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第四章その8 ~ここでお別れです~ 望月カノンの恩返し編

その手で殺せ、愛する人を

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「え……?」

 違和感は突然訪れた。最後の黒人形を叩き潰し、安堵あんどしそうになった頃合いである。

 がくん、と体に抵抗がかかり、四肢に無数の糸がからまったように感じられた。

(何……一体何なの……?)

 戦いのダメージが蓄積したのか、それともさっき触れた刃の影響だろうか?

 顔だけを動かして確認したが、右手はまだ健在である。

 しかし、手を上げて詳しく観察しようにも、腕がいっこうにいう事を聞かない。それどころか意思に反して、くるりとたいひるがえしてしまった。

 カノンはぎこちなく少年に歩み寄ると、右手の金棒を強く握り締める。

(ちょ、ちょっと!? 何しようとしてるの……!?)

 カノンはぞっとして、必死におのが手に意識を集中する。

 握らせようとする何かの力と、開こうとする自分の意思。手の甲がひきつるようなやり取りの末、ようやく金棒を床に落とせた。

 だが安心したのもつかの間、足は勝手に膝を折り、彼の前にしゃがんだのだ。カノンはそのまま腕を伸ばし、少年の胸倉を掴んでしまった。

(駄目よそんな、休ませなきゃいけないのに……!)

 カノンの願いもむなしく、右手は彼を壁に押し付け、ぎりぎりと力を加えている。

「ど、どうして……??」

 カノンは理解出来なかった。ずっと大切に想ってきた人を、この手で攻撃しているのだ。

「嘘でしょ、やめて、何がどうなってるの……!?」

 震える声で言うカノンをよそに、虚空に五老鬼の姿が映し出された。

「でかした刹鬼姫、よくやった」

「そのたまがある限り、我らに逆らえるはずがないのだ」

「長い事経っていたので心配だったが……その右手が決め手だったな」

 古鬼どもは勝ち誇ったように言い、カノンはそこで気が付いた。

 そういえば、かつて五老鬼に言われてやった儀式があった。赤い珠に自分の気を染み込ませ、更には髪を切って献上したあの儀は、こちらの身を操るためのものだったのか? そして右手とは…………

 必死に目線を動かすと、カノンの右手は黒く染まり、青紫の光を帯びていた。あの黒人形の刃を受け、邪気でただれたその部分が最も抵抗力が弱く、そこから術が浸透していたのだ。

 誠の胸倉を掴むカノンの手は、そこで一度開かれた。

 しかし手は上に移動し、今度は彼の喉元を掴んだのだ。その動作が意味する事を理解し、カノンは必死に首を振った。

「嫌、嫌、嫌っ……!!!」

 悲鳴のように漏れる声と裏腹に、彼の首を掴む手に力が入る。

「…………っ」

 彼は苦しげにこちらを見つめ、何かを言いかけた。

「やめて、やめてっ! お願い、お願いだからっ!!」

 泣き叫ぶカノンの様子を楽しむかのように、五老鬼達はあざ笑った。

「そうだ、それが一族を裏切った者の定めだ! このまま握りつぶしてやろう!」

 五老鬼の一人が手を握ると、カノンが首を絞める手は、どんどん力を増していく。

 耐え切れず、涙が頬を伝った。

 なんという事だろうか。500年、ただひたすらに恩返しを心に誓った愛しい人を、この手で絞め殺す……?

 考えただけで気が狂いそうだった。

「やめて、やめてええええええっっっ!!!!!」

 だがカノンが必死に叫んだその時、唐突に手は彼から離れたのだ。

「……………………え……?」

 カノンは一瞬、理解出来なかった。

 恐る恐る周囲に目をやると、鬼達も固まっていた。

 巨体の剛角の足元に、赤い何かが散らばっている。彼が珠を砕いたのだ、と気付くまで、更に数秒の時がかかった。

「……姫さん、すまん」

 剛角は金棒を床から引き抜く。

「イライラしてのお……どうしても耐えられなんだわ」

 凍りつく鬼達に代わり、虚空に映る五老鬼が騒ぎ立てた。

「きっ、貴様剛角、血迷ったか!!!」

 剛角は映像に目をやると、大音量で怒鳴り散らした。

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、やっかましいんじゃアホんだらあっ!!!」

 まるで巨獣の咆哮ほうこうである。通路が震える程の怒声で、剛角はなおも啖呵たんかをきった。

「いつまでも昔の事でうじうじしやがって、恨みがあるならてめえで出張でばればええじゃろうがっ!!! お前らみたいな腰抜けの里は、こっちから願い下げじゃあっ!!!」

「よっしゃ剛角、よう言うた! わしも里抜けに決めたぞ!」

 そこで紫蓮が後を続けた。手にした斧を肩に担ぎ、楽しそうに言い放つ。

「古鬼ども、そういうわけじゃ。後はよろしくやってくれ」

 盛り上がる剛角達に、刹鬼姫も笑みを浮かべる。

「……ま、お前らに我慢なんて、元から無理だったか」

 刹鬼姫はそれから残りの配下に顔を向けた。

「あんた達は里にお戻り。巻き添えを食う事はないよ」

 部下達が戸惑ったその一瞬、紫蓮と刹鬼姫が動く。次の瞬間、配下の鬼は一様に倒れ伏していた。

 相次ぐ里の有力者の離反に、五老鬼は色めき立った。

「こ、この裏切り者どもが……生きて帰れると思うな!」

「このような事態の備え、我らがしていないと思うか!」

 五老鬼の言葉に、刹鬼姫は肩をすくめた。

「……いや、思わないねえ。あの転移の腕輪も、妙な術を仕込んでたんだろう? どうせ今回負ければ、捨て駒にすると思ってた」

「分かっているなら地獄へ落ちろ!」

 五老鬼の言葉と共に、倒れた配下達の身につける腕輪が次々光った。

 そこから黒い液体が染み出ると、先ほどと同じ黒人形が、五体程も立ち上がったのだ。

 カノンはその光景を見守っていたが、やがて紫蓮がぽつりと言った。

「のう姫よ……500年、言いそびれとったがな。あの時、古鬼どもに啖呵たんかをきって飛び出したじゃろ」

 紫蓮はそこで口元に笑みを浮かべる。

「……正直、胸がスカっとしたんじゃ」

「そりゃわしもよ」

 剛角も満面の笑みで同意したが、そこで刹鬼姫が後を続けた。

「はよう行かれよ、姉上殿」

「で、でも……」

「心配ご無用。生き残ったら、詫びはたんまりしていただく。500年に利子を付けてな」

 刹鬼姫はそのまま太刀を構え、黒人形どもに向き直った。紫蓮や剛角も同様である。

「……ありがとう……!」

 カノンは彼らに一礼すると、倒れた誠に肩を貸し、岩屋のドアを押し開く。本当は抱きかかえたかったのだが、まだ体がうまく動かないのだ。

 このまま高千穂の最深部へ……テンペストの元へと向かうのみ。
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