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第四章その4 ~守り切れ!~ 三浦半島防衛編
濡れ髪の記憶
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突然のアラーム、点滅する赤いランプ。三浦半島はにわかに騒然となった。
既に夜はふけ、普通の人々は寝静まっていた時間帯だ。
1人湯に浸かっていたカノンは、急ぎ湯船から飛び出した。乱暴にタオルで体をぬぐい、スウェットの上下を纏う。
それから懸命に走り出した。
(餓霊の襲撃? それとも別の何かなの?)
この三浦半島の避難区において、カノンは完全に部外者である。機体も派手に損傷しており、特に何が出来るわけではない。
けれど生来の野生の勘で、体が勝手に動いていた。
走りながら片手の掌を眺め、カノンは少し安堵した。
(大丈夫……まだ人でいられる……!)
心配していた体の変化はあれ以来起きていなかったが、念のため、他の兵が入り終わるまで入浴を控えていたのだ。
駆け続けると、拭き切れていない髪の雫が、薄いグレーのスウェットを重たく濡らした。
額や首筋に水気が伝い、あたかもあの日のようである。
……そう、気の遠くなるぐらい遠い昔、自分は海から這い上がり、こんなふうに走って逃げた。
耳を澄ませば、当時の荒い呼吸が聞こえてくるようだった。
ただ必死に砂を蹴立て、髪を振り乱し。
人の世界の事も、恋する事も何一つ知らなかった自分は……その日彼と出会ったのだ。
警報が鳴った数秒後には、第3船団のパイロット達は飛び起きていた。いかな事態にも即応出来るよう、格納庫の仮眠室で休んでいたのだ。
「弥太郎、状況は!?」
パイロットスーツのまま横になっていた海老名は、ベッド脇のモニターを確認していた弥太郎に駆け寄る。
1人だけ仮眠時間をずらして起きていた弥太郎は、既に状況確認を終えたらしい。
「襲撃だ、俺達も出る! 後は機体で!」
それだけ言って自らの機体に駆け寄っていく。
気の強い翔馬は、走りながらばしりと拳を手に打ち付けた。
「おーしっ、関東の暴れ馬こと翔馬様の活躍を見せてやるか!」
「ギョーザも食べてエネルギー満点だもんねっ!」
ひかるも無駄口を叩きながら操縦席に飛び込んだ。
操縦席は開きっぱなしであり、操作用電子機器や人工筋肉も即応可能だ。
海老名が機体を立ち上がらせると、弥太郎から送られた情報が画面に表示されていく。避難区全体の地図が映り、敵の攻撃を示す赤い光点がどんどん増えていくのだ。
「餓霊の攻撃……まさか、あの警戒網を破ったの……!?」
海老名が驚くと、画面上で弥太郎が言った。
「違う、攻撃は中から。防御壁に被害は無い」
弥太郎の言う通りであった。被害を示す赤い光点の時系列を巻き戻すと、その始まりは壁の中。いきなり敵が現れた事を示していた。
「嘘だろ、そんなお化けみてぇな事あんのかよ?」
翔馬が問うと、弥太郎は頷く。
「理由は後で考える。今やるべきは応戦だ」
弥太郎は素早く機体を操ると、格納庫の外に飛び出した。
「ったく、相変わらず素早いあんちゃんだね~」
ひかるがふざけながらも彼を追った。
海老名も後に続きながら、少しだけ口元を笑みの形にした。
(本当に、そつなく有能な隊長さんだわ)
いつも隊員達を気遣い、そして有事の際には率先して命を賭ける。
目立たないし特徴も無いのだけれど、世の中にはこういう人が必要なんだろうな、といつも思うのだ。
(あのマッドサイエンティストも、少しは彼を見習えばいいのに……)
海老名はそうあり得ない仮定をしてみたが、そこでひかるが画面上で首をひねる。
「……にしてもおっかしいなあ。だってディアヌスが出てきて、まだ1日も経ってないんだよ? なんでここで決戦準備してるって分かったんだろ。手際が良すぎるじゃん」
ひかるの問いに翔馬が答える。
「ケッ、誰か親切な奴が教えたんじゃねぇの? あのドクロの脅しがあっただろ?」
「一番怖いのは、敵より馬鹿な味方って事ね」
海老名が肩を竦めると、そこで弥太郎が続報を告げる。
「迎撃部隊から逃れた餓霊がこちらに向かってるが、海老名の武装は強すぎて、施設に被害が出るだろう。射撃は極力控え、格闘戦で何とかしてくれ」
「了解だけど……火力を封じられると苦しいわね」
海老名は答えながらも戸惑った。
海老名の人型重機は、拠点防衛のための機体とは設計思想が根本的に異なり、派手な射撃が前提である。
格闘戦も不得手とは言わないが、あくまで砲撃を潜り抜けた少数の敵を想定している。
重すぎる武装がバッテリーや人工筋肉へ負担をかけ、格闘のみの継戦能力は他の機体に比べて低いのだ。
(……甘かったわ。せめて低威力の短機関銃だけでも装備しとくんだった……!)
念のため調整用操作パネルをいじり、予備兵装まで調べる海老名だったが、画面にアニメ調の筑波が映り、納豆のCMが流れ始めたため、諦めてゲンコツで画面を叩いた。
「……このアホ科学者っ、ほんとのほんとにとっちめてやるんだから……!」
だが海老名がそう言った途端にCMは消え、画面に本物の筑波が映った。
「うわっ、本物っ!?」
驚く海老名に、筑波は珍しく真面目な顔で言った。
「お休み中悪いな諸君。言うまでもないが、格納庫には震天が運び込まれてる。あれはこの国の希望だ……絶対敵を抜かせるな、なんとしても守り抜いてくれ」
「……りょ、了解しました」
海老名がやや赤い顔で答えると、筑波は画面から消えた。
海老名は少し落ち着こうと呼吸を整えながら、幼い頃を思い出す。
10年近く前、彼はああいう真面目な顔をしていた。今思えば、ただしょぼくれていただけかもしれないが。
お腹が空いた時は、よく食べ物を分けてくれてたっけ……と懐かしく思うが、そこで前方に光が閃いた。青い弾道は、味方の機体が放つ短機関銃の電磁火線だ。
一同は現場に到着すると、手早く敵を片付けていく。だが餓霊は数を減らすどころか、次々建屋の影から姿を現していた。
(こんな大量の餓霊が、いきなり避難区の中に? センサーにもかからずに……)
海老名は再び疑問に思ったが、今はそれどころではない。
重い機体でなんとか接近戦をこなしながら、迫る敵を打ち倒していくのだ。
既に夜はふけ、普通の人々は寝静まっていた時間帯だ。
1人湯に浸かっていたカノンは、急ぎ湯船から飛び出した。乱暴にタオルで体をぬぐい、スウェットの上下を纏う。
それから懸命に走り出した。
(餓霊の襲撃? それとも別の何かなの?)
この三浦半島の避難区において、カノンは完全に部外者である。機体も派手に損傷しており、特に何が出来るわけではない。
けれど生来の野生の勘で、体が勝手に動いていた。
走りながら片手の掌を眺め、カノンは少し安堵した。
(大丈夫……まだ人でいられる……!)
心配していた体の変化はあれ以来起きていなかったが、念のため、他の兵が入り終わるまで入浴を控えていたのだ。
駆け続けると、拭き切れていない髪の雫が、薄いグレーのスウェットを重たく濡らした。
額や首筋に水気が伝い、あたかもあの日のようである。
……そう、気の遠くなるぐらい遠い昔、自分は海から這い上がり、こんなふうに走って逃げた。
耳を澄ませば、当時の荒い呼吸が聞こえてくるようだった。
ただ必死に砂を蹴立て、髪を振り乱し。
人の世界の事も、恋する事も何一つ知らなかった自分は……その日彼と出会ったのだ。
警報が鳴った数秒後には、第3船団のパイロット達は飛び起きていた。いかな事態にも即応出来るよう、格納庫の仮眠室で休んでいたのだ。
「弥太郎、状況は!?」
パイロットスーツのまま横になっていた海老名は、ベッド脇のモニターを確認していた弥太郎に駆け寄る。
1人だけ仮眠時間をずらして起きていた弥太郎は、既に状況確認を終えたらしい。
「襲撃だ、俺達も出る! 後は機体で!」
それだけ言って自らの機体に駆け寄っていく。
気の強い翔馬は、走りながらばしりと拳を手に打ち付けた。
「おーしっ、関東の暴れ馬こと翔馬様の活躍を見せてやるか!」
「ギョーザも食べてエネルギー満点だもんねっ!」
ひかるも無駄口を叩きながら操縦席に飛び込んだ。
操縦席は開きっぱなしであり、操作用電子機器や人工筋肉も即応可能だ。
海老名が機体を立ち上がらせると、弥太郎から送られた情報が画面に表示されていく。避難区全体の地図が映り、敵の攻撃を示す赤い光点がどんどん増えていくのだ。
「餓霊の攻撃……まさか、あの警戒網を破ったの……!?」
海老名が驚くと、画面上で弥太郎が言った。
「違う、攻撃は中から。防御壁に被害は無い」
弥太郎の言う通りであった。被害を示す赤い光点の時系列を巻き戻すと、その始まりは壁の中。いきなり敵が現れた事を示していた。
「嘘だろ、そんなお化けみてぇな事あんのかよ?」
翔馬が問うと、弥太郎は頷く。
「理由は後で考える。今やるべきは応戦だ」
弥太郎は素早く機体を操ると、格納庫の外に飛び出した。
「ったく、相変わらず素早いあんちゃんだね~」
ひかるがふざけながらも彼を追った。
海老名も後に続きながら、少しだけ口元を笑みの形にした。
(本当に、そつなく有能な隊長さんだわ)
いつも隊員達を気遣い、そして有事の際には率先して命を賭ける。
目立たないし特徴も無いのだけれど、世の中にはこういう人が必要なんだろうな、といつも思うのだ。
(あのマッドサイエンティストも、少しは彼を見習えばいいのに……)
海老名はそうあり得ない仮定をしてみたが、そこでひかるが画面上で首をひねる。
「……にしてもおっかしいなあ。だってディアヌスが出てきて、まだ1日も経ってないんだよ? なんでここで決戦準備してるって分かったんだろ。手際が良すぎるじゃん」
ひかるの問いに翔馬が答える。
「ケッ、誰か親切な奴が教えたんじゃねぇの? あのドクロの脅しがあっただろ?」
「一番怖いのは、敵より馬鹿な味方って事ね」
海老名が肩を竦めると、そこで弥太郎が続報を告げる。
「迎撃部隊から逃れた餓霊がこちらに向かってるが、海老名の武装は強すぎて、施設に被害が出るだろう。射撃は極力控え、格闘戦で何とかしてくれ」
「了解だけど……火力を封じられると苦しいわね」
海老名は答えながらも戸惑った。
海老名の人型重機は、拠点防衛のための機体とは設計思想が根本的に異なり、派手な射撃が前提である。
格闘戦も不得手とは言わないが、あくまで砲撃を潜り抜けた少数の敵を想定している。
重すぎる武装がバッテリーや人工筋肉へ負担をかけ、格闘のみの継戦能力は他の機体に比べて低いのだ。
(……甘かったわ。せめて低威力の短機関銃だけでも装備しとくんだった……!)
念のため調整用操作パネルをいじり、予備兵装まで調べる海老名だったが、画面にアニメ調の筑波が映り、納豆のCMが流れ始めたため、諦めてゲンコツで画面を叩いた。
「……このアホ科学者っ、ほんとのほんとにとっちめてやるんだから……!」
だが海老名がそう言った途端にCMは消え、画面に本物の筑波が映った。
「うわっ、本物っ!?」
驚く海老名に、筑波は珍しく真面目な顔で言った。
「お休み中悪いな諸君。言うまでもないが、格納庫には震天が運び込まれてる。あれはこの国の希望だ……絶対敵を抜かせるな、なんとしても守り抜いてくれ」
「……りょ、了解しました」
海老名がやや赤い顔で答えると、筑波は画面から消えた。
海老名は少し落ち着こうと呼吸を整えながら、幼い頃を思い出す。
10年近く前、彼はああいう真面目な顔をしていた。今思えば、ただしょぼくれていただけかもしれないが。
お腹が空いた時は、よく食べ物を分けてくれてたっけ……と懐かしく思うが、そこで前方に光が閃いた。青い弾道は、味方の機体が放つ短機関銃の電磁火線だ。
一同は現場に到着すると、手早く敵を片付けていく。だが餓霊は数を減らすどころか、次々建屋の影から姿を現していた。
(こんな大量の餓霊が、いきなり避難区の中に? センサーにもかからずに……)
海老名は再び疑問に思ったが、今はそれどころではない。
重い機体でなんとか接近戦をこなしながら、迫る敵を打ち倒していくのだ。
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