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39・英雄と聖女と今日のわんこ
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馬車が神殿に到着するまでの間、これからファルコを通わせる騎士養成教室について、バアル様に、少しでも詳しくうかがうことにした。
…2人きりになって、少し気まずかったからでは断じてない。
あくまでもファルコの親代わりとして必要な知識だからだ。
「私が見習い騎士として通っていたのは、もう30年近く昔の話ですから、細かい部分はいくらか違っているところもありましょうが…」
と言いながらもバアル様は、時々記憶を辿るように、考えながら答えてくれた。
城内で実際に授業が行われる部屋は、騎士団に充てがわれている棟の中でも奥まった、割とややこしい場所にあること(先に聞いておいて良かった)。
訓練場は主に騎士の皆さんが使う時間が大半で、見習いに開放される時間はそれほど多くないこと。
見習いのうちは実戦より騎士の精神を教える方がより重要なので、座学の授業が大半だからそれで充分であること。などなど。
「見習い騎士はまず、この国の歴史と文化についてから理解する必要があります。」
「将来的に自分が守る国への理解を深める事によって愛国心を育て、守るという意識を明確にする…という考え方ですよね。
私も、ファルコにはまず、歴史から教えましたわ。」
「その通りです。なるほど。
ならば、心得は出来ていらっしゃる?」
知識が充分であれば段階を飛ばして、次のステップの授業から入ってもいいのだと助言をくれるバアル様に、私は首を横に振る。
「私どもで知識は入れたものの、まだ実感は伴っていないと思います。
ファルコはまだ子供で、世界が狭いのです。
今は、私に誉められるために頑張ってくれていますが、それではいずれ限界が来ます。
目的意識のない努力は、時に己の方向性を見失うものですから。
是非、最初からお願いいたしますわ。」
『イエ国』のファルコは、他の攻略対象との交流はあったものの、基本的にはマリエル1人の世界で完結していた。
あれは恋愛ゲームだからそれで良かったかもしれないが、今のこの世界は画面の中ではない、登場人物ひとりひとりに血の通った、紛れもない現実だ。
ファルコにはたくさんの人との交流と、それに伴うたくさんの経験を積んでもらわねばならない。
彼はこれから、勇者として育ちその力を得る。
そして力とは、心が伴わなければ、正しく奮う事はできないのだ。
「…わかりました。では、そのように。
貴女はファルコ殿の事を、我が子のように想っていらっしゃるのですね。
ならば私も、教官としてだけではなく、父親のような気持ちをもって挑まねばなりますまい。」
…ちょっと話が怪しい方向へ行ったのはともかく。
ひとまず揃えなければならない必要なものについては、ひと通り口頭で教えてくださった後、
「念の為、前任の教官にも確認してリストを作って、今日の夕方には神殿に届けて貰う事にします。
こちらで書いたものがあった方が安心でしょうから。」
と約束してくれた。
「本来は近衛騎士団の制服着用が規則なのですが、ファルコ殿の場合は、そちらで用意できる騎士服で結構です。
…その点については、今のタイミングが幸いといいますか。
先のバルゴ王国との会談の後、かの国からの好意で派遣された傭兵隊の、希望する者がやはり明日から参加する予定である為、異装であっても悪目立ちすることはありますまい。」
……ん?バルゴ王国からの傭兵?それって……
そうこうするうち、馬車は神殿に到着した。
この後そのまま王宮へと向かう筈のバアル様が、先に馬車の外に出る。
そうしてからこちらに差し伸べられた大きな手に導かれて、私は数日ぶりに神殿の門の前に立った。
「では、明日は彼と共に、私も王宮へ伺います。」
「騎士団総出でお待ちしております。聖女殿。」
「そこまでしなくて結構です!」
そんな軽口を交わした後、バアル様は再び馬車に乗り込む。
すぐに発車したその馬車が、曲がり角で見えなくなるまで、私はその姿を見送っていた。
☆☆☆
…馬車が神殿に到着し、待ちかねていた姿がそこから見えると、僕は我慢できずにその側まで駆け寄……ることはしなかった。
駆け寄りたいのは間違いないが、彼女はこういう事に意外とうるさいのだ。
子供みたいに駆け寄ったら、『紳士のふるまいじゃないわ』なんて言われるに決まってる。
彼女になら、叱られるのも嫌いじゃないけど、微笑んでくれるならそれが一番だから。
代わりに、開いた扉の側に誰よりも早足で歩み寄り、手を差し出すつもりだった。
紳士であれば、淑女が馬車を降りる時に手を貸すのは当然のことだと、彼女から教えられたから。
…けどその馬車から、先に降りた大きな身体の、見覚えのある男性が、後から続く彼女の手を取って馬車から連れ出した時、その流れるような所作に目を瞠り、思わず足を止めて見つめてしまった。
バアル・イルージオという名のその人とは、先日の王城奪還の時に共に行動していた。
後から聞いた話では、この国では『英雄』と呼ばれるひとなのだという。
その『英雄』が、彼女と近い距離で何やら言葉を交わした後、再び馬車に乗って去っていき、残された彼女がそれを見送る。
その姿が通りの曲がり角で見えなくなって、神殿の門を振り返った彼女は、ようやく僕がここに立っている事に気がついたようだ。
一瞬、少し驚いたように目を瞠いた彼女だったが、すぐにその綺麗な顔に、いつもの優しい微笑みが浮かぶ。
「わざわざ迎えに出てきてくれたのね。
ただいま、ファルコ。」
…その微笑みに胸の奥が微かに痛んだのは、それに惹きつけられたのが僕だけではない事を、本能的に理解したからかもしれない。
あの『英雄』も、恐らくは。
だって、こんなに綺麗に微笑むひとに、惹かれない者がいるわけがない。
(作者注:あくまで個人の見解です)
「…おかえりなさい、神官長。」
そんな思いに、差し出した手が少しだけ揺れたが、どうやら気づかれなかったようで、彼女はこだわりなく自分の手を重ねてくれた。
「私のいない間、変わった事はなくて?」
頭ひとつ以上低い位置からの視線が、真っ直ぐに僕を見つめてくる。
彼女の問いに、少し考えてから僕は答えた。
「変わったこと…あの日の午後に僕が戻った後、ダイダリオン殿が少し魂が抜けたみたいになっていて、彼が動けない間、代わりに副団長が僕に稽古をつけてくれていたけど、それ以外は、特に。」
恐らくは、僕が神殿を抜け出したせいなのだろう。
申し訳ないとは思って謝りには行ったが、大丈夫だと言われたのでそれ以上追求できなかった。
ひとまず問われたのでそれを言えば、彼女の細い眉根が寄せられる。
「……あの役立たず。あとで絞めとかないと。
上司に迷惑かけるとか何考えてんのよ…!」
「え?」
「ううん、なんでもないわ。」
…ちょっと穏やかじゃない言葉を彼女の口から聞いたような気がしたが、なんだか触れてはいけない気がする。
ここ数日で『空気を読む』という概念を覚えたのは、あの夜色々僕に教えてくれた、彼女の『弟』だという男性のおかげだ。
…迷子の僕を彼女の家に送り届けてくれた彼にも感謝はしているが、あの食事の席での出来事を思うと、どうしても引っかかってしまうので、僕はできるだけ彼のことは、意識の外に追い出すようにしていた。
「ところでファルコ。
急な話で申し訳ないのだけれど、明日の朝から、平日は王宮に通ってちょうだい。」
と、少しだけ自身の思考に沈んでしまっていた僕の意識を、僕の名を呼ぶ彼女の声が引き戻す。
一瞬だけ呆けてしまってから、僕はのろのろと、彼女の言葉の一部だけを鸚鵡返しした。
「……王宮に?」
「ええ。バアル様が教官を務める近衛騎士団の騎士養成教室で勉強して欲しいの。
バアル様は快くお引き受けくださったわ。
神聖騎士団にはない制度だから、最初のうちは戸惑う事も多いかもしれないけれど、のちのち必ずあなたの役に立つ事よ。」
…その、言われた言葉の意味を、理解するのに時間がかかった。
その間を否定のように受け取ったのだろう、彼女は少し困ったように眉を顰める。
「あ…勝手に決めてしまって、気を悪くした?」
「そんな事はない。
君が決めた事は、僕の為に考えてくれた事だから。」
慌てて首を横に振って答えると、彼女はホッとしたように微笑んだ。
「そう思ってくれるのならば、良かった。
慣れない環境は不安とは思うけど、最初のうちは、わたしも同行するから…」
「…いいや、僕ひとりでちゃんと行くよ。
王宮への道は覚えているし。」
…子供扱いされるのが嫌だったわけじゃない。
何となくだが、彼女と先程別れたばかりのあの人に、僕の見ている前で彼女を会わせたくなくて、本当は少し不安だったにもかかわらず、僕はそう言って笑顔を作る。だが、
「いいえ!行きたいの!是非同行させてちょうだい!!」
「はい……!?」
そう言った僕の答えに、彼女はいきなり目の色を変え、なんなら胸ぐらを掴む勢いで詰め寄って、断言した。
………逆らえなかった。
…2人きりになって、少し気まずかったからでは断じてない。
あくまでもファルコの親代わりとして必要な知識だからだ。
「私が見習い騎士として通っていたのは、もう30年近く昔の話ですから、細かい部分はいくらか違っているところもありましょうが…」
と言いながらもバアル様は、時々記憶を辿るように、考えながら答えてくれた。
城内で実際に授業が行われる部屋は、騎士団に充てがわれている棟の中でも奥まった、割とややこしい場所にあること(先に聞いておいて良かった)。
訓練場は主に騎士の皆さんが使う時間が大半で、見習いに開放される時間はそれほど多くないこと。
見習いのうちは実戦より騎士の精神を教える方がより重要なので、座学の授業が大半だからそれで充分であること。などなど。
「見習い騎士はまず、この国の歴史と文化についてから理解する必要があります。」
「将来的に自分が守る国への理解を深める事によって愛国心を育て、守るという意識を明確にする…という考え方ですよね。
私も、ファルコにはまず、歴史から教えましたわ。」
「その通りです。なるほど。
ならば、心得は出来ていらっしゃる?」
知識が充分であれば段階を飛ばして、次のステップの授業から入ってもいいのだと助言をくれるバアル様に、私は首を横に振る。
「私どもで知識は入れたものの、まだ実感は伴っていないと思います。
ファルコはまだ子供で、世界が狭いのです。
今は、私に誉められるために頑張ってくれていますが、それではいずれ限界が来ます。
目的意識のない努力は、時に己の方向性を見失うものですから。
是非、最初からお願いいたしますわ。」
『イエ国』のファルコは、他の攻略対象との交流はあったものの、基本的にはマリエル1人の世界で完結していた。
あれは恋愛ゲームだからそれで良かったかもしれないが、今のこの世界は画面の中ではない、登場人物ひとりひとりに血の通った、紛れもない現実だ。
ファルコにはたくさんの人との交流と、それに伴うたくさんの経験を積んでもらわねばならない。
彼はこれから、勇者として育ちその力を得る。
そして力とは、心が伴わなければ、正しく奮う事はできないのだ。
「…わかりました。では、そのように。
貴女はファルコ殿の事を、我が子のように想っていらっしゃるのですね。
ならば私も、教官としてだけではなく、父親のような気持ちをもって挑まねばなりますまい。」
…ちょっと話が怪しい方向へ行ったのはともかく。
ひとまず揃えなければならない必要なものについては、ひと通り口頭で教えてくださった後、
「念の為、前任の教官にも確認してリストを作って、今日の夕方には神殿に届けて貰う事にします。
こちらで書いたものがあった方が安心でしょうから。」
と約束してくれた。
「本来は近衛騎士団の制服着用が規則なのですが、ファルコ殿の場合は、そちらで用意できる騎士服で結構です。
…その点については、今のタイミングが幸いといいますか。
先のバルゴ王国との会談の後、かの国からの好意で派遣された傭兵隊の、希望する者がやはり明日から参加する予定である為、異装であっても悪目立ちすることはありますまい。」
……ん?バルゴ王国からの傭兵?それって……
そうこうするうち、馬車は神殿に到着した。
この後そのまま王宮へと向かう筈のバアル様が、先に馬車の外に出る。
そうしてからこちらに差し伸べられた大きな手に導かれて、私は数日ぶりに神殿の門の前に立った。
「では、明日は彼と共に、私も王宮へ伺います。」
「騎士団総出でお待ちしております。聖女殿。」
「そこまでしなくて結構です!」
そんな軽口を交わした後、バアル様は再び馬車に乗り込む。
すぐに発車したその馬車が、曲がり角で見えなくなるまで、私はその姿を見送っていた。
☆☆☆
…馬車が神殿に到着し、待ちかねていた姿がそこから見えると、僕は我慢できずにその側まで駆け寄……ることはしなかった。
駆け寄りたいのは間違いないが、彼女はこういう事に意外とうるさいのだ。
子供みたいに駆け寄ったら、『紳士のふるまいじゃないわ』なんて言われるに決まってる。
彼女になら、叱られるのも嫌いじゃないけど、微笑んでくれるならそれが一番だから。
代わりに、開いた扉の側に誰よりも早足で歩み寄り、手を差し出すつもりだった。
紳士であれば、淑女が馬車を降りる時に手を貸すのは当然のことだと、彼女から教えられたから。
…けどその馬車から、先に降りた大きな身体の、見覚えのある男性が、後から続く彼女の手を取って馬車から連れ出した時、その流れるような所作に目を瞠り、思わず足を止めて見つめてしまった。
バアル・イルージオという名のその人とは、先日の王城奪還の時に共に行動していた。
後から聞いた話では、この国では『英雄』と呼ばれるひとなのだという。
その『英雄』が、彼女と近い距離で何やら言葉を交わした後、再び馬車に乗って去っていき、残された彼女がそれを見送る。
その姿が通りの曲がり角で見えなくなって、神殿の門を振り返った彼女は、ようやく僕がここに立っている事に気がついたようだ。
一瞬、少し驚いたように目を瞠いた彼女だったが、すぐにその綺麗な顔に、いつもの優しい微笑みが浮かぶ。
「わざわざ迎えに出てきてくれたのね。
ただいま、ファルコ。」
…その微笑みに胸の奥が微かに痛んだのは、それに惹きつけられたのが僕だけではない事を、本能的に理解したからかもしれない。
あの『英雄』も、恐らくは。
だって、こんなに綺麗に微笑むひとに、惹かれない者がいるわけがない。
(作者注:あくまで個人の見解です)
「…おかえりなさい、神官長。」
そんな思いに、差し出した手が少しだけ揺れたが、どうやら気づかれなかったようで、彼女はこだわりなく自分の手を重ねてくれた。
「私のいない間、変わった事はなくて?」
頭ひとつ以上低い位置からの視線が、真っ直ぐに僕を見つめてくる。
彼女の問いに、少し考えてから僕は答えた。
「変わったこと…あの日の午後に僕が戻った後、ダイダリオン殿が少し魂が抜けたみたいになっていて、彼が動けない間、代わりに副団長が僕に稽古をつけてくれていたけど、それ以外は、特に。」
恐らくは、僕が神殿を抜け出したせいなのだろう。
申し訳ないとは思って謝りには行ったが、大丈夫だと言われたのでそれ以上追求できなかった。
ひとまず問われたのでそれを言えば、彼女の細い眉根が寄せられる。
「……あの役立たず。あとで絞めとかないと。
上司に迷惑かけるとか何考えてんのよ…!」
「え?」
「ううん、なんでもないわ。」
…ちょっと穏やかじゃない言葉を彼女の口から聞いたような気がしたが、なんだか触れてはいけない気がする。
ここ数日で『空気を読む』という概念を覚えたのは、あの夜色々僕に教えてくれた、彼女の『弟』だという男性のおかげだ。
…迷子の僕を彼女の家に送り届けてくれた彼にも感謝はしているが、あの食事の席での出来事を思うと、どうしても引っかかってしまうので、僕はできるだけ彼のことは、意識の外に追い出すようにしていた。
「ところでファルコ。
急な話で申し訳ないのだけれど、明日の朝から、平日は王宮に通ってちょうだい。」
と、少しだけ自身の思考に沈んでしまっていた僕の意識を、僕の名を呼ぶ彼女の声が引き戻す。
一瞬だけ呆けてしまってから、僕はのろのろと、彼女の言葉の一部だけを鸚鵡返しした。
「……王宮に?」
「ええ。バアル様が教官を務める近衛騎士団の騎士養成教室で勉強して欲しいの。
バアル様は快くお引き受けくださったわ。
神聖騎士団にはない制度だから、最初のうちは戸惑う事も多いかもしれないけれど、のちのち必ずあなたの役に立つ事よ。」
…その、言われた言葉の意味を、理解するのに時間がかかった。
その間を否定のように受け取ったのだろう、彼女は少し困ったように眉を顰める。
「あ…勝手に決めてしまって、気を悪くした?」
「そんな事はない。
君が決めた事は、僕の為に考えてくれた事だから。」
慌てて首を横に振って答えると、彼女はホッとしたように微笑んだ。
「そう思ってくれるのならば、良かった。
慣れない環境は不安とは思うけど、最初のうちは、わたしも同行するから…」
「…いいや、僕ひとりでちゃんと行くよ。
王宮への道は覚えているし。」
…子供扱いされるのが嫌だったわけじゃない。
何となくだが、彼女と先程別れたばかりのあの人に、僕の見ている前で彼女を会わせたくなくて、本当は少し不安だったにもかかわらず、僕はそう言って笑顔を作る。だが、
「いいえ!行きたいの!是非同行させてちょうだい!!」
「はい……!?」
そう言った僕の答えに、彼女はいきなり目の色を変え、なんなら胸ぐらを掴む勢いで詰め寄って、断言した。
………逆らえなかった。
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