上 下
80 / 110
第四章その8 ~ここでお別れです~ 望月カノンの恩返し編

もう魔法は解けたから…!

しおりを挟む
 立ち上がったカノンを見据え、刹鬼姫は笑みを浮かべた。

「どうした七月なづき、今更やる気か?」

「…………」

 カノンは答えず、右手をそっと胸に当てた。

 パイロットスーツ越しでも分かる。体の表面を包む薄膜……自らの力をおさえるべく、遠い昔、女神がくれた封印だ。

 カノンは右手を握り締める。手の内に宿る何かが、弾力をもって指を押し返すが、かまわず更に力を込めた。硬い鎖が……金属が破断するような感覚があった。

 燃え上がるような赤い光が身の内から噴き出し、はらわたが、心臓が、焼きつくように脈打っている。

 指先から髪の毛の先まで、熱い血潮が駆け巡るような感覚で、カノンはのけぞり、口を開いた。

「あああっ…………あああああっ………!!!!!」

 言葉にならない声と吐息……けれどそれを発する口元には、鋭い牙が伸び始めていた。

 頭蓋骨の内側から、鐘を突くようにどんどんと激しい脈動が起こり、割れんばかりの頭痛が襲う。

 赤く染まった髪を掻き分け、2つの角が伸びていく。

 灰被り姫シンデレラなどとおこがましいが、もう魔法は解けてしまった。

 自分はけがれた魔族の娘。500年前、三島の浜を逃げ惑い、白砂はくさにまみれたあの日のままだ。

 いかに人を真似まねようとも、結局何も変われなかったのだ。

 激しい波動が周囲に広がり、鬼どもはひるんだように後ずさった。

(………………ああ、破ってしまった)

 カノンは怖くて振り返れない。

 本当は、彼に話しかけるべきだ。かつての礼を言うべきなのだ。

 でもどうしても振り向けなかった。

 心臓が壊れたようにどきどきと脈打って、金縛りがごとく動けないのだ。

 だがその時だった。

「……カノン」

 その声を聞いた途端、びくりとカノンの身が震える。

 1秒……2秒…………耐え難い時が流れる。

 なじられるのだろうか。だましていた事を責められるだろうか。

「…………っ」

 カノンはぎゅっと手を握り締める。

 耐えなければ。どんなに責められても、それも仕方のない事だ。

 だが次の瞬間、彼は言ったのだ。

「…………いいじゃん……似合ってるじゃんか」

 刹那せつな、カノンの脳裏に遠い記憶が蘇った。

『その……似合ってはいると思う』

 あの日初めて人の姿に変わった時、彼はそう言ってくれた。そして今再びだ。

 長い長い時をて、あの時と同じ言葉を……それも今の姿に向けて……!!

 せきを切ったように、熱い涙が溢れ出す。

「~っっっ!!!」

 もうたまらなくなって、カノンは振り返った。膝をつき、彼の前にしゃがみ込む。

 震える指を胸の前で組み合わせ、何とか言葉をしぼり出した。

「ご、500年、待ちました……!」

「うん」

「あ、あの日助けていただいた、あわれな鬼にございます……!」

「うん」

 彼は静かに頷いている。

 その目で見つめられると、頭の中がパニックになって、何を言っていいのか分からなくなる。

 というか今、自分は何を口走っている?

 これではまるで鶴の恩返し、昔話の報恩譚ほうおんたんだ。

「ちっちがう、そうじゃないのっ、そういう事が言いたいんじゃなくて……そのっ、」

 500年分の思いがぐちゃぐちゃになって、カノンは焦った。

(彼に何を言おうと思ったんだろう?)

(どうお別れしようと思ったんだろう?)

(何も分からない、思い出せない……どうしよう、どうしよう……!)

 完全に気が動転している。

 あれからあんなに努力したのに。人の世の事も沢山学んで、色んな知恵も身につけたのに。

「……知ってたよ。てか、さっき見た。高千穂研ここって、心の中が伝わるみたいで……」

 言葉が出ないカノンに代わって、彼はそう言ってくれた。

「俺の恥ずかしい思い出とかは、見えてないといいんだけどさ。毎日車にはねられたり、猪に追いかけられて泣いたり……」

(猪? 猪……食べ物……そうだっ!)

「……っ!」

 そこでカノンは思い出した。

 焦りながらパイロットスーツの腰部収納部サイドポケットを探る。銀色の包みを取り出し、そっと開いた。

 白く平べったいそれは、オーブンで作った干しいいだった。

 震える手で彼に差し出し、そっと手に握らせる。

 本当は、もっと美味しい料理を作ってあげたかったのに。もっと沢山、素敵な恩返しがしたかったのに。

 けれど今の自分には、これしか持ち合わせがないのだ。

「ありがとう」

 それでも彼はそう言ってくれた。

「あんまり旨そうにしてたから……一回食べてみたかったんだ」

「………………っ」

 カノンは泣き笑いのように微笑んだ。

 それから恐る恐る顔を近づけ、震える唇を重ねた。

 彼は少し身を震わせたが、拒んだりはしなかった。

 愛しい! 大好き! このままずっと離れたくない!

 大音量で叫ぶ心の首根っこを引き捕まえて、カノンはなんとか唇を離した。

 目の前がちかちかする。頬が、眉間みけんが、喉が熱くて……そして心が燃えている。もうこれで、思い残す事は何も無いのだ。

「ここでお別れです……!」

 カノンは勢い良く立ち上がり、振り返った。

(……もう……魔法は解けたんだ……!!)

 立ち並ぶ襲撃者しゅうげきしゃどもをにらみつけ、カノンはそう心で念じた。

 鬼に戻って背が伸びたためか、パイロットスーツがどうも窮屈きゅうくつだ。

 やにわに腰の部分の布を掴み、勢い良く引き千切った。肩から肘にかけての布も、ももの所も破り捨てる。アーマー部位以外、何もかも破り捨てた。これで動きやすくなっただろう。

 ささらに乱れた胴の布が、腰巻きのように垂れてなびいた。その感触を、不思議と懐かしく感じてしまう。

 腰のサイドポケットから小刀を取り出すと、力を込めて「変われ」と念じる。

 小刀はたちまち光を帯びると、金棒へと姿を変えた。

 あの剛角のものほど太くはないが、代わりに長く、武器として洗練された形状である。

 金気かなけを自在に操る術……鬼神族でもごく一部しか使えない特別なわざだ。

 カノンが足を踏みしめると、床が大きくひび割れた。

「さあかかって来い、群れるしか能の無い腰抜けどもが! この七月姫が相手だっ!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラウンクレイド零和

茶竹抹茶竹
SF
「私達はそれを魔法と呼んだ」 学校を襲うゾンビの群れ! 突然のゾンビパンデミックに逃げ惑う女子高生の祷は、生き残りをかけてゾンビと戦う事を決意する。そんな彼女の手にはあるのは、異能の力だった。 先の読めない展開と張り巡らされた伏線、全ての謎をあなたは解けるか。異能力xゾンビ小説が此処に開幕!。 ※死、流血等のグロテスクな描写・過激ではない性的描写・肉体の腐敗等の嫌悪感を抱かせる描写・等を含みます。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫(299)
キャラ文芸
 香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。 ⚠最新話投稿の宣伝は基本しておりませんm(。_。)m

福沢時計店の思い出旅行『キ』

キャラ文芸
とある田舎町の辺鄙な場所に、一つの時計店がひっそりと佇んでいる。 かつて過ごした過去をもう一度見たい。 過去の自分を導いて今を変えたい。 もう一度過去をやり直して、今を変えたい。 「旅行祈」と「旅行記」と「旅行機」。 それぞれの目的を持った人々に、「旅行『キ』」は授けられる。

【完結】神様WEB!そのネットショップには、神様が棲んでいる。

かざみはら まなか
キャラ文芸
22歳の男子大学生が主人公。 就活に疲れて、山のふもとの一軒家を買った。 その一軒家の神棚には、神様がいた。 神様が常世へ還るまでの間、男子大学生と暮らすことに。 神様をお見送りした、大学四年生の冬。 もうすぐ卒業だけど、就職先が決まらない。 就職先が決まらないなら、自分で自分を雇う! 男子大学生は、イラストを売るネットショップをオープンした。 なかなか、売れない。 やっと、一つ、売れた日。 ネットショップに、作った覚えがないアバターが出現! 「神様?」 常世が満席になっていたために、人の世に戻ってきた神様は、男子学生のネットショップの中で、住み込み店員になった。

カラマワリの兄弟

衣更月 浅葱
キャラ文芸
3歳年上の兄はおれにとって、まるで台風のようだった。 舞台は貴族の街、ルピシエ市。 この街の一警官ギルバートはある秘密を抱えていた。 それは、『魔薬』によって人ならざる者と化した兄を魔薬取締班から匿っているといること。 魔薬とは、このルピシエ市に突如として蔓延した、摩訶不思議な力をさずける魔法のような薬であり、そしてそれは簡単に人を人間の域から超えさせてしまう悪魔のような薬でもある。 悪魔と化した元人間を誰が受け入れようか。 秩序を守る為にその悪魔達は、『魔薬を使用した』ただ一つの罪を理由に断罪された。次々と魔薬取締班に処刑された。 ギルバートの兄にも、その足音は近づいている…。

熊野古道 神様の幻茶屋~伏拝王子が贈る寄辺桜茶~

ミラ
キャラ文芸
社会人二年目の由真はクレーマーに耐え切れず会社を逃げ出した。 「困った時は熊野へ行け」という姉の導きの元、熊野古道を歩く由真は知らぬ間に「神様茶屋」に招かれていた。 茶屋の主人、伏拝王子は寄る辺ない人間や八百万の神を涙させる特別な茶を淹れるという。 彼が茶を振舞うと、由真に異変が── 優しい神様が集う聖地、熊野の茶物語。

致死量の愛と泡沫に+

藤香いつき
キャラ文芸
近未来の終末世界。 世間から隔離された森の城館で、ひっそりと暮らす8人の青年たち。 記憶のない“あなた”は彼らに拾われ、共に暮らしていたが——外の世界に攫われたり、囚われたりしながらも、再び城で平穏な日々を取り戻したところ。 泡沫(うたかた)の物語を終えたあとの、日常のお話を中心に。 ※致死量シリーズ 【致死量の愛と泡沫に】その後のエピソード。 表紙はJohn William Waterhous【The Siren】より。

オアシス都市に嫁ぐ姫は、絶対無敵の守護者(ガーディアン)

八島唯
キャラ文芸
 西の平原大陸に覇を唱える大帝国『大鳳皇国』。その国からはるか数千里、草原と砂漠を乗り越えようやく辿り着く小国『タルフィン王国』に『大鳳皇国』のお姫様が嫁入り!?  田舎の小国に嫁入りということで不満たっぷりな皇族の姫であるジュ=シェラン(朱菽蘭)を待っているのタルフィン国王の正体は。  架空のオアシス都市を舞台に、権謀術数愛別離苦さまざまな感情が入り交じるなか、二人の結婚の行方はどうなるのか?!

処理中です...