暮れていた私に「やっぱり居た!」と言って駆け寄ってきた。葬儀の日程を確認した時に「今から行く」と言った私の言葉から、大体の時間を推測し、駅まで迎えに来てくれた。
「この辺ホテルなんてないのに今から帰るって言ってたから、泊まるところないと思って」
と、彼女は笑った。
その晩、私たちは中学時代の定期演奏会のDVDを見て夜通し泣いた。
今回も帰ると言ったときから、「もちろん泊まっていくでしょ?」と彼女は言った。彼女の家族も温かく迎え入れてくれた。
当時の通学路をゆったりと歩きながら私はあの頃に思いを馳せる。
もうすぐあの仲間達に会える。
一周忌となる明日、懐かしのホールで追悼演奏会が行われる。企画したのは吹奏楽にまるで興味がなく所謂サラリーマン先生だったはずの副顧問。
きっとこの先生を変えたのも石崎先生なのだろう。生徒の前ではまるで仮面を被っているようで、感情なんて出さなかった先生が葬儀では人目を憚らずに泣いていた。
私が現役だった頃はそこまでの変化はなかったから、それからの2年で何か思うところがあったのだろう。この先生もいつか石崎先生のように尊敬される良い教師になる。なんとなく、そんな気がした。
数ヶ月前、突然送られてきた楽譜には思い出の曲が詰まっていた。コンクール、文化祭、定期演奏会、どれも石崎先生の指揮で演奏した物ばかりだった。
楽譜とともに入っていた手紙には追悼演奏会への招待、それから副顧問と一緒に企画をしていた当時の仲間からの「待ってるね!」というメッセージだった。
副顧問の呼びかけで集まったのは、石崎先生に教わったあのときのメンバーが全員。その中には今は既に吹奏楽を辞めている人までいた。
練習時間も少なく、たった1回のリハーサルだけの演奏会。
まともに音楽になるのかどうかわからない。
でも、きっとあの頃の音楽がそこにある。荒削りでとても美しいとは言えないかも知れないが、確かに思いのこもったあの頃と変わらない音楽がーー。
そして先生が聴いていたらこう言われるのだ。
「下手クソ」と。
その時、目の前を一台の車が通り過ぎた。
石崎先生の愛車、トヨタ、ダークブルーのマークX。私の大切な日に必ず現れるあの車。
先生のはずはない。ちゃんと、あの日お別れをしたのだから。仲間たちと抱き合って、泣いて、泣いて、それでも笑って別れたのだから。
ただの偶然。それか会いたいと思う気持ちが見せた錯覚。
それでいい。それでもいい。偶然でも、錯覚でも……。
先生が見に来てくれている。そう思えるだけで良い。
「さてと」
さあ、懐かしのホールに向かおう。
仲間達と先生が待っているはずだから。
先生、先生の生徒であることが私の誇りです。
いつか先生に『よくやったな』と言ってもらえるような、先生に胸を張れる生き方をします。
トヨタ、ダークブルーのマークX。色鮮やかな、それでいて深みのある海のような美しいボディ。冷静かつ知的、どこまでも駈け抜けていきそうな凜としたフロントマスク。
高級感とやんちゃさを持ち合わせた、脳裏に浮かぶ持ち主のイメージにぴったり合う車は、私の人生の大切な日に、必ず目の前に現れる。
吹奏楽部の夏のコンクールのオーディションの日も、コンクール当日も、センター試験の日も、大学入試の日も、第一志望の合格発表日も。
その車を見ると、ドクドクと脈打っていた心臓は落ち着きを取り戻し、『やれることはやった。後は自信を持って一歩踏み出すだけだ』そんな気持ちが沸々と湧き上がってくる。私にとって守り神のような存在。
私がその車の持ち主に出会ったのは四年前。まだ中学三年生の頃だった。
都会でもなく、全くの田舎でもない、小さな街の吹奏楽部に所属していた私はその日、新しく着任する予定の音楽の先生を待っていた。
3年生8名、2年生10名の総勢18名。吹奏楽部としては人数の少ない、例年地区大会負けの弱小バンド。それでも私たちは全国大会を夢見て日々練習に励んでいた。
「初めまして、石崎です」
やってきた先生は再任用の教師だった。白髪の交じった髪にピンク色のワイシャツとグレーのスラックスに身を包み、先生は指揮台に立った。
地元で有名な音楽の教師で、以前勤めていた学校の吹奏楽部は全国大会に出場し、3年連続で金賞を受賞していた。つまり、石崎先生は全国大会を目指す私たちにとって夢を現実にするための唯一の希望だった。
「とりあえず、何でもいいから一曲吹いてみろ」
挨拶もそこそこに石崎先生はいきなりそう言った。
突然の出来事にみんなで顔を見合わせる。ピリピリとした空気の中、とりあえず最近新入生オリエンテーションのために練習をしている人気男性グループのポップスを演奏することに決めた。
「下手クソ。いもくさい。まず楽譜通りにすら吹けてない。そんなんで誰に聞かせるんだよ。今の聞いて入りたいって思う一年なんて一人もいないぞ」
演奏が終わった瞬間、降ってきたのはそんな言葉のオンパレード。
怒濤の勢いで石崎先生から指示が飛ぶ。音程、発音、音の吹き方、切り方、合わせ方、歌い方ーー。
高度な技は何も無い。ほとんどが基本中の基本。それか、直ぐにできるような簡単なテクニック。
ひとしきり注意が終わったところで、石崎先生は鞄から指揮棒を取り出してすっと構える。
音楽室がしんっと静まりかえる。
今までにない独特の雰囲気。いつもの和気藹々とした楽しい空気はとっくの昔に何処かへ消えた。
指揮棒が振られると同時に楽器が鳴り出す。
音楽が流れ出すーー。
演奏者が変わったわけでも、何日もかけて練習したわけでもない。
たった数分、いくつかの指示をされただけ。それだけのはずなのに、この人が、石崎先生が指揮を振ると『音楽』が流れる。
音に推進力が増す。
もちろん、楽器の腕は未熟なままだ。荒削りで決して上手いとは言えない。それでも10分前に吹いた曲と同じだとは思えないような迫力と流れ。
吹き終わった後には、その数分が一瞬のようにも、何時間も経っていたかのようにも感じられた。
それから忙しい日々が始まった。現在春休み中。学校が始まるまであと1週間。
まず、休日は毎回夕方までびっしり練習していたのが、お昼までに変更された。
石崎先生曰く、「ダラダラと何時間やったって無駄だ。学生の本分は学業なんだから、部活は短時間で集中的にやれ」と。
また、毎週水曜日に設定されていた自主練や自由参加だった平日の朝練も廃止された。「やるならやる、やらないならやらない、どっちかにしろ」だそうだ。
なのに、なぜか今までの何倍も忙しい
1週間、石崎先生と一緒に部活をしてわかったことがいくつかある。
石崎先生は口が悪い。ポンポンと『教師』という職にいる者が生徒の前で口に出してはいけないような言葉が出てくる。休憩時間には「たばこ吸ってくる」と言って校舎から出て行くし、何ならほかの先生たちの悪口さえも平気で言う。
教師という枠からは外れた、とても人間くさい人。
誰よりも音楽のことを考え、生徒のこと見ていないようでよく見ている人。
下手に綺麗事を言う人より、ずっと信頼、尊敬できる人。
それが私が受けた印象だった。
まぁ、悪口に関しては単純にその先生が嫌いだというだけかも知れないが。
初めて言われたことはその場でできなくてもあまり言わない。でも、翌日の合奏までにできていないとボロクソに言われる。
練習時間は減った。だが密度は上がった。課題も増えた。尋常じゃないほどに。
ボロクソに言われないようにしようとしたら楽器を持ち帰って家でひたすら練習するしかない。春休みの今は朝早めに学校に行って練習するのも可能だが、朝練廃止になったため、学校が始まってしまったら圧倒的に時間が足りない。
けど、楽しい。
のんびりと、馴れ合ってワイワイやるのも楽しかったけれど、そこにはなかった、違った楽しさここにはがある。
そんな毎日に私はワクワクしていた。
新学期が始まり、新入生が入ってくる。
入学式が終わり、オリエンテーションが終わり、石崎先生発案の音楽室でのミニコンサートが終わった。石崎先生はたった1週間で入学式の入退場のマーチとオリエンテーションでの部活紹介のポップスだけでなく、音楽室でのミニコンサートで演奏するための5曲まで完成させた。
入ってきた1年生は12人。ここ数年で1番の人数。後々聞くとミニコンサートの影響が大きかったらしい。
総勢30名になった私たちは夏のコンクールに向けて走り出した。
曲は運動会でよく流れるあの曲を作曲したクラッシックの作曲家のオペラの1曲。
木管楽器のアンサンブルから始まりユーフォニアムのソロ、金管楽器の華やかなメロディーへと続く美しい楽曲。
毎日、毎日、毎日、毎日、その曲を吹きまくる。
怒られて、怒鳴られて、呆れられて、罵られて、でも私もみんなも不思議とムカつくことは無かった。この先生は自分たちの夢のために指導してくれているのだから。どんなに怒られてもそれだけは揺らがなかったから。
一学期が過ぎ、夏休みに突入し、ホール練習が始まる。
昨年までとは比べものにならない出来。
「これなら今年こそは」
誰もがそう思っていた。
そんな中ぶっ込まれた言葉は相変わらず厳しい物だった。
「おまえら、なに気緩んでんだよ。確かに4月よりは上手くなったかもしれない。でも、全国いきたいんだろ?全国にはうちのバンドよりレベルの高いとこなんて沢山いるぞ?こんなんで満足してるんじゃ絶対に全国なんて行けやしない。まぁ、これぐらいでいいってお前らが言うなら俺は別にとめないけどな。全国大会は俺の夢じゃない。行きたいって言ったのはお前らだ」
愕然とした。
なんとなく、いつもより頑張って、なんとなく、いつもよりいけるんじゃないかって思っていた。
そんな自分が恥ずかしかった。みんなも同じようだった。
ぎゅっと唇を噛みしめて自身に活を入れる。
どれだけ頑張っても届かないかもしれない。辛いだけで終わってしまうかもしれない。でも、後悔だけはしたくなかった。
何処かのマンガで「青春全部賭けても叶わない」そんな台詞があった。
叶わないかも知れない。でも賭けなかったら、100%後悔する。それだけは確かだった。
結果として私たちは地区大会を突破し、県大会で実力を出し切って、最高の演奏をして、負けた。
悔いはなかった。
『努力は必ず報われる』その言葉には一片の真実があると思う。
努力は、確かに報われる。でも、『努力した分』しか報われない。
『なんとなくやった努力』は報われることはない。
私たちの努力は多く見積って半年。全然足りるわけがなかった。
数ヶ月後、卒業と同時に私は家の都合で地元を出た。
石崎先生は、その後も中学に残り、後輩たちの指導に当たった。
相変わらずの口の悪さと、指導力で。
あっと言う間に、2年の時が経った。
ピコン
メッセージの着信をスマホが知らせた。
もうずいぶん何のやりとりもなされていなかった、中学時代の吹奏楽部のグループメッセージ。
『8月18日、午後14時20分、石崎先生が亡くなりました』
思考が、停止した。
たった1文。
何度読んでも、内容が頭に入ってこない。
理解が、出来ない。
信じられない、信じたくない、そんな思いが募る。
石崎先生が癌に侵されていると言うことは聞いていた。春頃に脳に腫瘍が見つかり、手術したことも、全身7カ所に転移していることも、肺に転移したものが大きく、入院して抗がん剤の治療をしていることも、県大会で指揮を振るために、部活に戻ろうと頑張っていることも。
長くはないかもしれない、覚悟はしていた。数週間前に久しぶりに帰省をしたとき誰も口には出さなかったが、みんながそう思っていた。
臨時で指揮を振っていた石崎先生懇意の先生が言っている言葉の端々ににじむ厳しさを、おそらくみんな感じていた。
でも、でも、それにしても、早すぎる。
何分か後に、いや、数秒だったかもしれないが、私の脳は急速に回転を始めた。
まずは地元にいる友達に電話をして葬儀の日程を確認。旅行用のカートに制服と数日分の着替えを詰め込んで家を飛び出した。
電車の中で飛行機のチケットを取り空港へ向かう。
明日は部活があるとか、親への連絡とか、当日のチケット代は高いとか、そんなことは頭になかった。
行かなくちゃいけない。行かないと一生後悔する。それだけが頭に中にあった。
飛行機の中で私は一通の手紙を書いた。
空港で買った真っ白な便箋に、ただただ、自分の思いを書き尽くした。
石崎先生に教わったこと、もっともっと一緒に音楽を奏でたかったこと、あの1年が自分にとってどれほど素晴らしいものだったか、どれだけ先生が大好きで、尊敬しているか、そして今の自分の決意。
その手紙は今でも机の奥に大切にしまわれている。
沢山の思い出と、あの日々を写した写真とともにーー。
ガラガラとキャリーバッグを引きずりながら懐かしい道のりを歩いて行く。背中にはお小遣いを貯めて買ったサックスがワインレッドの綺麗なケースに入って鎮座している。
ジリジリと太陽がアスファルトを焼く夏の1日。
あの日も、石崎先生が亡くなった日も、こんな暑さだった。
あの日から、1年ぶりとなる帰省。何も言わずに飛行機に飛び乗ったことは後でめちゃくちゃ親に叱られた。せめてメッセージの1つでもしてから行けと。
ついでに言うと滞在地も決めずに突っ走ったため、地元の駅で私は途方に暮れた。翌日に控えるお通夜まで過ごす場所がどこにもなかったからだ。ちなみに私の地元にホテルなどという物は存在しなかった。
今回はしっかりと滞在地を決めて帰ってきている。前回急な出来事にもかかわらず泊めてくれたあの頃の仲間の家。
1年前、彼女は駅で途方に暮れていた私に「やっぱり居た!」と言って駆け寄ってきた。葬儀の日程を確認した時に「今から行く」と言った私の言葉から、大体の時間を推測し、駅まで迎えに来てくれた。
「この辺ホテルなんてないのに今から帰るって言ってたから、泊まるところないと思って」
と、彼女は笑った。
その晩、私たちは中学時代の定期演奏会のDVDを見て夜通し泣いた。
今回も帰ると言ったときから、「もちろん泊まっていくでしょ?」と彼女は言った。彼女の家族も温かく迎え入れてくれた。
当時の通学路をゆったりと歩きながら私はあの頃に思いを馳せる。
もうすぐあの仲間達に会える。
一周忌となる明日、懐かしのホールで追悼演奏会が行われる。企画したのは吹奏楽にまるで興味がなく所謂サラリーマン先生だったはずの副顧問。
きっとこの先生を変えたのも石崎先生なのだろう。生徒の前ではまるで仮面を被っているようで、感情なんて出さなかった先生が葬儀では人目を憚らずに泣いていた。
私が現役だった頃はそこまでの変化はなかったから、それからの2年で何か思うところがあったのだろう。この先生もいつか石崎先生のように尊敬される良い教師になる。なんとなく、そんな気がした。
数ヶ月前、突然送られてきた楽譜には思い出の曲が詰まっていた。コンクール、文化祭、定期演奏会、どれも石崎先生の指揮で演奏した物ばかりだった。
楽譜とともに入っていた手紙には追悼演奏会への招待、それから副顧問と一緒に企画をしていた当時の仲間からの「待ってるね!」というメッセージだった。
副顧問の呼びかけで集まったのは、石崎先生に教わったあのときのメンバーが全員。その中には今は既に吹奏楽を辞めている人までいた。
練習時間も少なく、たった1回のリハーサルだけの演奏会。
まともに音楽になるのかどうかわからない。
でも、きっとあの頃の音楽がそこにある。荒削りでとても美しいとは言えないかも知れないが、確かに思いのこもったあの頃と変わらない音楽がーー。
そして先生が聴いていたらこう言われるのだ。
「下手クソ」と。
その時、目の前を一台の車が通り過ぎた。
石崎先生の愛車、トヨタ、ダークブルーのマークX。私の大切な日に必ず現れるあの車。
先生のはずはない。ちゃんと、あの日お別れをしたのだから。仲間たちと抱き合って、泣いて、泣いて、それでも笑って別れたのだから。
ただの偶然。それか会いたいと思う気持ちが見せた錯覚。
それでいい。それでもいい。偶然でも、錯覚でも……。
先生が見に来てくれている。そう思えるだけで良い。
「さてと」
さあ、懐かしのホールに向かおう。
仲間達と先生が待っているはずだから。
先生、先生の生徒であることが私の誇りです。
いつか先生に『よくやったな』と言ってもらえるような、先生に胸を張れる生き方をします。
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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